緑の生い茂る森を歩き、せせらぎを頼りに奥へと進む。
辿り着いた先は、湖に浮く一つの集落。
門は開け放たれ、誰でも出入りが可能になっている。
そこだけが、私が里を出た時との唯一の違いだ。
「湖だけかと思うたら、ちゃんと里が見えちょるの」
「だから、結界解いたって言ってたっしょ」
話をすっかり忘れているモーゼスに軽く突っ込みを入れるノーマ。
これだから馬鹿は…と言いたげなジェイの溜め息に
モーゼスはムッと顔を顰めながら、らお構いなしに里へと入って行った。
里の中は幸せな笑顔が溢れていた。
子供は無邪気に駆け回り、大人達は忙しなく働き、その充実感に汗を浮かべる。
ウェルテスと全く同じ、温かい空気だ。
だけどそんな柔らかな一時も、私達が里に入った事で簡単に崩れてしまう。
世間話をしていた女性はそそくさと建物の中へ入り
無邪気に遊んでいた子供達は親に抱えられ家へ連れ込まれてる。
仕事をしている人達は楽しみをなくしたかのように、無表情で手を動かすだけ。
「あたし等、熱烈に歓迎されてんね。嬉しくて涙出ちゃいそ」
「ノーマ、皮肉はよせ」
「だぁってさ〜」
確かにこんな住民の態度を見せられたら
皮肉の一つも言いたくなってしまうだろう。
だけどこれが現実だ。
優しくて良い人ばかりなのに、陸の民がいると言うだけで突然刃物を向けてくる。
私はそれを、嫌と言う程感じてきた。
だけどシャーリィの寂しそうな横顔を見ると、ノーマに強く頷く事も出来なかった。
「あなた達、何しに来たんですか?」
不意に聞こえた声の主を確かめれば、私の予想は当たっていた。
沈んでいた気持ちがぱあっと浮いて、頬の筋肉が緩む。
「あの、私達は…」
「貴女の言葉は聞きたくありません」
シャーリィに冷たく当たる、数少ない水の民。
きつく、相手を傷付ける言葉と鋭い瞳。
あぁ、これは間違いなく本物だ。
「テューラー!」
「…え…?」
「久しぶり、じゃないかな?でも久しぶりー!」
「…」
「元気そうで良かった!」
「あ、貴女…!!」
私の声を聞いた途端、テューラは大きな目を更に大きく見開いた。
普段なら「気安く話しかけないで!」と遠慮なく言うのに、今日に限って反応が違う。
ただ単に気分の問題なのかもしれないが、
私にとってそれは違和感でしかなく、罵られない事が何だか気持ち悪い。
「ど、どうしてここに…!」
「呼ばれたから来ただけだよ?」
「そんな…だって貴女…!」
普段は惜し気もなく毒舌を披露してくれるテューラが、今は単語一つ言うのにも苦労している。
終始笑顔を絶やさない私を見て何かを悟ったのか
テューラは唇をぎゅっと噛み締め、私達に背を向けた。
「帰って下さい。迷惑なんです」
「待って!私、テューラさんと話をしたいの…!」
「私は話なんてしたくありません。したければお一人でどうぞ」
これ以上テューラに話し掛ける事も出来ず、シャーリィは苦痛の表情を浮かべた。
何とも気まずい空気。
そこを狙ったかのように聞こえた老人の声。
「よしなさい、テューラ」
「お、長…!?」
「私がこの人達を呼んだのだよ」
「そんな、長が…」
テューラは突然現れたマウリッツと私達を交互に見る。
そして状況を理解すると悔しそうに唇を噛み締め、その場から逃げるように去ってしまった。
追おうと思った私を行かせまいと、誰かさんは息を吐く間も与えず話を進める。
裏があるのがバレバレだ。
「テューラが失礼な事を言って申し訳ない…わざわざここまでご足労して頂いたと言うのにな」
「いえ、お気になさらず」
「ここで立ち話もなんだ。私の部屋まで来てらえるだろうか?」
「はい、勿論です」
「君、君もだよ」
その場から離れようと…いや、逃げようとしていた私を老人は笑顔で見つめている。
突然名前を呼ばれた事に体はビクリと大きく跳ねた。
怖い、と言うよりは面倒臭い気持ちの方が大きい。
「ごめんなさーい、他に用事が…」
「自分から飛び出していった里に用事があるのかね?」
「…」
「ならば初めから逃げずにずっとこの里に居れば良かったのでは?」
「あー…それもそうですねー…」
「どうしても私の顔を見たくないと言うのなら、特別な部屋を用意してあげよう」
「…部屋じゃなくて、檻だろ」
「実はあのまま残しておいているんだ…今もあの部屋は君を待っている」
「ッ…この…!」
「」
その顔面目掛けて振り上げた拳を掴まれる。
憎い相手は目の前にいるし、イライラも治まらない。
だけど我を失う前に止まれたのは仲間が私の名前を呼んでくれたからだ。
「ここで暴れたら相手の思う蕾だ」
「ッ…」
「安心しろ。俺達が話し合いで解決してみせる」
「……うん」
ウィルの言葉なら信じられる。
何をするかは分からないけど懸命に交渉してくれるだろうし、
悪い結果となっても私に損ばかりが生まれる条件は付けないはずだ。
大人しくなった私を意外そうに見るマウリッツに
「ざまーみろ」と声を出さずに口だけを動かす。
何か言いたげな老人の横を通り過ぎ
私は案内もされていないのに目の前の大きな建物へと入って行った。
「さぁ、遠慮せず席についてくれたまえ」
マウリッツの言葉に操られるよう、円座する仲間達。
私は入口に一番近い場所に腰を下ろし、胡散臭い笑みを浮かべる男を肘を付きながら観察していた。
外交官として、または水の民としてマウリッツの横に座るシャーリィと違い
ワルターは私のすぐ横で席にも着かずジッと立ち前を見据えている。
本当ならワルターもあっちにいる立場なのに、何だか変な気分だ。
「本当はもっと早く、結界を解くつもりだったのだがね」
私とマウリッツの睨み合いは、勝ち負けが決まる前に幕を閉じた。
息を吐き、本題に入るマウリッツ。
皆は真剣な眼差しで話を始める男を見つめる。
「皆の意見調整に手間取って時間が掛かってしまってな…」
「さっきの様子を見た限り、あんま納得してる人いなさそ〜だけど?」
「心配せずとも良い」
皮肉混じりのノーマの言葉に微笑みを返すマウリッツ。
皆にはマウリッツが優しい人に見えているかもしれないけど
私にはノーマをガキ扱いして小馬鹿に笑っている嫌な大人にしか見えなかった。
「我々水の民に諸君等と敵対する理由はないのだよ」
「水の民は、滄我の意思に沿う事を何よりも尊びます」
マウリッツの言葉ならまだしも、シャーリィの言葉なら信用出来る。
そう判断した仲間も少なくはなかったけど、納得していない者もいた。
「滄我は双方の民の調和を願っている。だから我々はそれを実践しようとしているのだ」
「では一つお聞きしますが、滄我はを殺せと仰っているのでしょうか?」
和やかなムードも、たった一言で一転も二転も変わる。
静まり返る室内で急に名前を出された私はどうして良いか分からず混乱した。
その話題は少し早過ぎない?、なんて言える雰囲気でもない。
「テュッちゃんがウェルテスに来た時言ってたよ。“里に戻る気がないなら殺す”ってね」
「…ふむ…あれは君だけへの伝言だったんだが」
「俺達に聞かれたらまずかったのか?」
「とんでもない…別に隠そうとしていた訳でもないのだよ」
マウリッツは一瞬動揺の色を見せたものの
今は平然と、何事もなかったかのように話を進めている。
一応人の命が関わっている話し合いなのに、驚くくらい冷静なのが気味悪い。
…自分の命を一応と言ってしまう私も相当だけど。
「滄我は調和を望んでいるのだ。その為には戦争の種を取り除かねばいけないだろう?」
「陸の民も水の民も関係ない。は俺達の仲間だ」
「そ〜だよ!もしを殺すって言うならあたし等だって容赦しないんだから!」
「ほら…このようにして君は戦争を招いている」
ストローを取り出したノーマの手がピタリと止まった。
殺し合おうと言うつもりも、手柄を立てようとするつもりもない。
私を守ろうとして、たった今起きそうになった揉め合いだ。
理由はどうあれ、どのみち私が原因なのに変わりはないって事…。
「たったそれだけの理由で殺害だなんて頭が弱いんですか?水の民は」
凛と響き渡る涼しい声。
私は心の隅で、彼ならこの状況を打開出来ると思っていたのかもしれない。
相手の急所を素早く見つけ睨む瞳は、まるで槍のようだった。
「戦争、監禁…そんな大袈裟な事しなくても、すぐに解決出来ますよ」
「ほう…それは一体、どのようにだね?」
「ミュゼットさんに証をもらえば良いんです」
“あかし”…?一体それは何なのだろう?
美味しい物であったら良いなと思いながらも、訳が分からず首を傾げる。
「さんはどちらの種族にも入らない。だから双方の調和にはさんが邪魔だ」
「…」
「そう考えているなら、ミュゼットさんに証明書を発行してもらいましょう」
「“たった今、この時から、貴女を陸の民と認めます”…と言うね」
これは、一体何なんだろう。
話が突然過ぎて、流れを追う事すら出来ない。
でも、夢ではないみたいだ。
無意識に握った拳が、ちょっとだけ痛いから。
「その証さえ手に入れば、解決したも同然でしょう?」
「…確かに、マダムなら快く受け入れてくれるかもしれない」
「そうだよ、!マダムと話した事あるんでしょ!?」
「え…ちょ、ちょっとだけ…」
「私からもお願いしてみます!了承を頂けたら、すぐに準備へ取り掛かりましょう!」
嬉しくて嬉しくて堪らない、と言わんばかりの笑顔を見せるシャーリィの横には
不満で不満で仕方がない、と言いたげなマウリッツの姿。
私はもう何が何やらでへんてこな表情を浮かべている。
だけどジワリジワリと心に染み入る感情は悲しい物ではない。
それに気付いたと同時、涙が溢れそうな程の幸せが押し寄せる。
「私、陸の民で良いの…?」
無意識に零れた声に引き寄せられてか、皆は同時に私を見つめた。
誰よりも先に返事をしてくれたのは、この提案をマウリッツに持ち掛けたジェイだ。
「長い間、お疲れ様です」
「…」
「我慢してるさんを見るのも、結構面白かったんですけどね」
「状況が状況ですし」、と肩を竦めたジェイは溜め息を吐くと笑った。
その笑顔の意味は私には分からなかったけど、悪いものではない気がする。
「マウリッツ殿、今後の方針はこれで良いですね?」
「…」
「殺害にお金使うより、よっぽどマシだと思うけど〜?」
「…どうやら、そのようだな」
沈黙の後絞り出た、賛同の言葉。
「シャーリィ、マダムミュゼットによろしく伝えてくれたまえ」
「っはい…!」
「君」
「?」
「今まですまなかった…和解の握手を」
マウリッツは素直に頭を下げ、私に向かい手を伸ばす。
だけど握手をするには距離が遠い。
円卓を半周しなければマウリッツの元には辿り着けないのだ。
謝罪をするつもりならそっちから近寄れば良いのに、と心の内で愚痴を零し
私はマウリッツの元へと駆け寄った。
いや、正確には駆け寄ろうとした、だ。
「っ…?」
くん、と体が向かっている方向とは逆に動く。
突然誰かに手首を掴まれ、駆け出そうとした足は動かず、
仕切直してその手を振り解こうにもそれが出来なかった。
力の差とか、そう言う事じゃない。
振り解けなかったのは、ワルターが私に真剣な瞳を向けていたからだ。
「ワルター?」
「…」
「…?」
「…さっさと行け」
「えー…?ワルターが止めたくせに…」
良く分からない。
だけどワルターが何事もなかったかのように手を離したから
私も何事もなかったかのようにマウリッツへと走り寄る。
手を差し伸べ、私に微笑を見せる老人。
優しい瞳、穏やかな海の色。
これならきっと、信用しても大丈夫だ。
そう、心から思えた。
「改めて、よろしく頼んだよ」
「…こちらこそ」
触れた手は冷たく、だけど暖かで、当たり前だけど生きているんだと感じる。
離れた手にマウリッツの温もりが残っている。
何だか気持ち悪いとは違う、妙な違和感があった。
「マウリッツ殿のご決断に感謝します」
「私の方こそ感謝している。ジェイ君、明確な案をありがとう」
「いえ」
感謝されているにも関わらず、声色一つ変えないジェイ。
そっぽを向いて面倒臭そうに足を組む仕種が何ともジェイらしく、私は笑った。
「双方の調和には感情面で納得しきれていない者もいる」
「だがそれでも、遺恨は流し、新たな未来に向かって足を踏み出さねばならんのだ」
「同属が無礼な振る舞いをするかもしれないが、その時は許してやって欲しい」
そう言って頭を下げたマウリッツの言葉に
ジェイとワルターを除いた皆は強く頷いた。
「こちらこそ、が迷惑を掛けるかもしれないが…」
「何で私…」
「なるべく暴れぬよう注意はするつもりだ」
「暴れないよ!もう狙ってくる人もいないんだから!」
「…そうだな。証明書さえ手に入れば、平和な日々を暮らせる」
「やっとな」と言って笑ったウィルに、私は笑顔で首を縦に振った。
陸の民と水の民の和解。
どちらにも属さなかった破壊の少女が陸の民として扱われるようになる。
こんなにも良い結果が出た。
私からは何の文句もない。
これからは陸の民からも水の民からも
忌み嫌われるような存在にならなくて済むんだ。
そう思うだけで、嬉しくて嬉しくて堪らなくて凄く幸せな気持ちになった。
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修正:14/01/04