急に降り出した雨が先程までの心地良さを奪う。
目の前に現れた男が、私を現実に連れ戻す。





「クーリッジ…」





男の名前を呼べば、近くにいた幼い自分は雨に流され消えていく。

クーリッジが私を探しに来てくれた。
そんな甘い現実を頭から振り払う。

私はもう覚悟した。
これ以上惑わされる事はない。

彼の横を通り過ぎ、私は墓地の出口を目指す。
否、正確には通り過ぎようとした、だ。





「何処に行くつもりだ?」





少し怒気の混ざる声に肩が跳ねた。
怖い、と思った訳ではない、ただ単に驚いたのだ。

クーリッジが何を考えているか分からず、心臓がドクドクと鳴る。





「誤魔化して済まそうなんて、考えてくれるなよ」
「…言っている意味が、分からない」
「オルコットさんの手紙に何が書かれていたんだ?」
「クーリッジには関係ない」





騙されるものか、例え好いてる異性の言葉であっても。
私は私の為にあの男を、をこの手にかけると決めたのだ。





「関係ないとか言うなよ!!」





肩を引き、クーリッジは私を真っ直ぐに見つめた。

肩を掴む暖かい手が、力強いその言葉が
私の弱い心を掴んで離さない。





「…私は、愚かだ」





ザアザアと降る雨に言葉を混ぜる。

冷えた体は目の前の男の体温を求めていた。
それが騎士として滑稽であり、愚かだった。





「お前達と馴れ合い、目的を見失っていた…」

「あれほど憎んでいたのに、その為に剣を握ったのに…私は、敵討ちを諦めていたんだ」

「スティングルに逃げられた後で、再び奴を探し出す気力などなかった…。
 父と母の墓前に立った時にも、昔のような憎しみを抱く事はなかった…」





全て本当の事だ。

クーリッジと出会って、皆と共に笑うようになってから、私は変わったのだ。
変わる事など、許されていなかったのに。





「このまま忘れられたはずなのに…なのにっ…!」
「両親の仇は目の前に姿を現した。スティングルではなく、オルコットとして」





私の言葉を代弁するクーリッジの声にカッと体が熱くなる。





「そうだ!腕の刺青を私は見てしまった!
 知ってしまった以上、平然と日々を過ごす事など出来ないッ!!」





現に、この数日間私は何を思っていた。
嫌だ嫌だと思いながらも、心の奥底では敵の血を求めていたではないか。





「っ一度でも意識してしまうとダメなんだ…。
 埋もれていた記憶が、鮮明に繰り返されていく…」

「憎しみが体を支配していくのを、黙って見ているしかないんだ!
 もう、この感情をどうすることも出来ない…!!」





この震えは雨が冷たいからじゃない。
思い出したくなかった過去が私に降り注ぎ、寂しさから震えるのだ。





「両親を殺されてから私の人生は悲惨な程に大きく変わった。
 最初は理不尽な悲しみに、泣いてるばかりだった…」

「だが、状況は甘えを許してくれはしない。
 ヴァレンス家の生き残りとして、その名に相応しい行動を周囲に示す必要があったんだ」

「だが、所詮は子供やる事。間違いなどいくらでもある。
 …お取り潰しが決まるまで、そう時間は掛からなかった…」





今でも何一つ忘れていない。
過去の鎖は私の心を縛り続けているのだ。

お前の暖かい手より、冷たい鎖が私を締め付け支配する。





「必死に守ろうとした家がなくなる事に、悲しみはなかった。
 正直、安心したくらいだ…これで周囲の声を気にしなくて良い…」

「私を引き取ってくれた家の人達は、皆、良い人ばかりだった。
 親切にしてくれたし、立場を理解して優しくもしてくれた」

「だが、その裏で私の事をどう呼んでいたのかも知っている…お人形の当主様だ」





驚き目を見開くお前に、私は壊れた人形の笑みを向ける。

あの時、こうやって私の言葉に本気で耳を傾けてくれる人がいたら変わっただろうか。
…いいや、今更考えても意味はない。もしの世界等、所詮無い物強請りなのだから。





「誰も私に家を守れるなどと、初めから思っていなかった。
 そして、その時に気が付いた」

「私は一生、クロエ・ヴァレンスなのだと」

「何処で何をしようとも、血と名の記憶からは逃れられない」





そう、国を離れ遺跡船へ戻っても。
アイツ等は私の立場を利用する。

断れないのを知っていて、無理難題の使命を与えるのだ。

何故、私なんだ。
何故私だけがこんな事を。

だけど、もう迷いはしない。
この復讐を、使命を機に、私は変わる。

変わらなければいけないのだ…あの子の為にも。





「手紙にはこう書かれていた…“覚悟あらば剣を手に、参られよ”」

「何処へ行くか、とさっき聞いたな。私は帰らずの森へ行く…あの男を殺す為だ!!」





殺気を混ぜた鋭い瞳をクーリッジへ向ける。
だけどもクーリッジは私の目を真っ直ぐと見、受け止めた。

怯んでいない…さすがだ。
そう思うと同時に、こんな事でムキになる相手を見下す自分もいる。





「お前、エルザの事はどうするつもりだ!俺達の事は、どうするつもりだった!?」

「黙って姿を消すつもりじゃないだろうな!?
 自分勝手で、我侭で…それこそ子供がする事だろうッ!?」





クーリッジの言っている事は正しい。
私はまだ子供なのだ。





「そうだ…私は子供だ。あの日から、あの時から…私の時間は止まってる」

「剣を手に取る覚悟を決めた時に、私の時間は止まったんだ」





柄を撫で、ゆっくりと、指一本一本を絡みつけるように掴む。
だけどそれ以上はしない。剣は抜かず、ただ相手の行動を待つだけ。





「底なしに込み上げる殺意は、こんなちっぽけな体には収まりきらない!
 お前に何を言われようと、されようと、私はただ剣を振るうしかないんだ!!」

「分かったならそこをどけ、クーリッジ!!」





吐き出した息が白い。
雨が冷たい、だけど体は熱い…まるで猛毒を受けているようだった。

広がる沈黙。
聞こえるのは雨の音と叫び疲れた私の息だけ。

そんな状況が数秒続いた後、バシャリ、と水を蹴る音が聞こえた。

クーリッジは私から視線を逸らさずに、一歩一歩近付いてくる。
「来るな」と叫んでも相手は私だけを見て、ただただ歩く。

その真っ直ぐすぎる瞳に、私は一歩も動く事が出来なかった。





「読め」





ドン、と胸の上に押し付けられたのは何の変哲もない一通の手紙だった。
ご丁寧に封までしてある…だけど差出人の名はない。





「これが、一体何だと―――…」
「いいから読め!」





乱暴なクーリッジの声に体がビクリと跳ねる。

今の私なら彼の言葉を無視し剣を振るう力があると言うのに
体は正直にクーリッジの言葉に従ってしまう。

ずるい、なんて思いながらも彼の言葉に逆らう事が出来ず
私はゆっくりと封を切った。





「…」





雨に濡れた紙面は所々文字が滲み読みにくかったが、これはジェイの文字だ。
かなり前に一度見ただけだが、その達筆さを私は覚えている。

間違いなくジェイの文字だ。
そう、ジェイの字のはずなのに…。





「…な…んだ、これ…は…」





震える唇でやっとの事紡いだ言葉は、私の気持ちそのものだった。
読み進める度に、私の口からは驚愕の声が漏れる。

容赦なく降る雨は手中の紙をどんどんと濡らしていく。
だけど、文字が滲み終わる前に、私は全てを読んでしまった。





「俺はそこに何て書いてあるか知らない」





目を見開く私に向かって、クーリッジが言葉を放つ。
近くにいるはずのクーリッジの声が、波を打ち不安定な物へとなって耳へと届いた。





「それはが、クロエに向けて書いた手紙だ」

「何が書いてあるかはしらないけど、俺には分かる。
 がお前の復讐に背中を押すはずがない」

はお前を一番分かってる、一番見てる…一番救いたいと思ってる」

「全部読んだなら、お前は今何をするべきなのか考えろ!!」





なんて、酷な言葉を放つのだろう。
クーリッジは私に決めろと言う。

仲間であり、殺すべき存在である少女の想い。
私はそれに気付いた時、雨に紛れ自らの目から雫を零した。





「私は…私はっ…!」





崩れそうになる体を震える足で必死に支え
水分を吸い原形を失くした手紙を絞るよう握り潰す。





「ッそこをどけ!クーリッジ!!」





手紙を読む前も、私は目の前の男に同じ言葉を放った。
だがクーリッジは先程とは違い、私に向けて笑顔を見せたのだ。





「お前のその瞳が見たかった」





そう言ってクーリッジは、私が駆ける為の道を作る。

私は今、一体どんな瞳をしているのだろうか。
きっとそれはクーリッジにしか分からないだろう。

ただ、私を今一番惑わしてるのはクーリッジではない。
…お前だ。





「さてと…皆も呼んでこないとな」





私が街を走り抜けている最中、一人墓地に残ったクーリッジが
ポツリと雨に流した言葉を、私は知らない。










クロエへ





クロエの剣は仲間を守る為、
たくさんの人を笑顔にする為、
世界を平和にする為にあるんだよ。

復讐だろうと、敵討ちだろうと、誰かの笑顔を壊す為にあるんじゃない。

クロエの綺麗な手は、汚れちゃいけない。
皆を守る為の剣を、血で錆びさせる訳にはいかない。


だから、未来の人殺しが代わりにやってあげる。
過去に人を殺した、破壊の少女が代わりにやってあげる。


軽々しく“殺す”なんて、口にしちゃいけないのは分かってる。

それでも、私の中では
“命は大切だ、壊しちゃいけない”

そんな事を、何千回、何万回、何億回言われても
“クロエが大事”
そっちの方が、しっくりくるの。

だから、もうクロエは復讐なんてしなくていいから。
クロエの想いは、全部私が持ってくから。

私、クロエの笑顔の為なら本当に何でも出来るよ。
だから私が帰ったら、ちゃんとクロエの笑顔を見せてね!





より










二日目の夜、私はただ我武者羅に走る。









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修正:14/01/08