走って、走って、必死に足を動かした。
懐かしい街並みも揺れる視界の中では輝きを失う。
自分の荒い息さえ酷く耳障りだ。
「ッ、何でアイツは…!」
いつもいつもそうなんだよ。
あてもないのに自分がそうだと思ったらすぐに行動して。
馬鹿で、アホで、どうしようもなくて。
…何で私は、そんな奴の為に走っているんだろう。
「…眩しい…」
久しく浴びていなかった陽の光に目の奥がきゅうっとなって
「ああ、生きている」と実感し笑みを浮かべる。
「…よし!」
目的地は決まっていた。
着いたら何を言うかも決まっている。
大声で名前を呼んで驚かせてやろう。
きっとアイツの事だから、阿呆面を見せるに違いない。
感極まって抱きついて来るだろうけど、今日だけは許そう。
頭をガシガシと撫でられたら、私も同じ事をしてやるんだ。
そんな事を考えながら歩いていれば、思ったよりも早く目的地へ着いた。
見覚えのあるテントがいくつかと、美味しそうな匂い。
匂いがする方へと鼻を動かせば、野営地の真ん中でお鍋の様子を見る男性を見つけた。
野営地で料理をする男、と言うだけで大体予想はついていたが
鮮やかな緑色の髪を見て確信へと変わる。
「チャ―――…」
いざ声を掛けようとしたものの、ひとりでに口が止まる。
静かすぎる野営地。
覇気を感じられないチャバの顔。
一口スープを飲み、舌で味を確かめて、溜め息を吐いてお鍋の中を掻き回す。
まるで機械のように何度もそれを繰り返し、味付けを変えようともしなければ納得もしない。
何かあったんだ…。
事の真相を確かめようと一歩前に踏み出せば、チャバの手もピタリと止まった。
虚ろな瞳が私を捉えた瞬間、彼の手にあったお玉がカランと音を立て落ちていく。
「ちゃん!!」
体がピタリと止まった。
大声に驚いて止まった訳じゃない。
チャバが私に向かって満面の笑みを見せたから止まったんだ。
…さっきまで、死にそうな顔をしていたのに。
「えーっと…?」
「本当に本物?ちゃん本人?」
「チ、チャバ…?」
「やっぱり本物!ちゃんの声だ!!」
まるで少年のようにはしゃぐチャバを前に、私はただただ動揺する事しか出来なかった。
私の名前を連呼するチャバは、しばらく経つと恥ずかしそうに頬を掻く。
そんな動作もまた、年の割には幼い一面があるチャバらしい。
「ご、ごめん…嬉しくてつい…」
「ううん、大丈夫だよ!…嬉しいって何が?」
「当然、ちゃんが戻ってきてくれた事がだよ!」
チャバは握り拳を作り、喜びをめいっぱい表現する。
私が帰ってきた事をこんなにも喜んでくれる人がいるなんて、私も嬉しい。
やっぱりこの世界に戻ってきたのは間違いじゃなかったんだ。
こんなにも喜んでくれるチャバとは反対に
一向に姿を見せないモーゼスにはちょっと腹が立ったけど。
「ねえ、チャバ―――…」
「本当に良かった!アニキが出てった時はどうなるかと思ったよ!」
「…は?」
今、なんて…?
「オイラ達が止めても言う事聞いてくれなくてさ!もう大変だったんだよ!」
「…」
「『絶対を見つけちゃる!』って、大したあてもないのにニコニコ笑ってさ!」
「……」
「そう言うとこがアニキらしいんだけど、やっぱり限度ってものもあるし」
「だけど良かったよ、ちゃんがすぐに見つかって!
アニキは一度走り出したら中々帰ってこないからさ!」
愉快に笑うチャバの声を聞いても、私は笑顔を見せる事が出来なかった。
胸の内を満たしていた嬉しいと言う感情が、音を立てて崩れていく。
「…やっぱり、アニキとちゃんは運命の人同士なのかなあ…」
「…なんて」
いつもなら声のトーンが変わった事にだって気付くのに、それさえも曖昧で。
「…チャバ、」
雨音程の小さな声を聞き、チャバは「ん?」と小首を傾げ優しく微笑む。
この笑顔を壊すと分かっていても、言葉は戻せぬ所まで込み上げてきた。
「…モーゼスは…?」
「…え?」
見る見る内に笑顔が消えていく。
見開かれた彼の目には、チャバよりも動揺している私が映っていた。
予想だにしていなかったこの状況に、私もチャバも立っているのが精一杯。
「…会って、ない…?」
あれ程柔らかかった笑顔を引き攣らせ、チャバは震える声で言葉を紡いだ。
頭の中で何かが弾ける。
それは多分、自分の中にあった温かい感情と大きすぎた期待。
「ちゃん…?」
虚ろな瞳をゆっくりと上げる。
空に映える鮮やかな髪色。
…色が、違う。
私が見たい色は。
「!」
初めから私には、モーゼスの色しか見えていなかった。
「アニキ、ちゃんがいなくなってから人が変わったように本を読み始めてさ」
「ウィルさんにたくさん本を借りて、盗った戦利品とかも急に細かくチェックし始めて」
「『何してるの?』って聞いたら、『がおる街を調べちょる』って言ったんだ」
「“時の狭間”とか“異世界”とか、良く分からない単語を呟き始めて…」
「…それで今朝、ここを出て行ったんだ」
「『大陸になら、もっとの故郷が分かる文献があるはずじゃ!』って」
放心状態であった私に、チャバはとても丁寧に説明をしてくれた。
「わ、私港に行かなきゃ…!」
「え…?」
「モーゼスは大陸に向かったんだよね?だったら港に…!」
「…無理だと思う」
「アニキ、今日一番の船に乗ったんだ…きっと今頃、海の上だよ」
「それにちゃん一人で大陸に行くのは危険だ」、と
チャバは私の肩にそっと手を置いた。
「アニキが大陸に着いたら何らかの方法で連絡を取ってみるよ。
だからちゃんはここで帰りを待って―――…」
錯乱していたとは言え、酷い事をした。
私は自らの肩に置かれたチャバの手を叩き、拒絶したんだ。
驚き目を見開くチャバをアイツと重ねて、きついくらいに睨んで
チャバが大人である事を良い事に、酷い八つ当たりをした。
「あんな馬鹿の帰りなんて待ってられないよ!」
「っちゃん…」
「それに…ッ待ってやる義理もない…!!」
言葉を吐き捨て、野営地を飛び出す。
私を制止するチャバの声を振り払い、港を目指した。
まだ間に合う、きっと、今なら。
そんな期待を抱いて。
「ッ…」
港の門を抜け、目に沁みる汗を拭う。
夕陽に輝く海の向こう、汽笛を鳴らす船の姿を見つけた。
「あー、残念だね。今日はあれで最後なんだ」
「、…」
名も知らぬ男性は人の気も知らず、酷な現実を突き付ける。
「…馬鹿は私か…」
追いつけないと分かっていながら必死になって
勝手に期待して、勝手に裏切られて。
それでもまだ諦めきれなくて、その場から動く事も出来ない。
私の心情を表すかのように陽は傾き
港の酒場から聞こえる賑やかな声はより一層虚しさを増した。
「……」
いっそ、大陸へ行ったアイツが帰ってくるまでここで待っていようか。
それこそ馬鹿らしいけど、そこまでいくと何だか清々しい。
…―――でも。
「一緒に走ろうって言ったのにッ…!!」
やっぱり私は、彼のいない世界を受け入れる事が出来ない。
「…?」
何も考える事の出来なかった心が、やっと哀しみに暮れ出した。
頭は記憶を頼りに声を作り出す。
「!」
あの眩しい笑顔を映し出して。
「じゃのうて!」
あの温かなぬくもりを私の右肩へと生み出した。
「…?」
…右、肩…?
「じゃろ!?」
右肩を掴む手に力が増し、勢いよく引かれる。
体がグルリと半周し、地面に人影が見えた。
視界の端で揺れる、夕陽よりも鮮やかな赤。
目蓋にひっついて離れなかった眩しい笑顔。
幻聴かと思っていた声は本物で、私が会いたかった人がここにいる。
「モー…ゼス…」
その名前を口にした瞬間、ジワリと涙が溢れた。
掴まれた肩が熱くなり、言葉に表せない気持ちがどんどん湧いて。
「…なんで…まだ、いたの…」
その割に必死に搾り出した声は何だかとっても素っ気なく、冷徹にさえ思える。
だけどモーゼスはいつもと同じ、クカカと肩を揺らして笑っていた。
「それがのう、街の外を歩いちょったら草むらが揺れてのう!」
「…」
「『か!?』と思って追いかけたんじゃが、それがウサギだったんじゃ!」
何処が笑いどころなのかも分からない話をモーゼスは楽しそうに喋る。
私は心の中でひたすら「馬鹿」と呟いた。
また、人をウサギと間違えるなんて最低だ、とも。
「んで、港に着いたら丁度船が出港しよったんじゃ!」
「次の船が来るまで酒場で時間潰そう思うたら、気が付いたらこんな時間でのう!」
「酒場のヤツ等は気さくなもんばっかで、時計を見るんも忘れちょった!」
「そうじゃ!今からも酒場に来んか?きっと楽しいと―――…」
波の音に混じる乾いた音。
驚き目を見開くモーゼスの褐色の頬がジワリと赤くなり、僅かに腫れた。
何でか知らないけど、私の手もジンジンと痺れている。
それどころか息は荒いし、髪は乱れて汗でベッタリしてるし。
…―――いや、これは汗じゃない…。
「痛ッ…何すんじゃワレ!!」
「うるさいうるさい!何してんのはそっちだろ!!」
「っ…」
急に怒鳴り出した私に対し、モーゼスは目を丸くして息を止める。
「どんだけの人心配させたと思ってんだよ…!」
「……」
「アンタが楽しくウサギと追いかけっこして、酒場のおっさんと飲み食いしてる間に
チャバは今にも泣きそうになってるし、野営地の皆だって寂しがってるし!!」
私の声を聞き、モーゼスの目がゆっくりと細くなる。
夕焼けのせいか、それがとても大人びて見えた。
笑っている訳じゃない、怒っている訳じゃない。
言葉も発さず、真剣に私の言葉に耳を傾けてくれている。
「ッそれに…!」
止めてよ。
そんな表情見せられたら、止まらなくなる。
「っ…アンタの為に帰って来たのにアンタがいないって、有り得ないだろ…!!」
もう、溢れた涙は止まらなかった。
嬉しいのか、腹が立つのか、悲しいのか、良く分からない。
自分自身、何を言っているのかも。
「私の為に大陸まで行って、それで私が喜ぶとでも思った!?」
「…」
「私の世界は遠いんだよ!アンタが行ける場所にある訳ないじゃん!!」
「……」
「嬉しくないんだよ!余計なお世話なんだよ!!何でじっと待ってられないんだよ!?」
「…」
「っ…」
「私がいない時に一人で走るのなんて、止めてよ…!!」
止め処なく溢れる涙を見られたくなくて、顔を手で覆った。
心の制御が出来なくて、私ばっか怒鳴って、何だか酷く惨めだ。
「…すまん」
逞しい腕が私を包む。
彼の胸の内は、彼の声以上に温かかった。
「…すまんかった…」
ぽんぽん、と子をあやすように背中を叩き
私は余りの優しさに何度も何度も頷いた。
嬉しいはずなのに暴言ばかり出てくる理由が分かった気がする。
きっと私は、どれだけ自分が苦しかったかモーゼスに分かって欲しかったんだ。
そしてそれを、モーゼスなら受け止めてくれると思ったんだ。
「ッ馬鹿じゃないの…!」
「オウ」
「大馬鹿だよ、最低だよ、ドアホ…!」
「分かっちょる」
「…、離して…」
「それは嫌じゃ」
私を抱き締める腕の力が強くなる。
彼の素肌から私の耳に流れてくる鼓動はいつもより早く
あんなに大きかった波の音すらも掻き消した。
「」
「…」
「帰ってきてくれて、ありがとう」
「…この数ヶ月、寂しくてたまらんかった」
さっきまで人の気も知らず、へらへらとウサギの話をしていたくせに
どうして今更泣きそうな声を出しているんだろう。
どうして私よりも声を震わせて、私のぬくもりを求めているんだろう。
「もう、離れんな…いや、絶対に離すもんか…」
涙で滲む視界の中、モーゼスは唇を噛み締めながらも笑っていた。
その瞳にくっきりと、私の姿を映して。
「これからはずっと一緒じゃ」
「何処に行くにもついてっちゃる!」
悲しい顔をしているかと思えばクカカ!と肩を揺らして笑い
呆ける私の頬へソッと手を当てる。
ピクリと体を震わせた私に目を細めると、モーゼスはゆっくりとその口を開いた。
「…好きじゃ」
もう、何回聞いただろう。
五回、十回…いや、確実に二桁以上だ。
でも、今ならこの言葉を受け入れられる気がする。
近寄る唇も嫌じゃない。
むしろ自ら全てを差し出したいとすら思った。
…いつの間にか、モーゼスの事を好きになっていたんだ。
「…これからも、よろしく」
「オウ!任せとけ!」
コツ、とくっついた額と額。
頬に掛かる赤い髪がくすぐったくて、目を細め笑った。
ウサギと追いかけっこするは、目的も忘れて酒場で騒ぐは
私がいても何の疑いもせずに声を掛けてくるは、本当にどうしようもない奴だけど。
そんなモーゼスだからこそ、私は彼を求めたんだと思う。
「…私もモーゼスの事、好きだよ」
きっと、モーゼスとならこの先一生走って行ける。
沈む夕陽の中、そんな事を考えながらその頬に唇を落とした。
「ただいま」と心の中で、ゆっくりと噛み締めるよう紡ぎながら。
...
14/01/27