目を開けて辺りを見渡す。
緑の多い街並みに何処からか聞こえる噴水の音。

そこに誰からの力も借りずに立つ自分。





「…凄い」





立てるだけじゃない。
あれ程ぼやけていた視界も今じゃ元通りだ。

五体満足である事が私の当たり前であったのに、
その当たり前こそが幸せなのだと自らの身を以て実感する。





「…ありがとう」





感謝の気持ちを口にする。

この世界に戻してくれたシャドウへ向けてのものなのか
はたまた自分を健康に産んでくれた母親へ向けてのものなのかは
自分自身でも分からないけど。





「ワルターさん、今日も有難うございました」





この声…シャーリィだ。
この世界を望んでいた私が聞き間違えるはずがない。

聞き覚えのある声。
聞き覚えのある口調。

それと…聞き覚えのある名前。





「気にするな…それが俺の役目だからな」





ずっと聞きたかった声。
抑揚がなくて、ぶっきら棒で、でも凄く優しい彼の声だ。

本当に帰ってこれたと考えれば考える程涙が滲む。
溢れる感情を抑え、私は声が聞こえる方へと顔を覗かせた。

街の入口でシャーリィが笑っている。
少し疲れているようにも見えたけど、充実していると言わんばかりの良い笑顔。

幸せそうな彼女の姿を見たら、私の顔も自然と綻んでいた。





「でもワルターさん、最近無理をしすぎじゃないですか?」
「?」
「休みたくなったら、すぐに言って下さいね」





「その分、仕事は私がやっておきますから」とシャーリィは力強く拳を握る。

女の子っぽい小さな拳と、くりくりした大きな瞳。
「真剣です!」と訴えかけるその姿にワルターがどんな表情を浮かべたか、見なくても分かった。





「…承知した」





ほら、また一段と声が柔らかくなった。

私がいる場所からではワルターの表情を窺う事は出来ない。
だけど今の声で、彼が私の大好きな表情を浮かべているのが嫌でも分かった。





「…何、これ…」





もしかして、嫉妬…?
自らの胸に問うてみれば、チクリと痛みだけが返ってくる。





「お!リッちゃんにワルちんじゃん!」





モヤモヤした気持ちを吹き飛ばす程の底抜けに明るい声。

私は飛び出したい衝動を抑え、一人加わった仲間の輪を遠くから見守る。
やましい事がある訳でもないのに、何故か飛び出して行く事を躊躇ってしまったのだ。

シャーリィは突如姿を現した仲間に「ノーマ!」と手を振り返す。
ワルターは手を振り返そうともしないし、その場から去ろうともしない。
肯定も否定もせず、ただそこにいるだけ。





「どったの?二人してこんな場所で」
「今水の民の里から帰ってきた所なの」
「あ、そっか…お仕事ってやつだね」





「二人とも大変だね」と付け加え、
ノーマは労るようシャーリィとワルターの肩を優しく擦る。

シャーリィはクスクスと笑い、ワルターは表情一つ変えず彼女の手を受け入れた。
…手を、振り払わないんだ。





「…な〜んかワルちん、丸くなったよね」





私と同じ事を思ったのだろうか。
ノーマはワルターの肩からそっと手を離し、言葉を発する。





「あ、私も思いました」
「…そうか?」
「一緒に行動してから大分ね〜」
「でも最近、それにも増して笑顔が多くなったと言うか…」
「ん〜…あ!そうだ!」





「ちょうどが帰っちゃった頃からだ!」





…は?





「そうですね…それからワルターさん、お兄ちゃんと話す時も穏やかですし…」
「別に大した事ではない…」
「だから良いんじゃん!」





「ワルちんもあたし等の家族だし!」、そう言って笑うノーマとシャーリィに向けた
ワルターの表情が少しだけ見えた。

蒼色の瞳は長い前髪に隠れて目視出来ない。
でも、その整った唇は緩やかな弧を描いてる。

何それ。
何で、笑ってる訳。





「…な〜んかワルちん、丸くなったよね」

「でも最近、それにも増して笑顔が多くなったと言うか…」





それって、つまり。





「ん〜…あ!そうだ!」

「ちょうどが帰っちゃった頃からだ!」





「私がいないお陰って事…?」





私がいたから、ワルターは皆と仲良く出来なかったの?
私がいないから、ワルターはあんなに幸せそうに笑っているの?

…―――じゃあ、そんなワルターを求めて帰ってきた私って。





「…馬鹿だよ…」





ワルターは私がいない方が良いんだ。

何だかとても虚しくなる。
この世界へ戻ってきた時とは違う感情が心を支配し、涙が零れそうだ。





「…悪い、そろそろ戻る」
「あ、はい。引き止めてすみません」
「なに?戻るってどこに?」
「ノーマ知らないの?ワルターさん今は里で寝泊まりしてるの」
「へ〜そうなんだ」
「もうアイツの元で寝泊まりするのも悪いだろう」





私がいなきゃ一人でゆっくり過ごせるんだ。
私がいなきゃ故郷に戻れたんだ。

…私がいなきゃ。





「ワルターは辛いんじゃないの…?」





仕える人がいなきゃ生きている意味がないって
あんなに言ったのはワルターなのに。

私が嫌だって言っても、それだけは変わらないって言っていたのに。

もう、何が本当なのか分からない。















丸くなったと言われ気分を害した訳ではない。
だが、どうも実感がわかないのだ。

昔の自分がどんな者だったのかは今でも覚えている。
与えられた任務を遂行し、自らの使命を果たそうと必死だった。

だがそれは、今でも同じだ。





「…」





柔らかいシーツに身を委ね、俺は静かに目を閉じる。





「疲れている、か…」





確かにそうかもしれない。
思い込めば体はずっしりと重くなり、現実から意識を手放した。

こうしてまた無気力な一日が終わり、始まるのだ。















深夜一時頃。
水の民の里は静寂に包まれていた。

波の音を子守唄にし住民達が就寝しているであろうこの時。
ワルターもそうだろうと、一つ一つ建物を覗いて回った。

何でここに来たのかは分からない。
夜遅くに訪ねたって相手が寝ていれば会話をする事も出来ないのに。

でも、例え寝言でも良いから聞きたい言葉があったんだ。





「…見つけた」





「お前が必要だ」でも「お前なんていらない」でもどっちでも良かった。
ノーマやシャーリィからじゃなくて、ワルター本人から聞きたかっただけ。





「…お邪魔します」





部屋の隅のベッドを目指し、忍び足でゆっくりと近付く。
ベッドの端に腰を下ろし眠る彼を覗き込めば、心臓がやけに五月蠅く鳴った。

スプリングが軋み、ワルターの髪がサラリと落ちる。
こんなに近くにいても寝息は微かに聞こえる程度で、まるで死人のようだ。





「…でも、私は生きて帰ってきたよ」





髪を撫でたい衝動を抑え、震える声で言葉を続けた。





「ワルターに会いたくて、帰ってきたの」
「…」
「街で見た時、泣きそうになった」
「……」
「…でも、今のが泣きそう」





返事は勿論返ってこない。
だから歯止めが効かなくなってしまった。





「私は、ワルターに会えなかったらしんどいよ」

「毎日会ってたのに、急に会えなくなったら不安になるよ」

「…戻ってきたのに違う子に仕えてたら、腹も立つよ」





そうだよ。
あの話の流れ、どう考えたってシャーリィの部下じゃないか。

仕える人間は私一人だって言っていたくせに
結局私のいない物語でワルターが仕えているのはシャーリィだ。





「私、我儘だったし無茶苦茶な事もたくさん言ったけど」

「…もう、ワルターと一緒にいるのもダメな訳」





考え出したらドッと涙が溢れてきた。

嫉妬塗れの涙がボタボタと落ちる。
白いシーツに染みを作って、金色の髪に露を浮かべて。

流れる涙を見たら、もっともっと止まらなくなった。

汚い感情を吐き出している自分自身がとても哀れで
それでもこれ以上惨めな想いをしたくないと、嗚咽だけは唇を噛み締め押し殺す。





「…言わせておけば、良くもそんな事が言えるな」





体がビクリと大袈裟に跳ねた。
顔を覆う手を下ろし、涙で滲む視界で声を辿る。

そこには前髪を掻き上げるよう額に手を当て、私を睨みあげるワルターの姿があった。

瞬間、涙がピタリと止まる。
悲しみに暮れていたはずなのに、動揺に全て掻き消された。





「え、あ、何で…!」
「お前が勝手に来たんだろう」
「お、起きてたの…!?」
「さあな」
「なっ…!」





「さあな」って、何その態度は。

どうしてアンタがそんなに不機嫌なんだ。
腹が立って怒鳴りたいのは私の方なのに。





「そっちこそ、良い度胸してんじゃん…」
「なに?」
「私がいて嫌な思いしてたんなら、いる頃から文句言えば良かったのに!」
「何言って…」
がいなくなった頃から急に性格が良くなったんだって!?」
「っお前、聞いて…」
「まさか私がワルターを捻くれさせてたなんて、思ってもいなかった!」





「でも、皆は今のワルターの方が好きみたいだし!」

「ッ私がいない方が何もかも上手くいくんだ…!」

「結局アンタは私がいなくても生きていけるんだよ!もう私の事だって―――…」





「忘れた事など、一度もない」





「忘れてたんだろ?」と続く前に言葉は途切れた。
誰でもない、ワルターの声によって。





「忘れた事なんて、一日、一分…一秒もなかった」





ワルターは半身を起こし、蒼い瞳で私を見つめる。
見つめられた私はと言えば、金縛りにあったみたいに動けなかった。

私はワルターを怖いと思っているのだろうか。
溢れる感情に、変に鼓動が早くなる。





「…お前が」
「っ…?」
「お前が、言ったんだろう…」





「自分がいなくなってもあいつ等と共に笑っていろって…」

「お前がそう命令して…勝手に消えたんだろう」





戦いの前、彼と二人で過ごした時間が脳裏を過る。





「ワルターは今まで幸せになれなかった分、これから幸せになるんだよ!」

「セネル達の傍でなら幸せになれる!私もそうだった!」

「だからずっとセネル達と一緒に、たくさん笑って!」

「敵がいなくなっても、戦いがなくなっても、私がいなくても
 ワルターには“幸せになる”って使命があるんだから!」





「絶対守ってね!私がいてもいなくてもセネル達と仲良くするんだよ!」





「…あ…」





思い出した。

夕焼け空の下、確かに口にした。
「無理だ」と言ったワルターに「絶対守って!」と念押しまでして。

瞬間、心が温かくなると同時サアッと血の気が引いていく。
私を見つめる蒼い瞳が怒りに満ちていると気付いたからだ。





「…ご」
「…」
「ごめんね?」
「許さん」
「な、何でよ!人が謝ってるのにッ…!?」





勢いよく手を引かれ、体のバランスが崩れる。
悲鳴を上げる間もなく、私の体はワルターの体へと納まった。

ワルターはもう一度ベッドに体を沈め、私はその上で目を見開き声を漏らす。

背中を触る彼の手の感触にビクリと肩を跳ねらせれば
蒼い瞳はゆっくりと細くなり、整った唇が言葉を紡いだ。





「俺が恐いか?」
「い、いや…決してそんな事は…」
「…『止めろ』って言えば、止めるぞ」
「ワ、ワルター…さん…」
「それがお前の命令なんだろ?」





絶対怒ってる…!!

「卑屈!卑屈すぎ!」と頭の中で叫べば
それが分かったかのようにワルターは眉を顰める。

私はそんな彼にぎこちない笑みを浮かべ、抵抗できない現状を呪った。




「…お前は、いつもそうだったな」





「へ?」と声を上げ小首を傾げれば
ワルターは細い指でそっと私の頬を撫でる。





「命令を下したのはお前なのに、いつの間にかそれを忘れて勝手に暴走して…」

「気が付いたら泣いていて、怒って、笑って…人を振り回して」

「…だが、不思議とお前の命令を守るのを辛いと感じた事はない」





髪と髪の間に滑り込む手は優しさに満ちていて
さっきまで怒っていたのが嘘のようだった。





「それって…」
「?」
「…シャーリィに仕えていた訳じゃないの…?」
「メルネスはメルネスの仕事をしていて、俺はお前の仕事をしているだけだ」
「う…」
「お前が何処かに行かなければ、ああ言った状況にもならなかったんだがな」
「…も、申し訳ない」





と思ったら再び声を低くし愚痴愚痴と私を責める。
ぬくもりとは裏腹の彼の言葉に私は謝る事しか出来なかった。

早く治まらないかなあ、とウズウズ体を動かす私を見て
ワルターはゆっくりとその口を動かす。





「…一つ、俺から命令させろ」
「え?」
「それで今までの横暴をなかった事にしてやる」
「横暴って…!あ、いや…わ、分かった…」





これ以上反抗して怒らせる訳にもいかない。
「何?」と続きを待てばワルターはしばらくの沈黙を続けた。

正直、もうこの状況から抜け出したい。

胸と胸がくっついて、足と足がからまって
これって傍から見れば非常に恥ずかしい状況なんじゃないだろうか。
誰かに見られたらと想像するだけでカアッと顔が熱くなる。





「…これからも、の傍においてくれ」





部屋に反響した彼の声は、すんなりと私の耳に入ってくる。
フッと顔を上げれば、私の髪を撫で微笑むワルターがすぐ近くにいた。





「いや、命令なら『傍におけ』だな」





ああ、この笑顔。
私はこの笑顔が見たくて戻ってきたんだ。

無表情なワルターがたまに見せるこの笑顔が、いつも私に元気をくれた。

傍におけ、だなんて。
私が寂しくて勝手に寄ってしまうくらいなのに。





「…勿論」

「それがアンタの望む事なら」





きっと、私もこの約束だけは忘れない。





「約束!」





ピ、と小指を立てる私を見てワルターは疑問符を浮かべたが
すぐに笑みを取り戻しその小指を絡める。





「私、こうやって約束する分には絶対に忘れないから!」
「…どうだか」
「本当!これだけは絶対に忘れない!」





絡み合う小指を振って、ゆっくりと離し、今度は強く手を握る。





「…ワルター」
「?」
「約束、守ってくれて有難う」





「これからも今まで笑えなかった分、たくさん一緒に笑おうね」





目を細め唇で弧を描けば、ワルターも私の瞳の中でゆったりと笑う。





「…私、ワルターの事絶対幸せにするから!」





もう何があってもこの男からは離れない。
それが戻ってきた私の使命だ。





「…それは俺が言いたかった」
「は?」
「いや、何でもない」





この先、何年、何十年経っても
私達が離れる事はないだろう。

この約束がずっと、ずっと続く限り。










...
14/01/27