壁を叩く大きな音が宿屋のロビーに響き渡る。
「他のお客様の迷惑になりますので…」と言った宿主を
音を立てた張本人ワルターは邪魔だと言わんばかりに睨んだ。
殺意の篭る目が宿主から言葉を奪う。
「…離して下さいませんか?」
怒りで自我を忘れているワルターとは逆に、ジェイは驚く程冷静だ。
胸倉を掴まれ壁に叩きつけられても、声を荒げる事はないし
溜め息を零す余裕まである。
だがワルターを見つめるその冷たい瞳は、ただ睨むと言う行為としてはやりすぎだ。
「一体何をしていた…!」
「どういう意味でしょうか」
「何故すぐにを助けなかったと聞いているんだ!!」
ジェイの瞳にも怯まず、ワルターは更に力を込める。
話すまでは離してくれないだろう、と察したジェイは
再び溜め息を吐くと言葉を続けた。
「僕だってトラップを全て把握してる訳じゃありません…範囲も効果も分からなかった訳ですし」
「…」
「それに、彼女はトラップに掛かったノーマさんを助ける為に自分を犠牲にした」
嘲る笑みを浮かべるジェイにワルターは微かに眉を顰める。
「彼女が自分から怪我を負いにいったんですよ?」
「っ…!」
「どうして僕が責められるのか、逆に教えて欲しいぐらいです」
「貴様…!」
睨むだけでは足りず、その拳が少年目掛け飛ぶ寸前
ワルターの肩を後ろに引き、間に割り込んだのはウィルだった。
「お前達、止めないか!」
「…」
無言で服の皺を伸ばしながらジェイは溜め息を吐き
ワルターは行き場のない怒りに大きく舌打ちをする。
「…助けられなかったのは事実です」
「…」
「貴方に責められなくとも、僕も含め皆さん自分の行動を悔やんでますよ」
ジェイの一言に眉を顰め、ワルターは顔を伏せる。
そしてそれ以上誰かに突っ掛かる事もなく、静かに壁にもたれ掛かった。
大人しい彼を見るのは決して珍しい事ではないけれど
の事でムキにならない彼は珍しい。
「…しかし、面倒な事になりましたね…」
「面倒って…そんな言い方ないだろ!?」
「面倒以外の言い方なんてないですよ」
ジェイの言葉の意味が理解出来ず、首を傾げたのはセネル一人だけではなかった。
「トラップに掛かったのが“あの”さんとノーマさんですよ?」
「…どう言う事だ」
「どちらもこっちの言う事を聞かない、馬鹿な人だって事ですよ」
「…それが、どう関係してるって言うんだよ」
否定は出来ないのか、セネルは口を尖らせながら次の言葉を要求する。
ジェイは溜め息を零すと一度顔を伏せ、そして唇を動かした。
「厄介な特性を持った毒と言うのは皆さん既にご存知でしょう?」
「薬を飲んでも毒が完全に抜けた訳ではなく、また症状がぶり返す」
「だけどあの二人はそんな事にも気付かず勝手気ままな行動を取るでしょうね」
伏せた目は上を向く。
「…例えば、窓から抜け出して何処かへ行ってしまう…とか」
静寂の中、時を刻む音だけが響く。
天井を見上げたまま息を潜めていたジェイは
僅かな物音に「ほら」と小さく声を漏らした。
「…っくそ!」
「お兄ちゃん!?」
駆け出すセネルの後を追うシャーリィ。
騒音を気にする宿主にも構わず、慌ただしく階段を駆け上がった先にあったのは
乱れたシーツが敷いてあるベッドが二つと開け放たれている窓。
「お、お兄ちゃん…これって…」
「っあの馬鹿…!」
セネルはこの事実を一刻も早く仲間に伝えようと、部屋から背を向けた。
ふと目に留まったのは、ベッドの上に投げ出された古びたノート。
窓から入る微かな風にページがパラパラと捲られる。
それはまるで自分の存在を主張しているようだった。
「…やけに使い込まれたノートだな…」
セネルはそっとノートを取る。
軽く触れただけでパリパリと音を立て崩れそうなそれを
出来るだけ丁寧に扱い、順々とページを捲った。
「…シャーリィ、これ…!」
「え…?」
驚くセネルの手から渡ったノートを、シャーリィは首を傾げながらも見つける。
そして次にはセネルと同じように目を見開き、隣にいる兄に視線を向けた。
「これ、古刻語…?それもこんなに…!」
「でも、古刻語を読めるのは水の民だけだろ?」
「そのはずだけど…でも、ほとんど訳は合ってる…!」
信じられないと口元を手で覆うシャーリィは
ノートを通じて感じるノーマの努力を、どう言葉にして良いか分からないようだった。
「…とりあえず、今はノーマを探すのが先だな」
「…うん、皆さんに伝えよう」
ノートを静かに閉じると、二人は目を合わせ強く頷く。
そして部屋の主が居ないその場を足早に後にした。
「どうでした?」
「…ジェイの言う通りだ。二人ともいなかった」
セネルの言葉にジェイは溜め息を吐き、隣にいたウィルは頭を抱えた。
静かに話の流れを追うワルターにも再び怒りが見え隠れし
クロエは自らを悔やむように拳を握り目を伏せる。
「ウィルさん、これを…」
スッと音もなく差し出されたノートにウィルは眉を顰める。
ウィルはシャーリィからノートを受け取ると、良し悪しも聞かずページを捲った。
「これは…」
一枚、そしてまた一枚。
いくら捲ろうが途切れる事のない言葉、文章の数々を
ウィルは慌ただしく目で追った。
「まさか、これを全部ノーマが!?アイツは古刻語を理解しているのか!?」
「あぁ、訳もほとんど合っている」
「大陸の研究機関すらこれの半分も解析していないのに…それをアイツは独学で…!?」
数々の本を大陸にいた頃から読んでいたウィルにとって
それはまるで夢でも見ているかのようだった。
普段勉学や研究に触れる事のないモーゼスでも
ウィルの言葉を聞けばどれだけノーマが努力しているかは理解出来る。
「人喰い遺跡に行ったのも、氷のモニュメントに行ったのも
解析に基づいた理由があった訳ですね」
「エバーライトの解析にノーマはそれだけ真剣だったわけか…」
「これだけの成果があるなら、根拠を聞いた時に教えてくれれば良かったんですよ」
「…口数だけは多いくせに、肝心な事を話さないとは…」
悔しそうに唇を噛むクロエの言葉に
「どっかの誰かさんにそっくりだ」と小言を零したウィル。
その誰かと言うのが今この場にいない少女である事は全員が分かっただろう。
「とりあえず二人を探すぞ!」
「行きそうな所を手当たり次第だ!なるべく散らばって探せ!」
使い古されたノートを小脇に挟み、ウィルは宿の外へと駆け出す。
皆も後に続き、そしてそれぞれが別方向へと進んで行った。
灯りのない墓地は酷く暗く、恐怖を感じた。
それは私がこう言った雰囲気の場所が嫌いだから、とかだけじゃない。
闇が、怖い…夜の闇じゃなくて、人を焦燥させるあの霧の黒。
「ノーマ…!」
うっすらと見えた人影に私は声をぶつけた。
窓から飛び降りた時に捻った足がズキズキと痛む。
だけど早く近寄りたい一心で前を向いた。
「ノーマ…!」
「…」
「何で墓地なんか…に…」
後数歩近寄れば触れられる。
そう思い手を伸ばした瞬間、屈んでいたノーマはスッと立ち上がった。
だけど決して私に目を合わせようとしない。
ただ小さな背中を向けているだけ。
「ノーマ…?」
「…」
震えた声で私の名前を呼ぶノーマは、今何を思っているのだろう。
答えは推測する事しか出来なかったけど、何だか胸が苦しくなった。
「あたし、エバーライト探すの止める」
そして、思ってもいなかった言葉を口にする。
「…は?」
つい、声が漏れた。
ノーマがこんな事言うなんて思ってなかったんだ。
お師匠さんが見てるお墓の前で、いつでも何度でも立ち上がってきたノーマが
肩を震わせながら私に弱音を吐くなんて信じられなくて。
「…何で?」
「……」
返事はない。
きっと、それが答えだ。
「だって、今まで一生懸命探してきたじゃん…!」
「…」
「絶対見つかるよ!だって、お師匠さんが信じてた物なんだよ?」
「…じゃあ、」
「何であたしに本当の事言わないの」
ノーマはゆっくり振り返り、今にも壊れそうな笑顔を私に向けた。
驚き目を見開く私の口からは、声にならない声が漏れた。
しゃっくりした時みたいな、息が詰まったみたいな声。
瞬間、私の中からノーマを励ます為の言葉がサアッと消える。
そして“バレている”と言う最低な気持ちに汗が一つ頬を伝った。
「人喰い遺跡にも、氷のモニュメントにも、エバーライトはないって知ってたんだよね?」
「…」
「トラップだって、あたしが解除する前にどんな事が起きるか言ってくれれば良かったのにさあ」
「それはッ…!」
ハッと嘲笑を零すノーマの気持ちが、嫌な程伝わってきた。
私を馬鹿にして笑っているんじゃない。
私が、ノーマを馬鹿にしていると思って、そんな風に思われていた自分を笑っているんだ。
「ねえ、何で言ってくれなかったわけ?」
「…」
「黙ってないで、何か言ってよ」
もし、ここで私が“忘れていた”なんて言ったらノーマはどう思うんだろう。
呆れる?怒る?それとも笑う?
…私が、一番見たくない涙を見せる。
「あたしがエバーライトを必死に探してるのが、そんなに面白かったわけ?」
違う、そう口にしたかったのに唇から漏れるのは息だけ。
悪いのは全部自分なのに、何故か視界が滲んで目頭が熱くなる。
格好悪い、そう拳を強く握る私を見てノーマは目を細めた。
「トラップの解除も出来ないって、心の中で笑ってたわけ」
「ッちが…」
「違うわけないじゃん!!」
バッと顔を上げたら、ノーマと目が合って。
その時見たノーマは、笑顔の仮面が完全に剥がれ落ちていて。
怒りの色を露にした瞳で、私を強く強く睨んでいた。
「じゃあ何?言わなかった理由があるわけ!?」
「…」
「さっきから黙ってばっかじゃん!理由も言ってくれないじゃん!!」
私がノーマに全てを黙っていた理由が、自分でも分からない。
忘れていた訳じゃない、全て覚えていた。
モーゼスが罠に掛かる事も、その罠がどんな効果なのかも、
私は分かっていたのに、それをギリギリまで言わなかったんだ。
ただ、私は。
ノーマにエバーライトを、自分の手で探し出して欲しかっただけなのに。
「ご、めん…」
「何で謝るの…?」
「ごめん…」
「…謝って、あたしが“良いよ”って言うと思ってんの…?」
そう言ってノーマはまた笑う。
私を嘲る、耳にこびり付く嫌な音。
耳を塞ぎたくなる気持ちを抑え、私は必死にノーマの前で頭を下げた。
謝って許されるような事じゃないって分かってる。
いくら頭を下げたって、納得してくれないのも。
ただ、こうしていないと。
「最悪だよ…」
私自身が壊れる気がして、嫌だった。
「あたし等、親友って言ったじゃん!!」
裏返るノーマの声に、体がビクリと大きく跳ねた。
反動で落ちた涙は、地面に一つの染みを作る。
「自分が予知夢見れるからって図に乗ってるわけ!?あたしよりも上だって言いたいの!?」
一番言われたくなかった言葉を、一番の友達に言われている。
心が耐え切れず、涙はどんどんと溢れ出て
無数の染みを地面に作り、色を変えていった。
「はいつもいつもそうだよ!あたしの事好きだって言っても、何も言わない!」
「いつも自分の事になると隠し事ばっか!!」
ノーマ、声が震えてる。
ノーマも泣いているんだろうか。
「謝ってないで、ちゃんとが何を思ってたのか話してよ!」
何を、思ってたか。
ノーマには自分の力でエバーライトを探し出して欲しかった?
それって結局、私はノーマを自分より下に見てたって事に等しいじゃん。
「またダンマリ…?」
「…」
「ねえ、…!」
ポタリ、と数歩先の地面が濡れる。
それは雨でも雪でもない、ノーマの涙の跡だった。
「…だけは、信じてたのに」
「ッ…」
「もうやだ…何もいらない…」
「エバーライトも親友も、もういらない!!」
ドン、と強く肩を押される。
私の体は抵抗するどころか、アッサリと音を立て地面に崩れた。
「あはは…もう、どうにでもなれって感じ…」
「…」
「こんな事でムキになってるのも、どうせあたしだけっしょ…?」
「…もう、疲れちゃったよ…」
そう言ってその場に倒れこんだノーマは、涙で頬を濡らし目を閉じた。
「…ノーマ?」
不可解な言動に私は小さく彼女の名前を呼ぶ。
だけど返事はない。先程まであんなに叫んでいたのに。
「…ノーマ、ノーマ」
拒絶されるのが怖い、だけども恐る恐るその体に手を伸ばす。
肩に触れたと同時、自分の手の周りに何かが透けているのが見えた。
それは私の手から出ているものではなく、ノーマの体からジンワリと出ている。
霧だ。
「ッ痛…はあ…!」
「ノーマ!?」
触れる肩がぐっと強張り、ノーマの口からは唾液と共に悲痛な声が漏れだした。
上半身を抱きかかえ、強く揺さぶってもノーマの意識は戻ってこず
荒い呼吸を上げながら苦しみに耐えている。
「薬が、きれッ…!?」
「きれた」、と言葉を繋げる前に自分の体にも異変が起きた。
ドクン、と体が持ち上がるくらい大きく跳ねる。
視界がブレ出し、音を立ててその場に崩れたと同時口の中に鉄の味が広がった。
「ック、あ…!」
でも、気を失う事は出来ない。
大切な親友を置いて、意識を手放すなんて。
「ノーマ、しっかり…!!」
目の前で苦しむノーマは荒い息の隙間から誰かの名前を呼んでいる気がした。
それが私じゃなくても良い、ただノーマを助けられるなら。
少しでも楽にしなきゃと、ブレスを唱えてみてもノーマの呼吸は治らない。
ただ自らの掌から流れる血が、彼女の胸元を汚した。
「ノー、マ…ノーマ…!」
どうすれば良いか分からなくて、私はただノーマの体をぎゅうっと抱き締める。
ノーマの体から溢れる黒い霧は徐々に広がり
視界を闇一色に染めていった。
「ッ…ノーマ…!」
毒のせいか、霧のせいか分からない。
体が、思考が、全てがバラバラ。
お願い、早く目を開けて。
親友だって思われていなくても、私はノーマが大好きで、ノーマに生きて欲しいと願ってる。
約束だってした。
絶対にノーマを守るって、自分に懸けて約束したんだ。
また、誰も守れないなんて嫌だよ。
「…ノ……マ…」
意識が、徐々に遠のいていく。
嫌だと思えば思う程、体の中に何かが入り込み、それが私を夢へと追い込む。
毒のせいなのか、それとも瘴気のせいなのかは分からない。
それでも私は、意識が途切れる寸前まで
ノーマの名前を呼び続けた。
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修正:14/01/03