ウィルは「用事がある」と言って街の外へと出て行った。
私はその姿を見ながらただ小さく手を振る。
そんな仕種がウィルには元気がないように映ったのか、私の頭を軽く撫でてくれた。
そのぬくもりが、私に少しだけ勇気をくれる。
早く、私も前に進まなきゃ。
灯台の前まで戻ると、走り出した前と変わらない皆の姿を見つけた。
ハリエットを抱き締めるシャーリィ。
どうしたら良いか分からず俯く仲間達。
早く、謝らないと。
頭の中でそう言葉を紡げば、体は無意識に駆け出していた。
「ハリエット!!」
皆との距離が縮まったと同時、私は大きな声を上げる。
ビクリと跳ねたハリエットの肩。
それを見て、足が自然に止まった。
シャーリィからゆっくりと離れ、ハリエットはじっと私を見つめる。
殺意か、嫉妬か。
それは私には分からない。
だけど小さな子供が怖い、と感じる程、私はその目を恐れていた。
「…どうして戻って来たのよ」
「へ…?」
「アイツと仲良くしてれば良いじゃない!別にハティなんかどうでも良いんでしょ!?」
悲痛な叫びが耳に、脳に、心に響く。
ハリエットは止めていたはずの涙をボタボタと流し、頬を濡らした。
私は泣きたいだけ泣いて、怒りも悩みも全部吐き出して
大好きな仲間に受け止めてもらえた。
今こうしてハリエットに会う事が出来たのも、気持ちを聞いてくれた人がいたからだ。
でもハリエットはまだ、その怒りも悲しみも憎しみも
誰にも受け止めてもらえていない。
「…」
目を閉じ、私はその場で地面に膝を着く。
小石が皮膚に刺さって、痛みが全身に伝わった。
周りからは驚きの視線が注がれている。
多分、私の突拍子のない行動に動揺しているのだろう。
「ハリエット」
目を閉じたまま、目の前にいるはずの少女の名前を呼ぶ。
彼女の気配が大きく揺れたのが分かった。
「な、何よ…」
「叩いて良いよ」
「…え?」
「でも一回だけ。私も一回だったからお互い様」
そしてハリエットがいるであろう方向に顔を上げた。
でも、痛みはいつまで頬を襲わない。
代わりに冷たい雫が、ポタ、と唇の横に落ちた。
「一回なんて、不公平よ…」
「何で?私も一回しか殴ってないよ?」
「は何でも持ってる…なのにハティにはもう何もない…!!」
嗚咽を堪え、ハリエットは言葉を紡ぐ。
抱き締めてあげた方が良いのかな。
それともそっとしておいてあげた方が良いのかな。
それすら判断が出来ず、私はただ少女の目を見て言葉を続けた。
「何でもなんて、持ってないよ」
「嘘よ!はアイツだって、全部全部盗ってっちゃう!!」
「…」
「ハティにはやっぱりママしかいない!!でもママはいない!」
「だからハティは一人ぼっちなの!!」
ハリエットの悲痛な声に、皆は顔を歪めていた。
大切な人がいない気持ちが皆には分かるんだろう。
私にだって、その気持ちは凄く良く分かる。
さっきまでは誰もいないって、そう思っていた。
でもそれは違うと教えてくれたのはウィルだ。
じゃあ、どうやったらハリエットを一人ぼっちの世界から救えるんだろう。
ウィルが私を救ってくれたように、私もこの子を救えればと、そう思った。
「ハリエットは一人じゃないよ」
「どうしてそんな事が分かるのよ!?」
「ハリエットには、優しいお姉さんもいるんだよ?」
そう言って優しく微笑む。
ハリエットの見開かれた瞳には、私の大人ぶった笑顔が映っていた。
「私がハリエットのお姉さんになるよ」
「…」
「私も、これでハリエットの家族だよ」
「だからハリエットは、これからずっと一人じゃない」
「私が生きている限り」、そう付け加えれば
ハリエットは何とも言えない表情を浮かべていた。
喜んで良いのか、怒って良いのか、それとも呆れるべきなのか
色んな気持ちが入り交ざって、言葉では表せなくなっている。
「私、自分が思った事は思い通りにならなきゃ嫌なんだ。だからならせて?」
「ッがお姉さんになってくれたって、ハティはずっと一人よ…!」
「何で?」
「だって、アイツはが好きだもん…」
ハリエットがアイツなんて言う相手は、もう一人しかいない。
「結局もアイツも、いつもハティを置いて何処かに行っちゃう…!」
「…」
「ッ信じた瞬間裏切るのは、いつも大人だわ…!!」
周りにはこんなにハリエットの幸せを願っている人がいるのに
そんな風に考えてしまうのは、酷く悲しい事だ。
「…ハリエット、それは誤解だよ」
「何でそんな事に分かるのよ!?」
「ッじゃあどうしてハリエットには分かるんだよ!?」
ビク、とハリエットの肩が跳ねた時
またやってしまった、と罪悪感が胸を刺す。
だけど、ここで自分の言葉を曲げてまで謝りたくない。
「子供にムキになるなんて、馬鹿らしい…」
「違う…こう言うの、子供とか大人とかで決めちゃいけない気がする…!」
ジェイの呆れ返っている言葉に、私は静かに反論した。
ジェイは一瞬だけ目を丸くし、もう一度小さく息を吐く。
きっと怒鳴るだろうと思った私の意外な反応に少し驚いたのだろう。
「…ハリエットは、どうしたら納得してくれるわけ?」
「……証拠」
「?」
「アイツが、ハティの事必要って言ってくれたら、の言葉も信じる…」
「…証拠…」
そんなものなくたって、ウィルがハリエットの事を必要としているのは
私達から見ればすぐに分かる事。
それでも、ハリエットは形に見える物や心に残る言葉が欲しいんだ。
「アイツがよりハティの事が好きだって言ってくれたら、
ハティは一人じゃないって安心出来るから…」
ハリエットは少しだけ恥ずかしそうに体をくねらせて言葉を発した。
素直になる事にまだ抵抗があるみたいだけど
私はこっちのハリエットの方が可愛いと思えるし、好きだ。
「…証拠、か…」
今からウィルを引っ張ってきて、目の前で“好きだ”と言ってもらおうか。
だけどウィルの帰りは朝になるだろう。
それまでハリエットが待ってくれるとも考えづらい。
…いや、待って。
「…」
あるじゃん、一つ。
すぐに見せられて、尚且つ説明も出来て
素直になれないウィルの気持ちが真っ直ぐと現れている証拠が。
「…ハリエット、ウィルの家に行こう」
「なっ…話が違うわ!!」
「大丈夫!ウィルは今街の外だから!」
ニッコリと笑って、私はハリエットの前に手を差し出す。
ハリエットは私の手をジトッと睨みながら、二、三歩後退した。
「証拠、あるよ」
「え…?」
「ウィルがハリエットの事大好きだって言う証拠が、ウィルの家にあるの」
「本当に?」
「ほんと!嘘なんて吐かないよ!」
ハリエットは大丈夫と何度も繰り返す私に疑いの視線を向けたけど
最後にはそれだけ自信があるなら、と興味を示してくれた。
「皆も早く行こ!」
「…その前に、何か一つ言う事があるんじゃないんですか?」
物凄く機嫌の悪いジェイの声。
何かと振り返れば、ジェイは声だけでなくその顔からも不機嫌オーラを放っていた。
さっき私がジェイに反論したからだろうか。
むしろ私には理由がそれしか思いつかない。
でもそんな怒る事だったかな、と首を傾げれば
クスクスと笑ったのはジェイではなくセネルだった。
「凄いな。もう忘れてるって感じだぞ?」
「…良いですよ、もう。早くウィルさんの家に行きましょう」
愉快に笑うセネルの横で、ジェイはハア、とわざとらしく溜め息を吐いた。
「良いです」って言いながら機嫌を直さないのはいつもの事。
だけど皆の反応を見る限り六割くらいは私のせいなのだろう。
とりあえず謝っておこうと口を開き言葉を発すれば
ジェイはもう一度溜め息を吐いて足を止めた。
「…ごめん?」
「…何で疑問系なんですか」
「いや、良く分からなくて…」
「…合ってますよ」
「ん?」
「“ごめん”で合ってます」
ジェイは溜め息混じりでそう答える。
こんな短時間の間に三回も溜め息を吐かれたのは初めてかもしれない。
「ジェージェー、心配してたんだよ」
「…?」
「いつもが泣いてる時、酷い事しか言えないから今度こそはって」
「言ってないですよそんな事」
「あたしには聞こえたも〜ん」
「素直なりなよ」と肩を叩くノーマの手を、ジェイは「止めて下さい」と振り払う。
二人一緒に肩を並べて歩く姿を見て、ほんのちょっとお似合いだな、と思った。
玄関に入りすぐ横の扉を開けて、階段を登る。
辿り着いた場所は、私も初めて入る部屋の前。
ううん、きっと私以外の皆も入った事なんてないはずだ。
扉は微かに浮いていた。
良かった、と小さく安堵の息を漏らし
私は後ろに居るハリエットにちょいちょいと手招きをする。
疑りながらも近寄るハリエットは、私が触れた扉のノブをじっと見つめていた。
「な、何よ…?」
「良いから良いから!」
「ちょっ…やだ、押さないでよ…!」
躊躇うハリエットの体をグイグイ押して、無理矢理部屋の中へと押し込む。
反論の声を上げながら部屋の中に入るハリエットの後に続いて
私も扉の隙間から体を滑り込ませた。
月明かりに浮かび上がる、小さな部屋。
月の明かりに透ける桃色のカーテンは
開いた窓から入る風にフワフワと靡いている。
光の落ちる先には柔らかいベッド、その横にはたくさんのぬいぐるみ。
ハリエットは目の前に広がる光景を、ただ呆然と立ち尽くし見つめていた。
「これが証拠」
「……」
「ウィルがハリエットの事、大好きな証拠だよ」
そっとハリエットの肩に手を掛ければ微かに体が震えているのが分かった。
「こんなにたくさんのぬいぐるみを買うの、苦労しただろうね」
ウィルが恥ずかしさに耐えながらぬいぐるみを持ってカウンターに並ぶ姿を
ハリエットも想像しただろう。
「きっと、毎日ハリエットが来るのを待ってたんだろうね」
そう言ってベッドのシーツを触れば、ふかふかだった。
いつもお日様に当たってたみたいに、柔らかくて気持ち良い。
「見て、ハリエット」
開けたクローゼットの中には、子供用のドレスが並んでいた。
どれも可愛くて、キラキラしてて、お姫様みたい。
「きっと、あの花に合う服を選んでたんだね」
「ッ…!」
小さな嗚咽を漏らしたハリエットは、へたりと床にお尻をつけた。
柔らかいカーペットが微かに沈み、ポタ、ポタ、と数個の染みを作る。
「さすがにここまで説明すれば、私の為の部屋って言わないよね?」
「…ッう…」
「この部屋は、誰のだと思う?」
「…ハティの…!」
「じゃあ、用意したのは?」
私はただ、涙を零すハリエットの答えを笑顔で待つ。
ハリエットはぐす、と鼻を啜り数回首を横に振った後
顔を手で押さえながら喉から声を振り絞った。
「…っパパ…!」
ハリエットはその一言を合図にしたように、わああっと声を上げて泣き崩れる。
何とか我慢しようと唇を噛んでも
喉が痙攣して、ヒックヒックと体が跳ねる。
だけどそれは悲しいからじゃない。
きっと、嬉しくて、幸せで仕方がないからだろう。
「…正解だよ」
私はそう言ってハリエットを抱き締めた。
今まで何もかも我慢させてしまった分、全部を包み込めればと思って。
小さな手はきゅっと私の服を掴み、体を預けてくれる。
図々しくも、きっと心を許してくれたのだろうと、そう思った。
「こんなのずるい…!ハティ、何も知らなかったのに…!」
「ウィルは、大事なとこだけいつも言わないから」
「本当よ…!ふざけてるわ…!」
「でも、ウィルの気持ちが分かったならやらなきゃいけない事があるよね?」
ハリエットはゆっくりと顔を上げると、涙で濡れた瞳で私を見つめた。
自分の中にある答えが本当かどうかを窺うよう
不安の色が混ざった目を私に向ける。
「…謝るんだよ」
「……」
「イラナイって言った事、謝るの」
「それで、ウィルにも謝ってもらおう」
「今までハリエットを一人にした事、謝ってもらおう」
そう言ってハリエットの背中を優しく撫でる。
明日には、きっと元通りだよ。
いや、元よりももっと良くなってるよ。
そう言葉にしなくても、きっとぬくもりだけで伝わっただろう。
「そろそろ帰りますね」
「うん、また明日!」
しばらくの時間が経ち、落ち着いたところで
仲間達はそれぞれの寝床へ帰っていった。
一件落着、とうんと体を伸ばすと、力を入れた掌がピキピキする。
「いたた」、と声を漏らせばワルターがむすっとした顔をする。
まだ蔑ろにされた事を気にしているのだろう。
「…」
カタン、と物音がし、小さな声が聞こえた。
振り返れば二階の部屋にいたはずハリエットが壁越しにこちらの様子を窺っている。
「ん?」
「…、その」
「一緒に、寝て欲しいの」
壁に掛けた手がきゅっと白くなって、ほっぺはカアッと赤くなる。
「…良いの?」
「え?」
「私があの部屋使って良いのかなって」
「う、うん」
控えめに頷くその姿に、私はぽかんと口を開けていた。
「だって、も家族じゃない」
「でも今日だけよ!」、と慌てて付け加えるハリエットの照れ隠しに
私は気付かぬ間に笑っていた。
もう、嫉妬も羨望もない。
やっぱり、ハリエットは凄く良い子だ。
今日は別々に寝たいとワルターに頼めば、ワルターは何の文句も言わず
「分かった」と一言だけ発して私の傍から離れた。
小さなベッドの中で、私はハリエットと手を絡めて眠った。
繋がる手から伝わるハリエットのぬくもり。
そして私達を包むウィルの愛情。
家族って、凄く温かい…。
当たり前だと思っていた幸せに涙が零れそうになりながら
私は静かに目を閉じた。
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修正:14/01/02