眩しい光に目を細め、柔らかい草のクッションに足を着く。
澄んだ空気をめいっぱい吸い込んで、ゆっくりと辺りを見渡した。
「…ここは…」
見覚えのある緑達に、森の奥に見えるウェルテスの街。
街から近い場所に出れたんだ。
ホッと安堵の息を漏らし、再び辺りを見渡せば
獣道だけど確実に街へ繋がっている場所を見つけた。
街へ戻りたいからか、それともまた別の気持ちなのか、自然と足が動き出す。
そんな私を後押しするよう吹いた風は
季節の訪れを感じさせる、暖かいものだった。
「…懐かしい…」
活気溢れる声に、鳥の囀り。
戦いの終わりを知らせるその音色に耳を傾ければ
人々の幸せそうな声がもっともっと良く聞こえた。
「、あ」
声を上げた原因は、街中を急ぎ足で歩く少女の姿を見つけたから。
「ハリエッ…」
少女の名を呼ぼうとした時、私は口を動かすのを止めた。
私の声が微かに聞こえたのか、ハリエットは辺りをキョロキョロと見渡した後、
「気のせいかな?」と小首を傾げ再び歩き出す。
それで良かった。
何故かって、私は自分の意思で言葉を切ったんだから。
「…」
伸ばした手を動かし、頭を触る。
そこには勿論私の髪があって、少し痛む髪質を肌で感じられた。
だけど、そこにあると思っていた物がない。
「花が…」
「…なあ、」
「ハリエットの花言葉を知っているか…?」
「“一生、死んでも愛してる”…」
「な…なくした…」
最低、最悪…いや、もうそう言う次元を超えている。
あんなに大切だったものをなくした。
あんなに大切にしてくれていたものをなくした。
きっと自分の、不注意のせいで。
「お、怒られる…」
と言うより、合わす顔がない…!
「さ、探しに行かなきゃ…」
落とした可能性があるとしたらシュヴァルツを止めに行ったあの場所…時の揺り篭だ。
だけど戦いが終わった今、あの場所に行けるとは思えない。
望海の祭壇で落としていたら誰かが気付くし、その前まではちゃんと付けていた記憶がある。
この世界に戻ってきた時に落としたのかも、
そんな淡い期待を抱いて瞳を動かすが、ハリエットの花らしきものは落ちていなかった。
「…だったら、」
かくなるうえは、現地調達…!
眉をキッと吊り上げ、辺りを見渡す。
獲物を探す獣のように、ギラギラと瞳を光らせて。
「あの!そこの人ッ!!」
名も知らぬ男性目掛けて草むらから飛び出す。
男性は短い悲鳴を漏らしたが、私が熊や魔物ではなく人間だと分かると
ぱちくりと数回瞬きをし、ホッと安堵の息を漏らした。
「脅かすのは止めてくれ」
「ごめんなさい!でもどうしても聞きたい事が!!」
「なんだい?」
男性は落ち着きを取り戻し、私に優しく接してくれる。
恐らく私が破壊の少女だと言う事に気付いていないのだろう。
ならば好都合、と私は矢継ぎ早に声を上げた。
「今日っていつですか!?」
「いつ?おかしな事を聞くなあ…」
「あ、いや!いつかはどうでも良いんです!」
「?」
「月が隠れる日、教えて!」
男性は「ああ、月食か」と一言呟き、顎に手を当て目線を逸らす。
男性は聞かれたから答えるだけ、ぐらいにしか考えていないだろうけど
私にとっては次に出てくる言葉一つで死活問題に発展するのだ。
早く、早くと体を揺らし答えを待っていれば
男性は唸りながらもゆっくりと口を動かした。
「うーむ…いつかは分からんなあ」
「…いつか“は”…?」
「あぁ」
「ついこの間あったからなあ…次に来るのは大分先じゃないか?」
頬を掻きながら話すおじさんの瞳に
脱力しきった私の顔がハッキリと映る。
今、なんて…?
「おっと…すまない、もう行くわ!」
「は!?え、あ、ちょっと…!」
男性は広場の時計に目をやると乱雑に言葉を投げ
横に長い大きな体をぽてぽてと動かし私から遠のいて行く。
止める為に伸ばした手は宙に浮き
たった一人、私しかいない広場には冷たい風が吹いた。
神様は今、私に味方をしてくれていない。
もししていたら、私を月食の日の前に戻してくれたはずだ。
「…上等じゃない…」
こうなったら、何日でも、何ヶ月でも、何年でも待ってやる。
そう決心し、私は街の出口へと足を動かした。
最早何の為にここへ戻ってきたのかも忘れて。
彼女が消えて、もうどのくらい経っただろう。
俺は保安官として相変わらず忙しい日々を送っていた。
忙しい方が良かった。
彼女のいない時間を感じると、酒に溺れそうだ。
いつからそんなに弱くなったのかは分からないが、
そんな俺を支えてくれているのはハリエットだ。
家の留守を頼んだり、夜遅くまで帰れなかったり
ハリエットには随分辛い想いをさせていると思う。
だがハリエットは文句を言いながらも、俺を困らせるような事はしなかった。
「ねえパパ!今日の事、忘れてないわよね!」
「今日…?あぁ、月食の日か」
「うん!今度も一緒に行ってくれるんでしょ!?」
「じゃなきゃお前は一人で行くだろう?」
「…もう、素直についてくるって言えば良いのに!」
戦いが終わり平和を取り戻した今
ハリエットとは必ず月食の日に出掛ける約束をしている。
昼に比べ夜の仕事は少ないし
何よりあの花畑には想い出がたくさんあるのだ。
アメリアとも…そして、いなくなったとも。
「早く準備しないと間に合わないわよ!」
「おいおい、まだ夕方だぞ?」
「そう言ってこの前もギリギリだったじゃない!」
「分かった分かった…これが終わったら出発しよう」
目の前に重ねられている書類をペン先で叩き、ハリエットに微笑みを向ける。
ぷう、と膨れていた頬は緩み
パアッと光溢れんばかりの笑顔が現れた。
「やったあ!」と声を上げ飛び跳ねる姿を見るだけで
動かすのを渋っていたペンがスラスラと走る。
…本当に、誰かがいると言うのは温かい気持ちになれるものだ。
ハリエットと二人だけで花畑に向かうのは今回で二回目だ。
前回は花が踊り出すまでの間、普段聞けない分までハリエットの話を聞いてやった。
シャーリィと遊ぶ話はとても微笑ましいのだが
ノーマとの探検は正直止めて欲しい。
今回もそんな喜怒哀楽する話を聞けるのかと思ったが
ハリエットの様子を見る限り“怒”しかないようだ。
原因は俺の仕事が長引いてしまい、既に外が暗くなっている事にあるのだろう。
「…ハリエット、すま」
「謝ったって駄目なんだから!」
「…」
「そんな事より早くしなきゃ終わっちゃうよ!走ろ、パパ!!」
「あ…あぁ」
そんな事、なのか…。
心の中で不満を漏らせば、先を行っていたハリエットはくるりと振り向き
「何か言った?」と不機嫌な声で言う。
心を読まれた事に多少驚いたが、俗に言う“女の勘”と言うやつなのだろう。
俺は「何でもない」と膨れる少女に苦笑を零し、再び足を動かした。
「あっ…もう!パパのせいで間に合わなかったじゃない!!」
「ま、間に合っただろう…!と言うか、そんなに走るな…!」
「走らなきゃ終わっちゃうわよ!!」
花が顔を出し始めている事に焦りを感じ
ハリエットは俺を置きズンズンと行ってしまう。
一方、ここまで全力で走ってきた俺は
旅を終えてから全く運動をしていないせいで既に息切れ状態。
やっと登りきったと膝に手を付き体を屈め、思いっきり息を吐き出した。
涼しい夜だと言うのに汗を掻くなんて、歳を取った事を肌で感じ
自分に幻滅しながらゆっくりと顔を上げる。
「おい、ハリエッ…」
言葉がプツリと切れた。
息が上がっているからとかではなく、脳が“言葉を紡ぐ”と言う事を忘れたんだ。
「やっと咲いたー!!」
花が咲いたと同時、パアッと明るい笑顔が咲き誇る。
その笑顔は俺の心をきつく縛った。
「…パパ…」
「……」
「あれって…」
ハリエットも俺と同じで状況を理解出来ていないようだ。
いや、声を出せると言う事は俺よりはマシなのだろう。
丘を包む温かい光は、月が顔を出すと共に消えていく。
最後の粒子が空に昇り、溶けて消え
丘一面を埋める桃色の花は結晶となった。
「よ…っと」
少女は花の結晶を優しく包み、掬い上げ
光る花びら一枚一枚にうっとりと笑みを零す。
「やっぱ、何回見ても綺麗だなあ…」
溜め息を吐き、自らの世界へと入り込む少女は
間違いなく俺が知っている者だった。
だけど、それを簡単には信じられなかった。
何故かって、アイツはあの戦いの後、確かに俺達の前から消えて―――…。
「一生…死んでも愛してる、かあ…」
甘い声はとても小さな音だったが、俺には確かに聞こえた。
もう、信じるしかなかった。
信じて良いと思えた。
あれはの偽者でもなければ俺の幻覚でもない。
あの言葉を知っている者は、世界でたった三人しかいないのだから。
「ハリエットも手に入ったし、早速ウィルの家に行こうかな!」
「あ、でも夜だから寝てるかな…でも鍵開いてそう!あの家不用心だし!」
「お風呂借りて、汚れ落として…あったかいミルクも飲みたいなあ」
「勝手に使ったらウィル怒るかなあ…んーでも良いや!」
長い間一人でいたのか、まるで癖のようには口を動かし続ける。
月食の日を待っていたような口振りと言い、ずっとここにいたのか…?
「とりあえずもどろ!」
「…」
「い、たた…足痺れた…!」
「……」
「あーもうボロボロ…やっぱり先にお風呂…か…な…」
言葉は途切れ、代わりに漆黒の瞳が俺を捉える。
は口を開けたまま、中腰の姿勢で石像のように固まってしまった。
「え…あ、その」
いや、固まっていると言う点に関しては俺も同じだ。
状況を理解したにも関わらず、思考が上手く働かない。
「…ウィル…?」
様子を窺う仕草が愛くるしかった。
いつものように下から俺を覗き込み
離れているにも関わらず殴られるのかとビクビクしている。
囁くように小さく、自信のないその声がとても懐かしかった。
いつも五月蠅いと怒鳴られる程元気なのに
こう言う時だけ自然と声が小さくなっている。
心の内を隠す事が苦手ならしくて、トクントクンと、心臓が心地良いリズムを刻み出す。
「…」
子猫のように丸まっていた背がピクンと跳ねた。
一つ前に足を出せば、少女は何故か悲鳴を上げ両手を突き出す。
だが今の俺は、そんな細やかな抵抗では止まれなかった。
「あ、あのね!今のは独り言で!!」
「何を言ってるんだ」
「だ、だから…色々やらかそうとしてごめんなさいみたいな…!」
「……」
「べ、別にウィルの家だから何しても良いって思ってた訳じゃ…!!」
「良い」
「…へ?」
「何したって良いだろう」
「あそこはお前の家でもあるのだから」
衝動のまま少女の腕を掴み、引き寄せた。
は悲鳴のような、息を呑むような声を上げて
俺の胸の中にすっぽりと納まる。
「…おかえり、…」
鼓動はいつもよりも早く忙しない。
彼女との再会を喜び、体温まで上がっていく。
きっとには全て伝わっているだろう。
「…あは」
照れ臭そうに笑う少女の声につられ顔を覗き込もうとすれば
まるでそれを阻止するかのよう、は俺の背中に腕を回す。
弱々しくも力強い少女のぬくもり。
甘い洋菓子のような香り。
顔を押し付けるその仕草。
今までがいなかった事が夢のように感じた。
悪夢から解放された俺の体は現実に不慣れで、
上手く力が制御出来ずにいる。
それでも彼女は「痛い」と顔を歪める事もせず、大きな瞳に涙を溜めてこう言った。
「ただいま、ウィル!!」
ずっとずっと聞きたかった言葉だ。
誰からでもなく、に言って欲しかった。
だから君が不用心だと笑っても
ずっと鍵を開け、俺はリビングで待っていたんだ。
扉が開く事に淡い期待を抱いて、だけど現実を目の前に溜め息が出る日も多くなって。
もし、もし帰って来たら文句の一つでも言ってやろうと思った。
「仕事も捗らないし、休まる時間がない」、と。
…そう、思っていたんだが。
「ねえ、ウィル!」
「?」
「私が死んでも、愛してくれてた?」
温かい笑顔は夜の月にも負けず輝いていた。
答えを催促するかのように体を揺らし、は俺の瞳をじっと見る。
小動物を連想させる動作にフッと笑みを零せば
は「なになに?」と俺に言葉を求めた。
「…勿論だ」
「一日たりとも、お前を忘れた日なんてなかったさ」
黒くしなやかな髪を撫でれば、は嬉しそうに目を細める。
懐かしい表情に、懐かしい感触。
「私も!」
懐かしい声、懐かしい笑顔。
「私も、死んでもウィルを愛してた!」
初めて聞く言葉も全て懐かしく感じ、自然と笑みが零れ
祝福の風が結晶の花びらを空へと飛ばす。
「これからもよろしくね!」
そう言って笑った少女の笑顔を、もう誰にも消させはしない。
二人で決めたあの花に誓おう。
もう、自らの幸せを手放すものかと。
「で、いつまで黙ってれば良い?」
「っ…ハ、ハリエット…」
「やーん!ハリエットだー!!」
勿論、守るべき者は一人だけでない事も…な。
...
14/01/27