心地良い朝の風が頬を掠める。

揺れるカーテンを視界に入れ、
陽の眩しさに目を細めれば強い力で肩を掴まれた。





「おい!早く起きろ!!」





この声は、ウィルだ。
そしてここは多分、居間のソファ。

昨夜墓地から戻って、そのまま寝てしまったのだろうか。
記憶が途切れる程の深い眠りについていたみたい。





「エルザの容態がまずい!」





ぼうっとする頭でそんな事を考えていれば
ウィルは一層力を込め私の体を揺する。

体に伝わる振動よりも、私はウィルの発した言葉で覚醒した。
あんなに眠かったのが不思議なくらい、勢い良く起き上がり外へと飛び出す。





「おい、荷物は持ってけ!」
「あ、うん!」
「あと服、折れてるぞ!」
「う、わ!部屋の中で言ってよ!」
「お前が飛び出したんだろう!」





短剣も杖も持たずに走り出す私を追うウィルの手からそれ等を受け取り
片手で乱れた髪を整え、もう片方の手では折れたスカートを直し走った。















「エルザ!」





病院の扉を開け放つと同時、その名前を叫ぶ。

シン…と静まり返ったロビーに私の声が木霊し
中にいた仲間達は一斉に振り返り、そして溜め息を吐いた。





「エルザさんなら上ですよ。容態の悪い人がロビーにいるはずないじゃないですか」





呆れた物言いで話すジェイの姿を見て、焦る気持ちが薄れていく。

辺りにいる街の人に小さく頭を下げ、仲間の輪に加わり息を整えた。
周りからの視線は相も変わらず酷い物だが、今は文句を言っている場合ではない。





「オルコットさん、エルザは…」
「…普段飲んでいる薬ではもう間に合わない。昨日の無理が体に堪えたのだろう…」





冷静な声色とは別に震える程強く拳を握り締めるオルコットさん。

実の娘の容態が思わしくないのだ。
私がオルコットさんの立場なら確実に取り乱している。
そう思うとこの人はやはり立派な人なのだと感じた。





「病気を根源から絶つ事が出来れば…」





もう打つ手はないのかと俯く私達の耳に
ポツリと零れたオルコットさんの声が届く。






「病気を治す薬があるんですか?」
「あぁ」
「そうならそうって先に言ってよ〜!!」





安堵から変なテンションで地団駄を踏むノーマに住民からの視線が集まる。
だけどノーマはそれすら気付かない程安堵しているようだ。
まだ本題に入っていないにも関わらず、頬が緩み肩の力が抜けている。





「だが、調合する事は可能でもまだ材料が足りない。
 最近は魔物の凶暴化もあって、中々採りに行けなくてな…」

「なら必要な物を教えてくれ。私が採りに行く」





オルコットさんの言葉の後、続けて聞こえたのはクロエの声だった。

クロエの様子はいつもと変わらない。
しゃんとしていて、真っ直ぐに前を見る姿は昨日から想像もつかなかった。





「しかし、それでは君達を危険な目に遭わせる事に…」
「俺達の心配は良い。今はエルザの事だけを考えるべきだ」
「そうだよ。皆早くエルザに治って欲しいって思ってるんだから!」
「…すまない、ありがとう」





深々と頭を下げた後、オルコットさんは私達の目を順番に見た。
そして皆が同じ気持ちだと言う事が分かると一つ頷き、ゆっくりと口を開く。





「必要な物は“クモのマユ”と“帰らず草”の二つだ。
 クモのマユは地のモニュメントにいるマユを作る習性を持つクモから。
 そして帰らず草はその名の示すように、帰らずの森にある」





オルコットさんの言う二つの場所はどちらとも危険な場所だ。
だけど私達は両方ともに行った事がある。

経験から推測し、問題ないと察したのかセネルとウィルが口を開いた。





「二手に分かれよう。俺達は地のモニュメントでクモのマユを探す」
「その習性を持つクモの容姿ぐらいは俺にも分かる。こちらは任せてくれ」
「ならば帰らず草は私が採りに行こう」





話がまとまると皆は武器を持ち、準備が出来た者から病院を後にする。
これ以上ここにいるのは時間の無駄だと、私も皆の後を追った。





「俺も行く」





カタンと音を立て、もたれ掛かっていた壁から体を離す青年を見て
私は失礼な事に「いたんだ」と思ってしまった。





「え?」
「…何だ」
「ワ、ワルター行くの?」





失礼だとは思いながら、聞かずにはいられない。

私の反応が予想外だったのだろう、
ワルターは眉間に皺を寄せ何とも機嫌の悪そうな顔をする。





「だ、だって場所聞いてた?地のモニュメントだよ?」
「分かっている」
「…打ち捨てられた地だよ?」
「五月蠅い、ごちゃごちゃ言うな」





五月蠅いって、アンタが今まで散々嫌がったから聞いたのに、と口を開こうとすれば
ワルターは誰よりも先に病院を出る。





「お前は行くんだろ」
「え…あ、勿論」
「なら問題はない」





そう言って私の視界から消えた背中を見て、何も言う事が出来なかった。

ただ一つ分かったのは
ワルターが私の為に、今まで酷く嫌がっていた静の大地へ足を踏み入れてくれる。

それだけ分かればもう充分だ。





「私も出発するよ…お互い、戻ったら病院に集合しよう」
「オルコットさん」
「?」
「気を付けて」





自分自身、何でこんな事を言ったのか分からない。

ただ単にオルコットさんの身を案じてと言う気持ちもあったけど
何故か心配とは別の、冷たい気持ちもあった。





「…君も」





そう言って笑ったオルコットさんの瞳は、蛇のように鋭かった。
…まるで、もう覚悟を決めたみたいに。















「ほら、あの子よあの子…ヴァレンス家の現当主」

「本当に子供なんだな。ヴァレンス家は大丈夫なのか?
 俺ならあの家には仕えたくないけどな」

「そんなこと言ったら可哀想よ。頑張ってるんだから。
 ほら、背伸びしてるのが何だか可愛らしいじゃない?」

「まるで、おままごとじゃないか」



「ヴァレンス家のお取り潰しが決まったそうですよ」

「所詮、子供が当主ではな。こうなると思っていたよ」

「歴史あるヴァレンス家も、幕切れは呆気ないものですわね」



「私のせいじゃない…私は頑張ってきたもの…」

「みんな、うるさい!みんな、うるさいよ!」



「父様が死んだのも、母様が死んだのも、私のせいじゃない!」

「全部、全部、アイツが悪い…あの男が全てを奪った…」



「許さない…許さない…私は許さない…」





「こんな思いをさせたあの男を、私は絶対に許さない…!」





静かすぎる大地。

波が、私を憐れむよう揺れている。
憐れむばかりで、手を差し伸べてはくれない世界。





「…あの日、私は決めたんだ。憎しみを心に刻み付けたんだ…」

「挫けぬように、忘れぬように…けど、私は…殺したい訳じゃない」

「ましてや、を…この手で殺めるなど、したくないっ…」

「だけど、だけど私は…」





波に言の葉を乗せても返事はない。
海は慰めもせず、戒めもしない。

私が何を言っても、誰も救ってはくれないのだ。





「クロエー!早くしないと皆行っちゃうよー!」





波の音に紛れて聞こえたのは、明るいの声だ。
子供の頃、私がずっとずっと待っていた、救いの声だ。

脳裏に蘇るのは昨夜の出来事。





「私一人で暴れるから」





昨夜のやり取りで、がどうしてあんな事を言ったのかは分からない。

出来る事なら抹消したい程、私はの前で恥を晒した。
ならばあれは同情だったのだろうか、だけども彼女の本心を聞く事すら億劫だ。





「あぁ、今行く!」





私はに短く言葉を返し、決意を鈍らせる気持ちを全て振り払った。





「…今は、エルザのためだけを考えよう」





そう自分に言い聞かせ。















「気合いれてクモ探すぞー!!」





モニュメントに入ってすぐ、私は大声を上げ走り出す。
制止の声も振り解き、暖かく穏やかな風をその身に浴びる。

ああ、こりゃクモも居座りたくなるわ、と呑気な事を考えていれば
背中に強い衝撃を受け足が縺れた。





「オウ!ワイも行くぞ!」
「おうおう!ついてこーい!」
「クカカ!の元気をエルザの嬢ちゃんにも分けてやりたいのう!」
「あ、それ私も思う!」





早く、エルザにも元気になってもらいたい。
そしたらまたたくさん喋って、私も元気をもらうんだ。





「ワイ等が絶対治すんじゃ!」





モーゼスも私と同じ気持ちなのだろうか。
歩幅も速さも違うけど、一緒に走る事をこんなに気持ち良いと感じた事はない。





「…ねぇ、ウィルっち」
「……何だ?」
「そのマユ作るクモって、あの二人だけでも倒せる相手な訳?」





前方を指差すノーマにウィルは大きな溜め息を吐く。
そして頭を抱えながらゆっくりと口を開いた。





「比較的大人しいダラダンチュラの亜種だ…あの二人でも大丈夫だと思う、が…」





ああもう言いたくない、聞きたくない。
仲間達の内の声は皆同じものだっただろう。





「…アイツ等は目的の魔物が温厚な性格だと分かっていない。
 つまり、調子に乗って攻撃するのはほぼ確実」

「また珍しく数も少ない魔物で、警戒心が強い。
 もしその亜種がいるならば、場所は最奥だ。
 …中衛のアイツ等じゃ道中にいる魔物にやられるな」





冷静な解説をするウィルに仲間達は立ち尽くす事数秒。
沈黙を破ったのはまたもやノーマだった。





「それって早く追わなきゃヤバイじゃん!!」





至極当たり前の事を言うノーマに石化していた仲間達はハッと我に返る。
そして姿が小さくなった二人の後を凄まじい勢いで追いかけた。





「何で誰も止めなかったんですか!」
「そう言うジェージェーも突っ立ったまんまだったでしょ〜!」
「良いから早く行くぞ!エルザの事も心配だけどあの二人も心配だ!心配すぎる!!」










そんな仲間達から見て遠い場所、モニュメント内部で私達は爆走中。





「インディグネイションッ!!」
「烈空!」





降り注ぐ雷に痺れた魔物へと、一直線に槍が飛ぶ。

更にもう一本、追い討ちをかける槍が魔物に刺されば
辺りは再び穏やかな空気に包まれた。





「中衛組最高ー!」
「ワイ等は無敵じゃあ!!」





動かなくなった魔物は塵となり空へ消える。

モニュメント内に生息している魔物を倒す事に抵抗はあるけども
先へ進む為には仕方がない。

それに、気付いていないかもしれないけど。





「どがあした?」





モーゼスは私に止めを刺させない。

私が杖を振るタイミング、短剣を投げるタイミングを見透かしているみたいに
それよりも早く、強く槍を投げるのだ。

この男が?なんて、私が一番思ってる。
だけどモーゼスが優しい、と言うのも本当だ。





「ありがとうって言うべき?気が付かないでいるべき?」
「何がじゃ」
「…ううん、何でも!」





今の言い方で良く分かった、多分モーゼスは無意識だ。
なら私から言う事も特にない。有難く甘えさせてもらう事にしよう。





「この調子でどんどん進むぞー!」
「オウ!」





高々と手を上げて走り出し、地面とぶつかる靴の音がリズム良く鳴る。





「何じゃか、今日のはパワフルじゃのう!!」





モーゼスは息切れもせず、余裕の笑顔を見せながらそう言った。
軽やかに走る彼の姿を見ながら、私も置いていかれないよう足を動かしつつ喋る。





「こっちのが私らしいでしょ!」





モーゼスは一瞬きょとんとした表情を浮かべたけど、
すぐに歯を見せ二カッと笑った。





「オウ!それでこそじゃ!」





わしゃわしゃと髪を撫でるモーゼスの手は乱暴だったけど
私はその言葉とぬくもりに胸を熱くする。

私、ちゃんと自分がなりたかった私になれている気がする。
このまま皆と一緒にいれば、未来の私も、今の私のままでいられるんだ。

モーゼスはそれをたった一言で私に教えてくれた。





「モーゼスも元気な方がモーゼスらしいよ!」
「アホか!ワイはいつだって元気じゃ!」
「さぁ、どうだか!」





強気に笑う私の横でモーゼスがどんな表情をしていたのかは分からない。





「なくなっても、が慰めてくれるじゃろ?」





風が変わった気がした。

微笑むモーゼスの横顔を無言で見つめる。
沈黙が流れた事に不安を感じたのか、モーゼスは私に視線を合わせた。





「何じゃ?慰めてくれんのか」
「まさか!ただ、もっと『なんじゃとー!』って言い返してくるかと思って…」
「クカカ!の中のワイはいつもそんなに明るいんか?」
「あ、明るいよ!」





「だって本当に明るいじゃん!」って言うとモーゼスは笑った。
いつも見る、太陽みたいな底抜けに明るい笑顔だ。





「だとしたら、それはのお陰じゃ」
「?」
「家族と一緒に走ると気持ちええ!嫌な事も吹っ飛ぶ!」





言われてみればそうだ。

頬を掠る穏やかな風を気持ち良いと感じるのは気候の問題だけじゃない。
隣に、こうして笑い合える仲間がいるからだ。





「…そうだね」





この気持ち、クロエにも知って欲しい。





「私、いつでも走るよ!」
「?」
「皆の為なら何でもする!」





「そしたら、皆の嫌な事も吹っ飛ばせるよね?」と笑う私を見て
モーゼスは強く頷き「オウ」と言った。

モーゼスの事だから大した根拠はないのだろう。
それでもモーゼスは「なら何でも出来る」と胸を張って言ってくれる。

だから私も胸を張ってこう言うんだ。
“クロエには、もっと幸せになる権利がある”って。










「やっと追いついた…!」
「あ、皆」
「オウ、遅いぞ!しゃきっとせんかい!」
「普段遅れを取ってる人に言われると、無性に腹立たしいですね…!」





後ろから追いかけてくる仲間達の息が珍しく上がっている。
いつも冷静なジェイですら、その額にうっすらと汗を浮かべていた。

そんな姿の彼を見て、勝ち負けを争っていた訳ではないがニヤリと笑う。
笑う私達を見てジェイが大きな舌打ちをしたのは言うまでもない。





「お前達!良く聞け!俺等が探している魔物は温厚で大人しい性格だ!
 だからお前達がそうやって騒いでいると―――…」





ああ、またお説教だと思い覚悟を決めたものの、
ウィルの言葉は話の途中で途切れてしまう。

何事かと首を傾げたと同時、ザワザワと胸騒ぎがした。





「ちょっとウィルっち!目的の魔物ってあれ!?普通にいるじゃん!」
「どうやら自分勝手な誰かさんのせいで随分警戒しているようですね」
「見つけるのが目的だったんでしょ?なら結果オーライじゃん!」





眼前まで迫る巨大なクモは私達に殺気を放ちその足を動かす。
私は普段温厚であるはずのその魔物に短剣を向けた。





「それより、問題はクモじゃないよ」
「?」
「すぐ近くに霧がいる」





この場合、“いる”と言う表現は間違っているかもしれない。
だけど私にとって霧は人と同様の気配を放ち、存在しているものだ。

それに、今回の霧は私が吸い取れるものじゃない。

ふわふわと浮き、空気を黒く染めたと思えば、凝縮し一匹の魔物へと変わった。
きっとこの時初めて、仲間達は私の言った“いる”の意味が分かっただろう。





「あっちゃ〜、丸っこくなっちゃったよ」
「皆、気をつけろ!」





融合を始める魔物を見、セネルは一目散に駆け出した。
その後を追うようクロエとジェイ、そしてワルターも走り出す。

融合した魔物から放たれる霧は徐々に濃くなり私達の視界を遮った。





「ブリザード!」





吹雪は霧を掃い、魔物を襲い、怯んだ所で前衛が一気に叩いた。

霧の影響か、それとも自身の気持ちのせいか
クロエは霧に囲まれると一瞬怯えた表情に変わり、我武者羅に空を斬る。

額には汗が浮かび、喉が渇くのかやけに空気を飲み込んでいた。

霧の影響で起こる状態異常を回復する手段はない。
どんだけ治癒のブレスをかけても、それは気持ちにまで影響しないだろう。

だからこそ、ブレスよりも先に声が出たのだ。





「クロエ!エルザが待ってるよ!!」





ピクンと跳ねた手が剣を握り直し、再び相手に向かい走り出す。





「はああッ!!」





クロエは魔物へと、力強く剣を突き刺す。

剣の刺さった体からは赤黒い何かと霧が吹き出し
魔物は空気を揺らす程の叫び声を上げ、その場に倒れた。










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修正:14/01/08