「…さん?」
「うぅ…」





女の子の声が聞こえる。
優しいお母さんみたいな、そんな声。

まだ眠い、と言わんばかりに唸ると
声の主シャーリィは遠慮がちに私の体を揺すった。





「都合の良い時だけ父親面しないで!!」





さすがの私でもこの甲高い叫びには目を覚ます。

向かいのソファで寝ていたセネルも、私の横に座るワルターも目を丸くし
声が聞こえた方へ振り向いた。





「ハティに父親なんていないんだから!…っママだけなんだから!!」





バン!と大きな音を立て開け放たれた扉。
そこにいたのは今にも泣き出しそうな女の子。

歯を食い縛りスカートを握り締めるその姿からは
ちっぽけな体には納まりきらない程の怒りが溢れ出ている。





「…良いアラーム」
「ハティは目覚ましじゃない!!」
「冗談…おはよ、ハリエット」
「…おはよう」





場の空気を和らげようとしたけど無駄に終わった。
ぷうっと膨れた頬が何よりの証拠だ。

私をジロリと睨むハリエットは、子供の癖して殺気だけはいっちょ前に出してくる。
何だか笑い飛ばせないくらいに強く、強くだ。





「ハティ、どうかしたの?」
「どうもしない!」
「どうせまたいつもの親子喧嘩だろ?」
「親じゃない!だからふつーの喧嘩なの!!」





シャーリィとセネルの言葉に答えながらハリエットは地団駄を踏んだ。

やり場のない怒りにジワリと瞳を潤ませ、物に八つ当たりする姿は
何だか幼い頃の自分と重なる。





「もうここにいたくない!」
「じゃあ、ミュゼットさんの家に帰ろう?私もついてってあげるから」
「…セネル君も一緒に来て」
「俺もかよ…」
「よーし、お姉ちゃんも一緒に行っちゃうぞー!」
はついて来ないで。ワルター君も行きましょ」





子供の言う事とは言え、存在を否定されそれなりにはショックだ。
それでもまあ仕方ないと深く考える事はなかったけど。

そんな私を案じてだろうか。
ワルターは肩を落とす私をジッと見つめた後、ハリエットに冷たく言葉を返す。
(ワルターなりに気を遣っているのは感じたけど)





の元を離れる訳にはいかない」
「…そう。ワルター君はそんなにが好きなのね」
「…仕事上でだ」
「仕事仕事って…ワルター君まであの男と同じで嫌になっちゃうわ」
「っこのガキ…!」
「あああストップストップ!!」





ワルターに喧嘩を売るなんて本当にとんでもない子だこの子は。

そう思いながら二人の間に割り込み
ハリエットには笑顔を、そしてワルターには上辺だけの笑顔を見せた。





「ワルター、行ってらっしゃい」
「な…」
上司命令。行ってらっしゃい
「…承知した」





明らかに不機嫌なワルター。
だけどこれ以上不機嫌になってはいけないのはハリエットの方だ。

ワルターを無理矢理立たせ、グイグイと背中を押せば
渋々とだけどウィルの家を後にする。

セネルとシャーリィにも軽く手を振れば、
二人は「行って来る」「行ってきます」と返事をしてくれた。





「ハリエット、行ってらっしゃい」
「…ふん」





子供は苦手な部類じゃないのにこの嫌われよう。

ツン、とした態度を取るとハリエットは再び私を睨み
ドアが悲鳴を上げそうなくらい、バタンと音を立てていなくなった。





「…嫌われた…」





やっぱりさっきの冗談は言わない方が良かったのかも。

何て思ってももう手遅れ。
今からじゃどうしようもない、と小さく溜め息を吐いてくしゃりと前髪を上げた。





「何だ…は行かなかったのか?」





部屋の中央で立ち尽くす私に声を掛けたのはウィルだった。

私とウィルだけの家は何だか驚く程静か。
さっきまで倍以上の人がいたのに。





「んー…嫌われちゃった!」
「そんなはずはない。ハリエットとは気が合うはずだからな」
「…どうして?」
「両方子供だから、だ」
「…一応私十六だけど」
「む…の事だから怒鳴ってくるかと思ったが、意外と冷静な返事だな」
「なっ…ちょっと!!」
「な?思った通りの行動をする所、お前も子供だ」





ハッと気付いた頃には既に遅い。
口を塞ぎ誤魔化す私にウィルは笑みを零し、ソファーへ座った。

何事もなかったように新聞を読み、朝のコーヒーを飲む。
そんな当たり前の行動が、今は当たり前に感じなかった。





「…ねぇ」
「どうした?」
「…傷付いてないの…?」
「…それじゃ分からん。ちゃんと主語を言ってくれ」
「…さっきの、ハリエットの言葉」





カップを口に当てたままウィルは止まった。

流れる沈黙。

嫌な事を聞いちゃったかもしれない。
なんて無神経なんだろう、私は。





「傷付かない親がいたら顔を見てみたいものだ…」





ウィルは一言、今にも壊れそうな儚い笑みでそう言った。

カタン、とテーブルに置かれたカップの音も、その中をユラユラと揺れるコーヒーも
何だかウィルの心情を表しているようだった。





「…お前は聞き出すのが上手いな」
「へ?」
「他の奴にこんな話はしないよ」





「例え聞かれてもな」、そう言って真っ直ぐと私を見るウィル。
それを嬉しいと思う反面、泣きたくなった。





「……私の親は、そうだったよ」





私も、ウィルじゃなきゃこんな事言わなかった。
ウィル以外の仲間がいたら、話す気すら起きなかった。

だけど今はこんなにもスラスラと言葉が出てくる。





「私もハリエットと同じような事、言った事があるんだ…」
「…」
「…『何で私を産んだのがアンタ等なんだよ』って」
「…きついな」
「だよねー?」





アハハと笑いながら、ウィルの隣に座る。
柔らかいクッションを抱え、ソファの上で三角座りをし顔を埋めた。





「でも喧嘩した次の日にはいつもと同じ…『おはよう』って言われた」
「…」
「訳分かんなくて、その時は無視した…でも次の日もその次の日も皆いつも通りなの」





「お腹空いた」って言う前に「ご飯だよ」って言ってくれて。
お風呂入ろうかなって思ったらもうお湯が張ってあって。

「おはよう」も「おやすみ」も「行ってらっしゃい」も「おかえりなさい」も
全部いつも通りだった。





「そしたら自然に気まずい雰囲気もなくなった」
「…」
「なんか…ウィル見てたら思い出しちゃった」
「…そうか」
「…ねえ」
「?」
「私、親の事傷付けられなかったのかな?」





あんなに酷い事言ったのに、平然と笑ってた。





「私に何言われても平気って、大事じゃないからだよ」
…」
「こんな娘いらないから、何言われてもケロッとしてたんだ」
「考えすぎだ」





フワリと髪を撫でる、大きくてゴツゴツした手。
温かいぬくもりを残すと、その手はスッと離れる。





「…の両親は大した者だ」
「?」
「本当はそうでなくてはいけないのにな…俺が小さい奴なのかもしれない」
「そ、そんな事ない!」





ウィルが小さい奴だったら、私にここまで良くしてくれてない。

他人を家に泊め、保護してくれる。
それだけでウィルの人柄は証明出来た。





「ウィルは頑固で意地っ張りで、ちょっと変わってるとこもあるけど優しくて…!」
「…」
「…私のお父さんもそうだった」
「…そうか」
「…うん」





「優しかったと、思う」





あれ…?

何で、こんなに曖昧なんだろう。
自分と、自分の親の事なのに。





「…お前の両親も傷付いたはずだ。立ち直りが早いんだろう」





にもその血が流れているしな」、そう言ってウィルは笑った。

凄く、優しい笑顔。
…私のお父さんは、こんな顔で笑ってたっけ。

…思い、出せない。
ああ、きっとこれが答えだ。


忘れたんだ。
私も親も。


お母さんもお父さんも、私の言った事なんて忘れたんだ。





「…だから、こっちに来たんだ…」
「何…?」
「いらないから…あっちの世界でイラナイからこの世界に来たんだ」
、何を言って…」
「産んでもらった事を否定したから、産まれてない存在になっただけ」





何だ。





「イラナイのは破壊の少女じゃなくて、私じゃん」















様子がおかしい、そう気付いた時に早く手を掴めば良かった。

俯くの前髪に隠れた瞳にはいつもの輝きがない。
正に闇一色だった。

自嘲するような笑い方も、いつものとは違う。
何か別の、恐ろしいものを見ているような、そんな気分になった。





「ッオイ!」





慌ててその細い肩を掴み、ガクンと強く揺さぶる。
少女は虚ろな瞳を上げたと同時、ハッと我に返り辺りを見渡した。

くりっとした大きな目にはいつもの光。
浮かべていたあの嫌な笑みも消えていた。





「ど、どうしたの!?」
「こっちが聞きたい!」
「…はぁ?」
「はぁ?じゃないだろ!…どうしたんだ一体…」





記憶が丸ごと抜け落ちているようなの反応に俺は肩を持つ手を離す。

シワの寄る服が、自分がどれ程力を入れていたのか良く物語っていた。
掌は熱く、何故か震えている。





「今のはどう考えてもおかしいぞ…意識も飛んでいたようだった」
「意識が…?」
「自覚がないのか?」





気のせいで済む問題ではないから焦っているのに
は何故か「そうなの?」と人事だ。





「私、おかしくないよ?」





異質なものを見る俺の目が気になったのか、は不安そうに呟いた。

ああ、まただ。
こんなに年が離れているのに、俺はまた目の前の少女に気を遣われている。





「頼むからしっかりしてくれ」
「あ!多分寝てたんだよ!最近ぐっすり寝てないんだ!」
「…本当か?」
「本当本当!ほら、何か思い出したら急に…また…」
「?」
「眠た…く…」





徐々に萎むその声は最後まで言葉を紡ぐ事なく、ゆっくりと消えた。

フッと意識を手放してはソファに身を預ける。

すう、と寝息を立てる少女の言動は明らかにおかしいが、
こんな健やかな寝顔を見せられたら起こしてまで問い詰める気もなくなった。





「…本当に寝不足なのか」





無理もない。

ワルターがいるとは言え、今は自分の命を狙われているんだ。
無自覚であってもぐっすり寝れていないのは確かだろう。

安全に過ごせる環境を整えてやれず、罪悪感がチクリと胸を刺す。
それは今も昔も変わらずだ。





「…のような娘を育てられた親は…本当に凄いな」





無意識であっても、あんなにも大人に気を遣える子供はいない。
あの時、が居なかったら俺は大人気なく泣いていたかもしれない。





「都合のいい時だけ父親面しないで!!」

「ハティに父親なんていないんだから!」

「…っママだけなんだから!!」





「口が良く回るのは、君と同じだな…」

「俺を困らせるのが、とても上手くて…そう言うとこは、君とそっくりだよ…」

「……アメリア」





先生、一生のお願いです。

ねぇ先生…ダメ…ですか?

ふふ…先生、大好き!





「…そう言えば、君はとも似ているな」

「後先考えずに行動して…ああ、なら一生のお願いも多そうだ…。
 君に似た子供が二人もいると、本当に大変だよ」

「…君がいたら、少しは俺の肩の荷も軽くなったのにな…」

「いや、それじゃ三人になって更に重くなるか…さすがにそれは参る」





「……それでも、お前にはいて欲しかった…ッアメリア…」










悲しい、ウィルの声が聞こえる。

ウィルはいつも泣かない。
だけど泣き声だけはいつも聞こえる。

何かに押し潰されそうな時、
きっと心の中では私達仲間じゃない、大好きな人の名前を呼んでいる。

代わりになれるなんて自意識過剰だけど
それでもウィルが元気になれば、私は何だって出来ると思った。

例え捌け口だろうと文句は言わない。
そう思ってるのに、何故か体が動かなかった。

真っ暗な世界の中、ウィルの声は聞こえているのに
足に鉛がついたみたいに体が重く、眠りの中でもがいている。

それはフワフワとしていて、沼の中にズズ…と落ちていくようで。
熱くて、寒くて。





破 壊 の 少 女 よ 更 な る 糧 を





酷く不安定な気分だった。










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修正:14/01/01