カタン、と窓が鳴る。
それと同時、涙で濡れた頬を風が掠めた。
カーテン越しに見える、人影。
羽らしきシルエットが音もなく消え、カーテンが開き
「お邪魔します」の一言もなしに現れた青年は
私の存在にも気付かずドカリと床に座り、壁にもたれる。
ベッドの上から一部始終を見ていた私は
その青年の項垂れている姿に違和感を覚えた。
息が荒く、とても苦しそうで、時折漏れる苦痛の声と腹を押さえる仕草。
押さえた腹からはドロ、と血が流れ
白い服を赤く、黒く染めていった。
「ワルター…?」
「…!」
私の呼び声に、青年はピクリと肩を動かした。
その拍子、腹から溢れた赤い血は彼の白い手を伝い床にまで落ちる。
「、ッまだ起きていたのか…」
彼の言葉はいつも通りだった。
いつも通り等、あってはいけないのに。
「何、それ…」
「ッ…」
私の言葉に彼は「しまった」と言ったような顔をした。
「怪我、してるの…?」
「古傷が開いただけだ…関係ない」
「…嘘、吐かないで」
彼は返事の代わりに舌打ちをし、顔を反らす。
触れて欲しくない話題なのだろう、
ワルターはいつも自分が不利になるとそう言った態度を取る。
それでも、赤い赤い血を流す彼を目の前にし
私は放っておく事なんて出来なかった。
「見せて!すぐ直すから…!」
「ッ触るな!」
先程まで動く事すらままならなかった体が、ワルターの為ならすんなり動いた。
だけど彼は私を拒絶し、形振り構わず大きな声を上げる。
ほんの、ほんの少しだけ私を睨むワルターが怖くて
伸ばした手を引っ込める事も出来ずに体が固まった。
「…さ…わる…な…」
言い放たれた言葉を無意識の内に繰り返す。
途切れ途切れではあったが、状況を理解するには充分だ。
私は、ワルターに拒絶された。
何も言わない私を前に、ワルターは「しまった」と罰の悪そうな顔をする。
そして自らを悔やむよう額に手を当てると小さく溜め息を吐き
比較的柔らかい声色で言葉を紡いだ。
「…早く寝ろ。明日も早い」
ワルターは血塗られていない方の手で私の髪を撫でる。
瞬間カアッと体が熱くなって、気が付けばその手を振り払っていた。
「何でもそうやって、誤魔化さないでよ!!」
私がそんなので騙されると思う訳?
そんなもので、納得出来ると思う訳?
言いたい事はたくさんあっても、意味は同じ。
「私ってアンタの何なの…!?」
「…」
「ッ仲間だよ!」
ワルターは思っていなくても、私はそうだ。
ワルターがこんな風に怪我をしていれば心配するし、
何か思っている事があるならば口に出して言って欲しい。
怪我をしていればどんな理由があっても治したいって、思うに決まってる。
「私はずっと仲間だって…そう思ってるよ…!」
「…」
「もっと頼ってよ!仲間なら、何でも話してよ!」
「ッお前に言われる筋合いはない!」
沈黙を続けていたワルターが、突然声を荒げる。
予想外の声量、言葉に体が大袈裟な程跳ねた。
見開かれた私の瞳には、多少の怒気を纏うワルターの姿が映っている。
「仲間を頼れ?お前が俺にとって何なのか?
それを分かってないのはお前の方だろう!」
その瞳は存在を否定するかのように私を睨みつけ
握られた拳はいつ飛んできてもおかしくない程震えている。
「今のお前に何が出来る!
俺がお前に全てを打ち明けたら、楽になるとでも思っているのか!?」
ああ、夜が深い。
ワルターも霧でどうにかなってしまっているのだろうか。
…いや、きっと霧のせいではない。
認めたくはないけど、ワルターは自分自身の意思で私を否定しているんだ。
「俺の事を仲間だと思っていない奴を、俺は仲間だと思う程出来た人間じゃない」
「っ私は、ワルターの事本当に仲間だと…!」
「仲間だから、内のものを全て吐き出せると言うのか?」
ピクリ、と指先が揺れる。
体はこんなにも正直だ。
ワルターはこの数分…ううん、私と出会った年月の中で私と言う人間を分析したのだろう。
私が、仲間に隠し事をする人間だと言う事を。
だからこうやって言葉巧みに丸め込めば、もう何も言えなくなると分かっているんだ。
「お前の仲間と言う定義がそれならばお前の感情を吐き出せ。今すぐ、ここでだ」
「っ…!」
「出来ないなら、俺のやっている事にいちいち干渉するな」
ワルターのその言葉に私は何も言い返す事が出来なかった。
「臆病者で、柔弱で、一人でいる事も出来ないお前に、一体何を頼れる。
今のお前に、俺の言う事が聞けると言うのか?」
気怠く言葉を放ったワルターは壁に寄りかかり重たい息を吐くと
静かに目を瞑り、そのまま眠りにつこうとする。
痛々しい程に赤く染まった腹部を押さえながら。
「っ分かんないよ…」
掠れた声が喉から漏れた。
ワルターは私の声に反応し、目を開く。
だけど決して何かを言い返してくる事はない。
ただシーツを握り締め震える私を見て、目を細めただけだった。
「私だって、言いたい事たくさんある…!」
シーツに透明の染みが浮かぶ。
手に落ちたそれを見て、自分の涙と言う事を理解するのにそれ程時間はかからない。
「でも、もし全部言ったら、全部吐き出したら
それすらも利用されるかもしれないんだよ…!」
「自分が誰かに甘えたら、世界が壊れるかもしれないのにっ…」
「そんなの分かったら、何も言えないに決まってるッ!!」
私は、世界を滅ぼそうとしている奴の仲間なんだ。
無意識の内に出来上がったその契約を前に
私は正しい行動が何なのか把握出来ていない。
何が世界を守る為の行動で、何が世界を壊すための行動なのかも分からないなら
何もしないのが正解なのだ。
「……」
「気味悪いとでも思ってんの…!?」
何も言い返してこないワルターに向けて、私は嘲笑にも似た笑みを零した。
それはワルターにではなく、自分自身に向けてのものなのかもしれない。
「私がワルターに触っただけで、もしかしたら世界がなくなるかもしれない」
「私の体も心も全部利用されてるかもしれない…!」
「なら何も考えずに、一人でじっとしてるのが正しいんだ…
これで皆を傷付けなくて済むんだから…!」
吠える私を、ワルターはただ黙って見つめていた。
月に照らされた蒼い瞳はまるで海面のようでだった。
ワルターはいつも、全てを包み込んでくれるような綺麗な瞳で私を見る。
やめてよ、そんな事錯覚したくないと思っても、決してその態度を変えない。
だからだ。
皆の前で言えなかった事が、締めていた喉から溢れてしまったのは。
「っ私は…いつか皆を殺しちゃうんだよ…!」
「…何…?」
「笑いながら殺すんだよ!」
「どんなに悲鳴が聞こえても、どんなに皆から血が流れても!
それを楽しそうに見て私は笑ってる!!」
今でもまだ思い出せる。
倒れている仲間達を見て、高々と笑い声を上げて
それでも物足りない、もっと人を殺さなきゃって
そう言いながら血を舐めた私の姿。
「だから絶対に霧に関わっちゃいけない…!もう皆とはいられない…!」
「私は、一人でいる…!皆に嫌われても、一人でいる…!」
「皆を殺しちゃうくらいなら…!」と言いながら、私は痛いくらいに拳を握った。
まるで自分の中に二つの心があるようだ。
「一人でいる」と決めたはずなのに、拒絶するもう一つの心。
それは「一人でいれる程強くない」、と泣き叫ぶ。
「…何で、私なんだよ…」
私は皆に全てを打ち明けられる程強くない。
「何でっ…こんな未来なんだよ…ッ!」
とても弱く、脆い人間で。
止まらない嗚咽の隙間から出てきた言葉は
今まで抑えてきた感情そのものだった。
「ッ誰でもいいから、助けてよ!!」
嗚咽を混ぜながら助けを求めた少女の言葉に
何を思ったか自分でも分からない。
痛む腹を押さえていた手を少女の肩に伸ばし、気が付いたら強く強く抱き締めていた。
こうしないと、少女が何処かへ消えてしまいそうだと思ったのだ。
「…もう、良い」
今まで出した事もない優しい声色に、自分自身動揺を隠せなかった。
いつから、自分はこんな優しい人間になったのだろう。
だけどこれで目の前の少女を救えるなら
自分らしさを捨てても良いと、そう思えた。
「っワルターは…!」
俺の胸の中で、は俺の名前を呼んだ。
「ワルターは、いなかった…!」
何処に?
そう言わずとも、答えはの口から溢れ出る。
「私が皆を傷付けて、壊して、笑ってる時、ワルターはそこにいなかったんだよ…!!」
震える小さな手をゆっくりと握る。
それを合図にしたかのように
の泣き声は、更に大きな物へと変わった。
「だから、ワルターは殺さなくて済んだ!
もしかしたら、ワルターが私を止めに来てくれるかもしれないって思った…!」
こんなになるまで我慢する必要が、こいつにはあったのだろうか。
まだ幼い少女に、これ程の重い運命を背負う必要が、あったのだろうか。
ただ泣きじゃくるその姿は何処にでもいる普通の少女であるはずなのに
“特別”だと言う扱いをしていた自分を責めた。
「未来を見た時、ワルターが来てくれるのを、ずっと待ってたっ…!」
“待ってた”。
その一言が、酷く心に突き刺さる。
打ち捨てられた地へ向かう事を我侭に拒んでいた自分が
今更ながら、とても恥ずかしいと感じた。
忌々しい地だと分かっていても、についていくべきだったのだ。
彼女が本当に大事ならば、自分自身の手で守るべきだった。
こうなる前に、この体を抱き締めてやるべきだったんだ。
「助けてよッ!!」
「…」
「助けに来て…欲しかったよ…!」
「…すまない」
「ッ…今、助けて…」
「私が、皆を傷付ける前に、今…助けて…!」
「私を、殺してよ…!!」
考える事が苦手な少女が、必死に考えた結果。
自分が大切な者を殺す時が来る前に、自分が消えてしまおう。
あまりにも単純で、誰もが思いつきそうな少女の儚い願い。
…また、は俺に傷付けられる事を望むのか。
「…殺さない」
胸の中で泣いていた少女の体がビクリと跳ねる。
「どうして?」と言いたげなその瞳を見て
俺はただ自らの意思での頬を触る。
決して傷付ける為ではなく、ただ子をあやすように。
「ワルターは未来でも助けてくれなかった…」
「…」
「待ってたのに、来てくれなかった…」
「…」
「なのに、今の私すら助けてくれないの…?」
瞳の色が違う。
漆黒を通り過ぎた、どす黒い色だ。
似合わない、これはの色じゃない。
「…どうしてそんな未来になったのか、自分で考えてみろ」
きつい言い方かもしれないが、今のにはこのくらいの言葉でなければ通じない。
「操られてると思うな。利用されてると思うな」
「っ…」
「そう思うから利用されるんだ」
ゆっくりと、なるべく間を置き、言葉一つ一つを理解させるように音を紡ぐ。
はただ無言で俺の言葉を聞いていた。
「利用されている、自分がいけない…そう思うからお前は臆病になり、弱くなる。
それでは相手の思うツボだ」
喋りすぎたせいか、血が止まらない。
それでも、今この場で表情を崩したら
こいつは本当に死んでしまう。
今の傍にいてやれるのは俺だけだ。
それは俺の誇りなのだ。
たった一つ、その想いだけで口を動かす。
「弱いお前の未来が、セネル達を殺す未来であるのなら
強いお前の未来は、違う物になる」
「未来は一つじゃない…俺にそう教えたのはお前だろう?」
名前を呼び、その髪に手を絡ませてゆっくりと微笑む。
どす黒い瞳に光が戻り、少女らしい表情を徐々にだが取り戻し始めた。
「復讐する為だけに、メルネスに仕える為だけに生きていた俺に
別の道を教えたのは…お前だ」
「あの頃のお前に戻れ…そうすれば、そんな未来はなくなる」
戸惑いを見せるその目はとても人間らしく
先程の、生気のない瞳とは程遠い。
「…でも、私は…」
「?」
「強くない…そんなに、強くなれない…」
悉く言葉を否定された事に多少の怒りを覚えた。
俺の言った事を一つも理解が出来ないのかと。
だけど少女に悪気はないのだ。
俺は怒りを抑え、再び言葉を紡ぎ出す。
一人の人間に対し、ここまで必死になれる事を自分自身が驚いていた。
「お前がそうなった時、傍には誰がいた」
「…」
「俺じゃないだろう」
そう。
こいつが頼りにしてるのは、俺なんかではない。
「俺はお前みたいな臆病者を励ますつもりも、救い、殺すつもりもない」
「お前が弱くなった時、傍にいたのは…あいつ等だろう?」
輪の中に入ろうとは思わない。
あいつ等と手を繋ごうとも思わない。
ただ、こいつを、を慰めるのはあいつ等の専門分野だ。
俺には、それを思い出させる事しか出来ない。
「セネル達の…事…?」
途切れ途切れの言葉に頷きを返す。
強く、はっきりと、誤解を生まぬように。
「明日、全てを話せ」
「…で、も…」
「心配するな」
小さな体をぎゅっと、更に強く抱き締める。
その不安を、全て吸い取ってやろうと思うぐらいに。
「あいつ等は、お前を拒絶したりはしない…そうだろう?」
「…分かん…ない…」
「…もし…もし縁を切られたら、俺の所へ来い」
「その時は未来で救えなかったお前を、必ず救ってやる」
最も、あいつ等がを突き放すなんて有り得ない事だ。
だから“もし”の話だ。
もしが一人になったら俺が共にいよう。
何年、何十年、死ぬまでずっと。
俺がそうしてもらったように、今度は俺がお前の傍にだ。
「約束だ」
そう言って、自らの小指を差し出した。
おずおずと、少女の小指が絡みつく。
何回か上下へ揺れた手は、ゆっくりと、どちらからとも言わず離れた。
「、強くなれ」
「お前の未来が何であっても、色のない、光のない未来でもずっとずっと笑っていろ」
「泣くな、前を見ろ」
「笑顔を絶やさず、前を見て、あいつ等に全てを話せ」
「それが今、お前のやるべき事だ」
少女はゆっくりと頷き、俺の背中に手を回す。
「…ん」
「?」
くっついていた体が離れたと同時、は再び俺の前に小指を突き出す。
つい先程終わったはずの指切りを再び強要したのだ。
「今のも、約束にして」
「…?」
「私、ワルターとの約束だったら、守れる自信あるんだ」
「私、笑って話すよ…皆に全部」
「だから、ワルターもずっと笑ってて?」
そう言って俺の小指を無理矢理取るの表情は
少しぎこちなかったが、久しぶりに見た本物の笑顔だった。
あぁ、約束しよう。
例え最期の時が訪れても、お前の前では、必ず笑顔で―――…。
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修正:14/01/06