窓から見てた月と、同じ月が外にもある。
当たり前の事なのに、それを受け入れたくない私がいる。
まだ、私がいる世界は私の現実なんだ。
いっそ夢なら良かったのに…って。
「テューラさん…!」
背後からシャーリィの声が聞こえる。
言葉の通り、建物の目の前にはテューラがいた。
さっきまで一緒にいたはずなのに、こうして顔を見合わせるのをとても久しく感じる。
「さっき…魔物から、助けてくれて…ありがとう…」
そう言って、テューラは誰か一人にでなく
私と陸の民の皆と、あんなに恨んでいたシャーリィに頭を下げた。
シャーリィは目を丸くした後、いつものように優しく笑い
頭を下げ続けるテューラにこう言った。
「無事で良かった」
今度は逆にテューラが驚き目を丸くして、そしてすぐに顔を反らす。
その顔は月明かりに照らされ、いつもよりも頬が赤いのが良く分かった。
「テューラさん」
「…何です?」
「私、信じてるよ。皆が今の私の考えを分かってくれる日を」
風が吹き、シャーリィの髪を揺らす。
揺れた髪は月の光を受けて輝き
まるでシャーリィが水の中にいるように見えた。
「憎しみに憎しみを返すのは凄く簡単な事だと思う…だけど、それじゃ前に進めない」
「私がメルネスの力を使って大陸を消滅させたとしても、私達は幸せになれないんだよ」
ううん、水の中にいるみたいに見えるんじゃない。
きっとシャーリィは陸の上でも輝けると自信を持っているんだ。
…だけど、私の髪は光ってない。
「憎しみを晴らす事が幸せではないんだよ、きっと」
「…」
「争いに向ける力があるのなら、私は人を信じる事に持てる力の全てを使いたい」
胸を張り、真っ直ぐにテューラを見つめる姿は“輝ける人”そのものだっただろう。
「陸の民も、水の民も、そんなに変わらないよ」
「…」
「陸の民の誰もが酷い事をするわけじゃないの」
「…そう、ですね…」
「だから私は水の民と陸の民が手を取り合って歩める道を探したい…これが今の私の考え」
「納得出来なければ、それでも良い。私を恨みたければ、それでも良い」
「だけど、いつか皆分かってくれる日が来るよね?」
そう言ってシャーリィは笑った。
強要する訳じゃない、本当に純粋な彼女らしい笑顔で。
「…待ってるから」
「…」
「分かってくれる日が来るのを、信じてるから…」
シャーリィはもう一度優しく笑い、踊るようにくるりと向きを変え
「帰ろう?」と私達に言った。
光る髪の輝きが私には眩しすぎて
クラリと、本当に、本当に少しだけ体が揺れた。
「っあの!」
いざ帰ろうと足を一歩前に出した時、
テューラは私達がビックリする程慌てた声を出す。
視線を一斉に浴びると「あ」と小さく声を漏らし
恥ずかしそうに指と指を絡める。
そして一度大きな深呼吸をすると、
真っ直ぐにシャーリィを見つめ、テューラは言葉を奏でた。
「今、貴女は幸せですか?」
突然の言葉にシャーリィは小さく「え?」と声を漏らし、きょとんと目を丸くした。
しばらくの沈黙を置き、シャーリィはほんの少しだけ頬を朱に染めた。
そして先程のような諭す声ではなく、一人の女の子としての答えを出したんだ。
「うん、幸せだよ!」
テューラはその答えに拳を震える程握ったと共に
小さく笑みを浮かべ、ゆっくりと口を動かした。
「…そんな笑顔を見せられたら、何も言えないじゃないですか」
「え…?」
柔らかい声は、テューラの今の気持ちを嫌と言う程表現していた。
霧を纏っていた彼女はもういない。
私の役目も、もうなくなったんだ。
「この里に笑顔が戻る日まで…その時までは貴女の事を恨ませて下さい。
直ぐには、納得できないし、許せないから…」
テューラはそう言うと顔を俯かせ眉を下げた。
自分が悪い事を言ってるって、分かっているから。
「良いよ…それで皆が楽になるなら」
シャーリィは笑った。
テューラと出会ってから何度目の笑顔だろう。
…私が最後に笑ったのは、いつだっけ。
そんな事を考えていれば、グッと強く、誰かに手を引かれた。
セネルと繋いでいる手じゃない、もう片方の手。
「あ、あの…!」
「…」
「その、迷惑掛けて…ご、ごめんなさいッ…」
テューラが私に触ってる。
私の事、線まで引いて遠ざけていたテューラが
その綺麗な白い手で、私の汚い手を強く、強く握る。
「その、私…貴女と…!」
テューラが言葉を紡ぐ前に、体がその手を跳ね退けた。
解かれた白の手は行き場をなくし宙へ浮く。
それは誰から見ても“拒絶”であり
テューラは私の反応に酷く顔を歪ませ、信じられないと目を見開き首を振った。
私はそんなテューラにゆっくりと笑顔らしき物を見せ、里を出た。
「触らない方が良いよ…汚いから」
もう、私は触りたくても触らないよ。
黒い霧と獣の血で染まった手。
仲間を傷付けた手。
そしてどんなに抗っても消えない破壊の少女と言う証。
全てが汚くて、嫌になる。
「な〜んか、結局解決出来たのかな〜?」
「まだ双方の和解には時間がかかるかもしれないな…」
「でも、私は里に行けて良かったです」
街に着き今日の事を振り返る私達の輪の中
シャーリィはいつもよりも眩しい笑顔を見せた。
それこそ、闇を振り払うような明るい笑顔。
私はそれに「良かったね」の一言も言えない。
「これでテュっちゃんもすこ〜しは大人しくなるかな?」
「大人しくなる必要ないだろ。言いたい事があるなら、向かい合って言えば良い」
「そうじゃのう!それがええわ」
笑顔が溢れる仲間達の輪の中で
一言も喋らないクロエの姿がやけに目立った。
「…クロエ、どうかしたか?」
「ん…あぁ、何でもない」
それでもセネルの言葉に返事をすると
クロエはいつものように淑やかに笑う。
笑ってないのは、私だけ。
「あたしもう疲れた〜。ベッドで寝たい!」
「そうだな…今日は解散にしよう」
「オッケ〜!お疲れ様〜!」
とびっきり明るく、大きな声を上げたノーマはその場で跳ねながらピッと手を挙げる。
「少しは静かにしろ」と言うウィルの言葉も無視し、ニコニコ笑っていた。
本当に疲れてるのか疑っちゃうくらいだ。
「!また明日ね!!」
「…」
「ま〜た〜あ〜し〜た〜ね〜!!」
返事をしない私の肩を揺らしながら
ノーマは耳元でしつこいくらいに言葉を繰り返した。
ここで私は何と言えば正解だったのだろう。
「うん」と返事をする事さえも馴れ馴れしく烏滸がましい気がして
開いた口は結局何の役にも立たずに終わった。
ただ、こうしてると勝手に胸がざわつく。
…。
ノーマの声が頭の中に響くと同時、
ゾワゾワと、僅かな負の感情に反応して血が逆巻く。
もう、霧を吸っても痛みはなくなった。
別の感情が、体を支配していくのも分かる。
だけど私は、それに気付かないふりをした。
「我が利用しているのはお前だ」
気にしないふりを、必死に。
「ウィル、俺もを送る」
「俺一人でも平気だが…良いのか?反対方向なのに」
「ああ、どうせ起きる時間は同じだ」
平然と答えるセネルに「少しは早く起きる努力をしろ」と溜め息を零すウィル。
二人は私の両手をぎゅうっと握ってくれた。
温かいぬくもりがじんわり伝う。
申し訳無い気持ちになると同時、手を振り解きたくなる生理的反応。
ぐちゃぐちゃで、何を思う私が本当なのか分からなくなる。
「クロエも早く休めよ」
「あ、ああ」
「また明日」
「うん…おやすみ」
どもるクロエの返事に疑問を抱きつつも、私達はゆっくりと帰路についた。
「憎しみに憎しみを返すのは簡単な事…か」
「確かにその通りだ…それが最も、楽な選択だ…」
まるで雨のように、ポツリポツリと言葉が落ちる。
「今幸せですかと問われ笑って答えるなど…私には出来ないだろうな…」
そう零した、少女の儚い言葉を聞く者は誰もいない。
二人の手を振り解く力は残っていなかった。
…力が残っていたら振り解いていたのだろうか、それも曖昧だ。
確かなのは、両の手から伝わる温かなぬくもりだけ。
「……」
それでも、安心出来ないのは何でだろう。
不安で不安で仕方なくて
今にも何処かへ掛けだし叫びたくなるのは、どうしてだろう。
きっと、今この状況が私にとって違和感でしかないんだ。
だって、しつこいくらいに私の横にいたがるヤツは、セネルでもウィルでもない。
「…ワルター…」
「ん?」
「…ワルターが、いないよ…」
いつも、嫌だって言ったっているのに。
どうしてかな。
きっと、私が水の民の里で暴れたからだ。
とうとう見放されてしまった、そう心の中でポツリと零せば、
言葉は穴を通り何処かへ消える。
「…きっとすぐ戻る」
そう言ってセネルは手を離し、私の頭を撫でる。
その手はうっすらと負の感情を纏っていて、私は目を細めた。
きっと自分達がいるのにワルターを呼んだ私への苛立ちだろう。
セネルもウィルも優しい、頼って良い仲間だ。
二人がいて、今の私は充分心強いはずなのに
どうしてこんなにも心は寂しさを訴えているのだろう。
「、…」
それが分かるのに、時間は掛からなかった。
きっと、優しくしてほしいんじゃない。
ただ、いつもの日常が欲しいだけなんだ。
いつもみたいにワルターが横にいて、皆がいて
変に私を気遣ったりしない、ただ明るく笑い合ってたあの時に戻りたいだけ。
「…馬鹿だよ」
「…?」
「それを壊したのは、私じゃん」
力が抜ける。
動かしていた足が、歩くのを止めた。
傾いた体はそのままセネルの胸にポスリと埋まり
ガッチリした腕が私を支えてくれる。
…これも、違う。
いつもいるはずの隣人に寄り掛かれば、海の香りと麻のざらつきを感じるはずなのに。
「…ごめんなさい」
「ん…?」
「顔…」
「私、セネルの事傷付けた…」
「傷…痛かったよね」
「ごめん…ごめんね、セネル」
見開かれた彼の瞳には、私がどう映ったのだろう。
セネルは目を反らすと「怒ってない」とだけ言って私の背中をとんとんと叩く。
それでもつっかかる何かが取れなくて、謝っても何も解決しない現実に
嗚咽を零しそうな喉を締め歯を食い縛った。
きっと、霧のように黒い夜のせいだ。
不安で、おかしくなる。
「どうだねワルター…答えは出たかね?」
「…何度も言う。貴様等に加担する気はない」
暗い部屋で円卓を挟み、充分な距離を取って会話する二人の男。
「今日の話し合いを経て、結果、は陸の民になるのだろう」
「あぁ、そうだったな…」
「なら、何故殺そうとする」
ワルターの低い、怒気の混ざる声を嘲笑い掻き消す男はマウリッツ。
「目障りだからだ」
「…何…?」
「私だって我慢した…今日この里にあの小娘が戻ってきた時、殺すはずだったのにな」
「それが陸の民になる証明書だと?どちらの種族でもないあやつが、陸の民だと?」
人を馬鹿にするような含み笑いの裏、
男は我も忘れそうな程の怒りを隠す。
「片腹痛いわ…低悩な小娘の低悩な仲間が考える事だな」
「…が低悩なのは認めるが、案を出した子供は馬鹿にしない方が良い」
「…」
「あいつはお前の首を跳ねる事に何の躊躇もしないぞ、マウリッツ」
「陸の民の肩を持つとは…笑わせるじゃないか、ワルター」
「気が狂ってるな」と喉を鳴らす男にワルターはただ反論もせず立ち続ける。
暗闇の中、互いの表情を見る事は出来ないが
片方の男は笑い、片方の男は無表情である事だけは
取り巻く空気が嫌なくらいに教えてくれた。
「私達水の民は、陸の民の頂点だったあの小娘を今でも恨んでおる」
「…」
「滄我もお導きになっているぞ…」
「“あの小娘は陸の民になれない、だから早く殺してしまえ”と」
マウリッツの言葉に反応するかのよう、里の中に波の音が響き渡る。
決して大きな音ではなかったが
マウリッツやワルター、里にいる水の民にはハッキリと届いただろう。
「現に今、海は荒れているのだ。小娘のせいで滄我はお怒りになっている」
狂っている。
ワルターは目を細め心の中で呟いた。
波の音が、海の声が本当にそんな事を言っているのなら
この世界が、もう狂気に満ちていると。
「滄我のお怒りを鎮めるのが我等の役目だ」
「…」
「ワルター、お前がいれば事は簡単に進む」
「…」
「水の民の心が残っているのであれば、滄我へ全ての力を捧げ―――…」
「断る」
言葉を紡ぎ終える前に出したワルターの答えに
マウリッツは指先を微かに跳ねらせる。
「そんなもの、当の昔に捨てた」
「今は俺の体も、心も、の物だ」
眉を顰める男の顔が月に照らされたと同時、
ワルターは青いマントを翻し背中を向けた。
「…ならば、同族とは言えお前にも容赦はせんぞ」
「…」
「覚悟は出来ているな、ワルター」
「…それは俺の台詞だ」
空に浮かぶ月は、暗闇の中真実だけを照らし出す。
「俺に漆黒の翼である事を教えたのはマウリッツ…お前だ」
「“主の為なら命を捨てろ”とは、貴様の口癖だったな」
「言わなくても分かるかと思っていた」と口にしたワルターは
今度こそ、振り返らずに建物を後にした。
歯を食い縛り怒りに拳を震わせるマウリッツに
敢えて気が付かない振りをして。
闇の中、隠れた真実を誰もが必死に探して
答えが出ぬまま、また夜が明ける。
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修正:14/01/05