大きな欠伸を零し、外への扉に手を掛ける。
時間は朝の九時。
今日は皆と街の外を見回りする約束をしていた。
早く合流しなければまた怒られてしまう。
そんな事を思いながら外の日差しに目を細めれば
家の前でザワザワと騒ぐ住民達の姿が視界に入った。
輪の中には冷や汗を流す者までいる始末。
…ただの噂話にしては少し様子が変だ。
「おい、何かあったのか?」
近付き声を掛けてみれば、そこにいた全員が同時にこちらへと向く。
人数は四人、その両の目が一斉に俺を捉えたのだ。
痛いくらいに感じる視線は決して良いものではない。
「君は確か…」
「セネルだ」
「ああ、あんたか…それが今さ―――…」
「ちょいと!セネル君に言ってどうするんだい!」
痩せた男の声を遮り、女性は薄い頭にゲンコツを落とす。
突然の暴挙に小首を傾げれば、住民達はハッと息を呑み
俺を省いた状態で輪を作りコソコソと話しだした。
正直言って気分が悪い。
「頼む、何かあったなら言ってくれ」
他人の噂話なんかに興味はないが、ここまでされると気になってしまう。
途中で離れるのも何だか癪だ。
沈黙が続いた後、中年の男が口を開く。
だが肝心の言葉は出てこない。
心の中で急かしながら、俺はその口から言葉が出るのを待った。
「実は…いたんだよ」
開口一番に出た台詞は、酷く曖昧なものだった。
「…何がだ?」
「破壊の…いや、少し前にお前達がって呼んでた、あの女が…」
続きの言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かが弾けた。
これ以上ないってくらいに瞳孔が開いて
世界がグラリと大きく傾く。
何で、どうして。
は俺達の前からいなくなってしまったのに。
「…人違いじゃないか?」
最後の別れが嘘じゃなかった事は、俺が一番良く理解しているんだ。
間違いなくは消えた…俺達に何気ない笑顔を見せて。
人違いでなければおかしいんだ。
だけどそうであって欲しくないと願う自分もいる。
「それがさ、そうかもしれないんだよ」
「は…?」
男は答える。
腹が立つくらいの、中途半端な返事だった。
「何言ってんだい!あの顔は間違いなく本人だよ!」
「でも、あれはどう考えてもおかしいだろ!」
「おかしいもんかい!私は一度覚えた顔は忘れないよ!」
「なら、あれが破壊の少女本人だって言うのかよ!?」
「ち、ちょっと待て、落ち着けよ!」
揉み合う住民達を多少力ずくではあるが引き離す。
男女は互いの意見を譲る気はないのか、閉口した後も睨み合っていた。
正直、取り乱したいのは俺の方だと言うのに。
「お前等だって何回もの事は見てるだろ?」
「…ああ、見てるさ」
「なら特徴も知ってるはずだ。黒い瞳で、黒い髪の…」
「……それが違うんだよ」
…―――何?
「皆の言う通り、顔は完全にって子だったさ…」
「いや、顔だけじゃない。体つきも、何かブツブツ言ってた声も本人そのものさ」
「でも、俺は絶対に見間違えてなんかいないぞ!」
「髪が水色に光ってたんだ!!見間違いなんかじゃない!本当だ!」
住民達は叫ぶ男の肩を抱く。
そして申し訳なさそうに目配せをし、頭を抱える男を連れてその場を離れていった。
一方、残された俺はと言えば目を見開き虚空を見つめるばかり。
あいつ等は一体、何を言っていたのだろうか。
と同じ顔で、と同じ体型で、と同じ声で。
…―――でも、髪の色は違う…?
「…訳が分からない」
誰に向けた訳でもない言葉がポツリと落ちる。
そこまで完璧に似ているのにじゃない。
じゃあ一体、皆が見たソイツは誰なんだ。
いくら考えたって、答えはいつまで経っても見つからなかった。
「はっ…はあっ…!」
走って、走って、必死に走った。
頭の中がごちゃごちゃでも手足が引き千切れそうでも、頑張って走った。
「…っ!?」
小石に足がぶつかって、前のめりに転がる。
手が擦れて、痛くて、足はきっと“離れてしまった”って思った。
でも、体を起こして小石に引っ掛かった左足を見れば
太股から先はちゃんと全部そこにある。
まだ大丈夫、そう思って、またいっぱい走った。
躓いても、転んでも、引っ張られても大丈夫。
わたしは今、強い人間だもの。
外が騒がしい。
ソロンは微かに感じる空気の変化にゆっくりと意識を集中させる。
ソロンの言う“騒がしい”は雑音の類ではない。
辺りにいる住民の“恐怖心”だ。
不安、心配…そう言った煩わしい心境が、今の水の民の里に渦巻いている。
「あっ…貴女、どうしてここに…!」
悲鳴にも近い声が聞こえる。
それは普段から自分の世話をしている女の声だ、とソロンは目を細めた。
何かに里が侵略されているのだろうか。
平和に慣れた水の民が突然の襲撃に立ち向かえる訳がない。
だが、断末魔も血の匂いも全くと言って良い程ソロンの元には届かない。
その代わり、足音が聞こえる。
初めは反響のみだったが、今はすぐそこまで来ているのがソロンには分かった。
四肢を拘束されている状況でもソロンは思考を巡らせる。
足音からすれば敵は一人。
走る音の間隔…つまり歩幅を考えてもそれ程大柄な奴ではない。
間合いさえ取れれば確実に殺せる。
ソロンは答えを導き出し、自らの手首に巻かれたロープを引きちぎった。
左手には目潰し用に粉砕したコンクリートを、右手には昼食に使用した食器を持つ。
手の縄は、外そうと思えばいつだって外せた。
だが、敢えてそれをしなかった。
もう、どうでも良かったのだ。
迎えに来るのが“味方”でも“敵”でも、“生”でも“死”でも。
だが、体は勝手に戦闘態勢を整えている。
やはりまだ生きたい、心の何処かでそう思っているのだろうか。
「…た」
だとしたら、そうさせる原因は何だ。
「いた…」
その原因を想う理由は何だ。
「わたしの、だいすきな人」
握り締めていた固い砂が、パラパラと指の隙間から零れていく。
…―――驚いた。
野党か何かかと思えば手ぶらの女。
しかも殺気は微塵も感じない。
ソロンは一瞬気を緩めたものの、素早く自分の置かれている状況を見極める。
目の前にいるのは水色の髪を持つ少女。
その輝きとは反対に、恐ろしい程黒い瞳。
不安定な色合いを前に、ソロンは確かに惹かれていた。
男を見つめる少女もまた、頬を朱に染めている。
「お前は…」
少女はビクリと体を跳ねらせる。
ソロンの知っている少女の反応とは似ても似つかない反応だった。
顔、体型、声、覚えのあるもので唯一違う箇所は一つ…髪色だけ。
ソロンの意見は、ウェルテスの住民の噂話と一致した。
「あの…」
檻の中の男へ近付き、冷たいコンクリートにぺたりと座り込む少女。
その身を小さくし、おどおどと男の顔を覗き込む。
まるでリスや小鳥のようだと、ソロンは口に出さずに胸の内で呟いた。
「痛く…ないの?」
「…平気だ、これくらい」
「…そう、なの」
「…今更何をしにきた、破壊の少女」
「私を笑い者にでもしにきたのか?」、そう訴えるソロンの鋭い瞳が
少女を捉えて離さない。
「…違う」
鋭い瞳に怯えることなく、少女は凛と答えた。
「…わたしは、破壊の少女じゃないよ…」
眉をハの字に下げ、少女は自分を否定する。
いや、元々少女は自らが破壊の少女である事を肯定などしていなかったのだ。
ただ否定を許されず、長い年月が経ってしまっただけ。
それこそ何百年、何千年と言う長い月日が。
「ならば、お前は何者だ」
「え…」
「破壊の少女でも…でもないのだろう」
ピクリと、少女の指先が微かに動く。
少女が動かしたのか、内にいるが動かしたのかは分からない。
理解出来ない感情が胸に流れ込み、少女は一つ身震いをした。
嬉しいのか悲しいのかは分からない。
自分を否定され、である事も否定され
そして、神話や物語には登場していない一人が少女が肯定される。
「わたし…」
少女は目まぐるしい勢いで過去へと戻る。
こうしてここにいる時よりも前、更にはと出会う前。
シュヴァルツと共に過ごした時間を過ぎ
酷く悲しい過去に脇目も振らず、自分がこの世界へと降り立ったその日へと。
「とっても可愛い、私の赤ちゃん…」
聞き慣れない声だった。
いや、違う。
少女はこの声を、愛情を、忘れていただけ。
「おいおい、そんなきつく抱き締めてやるなよ」
「良いじゃない、この子も喜んでる」
「…そろそろ、名前を決めないとな」
「…そうね…」
わたしの、名前…。
少女は震える手を伸ばした。
誰もが忘れ、語り継がれる事のなかった、真実の世界を知りたい一心で。
「おいおい、それはどうなんだ?」
「あらどうして?良い名前じゃない」
「意味を聞かれた時、泣かれても知らないぞ?」
「別に構わないわ」
「その言葉にはその言葉なりの、素晴らしい意味があるのだから」
歌うように紡いだ母の音に、少女は全てを悟り目を閉じる。
元々、わたしの人生は決められていたのかもしれない、と。
「…―――ファルス」
「…ファルス」
「どんなに辛くても、どんなに惨めでも、人の笑顔を一番に考えられる」
「自分を嘲笑う人がいても、その人が笑顔であれば良いって―――…」
「この子には、そうであって欲しいのよ」
「遠いお国の言葉で、意味は―――…」
「この子ならきっと大丈夫…」
「人の為に尽くせる、優しい子になってくれるわ」
「例えどんなに滑稽であっても、それがきっと、この子の幸せよ」
「…意味は “ 喜 劇 ” …」
そこに愛はなかったのかもしれない。
我が子の幸せを生まれた瞬間から二の次にしてしまうような母親を
少女は思い出すのを止めた。
それが酷く辛く、また馬鹿馬鹿しく思えたのだ。
やはり自分を一番愛してくれたのはシュヴァルツだったのだと、少女は肩を抱く。
自分が母親だと慕っていたシュヴァルツのぬくもりを思い出すように。
「…ッハ…」
俯き肩を震わせる男の姿を見て、少女はキョトンと首を傾げた。
それすらも今の男には笑いの種になるのか、ついには我慢出来ずに大笑いする。
「フ、ハハハ!アハハハハハ!」
「いや、それは…ック、ハハハハハ!実に良い!実に愉快だ!」
「最高だ!素晴らしい!本当に―――…本当に…」
「お前の人生、とんだ喜劇だな…」
そう言い残し、世界は再び静寂へと包まれる。
小さく呼吸する男と少女の間には檻以外の見えない壁があるようだった。
だがそれも、この沈黙さえ終わればすぐに壊れそうな所まで来ている。
「ファルス」
少女は水色の髪を揺らし「はい」と答えた。
「この檻を開けてくれ」
男の無理難題に対し、少女は間髪入れずに再び「はい」と答える。
そして自らの右手をソッと鉄格子に近付けた。
グニャリと重力が歪む感覚がソロンにも伝わる。
だが影響を受けたのは少女の掌から数センチの範囲だけ。
時間、空気、感覚全てが変化し、檻は人一人分のスペースを開ける。
その状況は「鉄が前触れもなく歪んだ」と言った方が正しいだろう。
「…行くぞ」
異様な光景を前に、男は驚くどころか表情一つ変えはしない。
まるで「コイツなら出来て当たり前」と言わんばかりに
ゆっくりと重たい腰を上げ、疑う事なく檻の隙間へ体をいれる。
少女はそんな男をじっと、立つ事もせずに見つめていた。
「あの…足は…?」
「歩けるくらいはもう出来る」
「…そう…良かった、です」
少し不格好だが一人の力で立つ男の姿に少女はホッと息を漏らす。
そして自らも慣れない足を使い、ヨタリとその場に立ち上がった。
「…ソロン様」
少女は笑う。
男は無表情で佇む。
「わたしは、貴方を笑わせられる…?」
この名の意の通りと、少女は笑った。
少女の声はゆったりと流れるようにソロンの耳へと入っていく。
やはり、自分の知っている少女とは違う。
この女はこんなにも穏やかな声を出せたのか、とソロンは目を細めた。
「…ついてこい、話はそれからだ」
面倒臭い奴だ。
私を笑わせる等、調子に乗る。
だが、その身を手放すのは惜しいと感じた。
例え利益を生まなくとも…。
そう自分自身が思っているのかも今の男には理解出来ない。
「二度も言わせるな…行くぞ」
そう言って掴んだ手首の細さに、
ソロンはゾクリとした興奮を心の内で誤魔化す。
少女は短い悲鳴を上げ、赤くなった顔を俯かせた。
恥ずかしくて、嬉しくて、熱は指先まで浸透する。
しっとりと汗ばむ少女の手を、ソロンはただ黙って引き続けた。
里の外には人一人出ておらず、まるで寂れた村のようだった。
きっと少女の纏う異様な空気に怯え、家の中へ閉じこもっているのだろう。
それならば好都合、とソロンは一歩前に足を動かす。
「…ちょっと」
屋外へと出て陽の光に目を細めれば、明らかに先程と違う女の声がした。
何事かとその手を軽く引けばその倍の力で振り払われる。
男の視界に映るのは黒い髪。
それと同色の瞳に、釣り上がった眉。
先程までソロンに従順であった少女の姿はなく
その瞳は、男を許さないとばかりに睨み付けていた。
「痛いんだけど」
「…」
「後、いきなりのボディタッチはあの子にとってハードルが高い」
「…なるほど…それでお前が出てきたのだな…」
「私の友達はすっごく恥ずかしがり屋なんですー」
人を茶化す口調、挑発的な笑み、腕を組む姿勢。
何もかもが先程の少女と違う、だけども同じ体なのだから不思議なものだ。
ソロンは少女の姿をまじまじと見て
少女もまた、ソロンの姿をきつく睨む。
「何処に連れていくの」
「…」
「悪行でもしにいく訳?この子を使って?そんな事、させる気ないから」
「…目的地なんて、ない」
「?」
「ただ少し、変わった世界を見たくなっただけだ」
細く長い髪に、空を見つめる金色の瞳。
男の纏う空気がガラリと変わった気がした。
先程の威勢の良さは何処へいったのか、
少女は驚き目を見開いて「そう、なんだ…」と歯切れの悪い返答を零した。
何も言わずに歩き出す男の背を、はただ肯定も否定もせずについていく。
「あ、ねえ」
何か思い出したかのように声を上げ、は男に近付く。
パタパタと忙しそう走り、横に並んで
は勝ち誇った笑みを浮かべてこう言った。
「ファルス…うーん……あ!ファルが良いかな!」
「ねえねえ!ソロン」
「ファル、凄く可愛いでしょ?」
「私の、大事な大事な友達だから」
そう言って笑ったと言う少女の姿に重なるよう、ファルスが見える。
ソロンは目を細め、閉じ
そして再び、雲の流れを楽しみながら言葉を奏でる。
「…ああ」
「残りの時間、全てを割いても飽きそうにない」
「一生、お前なら…いや、お前達となら笑える気がしてな」
「今は楽しみな事、この上ない」
そう、男は優しく笑った。
ねえ、気付いているかな。
私の中で隠れながら見ているかな。
アンタの事を想ってこんなに優しく笑う人間がここにいるよ。
“楽しみ”だってさ。
“笑える”だってさ。
でも、“滑稽”じゃないってさ。
これからまた、三人で新しい旅をしよう。
例えそれが面白おかしくて、変てこで
周りから三人揃っているだけで笑われてしまうような旅だって。
それを私達が“喜劇”だと胸を張って言えるなら
そんな人生もありじゃないかな、って思うんだよ。
…―――ね、ファル。
...
14/01/27