ピクリと、相手の指先が動く。

ああ、神様でも動揺するんだと
私は不思議と落ち着いた気持ちで状況を見つめていた。

私、性格悪いんだろうな。
目の前の相手が動揺してる、それが何だかとてつもなく面白い。





「どうしてかは知らないけど、この子がすっごくすっごく大切なんでしょ?」





ぐっと手に力を入れれば、首筋に生暖かい液体が伝う。

皮一枚切っただけ。
余裕で耐えれる痛みだった。

こんなの、今まで負った痛みに比べれば屁でもない。





「今も昔も、アンタは破壊の少女に執着してる」
「…」
「別にアンタなら一人でも世界を壊す事が出来るのに、何でそんなにこだわるのかな?」
「…何が言いたい、人の子よ」
「別に?深い意味はないけどさ…」





「取引、しない?」





返事は無言。





「アンタだけ私を利用してるってのは不公平じゃん」
「…契約を交わしているのは子ではない」





これは自分と破壊の少女の契約だ。
だからお前は関係ない…口を出すなって?

そんなんで納得すると思わないで欲しいんだけどな。





「私はその契約主を、殺せるんだよね」





誰に止められる事もない。
自分の体を壊せば、中にいる少女の存在も壊れる。

その事実に気付いたのか、シュヴァルツは眉を顰めた。
明らかに動揺している。





「子は臆病だ…自分の手で命を散らす事など出来ぬ」
「死ねる勇気なんてない?そんな訳ないじゃん」





「今までアンタのせいで、死ぬ事よりも辛い経験してきたんだから」

「今更怖がる事なんて一つもない」

「アンタなんかに利用されてる体なんて、いらないよ」





時が止まり、風も止まり。
熱さも感じず、寒さも感じず。

緊迫した空間に流れる静寂。





「…破壊の少女、大切なんでしょ?いいの?殺しちゃうよ?」





そう言って短剣を滑らかに動かす。
切り傷からは更に血が溢れ、白い服をジワリと染めた。

私、何でこんなに落ち着いているんだろう。
自分自身でも分からなかった。

だけど相手がこれで折れる、と言う確かな自信があったんだ。





「…何が望みだ」





交渉成立。
私はニヤリと笑い、首筋から短剣を離し血の付いた刃を勢い良く振る。





「霧に食われない体を頂戴」





無表情の女に、私はたった一つ条件を突きつけた。
女は何の変化も見せず、私をただ、仮面の奥からジッと見つめる。





「アンタの力なら何でも出来るんでしょ?
 “霧に呑み込まれても狂わない体”になりたいって言ってるの」





静の大地で皆と話し合っていた時、私は未来を変える方法を見つけた。

未来の私が皆を傷付けたのは、霧に呑み込まれたから。
霧に耐えられる体があれば、あんな未来になる事はない。

霧を吸い込める力を私に与えたのが目の前にいる女であるなら
その力に抵抗出来る体も作れるはずだ。





「霧に押し潰されて、狂うような体はいらない。
 私が欲しいのは霧に感染されない体なの」





ここで「そんな事出来ない」なんて言われたら
私の希望もなくなっちゃうけど、有り得るはずがない。

ここにいる奴は、桁外れの力を使い
私たち人類には想像も出来ないような事を易々とやってのけるんだから。





「ねえ、くれなきゃこの子はあげないよ?」





沈黙の後、女は行動に出る。

フワリと飛び、女は音も立てずに私へと近付いた。

近くで見ると女はかなりの長身だ。
まるで見下されているみたいだと、相手を睨む。





「…忘れるな」





イエスでもノーでもない返事に首を傾げた。
私が「どう言う事?」と聞く間もなく女は言葉を続ける。





「我が子に力を与える…それは我と子が同一の存在になると言う事だ」





言葉の意味が分からず、眉を顰めた。





「契約を交わそう、人の子よ」
「ちょっ、待ってよ…さっきのどう言う意味!?」





女は私の声を無視し、手を翳す。
傷一つないその手が私の額に触れた時、心臓が驚く程飛び跳ねた。

視界いっぱいに広がる闇。
黒い霧に混ざった、赤い斑点。

それは相手の掌から私の額へと流れ
額から脳へ、プツプツと何かを埋め込まれているようだった。

…気持ち悪い。






「ッちゃんと言ってからやれよ!!」





余りの違和感に耐えきれず、叫び、相手をどかそうと手を払う。
だが、払った手は音も立てず空を切った。





「っ…いな、い…?」





つい、本当についさっきまで私の額を触っていた女が何処にもいない。

気が付けば空や建物の色も戻っていて
石像のように動かなかった水の民は殺気を放ち、武器を構えている。

いつの間にか自分が知っている世界に戻ってきているようだ。





「待っていたよ、破壊の少女」





何だか聞いた事のある台詞。
きっとアイツが少しだけ時間を巻き戻したせいだろう。

そんな事も出来るのか…と多少の感動を覚えたと共に
また仕切り直しか・・・なんて心の中で溜め息を吐く。





「歓迎どーも」





面倒臭いと言わんばかりの気怠い声を出し髪を掻き砂を蹴る。
挑発しているつもりはなかったけど、多分相手は腹立たしいと感じていただろう。


…それよりも、さっきので大丈夫だったの…?


相変わらず私は里の中に充満する霧を吸っているし
体に入っていく霧の量も変わっていない。

本当にあんな短時間で霧に耐えられる体を手に入れたの?
不安はいっぱいあったけど、相手が嘘を吐いていたらきっとすぐに分かるだろう。





「この前訪れた時に忘れ物でもしたのかな?一人で来るなんて珍しいじゃないか」





…そうだ。

今は自分の体を心配している場合じゃない。
もっともっと大事な用があるんだ。





「うん、ちょっと用事がねー」
「何事かね?」
「またまた、聞かなくても分かってるくせに」





ゆっくりと杖を構え、逆の手で短剣を取り
私を睨んでくる水の民全員に挑発的な笑みを見せつけてやった。





「私の部下、知らない?」
「部下?…あぁ、ワルターか」
「ここでいじめられてるって話を聞いたんだけど」





誰からも答えは返ってこない。
だけど、黙っているって事はほぼ肯定に等しいだろう。





「なんだかお世話になったみたいだし、私もお世話になったしさあ…」

「もう、容赦しないからッ!」





戦いの始まりを告げたのは、私自身の声。
もう、絶対に負けたりはしない。















静寂の中、時を刻む針の音だけがリビングに響く。

ゆっくりとカップに口を付け、暖かいミルクを少量含む。
そんなテューラの行動を、誰もがじっと見つめていた。





「あの伝言を頼まれた日から、長はおかしいんです…」





コトリ、と音を立てカップを置く。
それ以外は本当に、吐息すらも聞こえない静けさ。

そんな中、テューラは再び口を動かした。





「優しい笑顔を見せていたと思えば姿を消して
 あの人を閉じ込めていた部屋で、ブツブツ何かを言っているんです…。
 そして、狂ったように、まるで魔物のような笑い声を…」





余程恐ろしいものを見たのか、テューラの体は震えている。

今まで信頼していた者が豹変したのだ。
誰だって震えたくもなるだろう。





「…長は破壊の少女が陸の民になるのをとても嫌がっていました。
 話し合いが終わり、皆さんが帰った後から独り言も多くなって
 目障りだ、死ねばいい、と何度も口にしていました…」





テューラの言葉を聞き、シャーリィは無意識に首を振る。
「あのマウリッツさんが…」と小さく声を漏らすと、自らの口を両手で覆った。

シャーリィもマウリッツの事を深く信頼していた。
一族をまとめるその姿に憧れさえ抱いていただろう。

そんなシャーリィの態度に気付きながらも
テューラは拳を握り、俯きながら言葉を吐き出した。





「長があの人を殺すと言ったその日から、里の皆もどんどんおかしくなっていった…!
 明るい笑顔もなくなって、次第に皆やつれていって…!」





ポツリと、暖かいミルクの上に透明な雫が落ちた。





「ワルターさんは、そんな長を止めようと…あの人を守ろうと、
 一人で何人もの水の民を相手にしていた…!」





本人にも涙の止め方が分からないのだろう。
次第に雫の数は多くなり、テーブルの上を濡らしていく。





「それでも、ワルターさんは絶対に皆を殺さなかった!」

「自分がどんなに傷付けられても、どんなに血を流そうとも
 殺さずに、気絶させるだけで…だから、ワルターさんは…!」





だからワルターは置き手紙を残し、の前から消えていたのか。
誰もがその真実に納得し、そして動揺する。





「…どうする」
「どうするって…」
「もしテューラさんの言う通り、相手の目的がさんの殺害なら…」





そこにいる誰もが最悪の結末を予測し、大きく目を見開いた。





「っワルターが既に動けない状況なら、だけであの人数は…!」
「確実に無理でしょうね」





ジェイの言葉を聞き、皆は慌てて武器を持ち外への扉を開けようとした。
だけどそれを止めたのは、意外にも冷静であったセネルだった。





「俺は…を信じて待つ」





妙に落ち着いた声、だけど芯は酷く震えている。

「どうして」と言いたげな仲間達の視線がセネルに集まる。
セネルはゆっくりと顔を上げると仲間一人一人を見つめた。





「“一人がいい”って言ったのはだ…」
「だが、それでもし万が一の事があったら…!」
「……朝まで待って、帰ってこなかったら…」





「朝まで帰ってこなかったら、行ってみよう。…それじゃ、遅いか…?」





どうしてそこまで、と思う者もいるだろう。

だけどセネルは何処かで感じているのだ。

が一人になりたいと思ったのは自分一人で手柄を立てたい訳じゃない。
きっと、仲間に見られたくない姿があるからだろう、と。

納得のいかない者もセネルの瞳を見て反論する事が出来なかった。
互いに顔を見合わせ、一つ頷くと、皆は再びリビングの中央へと集まった。





「…分かった」





部屋に響く針の音は、朝までに後何回鳴るのだろうか。
そればかりを考え、仲間達はただその場で日が昇るのを待ち続けた。

出来ればがこの扉を開け、笑顔で帰ってきてくれればと思いながら。















荒い息。
血が潤滑油のような働きをし、私の手からズルリと短剣が落ちる。

水の民の、苦しそうに唸る声が何重にも聞こえる。

カタカタと震え出す自分の手。
その震えを止めたくて、強く強く拳を握った。

私が、私が全員傷付けた。
それでも、この現実から逃げちゃいけない。

込み上げる吐き気を抑え、ゆっくりと顔を上げる。
そして唯一、未だ無傷でその場に立つ男―――…





「…で、アンタだけだけど?」





…―――悪の親玉へと笑みを向けた。









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修正:14/01/07