森を抜け、久しく浴びていなかった太陽の光が体を射す。
夜が明ける程の長い間、私達は帰らずの森にいたらしい。





「はぁ…はぁ…うぅっ…!」





荒い呼吸にふと視線を移せば
苦痛に顔を歪め父親に肩を借りるエルザの姿があった。





「無理をさせすぎたか…」
「オルコット殿、早く薬を…!」





クロエはもう、オルコットさんをスティングルとして見る事はなかった。

エルザの、友達のお父さん。
きっと今はそう言う風にオルコットさんを慕っているだろう。





「皆には迷惑を掛けた。薬の調合は私に任せて、ゆっくり休んでくれ」





薬の調合で私達が役に立てる事はない。
気を遣わせるだけだし、逆に迷惑になるだけだ。

皆も同じ気持ちだろう、一つ頷くと病院へ向かう二人を見送り
姿が見えなくなるまで目で追った。





「…これで安心だね」





ホッと息を吐き、シャーリィは笑みを浮かべる。
私も本当に良かった、と胸を撫で下ろした。





「うんうん、そ〜だね!問題解決〜!」
「クロエもまた、元の生活に戻れるな」





セネルの優しい言葉にクロエは戸惑いながらも「うん」と言葉を返す。

…戸惑った…?

何だろう。
何だかもやもやする。





「ヨォオシ!話もまとまったところで、朝飯でも食うとするかの!」
「何を言っているんだ」





モーゼスに向かいジトッとした瞳を向けるクロエは、本当にいつも通りだ。
なのに、何が引っ掛かるのだろう…自分の気持ちに確信が持てない。





「それより
「へ?」
「今はの怪我を治すのが先だ。一緒に病院に行くぞ」





私の腕を優しく掴み、強く引っ張る。
突然の彼女の行為に私は「え」とか「へ」とか、一文字しか言葉を返せなかった。





「それなら私のブレスで…」
「皆も疲れているんだ、無理をさせられない」
「…」
「……私が、治したいんだ」





「病院になら薬もあるし、包帯くらい巻ける」と付け加えると
クロエは私が転ばないよう気遣いながら、足早に病院を目指した。





「…クロエ」
「?」
「ありがと」





クロエの言葉は、私を幸せにしてくれる。
痛みも忘れ、舞い上がってしまう程。

私、自分のやりたいようにやって人を救えたんだ。
ずっとずっとやりたかった恩返しが出来たんだ。

クロエが元気になった事、それ一つでも嬉しいのに
私が少しでも力になれた事が幸せで堪らないんだ。















「はー疲れたー」





クロエの部屋に着いた途端、借主の了承も得ずにベッドへ飛び込む。

ふかふかの布団に体が沈み、柔らかくて気持ち良いと思う反面
塞がりかけてた傷が広がり、痛みを感じた。





、服を脱げ」
「え」





壁に剣を立てかけ一息吐くと、クロエは私に思いがけない言葉を投げる。
つい声が裏返ってしまった。

しばしの沈黙、クロエは自分の言った言葉の意味に気付くと
ハッと肩を跳ねらせて顔を真っ赤にし、慌てて訂正の言葉を紡いだ。





「き、傷を!傷を手当てする為だ!」
「ああ!だよね!ビックリしたー!」
「全く…!は私を何だと思っているんだ…!」
「でもクロエなら良いよ?なーんて」





茶化しながら服を脱ぎ捨てると、クロエは口をぱくぱくさせる。
「可愛い」と言うと「からかうな」と叫ぶように怒鳴って、そこがまた可愛い。





「…痛かっただろう…」
「うん?」
「こんなに傷付いて…足も手も震えている…」





クロエは私の体を暖めるよう、そっと撫でる。
大きな切り傷を見て泣きそうになっているクロエに笑顔を見せた。





「私、やりたいからやったんだって言わなかった?」
「…それでも」





「私がと出会わなければ、こうはならなかった」





なんて、悲しい事を言うのだろう。





「やめてよ、それ」
「…」
「可哀想なんて、思わないでよ」





「私はこの傷、誇らしいと思ってる」

「クロエの事守れた証だよ…消せても消したくない」





傷を撫でるクロエの手を取り、戸惑う瞳をじっと見つめた。

しばらくの見つめ合い、最初に折れたのはクロエだった。

クロエは小さく息を吐くと「参った」と言い手を放す。
私は一つ頷き笑った。





「でも傷を残すのは良くない。ちゃんと手当てすれば消えるはずだ」
「うん、私体は丈夫だから!」
「…そうだな」





包帯を丁寧に巻いてくれるクロエを見つめる。

何だか心地良くて寝てしまいそうだ。
眠りに堕ちかけ、包帯の擦れる音に目を覚まし、また堕ちかけて。





「寝ても良いぞ?」





クロエはクスクスと優しく笑う。

ああ、自分に姉がいたらこんな感じなのだろうか、と思いつつ
私は「うん…」と言葉にならない声で返事をした。

幸せを噛み締め、笑ってから眠りに堕ちるまで、時間は掛からなかった。















仮眠等、出来る訳がなかった。

それでもベッドから離れようとすると
が泣きそうな声で私を止めるから、ただ体を横にしていた。

それが寝言だと分かっていても
目を覚ました時本当に泣かれそうで、離れる事が出来なかった。


だけど、時計の針は私達を置いて刻一刻と時を刻む。


ふと壁に掛かる時計に目をやれば、三日目の夜が終わる十分前。
あの森で起きた事件から、もう一日が過ぎようとしている。

そして私に設けられた期限も、もう終わる。





…」





私が名前を呼んだだけで、彼女はふにゃりと笑った。
夢に私が出ているのだろうか、は「クロエー…」と返事をする。

その笑顔が、声が、本当に愛しくて
私はどうしてもそれを奪われたくなくて。

…人を殺す事を決意した。





「…折角、私の罪を消してくれたのにな…」





シーツに散らばる黒い髪を優しく、丁寧に撫でる。





「…すまない」





私の剣は人の血を吸おうと今も妖しく輝いている。

だけど、これは過去に縛られた私の意思じゃない。
今の私は、自分の場所を守る為にこの剣を握るんだ。

が別の誰かに殺されるのなら
私はを守る為に、その者を殺そう。

奴等が再び来るとしたら、三日前の夜に会った病院の裏庭だ。
が病院で過ごしていると知っていたら、尚更その確率は高くなる。















「やはりあの娘は役に立たなかったか…」





裏庭の木々に隠れ様子を窺えば、私の予想通り、その男はいた。
数日前、国の命だと私に無理難題を押し付けた、あの男だ。

大木にピッタリと背中をつけ、相手の死角に潜り込む。

人数は二人。
これならば苦戦せずに殺せそうだ。





「しかし、ヴァレンス家の娘に与えた期限ももうすぐ過ぎる。
 その瞬間、破壊の少女は血塗れだ」





調子に乗るな、と心の中で呟き歯を食い縛る。

時間になった瞬間、アイツ等は病院の扉に向かい歩き出す。
そこを狙いこの剣を振るえば、その汚い口も閉まるだろう。

早くその時が来ないか、と私は緊張の糸を張りつめ待った。





「まさか、王直々に殺し屋を雇っているとは思っていませんでしたよ」





だけどそれも、男の部下である奴の言葉にプツリと切れる。
不自然な程早い心臓の音が脳に直接響き眩暈がした。





「…こ、ろし…屋…?」





震える口から漏れた声、幸い相手は気付いていない。





「あぁ、失敗は有り得ない…何せ殺しのプロだからな。
 手柄を自分の物に出来ないのは悔しいが、これで目障りな物が消える」





そう言って男は笑った。

を殺すのは、アイツ等じゃない…?
別の奴が、を殺す…?





「三日目の夜が終わるまで、後数秒…」





数秒、と言う言葉に汗が落ちる。
その間も針は進んでいた。





「十…九…八…七…」





目の前の騎士を殺しても、違う刺客がいるのならを守る事が出来ない。





「六…五…四…」





ならば私が取るべき行動は一つ。





「っ…!」





大木から体を離し、病院の裏を通り彼女の部屋へと走る。

もしかしたら、もう部屋に侵入されているかもしれない。
もしかしたら、もう首を絞められているかもしれない。

早く、早くしないと、が殺される。





「三…二…一………終わったな」
「わざわざカウントダウン、ありがとうございます」





風に紛れ聞こえた声に、足が勝手に止まった。
裏庭から随分と離れたはずなのに、鮮明に聞こえた声に目を見開く。

聞き慣れない男の声に、只ならぬ気配。
重苦しい程の殺気を感じ、咄嗟に草むらへと身を屈めた。

首を動かすだけで何が起きたか分かるのに
金縛りにあったように体が動かない。





「ヒィイッ…!!」





ガドリアの騎士の部下の声だ。

一人、お喋りで偉ぶっていた騎士の声が聞こえない。
いいや、声だけではない…気配が途絶えた。

どれだけ神経を集中させても
感じる気配は卑しい騎士の部下と、新しく現れた男のだけ。


ピシャリ、と嫌な音が響く。


ハッと我に返った時、私の足元には血の川が広がっていた。
雨の名残でも何でもない…この生臭い匂いを私が間違えるはずがない。





「そんな…」





信じられない。

ガドリアの騎士達がいた所から私がいる場所まで
かなりの距離があるはずなのに。

どうやったらこんなものが出来上がる、残虐かつ冷静な殺し方が出来るんだ。





「お、お前…!まさか、依頼を頼んだ…!!」





部下の言葉に大体察しがついた。

そこにいるのは殺し屋か…?
何故、依頼主を殺す必要が?仲間割れ?

考えても謎は深まるばかり。
だけどこれだけは分かってる。

今ここで姿を見せたら、私も殺されるって事だけは。





「報酬額と依頼内容に納得出来なくて、つい手が出てしまいました」
「な、何を…!」
「あぁ、そうそう…王に伝えて欲しい事があるんですよ」





この声…何処かで聞いた事がある…。
でも、何処で聞いたかは思い出せない…。





「破壊の少女を狙うなら、メルネスを狙いなさい。
 力があるならばどちらでも良いのでしょう?」





汗を拭く暇も息をする暇もない。
私は只、耳に入ってきた言葉を整理するだけの人形と化す。





「あぁ…でもあの王は物分りの悪そうな顔をしていますしねぇ」
「お、お前…王を侮辱する気か!?」
「…そうだ。ならば任務は完了した事にしてしまいましょう」





「これは良い案だ、実に良い」と男は笑う。





「破壊の少女を殺した事にしてしまえば良い。私がそのように王へ伝えます」
「何…!?」
「あぁでも、そうなると真実を知っている貴方は凄く邪魔ですねぇ…」





まだ笑う。笑い続ける。
言葉を返せなかったガドリアの騎士の、小さな悲鳴。

ドサリと何かが落ちた音…恐らくガドリアの騎士が腰を抜かしたのだ。

その気持ち、分からなくもない。
私も同じ立場なら立っている事すら出来ないだろう。





「さて、邪魔者はどうするか…」

「破壊の少女を殺そうとしていた貴方達なら、
 私がしようとしている事は分かるでしょう?」





ガドリアの騎士の悲鳴は本格的な物へ変わり
ガサガサと草を掻き分け地を這う音が聞こえる。

自分が殺すはずだった騎士に、私は「早く逃げろ」と心の中で叫んでいた。





「アハハハハハハッ!!どんなに逃げても無駄ですよ!!」





殺人のプロにおもちゃの剣を振り回す傲慢な騎士が勝てるはずない。





「醜いなぁ!実に醜い!!醜すぎて笑ってしまいますよ!!」





はっきり聞こえた、肉を切る音。
次いで液体が飛び散る音が、静かな夜に響く。

だけど悲鳴は聞こえない。

確実に急所を狙い、断末魔を叫ぶ隙すら与えないその腕。
こんな事が出来るなんて、相手は人を殺す事を何とも思っていない残忍な輩だ。





「破壊の少女は死んだと、あの汚い王に伝えろ」





独り言だと思ったその言葉に答えるよう、木の上を誰かが走り抜ける。

もう一人、殺し屋の部下がいたのか。
私はそれにすら気付けなかった。

血塗られた太刀を持つ犯罪者が目の前にいるのに
別の者の気配を感じ取れ等、無理がある。





「誰にも渡しはしませんよ。
 光る金色の髪よりも、済んだ蒼色の瞳よりも
 全てを黒で纏うあの人形は、私の物だ…」





あれさえあれば、汚い欲を持つ人間を自由自在に操れる。
自分に従わす事も、戦争を起こす事も、全て自由自在に。

そう言って、男は高らかに笑った。










満月に照らされ、狂ったように笑っていた男の姿は
私が動けるようになった頃には消えていた。

草むらから恐る恐る一歩出てみれば
そこにあるはずのガドリアの騎士の死体は見つからず。





「…ゆ、め…?」





血が飛びちった痕跡すらない。
あるのは三日前に見た、何の変哲もない裏庭だ。





「クロエー?」





不意に聞こえた少女の声。
まだ抜け切っていない恐怖のせいで、体が大袈裟な程跳ねる。





…」





私が名を呼ぶと、眠たそうに目を擦りながら少女が近付いてくる。
そして私の顔を見ると眉を顰め、表情を変えた。





「汗、凄いけど…何かあったの?」





指摘されて初めて気が付く。
私は「大丈夫だ」と言いながら急いで顔を拭いた。





「…その、
「?」





首を傾げるに私は何を言っていいのか分からなくなる。
それでも一つ確かめておきたい事があった。

もし、先程の事件が夢であるならば
今はきっと、三日目の夜が終わり四日目が始まる十分前。





が、病院を出た時…十二時を過ぎていたか…?」





途切れ途切れの言葉に、は更に首を傾げた。

「何でそんな事?」と言いたげなその瞳をじっと見て答えを急かす。
もそれを察してか「うーん…」と軽く唸りながらゆっくりと言葉にしていった。





「起きた時チラッと見ただけだけど、確か五分ぐらい過ぎてたような…」





その言葉に、私はただ驚き目を見開いて
急に苦しくなった胸をぎゅっと押さえる。

そんな私を見てはただ慌てるだけ。

ああ、そうだ。
私は今彼女に一番情けない姿を晒している。


三日目の夜が過ぎた、四日目。


夢ではない、そこには確実に狂った男が存在していた。
それでも目の前の少女は生きている。





「っ良かった…本当に良かった…!」





惨劇を目の前にした事への恐怖よりも
が生きている喜びの方が強く、私は再び涙を流す。





「っもう、何も気にしないで良いんだ…!」





夢か現実かなんて、もうどっちでも良い。





「私は、誰も殺さなくて良いんだ…!」





ただ目の前にがいる。
何の変哲もない日常が、涙が出る程嬉しいんだ。





「仲間も、同胞も、もう、誰も殺さなくて良いんだ…!」





本当に…。





「今までと同じ…同じままでいれてっ…本当に、良かった…!」





やっと幸せを噛み締める事が出来た四日目の夜。
空に浮かぶ月は、酷く美しかった。










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修正:14/01/09