「来るなッ!!」
ヒステリックな声が夜の街に響き渡る。
足の裏に小石が刺さり、血が地面に染み込んだ。
苦痛から徐々に頭が覚めて、私はぼうっとした視界で辺りを見渡す。
でも、何故だか体が動かない。
私、ハリエットの部屋で寝てたはずなのに…。
「子よ、再び我の糧となれ」
目の前にいるのは、仮面をつけた黒服を纏う女。
長い水色の髪を靡かせ、淡々と言葉を紡ぐ姿に恐怖を感じた。
「ふざけるな…!もうその言葉には騙されない!!」
「我の糧とならば、人の子の憎しみ、苦しみ、嘆き…全て無へと還そう」
「じゃあ、何でわたしは今もここにいるの!?」
私の声だ。
でも、口や体を動かしているのは私じゃない。
こんな事が出来る人物はたった一人…破壊の少女だ。
「お前の言葉を信じて器になったのに…!」
器…?
「どうしてまたこんな汚い世界に戻って来たの!?」
戻って、来た…?
「子の憎しみは確かに無へと還った…だが、子の憎しみ全てを無に還す事は出来なかった」
「何で…!」
「あの頃は、力が弱かった…そして、グリューネに邪魔をされた」
グリューネさんの名前を口にする女を見て、私は目を細める。
私を操る彼女と私自身が同じ感情を露にした瞬間だ。
「子の憎しみは、過去よりも遥かに大きい」
「……」
「ならば再び我の糧になれ。さすらば子の願いは必ず届く」
「ッ…その言葉ももう聞き飽きた…!」
「…子が会いたいと願う者も、既に我の手の中だ」
ビクリと、体が大袈裟に跳ねた。
心の中では「何の事だろう」と疑問符を浮かべているのに、
何故か驚き目を見開いている。
「さぁ…どうする子よ」
「っ…」
「子よ、再び我の糧になれ」
「これはわたしの体じゃない!生身の人間だ!昔みたいに頑丈な器にはなれない…!」
私を、庇っているの…?
「子が我の糧になるならば、我も子の糧となろう」
「…」
「愛する者と会いたいだろう…その願いを叶える為の強い力を、その媒体に与えよう」
「ッ媒体など…!」
「…全ては人の子次第」
「大きな器を期待している」
そう言って、仮面の女は霧に紛れて消えていった。
「…わたしはッ…!」
悲痛な声と一緒に、意識が消えた。
これは何かの夢だったのだろうか。
それでも少女の優しさだけは確かだった。
…この、胸騒ぎも。
目が覚めた時には、ウィルの家のソファにいた。
夜誰かと交わした会話も、何故か頭の中には残っていない。
「っ…」
でも、足の裏に付いている小さな傷は、私が裸足で外を出歩いた何よりの証拠。
だからこそ、思い出せないと言う事実にもやもやする。
「…何なんだろう…?」
「こっちが聞きたい…」
朝から疲れた、と言わんばかりにワルターが溜め息を吐く。
知らぬ間に近くにいた彼に私は軽い挨拶を交わした。
「何故外で寝ていた…民衆に見つかったら殺されていたぞ」
「私、ハリエットの部屋で寝てたよ…?」
「さんって、凄く寝相が悪いんですね」
「あ、うん!確かに寝相は悪い!」
クスクスと笑うシャーリィに私も笑顔で返事をした。
視界の端で会話を聞いていたジェイは、ワルターと同じように溜め息を零す。
「鍵を開けて外に行く程寝相が悪い人なんて初めて見ました」
「私も初めてやった!」
「全く…何が楽しくてそんなにヘラヘラしているのか…」
「あは」
本当に何が楽しいんだか。
でも、悪い気分じゃなかった。
無意識の内に夜中彷徨うなんて、気味悪い事この上ないけど
何故かヘラヘラと笑ってしまう程幸せに満ちている。
「む、起きたか…」
「ウィル!おはよ!」
「あぁ、おはよう。…全員揃ってるな」
「…何かあったのか?」
楽しくて楽しくて堪らない、と言う私の声とは逆に、
ウィルの声は決して晴れやかなものではなかった。
「手伝って欲しい事があるんだ」
「手伝って欲しい事、ですか…?」
「毛細水道に調査をしに行きたい。水と土の様子がおかしい」
「ちょっと待て」
表には出していないけど、ウィルは確かに焦っている。
そんなウィルに制止の声を掛けたのはセネルだった。
早速と扉のノブに手を掛けたウィルが顔だけをこちらに向ける。
「ハリエットに会わないのか?」
「…」
「言葉でも伝えなきゃならない事があるだろう」
「…教えたのか?あの部屋の事を」
「うん、私が」
高々を手を上げる私にウィルは目を見開いた後、
くるりと面を変え呆れた笑顔を見せた。
「確かにならやりそうだな」
「勝手にごめん…でもハリエット、凄い喜んでたよ!」
「そうか…」
複雑な表情を見せ、ウィルは沈黙を流す。
私達もただただ答えを待った。
「…今は俺の用事を優先させてくれ…頼む」
そう言って深々と頭を下げるウィルに、誰もが驚き目を見開いた。
ウィルが私達に頭を下げてまでお願いするなんて、相当重大な事件が起きているのだろう。
それを理解した仲間達は、力強く頷きウィルに頭を上げるよう言った。
毛細水道の中に足を踏み入れた途端、空気が変わった。
皆はそんなに気にしていないようだったけど、ウィルだけは顔を歪めている。
水と土が、腐りかけてるんだ…。
そう心の中で思った数秒後にはウィルの姿が隣にない。
慌てて前を見れば、誰よりも先に奥へと進んでいた。
「ウィルっち、張り切ってんね〜」
「レイナードの目的を聞いていない…何の為にやってきたんだ?」
「水と土の様子がおかしいとか言ってたけどな…」
「きっと後で話してくれるよ!早く行こ!」
いつものウィルなら急く私達を止めてくれるのに今はその逆だ。
ウィルが無茶をしない為にも、私はその背中を必死に追いかけた。
「う、何か臭い…」
しばらく歩いた所でノーマがピタリと止まり鼻を摘む。
その言葉に導かれるよう、私もすうっと空気を吸った。
気分が悪くなる、腐乱した匂い。
血の匂いよりはマシだろうと思ったけど、それでも気分の良い物じゃなかった。
「モーすけさいて〜」
「ワイと違うわい!匂いならこの奥からじゃ!」
モーゼスは異臭にも負けず大声を上げた。
鼻も摘んでないし、ケロっとしてる。
本当にタフと言うか無関心と言うか、大したヤツだ。
「お前達、遊んでないでさっさと行くぞ」
「って、匂いが酷い方に行くの〜?」
「当たり前だ。調査をしに来ているんだぞ」
「う…今日のウィルっちはいつにも増して真面目〜…」
仲間を気遣う事もせず、ウィルはスタスタと先へ進む。
そんなウィルの背中に向かって、ノーマは思いっきり舌を出した。
「ウィル…!」
たっと駆け出して、名前を呼んで。
私はウィルに何を言いたかったんだろう。
「?どうかしたか?」
「いや、どうって訳じゃないけど…」
真剣な瞳が、平然と見せかけてる瞳が
余計皆を不安にさせてるって気付いていないのだろう。
「…急ぐなって言わないから、隣歩いても良いかな?」
「そんな事か…わざわざ許可を取る必要もないじゃないか」
「だが、ゆっくりは出来ないぞ」、そう言って再び前を向くウィルの横に並ぶ。
せめて足を引っ張らないように、私も前を見て必死に足を動かした。
「うわ、くさっ!」
「辺り一帯の水や草が腐っているようですね…」
「鼻が曲がりそうねぇ」
鼻を摘みながら言葉を紡ぐグリューネさんの声はいつもと違って篭っていた。
だけど鼻を摘みたい気持ちも分かる。
さすがにこの腐臭の中にいたらどんだけ神経が図太くても三十分もたないだろう。
でも、気分が悪くなるのは腐臭だけじゃない。
目の前に広がる黒い霧。
それが余計に私達の不安を煽っていた。
「き、霧が動いてるよ!?」
ノーマの声に体が跳ねた。
だけど鉛を付けられているかのように足が動かない。
体は何故か霧を前にすると驚く程正直に震えた。
黒い霧は一点に凝縮し、人の形を作り出す。
霧が完全なシルエットを作る前に、私にはそれが誰か分かってしまった。
「霧がウィの字になったじゃと!?」
「何がど〜なってるのよ〜!」
赤い血の色の瞳が、私を見る。
霧が人になると言う現象を、私は知っていた。
なのに咄嗟の判断が出来なかったのは
姿形はウィルに似ていても、その目だけが無機質だったからだろう。
優しい眼差しを向けてくれるはずのウィルが私を見てユラユラと揺れている。
「話の通じる相手ではなさそうですね」
ジェイはポケットから短刀を取り出し静かに構える。
私には、それが出来なかった。
「さん、ぼさっとしてると狙われますよ!」
「だ、だって…!」
「惑わされるな!」
ハッと我に返り、声に導かれるよう瞳を動かす。
戸惑う私の背後で、ウィルは自分の姿をしている霧にブレスを唱えた。
優しいけど、真剣な瞳。
温かくて、「しっかりやれ」と言われているよう。
だけど決して責め立てるような物じゃない。
…そうだ。
ウィルの目は、あんなに無機質じゃない。
私達にいつも優しく、厳しく、本当のお父さんみたいに諭してくれる。
だからアイツは、ウィルじゃない。
「ッインディグネイション!」
上級爪術は、再び私の体を切り裂いた。
掌だけに止まらず、腿の辺りに鋭利な傷が出来上がる。
それでも思っていた以上に痛みを感じなかったのは
何よりも早く相手を消し飛ばしたいと思っていたからだろう。
「何だか本物のウィルっちよりも全然よわ〜い!」
「当たり前だ!ウィルがあんな偽者に劣る訳ないだろう?」
「うん!セネルの言う通り!」
勝利を確信し、私は霧に向かって短剣を投げつける。
短剣は人の心臓部分、霧の核に命中した。
けど、分散されただけで霧は消えない。
その場でうごうごと留まり、消えるどころかより一層空気を悪くした。
霧が増えると腐臭も強くなり、私達の体が傾くと霧がまた大きくなる。
「ダメなのか!?」
「倒せば万事解決じゃなかったの!?」
「霧に触れた部分が腐敗しています…このままこの霧が遺跡船全体を覆った日には…!」
「…全ての植物が死滅するかもしれん」
ウィルとジェイの言葉に、皆は目を見開き驚く。
それは決してオーバーな反応ではない。
私だって、この世界から緑がなくなるなんて考えられなかった。
「…素朴な疑問なんじゃが、ワイらは霧ん中におって平気なんか?」
「常識的に考えて人体にも毒でしょう」
「ってそれを先に言え〜!」
「止める手立てがないなら一度退散した方が良くないか!?」
クロエの言葉に皆は頷き、来た道を戻る。
私も、早く行かなきゃ。
でも、足が動かない。
まるで接着剤で貼り付けられているかのような、誰かに足を掴まれているかのような。
自らの意思ではどうにもならない状況に、一つ汗が頬を伝った。
「ウィル!!ここは引くべきだ!!」
「あ、足が…」
「ッ今助ける!!」
グン、と引っ張られると冷たくなった足が少しだけ浮いた。
「セネル、…約束とは何の為にあると思う」
だけど体は動かない。
それはウィルの言葉を聞いたセネルも一緒だった。
こんな状況でも…いや、こんな状況だからこそ
ウィルの声はいつもより冷静に聞こえた。
「交わした約束は守らなければ意味がないと思わないか?」
…―――先生、最後の約束です。
…―――この花畑を、花達を守って下さい。
「守ろうと努力する事に意味があると思わないか?」
…―――私、この花畑が大好きなんです。
…―――だから先生?絶対守って下さいね。
「それが信じてくれた者へ、俺が返せるただ一つの物だ」
…―――指切りなんて、しませんよ。
…―――先生はそんな事しなくても、守ってくれるもん。
「こんな時に何言ってるんだよ…ウィル!」
「近寄るな!飲み込まれるぞ」
「っダメ、ウィル!!」
何でだろう。
この霧から逃げようとした時は全然動けなかったのに。
「ッ行かないで!」
ウィルを助ける為だったら、自然と足は地から離れ
ただ真っ直ぐ、その背中に向かって駆けていた。
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修正:14/01/02