「…」
「…コンニチハ」





時は午前、場所はウィルの家。
家主とその娘は留守であり、家の中には私一人。

ぽかん、と口を開け沈黙を流す来客…モーゼスを見つめる。
ゴホ、と咳をすればモーゼスはハッと我に返り、私に向かい指差した(失礼な)。





「ど、どがあしたんじゃ」
「見て分かって」
「何じゃソレ」
「マスク」





喉の違和感を取ろうと何度か咳をする私に
モーゼスは宇宙人を見ているかのような視線を向けてくる。

マスクなんて大して珍しくないのに、と溜め息を吐けば
中の温度が上がり、より一層気分が悪くなった。





「なんか用事?ウィルならいないよ」
「オ、オウ…いや、に会いに来たんじゃ」
「ごめん…今日はもう寝かせて」
「オ、オウ!」





「じゃ、」と手短に別れの挨拶を交わし扉を閉めようとした瞬間だった。

アッサリ同意をしたくせに、モーゼスは閉まる扉を押さえ家の中へと入ってくる。
何事かと振り返る私の前、ドヤ顔で仁王立ちする姿には突っ込む気すら起きなかった。





「…何で入るの?」
「風邪じゃろ?」
「風邪だよ?」
「なら一緒にいちゃる」
「…もう一回言うけど、私風邪だよ?」





風邪の意味、理解してる?と馬鹿にした目線を向ければ
モーゼスは「分かっちょる分かっちょる」と投げやりな返事をし私の背中を押した。

「何するの」、と突っ込む暇もなくリビングのソファに寝かせられ
モーゼスはぐちゃぐちゃになったタオルケットの上からあやすように私の胸を叩く。





「風邪なのに一人は寂しいじゃろ」
「…ちょっと、いくつだと思ってるのさ」
「歳なんぞ関係ないわ」
「…」
「ワイが傍におる」





思えば、髪はボサボサで目も腫れぼったく、声もガラガラ。
そんな私をモーゼスは笑いもせずこうして気遣ってくれる。

風邪とは違う熱が一気に顔へと集まった。
みすぼらしい自分を人に見られた羞恥心と、それを受け入れてくれた嬉々たる気持ちだ。

恥ずかしい奴だ、私もアンタも。
口には出さず溜め息を吐き、もぞりと体を動かす。
温かな手に意識を委ね、聞こえるか聞こえないか程度の小さな声で「ありがとう」と呟いた。





「いかん」





瞬間、彼の手はぴたりと止まり、切羽詰まった声が聞こえる。
何事かと目を開ければ、私を覗き込む男は荒い息を吐いて口を歪めていた。





「なに…?」
「この状態はいかん」
「…いかんの?」
「ソファでが寝ちょって、ワイが近くにおる」
「…」
「しかも、さっきからワイが叩いちょるのはの胸じゃ」
「あははーそれは何?今まで気付かなかったのかなー?」





人が感謝の言葉を述べた瞬間、殺意が沸くような事を平気で述べるソイツを
風邪じゃなきゃ真っ先に殴っているのにとタオルケットの中で拳を握る。

シルエットで私が怒っている事などすぐに分かるはずなのに
あろう事か足を絡め顔を近付け、タオルケット越しに指を這わせる男は
餌を与えられた犬のように見えない尻尾をブンブンと振っていた。





「…やめて」
「何でじゃ、誰もいないんじゃろ?」
「違う…風邪がうつるから嫌なの」
「んな柔な体しとらんわ」
「モーゼス、やだ」





数秒の睨み合いが続き、先に折れたのはモーゼスだ。
見えない尻尾がぱたんと垂れて、参ったと言わんばかりに溜め息を吐く。





「愛あるイヤはズルいわ」
「何言ってんの」
「普段は平気でどつくクセにのう」
「ちょっと待ってよ、まるで私が―――…」





「悪いみたいに」と続けるはずだった口の動きがピタリと止まる。

こう言う時は塞がれた、と言う表現が正しいのだろうか。
正確には口を塞いでいる布をまた塞がれた、だろう。

いや、重なっている順番なんてこの際関係ない。
今、私はモーゼスとキスをしている…薄い生地で作られたマスク越しで。





「っ…!?」





突然の事に目を閉じる事も出来ない。
そんな私の様子を見ていたモーゼスの目もまた開いていた。

ハッと我に返り抵抗しようと手を伸ばしたと同時
モーゼスはマスクから数センチ口を浮かせ、赤い舌を押し付ける。

ザラ、とした布地の感触、生温い息に湿った空気。

は、と酸素を求め声にならない声を零す私を見て
モーゼスは最後に口内まで強く舌を押し付け唇を離した。

呼吸を忘れていたからか、それとも行為による羞恥心か、
赤く熱くなった私を見てモーゼスは意地悪い笑みを浮かべる。





「これならうつらんじゃろ?」





得意気に鼻を鳴らしたモーゼスは、再び子供をあやすようローテンポで私の胸を叩いた。

突然の事に声を上げる隙も与えられず、何事もなかったかのように続く下心のない行為。
タオルケットを剥ぎ取る事も許されない私は、溜まった熱を放つ行方を必死に探した。





「…モーゼス」
「ん?」
「……何でもない」
「オウ」





これ以上相手のペースに乗せられるのも何だか癪で、私は静かに目を閉じる。

ぼんやりとする意識の中、目を閉じてもモーゼスの気配はそこにあり
一人ではない事に安心すると同時、ここにいるのがモーゼスで良かった、と心の内で呟いた。





嵐の先に

(穏やかな眠りに落ちていく)










14/02/22