事件から数日。
私達はいつも通りの生活を送っていた。





「おい」
「…」
「おい、起きろ」
「う…あー…」





うっすら目を開け壁に掛かる時計を見る。
針は午前九時を指していて、目覚めるには丁度良い時間だった。

でもどうしてだろう。
この部屋に降り注ぐ暖かい日の光のせいかな。

何だか凄く眠い。





「…あの騒がしい女の容態を見に行くぞ」





騒がしい女って誰だよと心の中で小さく突っ込む。
“容態”と言う言葉から連想し、恐らくエルザの事だろう。

元気になったかな、エルザ。
…会いたいな。




「おい」
「…け」
「?」
「連れてけー…」





気持ちだけが先走り、私はダラリと手を伸ばす。

大きな溜め息すらも子守唄にし、私は再び夢の中。
ふんわりと体を包む優しいぬくもりは、布団よりも居心地が良かった。















「ワルター、遅いぞ」
「俺のせいじゃない…コイツのせいだ」





ワルターは自らの胸の中でくうくうと寝息を立てる少女を顎で指す。
全てを察した仲間達は一斉に溜め息を吐いた。





「…あの」





やれやれと呆れる仲間達の輪の中、シャーリィはスッと手を上げる。
皆の視線が一点に集中した。





さん、最近寝すぎじゃないでしょうか…」





元々睡眠時間が長いのは把握しているが
シャーリィの言う通り最近のは寝過ぎである。
それは誰もが思っていた事だ。





「エルザさんが体調を崩した時も、ウィルさんが何回か怒鳴って起きたんでしょう…?」
「あぁ…良くあんなに寝てられるなと、ある意味感心したさ」
「今だって、心地良くないはずなのに…」





心地よくない、と言う言葉に微かな反応を見せたワルターだが
シャーリィに悪気はなく、また自らの発言に問題があったと気付いていない。





「まるで、死人のように眠っていますね」





例えが悪いジェイの言葉に皆は頷く。
それ程今のの状況は信じがたい物なのだろう。





「だけど、体調が悪いようには見えないぞ?」
「むしろぎょうさん寝るのはええ事じゃろ?」





セネルとモーゼスの言葉に馬鹿だなあ、と溜め息を零しながらも
ジェイ自体何も言い返せず黙るだけ。





ちゃん、疲れてるんじゃないのかしらぁ」





そんな中、事の真相を口にする者が一人。





「気付かない内に力を使ってるんですもの…疲れていてもしょうがないわよねぇ」





グリューネは頬に手を当て「可哀想に」と眉を下げた。
驚き目を見開く仲間の中で一人だけ、だ。





「…グリューネさん」
「あら、何かしら?」
「それ、絶対に忘れないで下さい」





ジェイが呟いた事を合図に、皆は勢い良く動き出す。
それはもう光の速さであっただろう。





「ワルター!早くを起こせ!!」
「先程から起こしている」
「そんな揺さぶるだけで起きるはずないだろ!落とせ!その場に落とせ!」
「止めろ!!」





普段寡黙であるワルターが大声を出すと皆が怯んだ。
「うん…」と小さく呻く少女がワルターの中でもぞりと動く。





「…を…傷付けるな…」





その体を守るようにきゅ、と強く抱き締める。
はそのぬくもりにああ、もっと深く眠れそうだとふにゃりと笑った。





「な、なんじゃ…この敗北感は…!」
「分からない…分からないけど、凄くウザかったぞ…!」





早く起こさなければグリューネさんが忘れてしまう。
“あらぁ、何だったかしらぁ?”
その一言が出る前に早くを起こさないと。

皆の訴えかけるような瞳にも
ワルターは負けじと獣のように睨みを利かせた。





「あ、皆さん!来てくれたんですか!?」





そんな緊迫した空気を変えたのは、階段を下りてくる少女の声だ。





「エルザ!具合は大丈夫なのか?」
「はい!この通り、すっごく元気ですっ」





ピョンピョン跳ねてくるりと回る。

エルザは言葉通り息切れする事もなくニッコリ笑った。
そんなエルザを見てクロエは「そうか」と微笑む。





「あれ…さん、寝ちゃってるんですか?」
「あ…まぁ、な…」
「残念です…色々話したかったのに…」





しゅん、と萎れた声を出すエルザに
ダラリと垂れたの指先がピクリと動く。

あんなに周りが騒いでも起きなかったのに
エルザの言葉一つでその目を開けゆっくりと体を起こした。





「あ、さん!」
「エルザ!」





まるで寝起きとは思えないハイテンションで
はエルザの元まで走りその体を抱き締めた。

「く、苦しいです」と言いながらもエルザは笑顔を浮かべている。





「おはようございます、さん!」
「おはよー!元気だった?」
「はい!さんのお陰で、この通りです!」





くるりと回り、ふわりと広がるスカート。
はそれを見て「おお!」と目を輝かせる。
エルザは大袈裟なの反応に頬を染め照れた。





さんもお体平気ですか?」
「うん、バッチシ!」
「本当ですか!?良かったです…!」





「お父さんにはこれでもかってぐらい叱っときましたから!
 例え本気の勝負でも、何もしてないさんを傷付けるなんて最低です!」





拳を握り力説するエルザに、「そうだね」と言える立場でもなくは笑顔を引き攣らせる。
と言うよりも、エルザの背後にいる父親が酷く悲しげな目をしているのが気になるのだろう。





「…君、あの時はすまなかったな」
「あ、全然大丈夫!我侭言って戦ってもらったようなもんだし」





娘に「最低」と言われた事で相当落ち込んでいるのか
が何を言ってもオルコットは眉を下げたまま。

実の娘からの言葉だ。その反応が正常であろう。





「薬もありがとう!お陰で傷も治ったよ!」
「…そうか、それは良かった」
「また何かあったらよろしく!」
君専用の薬でも用意しておくよ。すぐに必要になりそうだからね」





冗談を交え、笑い合い、
ロビーで楽しい一時を過ごしセネル達は病院を後にする。





そしてウィルの家へと戻り、一段落ついた途端
は再びコクコクと首を動かし、睡魔と戦っていた。

「もうだめ」の一言を残しはソファへと倒れる。
何事かと近寄る仲間達の心配を余所に、すうすうと寝息を立てていた。





さん」
「…」
さん、起きて下さい。貴女に関する話し合いなんですから」





…何か、悪い事したっけ。
ぱくぱくと口を動かすけど、音は全く出ていない。





「グリューネさん、さっきの事説明して頂けますか?」





の肩を揺らしながらジェイはグリューネに言葉を投げる。





「ほら、さんってば!」





大きな欠伸を零し目を擦る少女の目の前へ屈み
グリューネは母親のように優しく微笑んだ。





ちゃん」
「?」
「大丈夫?辛くない?」





ほんわかした声が余計にを眠りに誘う。
欠伸のしすぎでその瞳には涙が溜まっていた。





「大丈夫だよ…ちょっと眠いだけ…」





ちょっとと言うのは嘘だろ、と言う仲間達の視線。
はそれにも気付いていなかった。





「なら良かったわぁ。お姉さん安心しちゃった〜」





頬に手を当て嬉しそうに笑うグリューネさんを見ての顔もへにゃりと綻ぶ。
温かい空気を見守る仲間達の顔は、すっかり疲労に満ちていた。





「やっぱ、さっき落としてでも無理矢理話した方が良かったんじゃ…」
「ワの字が躊躇しちょるからじゃ」
「黙れ」





いつも以上にギスギスする男達の会話を聞き
も何かと首を傾げながら目を擦る。





「話し合いってなに?」





の声はとろんとしていて、呂律も回っていない。
ジェイは溜め息を吐きながら言葉を返した。





「さっき、グリューネさんが言ってたんですよ」
「?」
さんが知らないうちに力を使っている、疲れていてもしょうがない…って」





はジェイの言葉に驚きもせず、何度か縦に首を振った。
頷いた、と言うよりは眠気と闘っているようにも見える。





、まだ頭が寝てるんじゃないの〜?」
「なんなら俺が起こしてやろうか?」
「あーいや、ゲンコツは勘弁…」





拳を構えるウィルを目の前に今度は首を横に振る。
「ふあ」と大きな欠伸を零すとは笑った。
その笑みの意味が分からず、今度はセネル達が首を傾げる。





「私、もう霧吸っても平気なんだ」





世間話をするかのように平然と言ってのけたを見て
仲間達はぽかんと口を開けていた。

あれ程自ら霧を吸う事を嫌がっていたが今は笑っている。
仲間達からすれば何が起きているか、どう考えても説明不足だ。





「痛くもないし、違和感もない。何より人を殺したいって思う事もないよ」





「オルコットさんの時は自分の意思で戦ったんだし」と付け加え
その場に出されていた誰の物かも分からないカップを口にする。

寝起きの乾ききった喉に液体を流し込み
おやじ臭く息を吐くを周りはただ黙って見つめる事しか出来なかった。


あの時、シュヴァルツと交わした交渉。
“破壊の少女を殺さない代わり、霧に抵抗出来る体をもらう。”

初めは本当なのかどうか半信半疑だったけど
霧を吸っていた時に感じていた違和感はもうない。

体が慣れた、と言われればそうなのかもしれないけど
自分の意思で罪を犯そうとする気もなければ、異常な程霧を恐れる事もなくなった。


は過去を振り返りながら頭の中で言葉を転がす。





「もう大丈夫」

「私は私のまんまだよ」





ブイサインを作って自信満々に言葉を発するを見て
周りは「何故」「どうして」と聞こうともせずホッとしていた。

仲間達が安堵する姿を見て、は声を出して笑う。

彼女にとって仲間に心配をかけていると言う申し訳なさよりも
仲間に心配してもらえていると言う事自体が嬉しいのだろう。





「しかし、結局黒い霧の事については何も分かりませんでしたね…」
に害がないって分かっただけでも充分じゃないのか?」
「ですが、根拠がなければそれも不確かですし…」





いまいち納得出来ない、と首を捻るジェイを見て
はやれやれと肩を竦める。

ジトッとした瞳で見られている事にも動じず、
うんと伸びをすると不機嫌なジェイに言葉を投げた。





「ジェイは心配しすぎ―――…」





いや、正確には言葉を投げようとした、だろう。










…―――ドクン。










「っ…痛…!」
「?さん?」





突然襲いかかる痛みに耐えきれず声を漏らす。

…―――ドクン。





さん?どうかしましたか?」
「オイ!大丈夫か!?」





強く脈打つ心臓の音が止まらない。
加速を増し、吐き気を感じ眩暈がした。


…―――ドクン、ドクン。


早まる鼓動に「何かがおかしい」と焦る。

ぐらりと傾き、目を瞑る。
瞼の裏に見えたのは、私の知らない光景だった。

ノブのないドア。
割れた窓。
歪んだ世界。





「っ貴女、大丈夫って言っておきながら…!」
「違う…」





この感覚は、違う。
霧を求めているものでも、霧を吸った時に伴う痛みでもない。

私はこの感覚を意味する言葉を知っている。
きっと、“高揚”と言うものだ。

だけどそれが、どうして今?
考えても答えは出てこない。





「話し合い、続けて大丈夫」
「っしかし…」
「他にも話す事あるんでしょ?顔に出てる」





痛みに慣れてくると思ったよりも冷静な自分がいた。

血が逆巻く感覚には慣れないが
いてもたってもいられない程苦しい訳じゃない。

ジェイは納得のいかない顔をしていたが
いつも通り笑って見せればグ、と言葉を詰まらせた。





「…分かりました。なるべく早めに終わらせます」





私の様態を気遣いながらも、ジェイはスッと表情を変えた。
その目つきは真剣そのものであり、話題の深刻性は一目で分かる。





「…あの日、クロエさんの霧を見ていて気付いたんです。
 やはりあれは、人の感情なのではないかと…」

「…過去の自分の憎しみ、悲しみが生んだ霧…」

「そう…あれは、負の感情」





凛としたグリューネさんの声がリビングに響く。





「羨ましい、悔しい、悲しい、寂しい、苦しい、愛しい…。
 そんな人の負の感情を具現化した物が、あの霧なの」





乱れた鼓動に紛れ聞こえた彼女の声は別人のようだった。
それを疑問に思ったのは私だけではない。





「グリューネさん、どうしてそこまで…」
「……あら?」





ころっと表情が変わる。
歌の続きを忘れたかのように首を傾げると、グリューネさんは自らの頬を擦った。





「う〜ん…何でかしら?そんな感じがしたのよねぇ」





いつもの調子で言葉を紡ぐグリューネさんを見て
体の力がガクリと抜ける。





「…だけど、僕もグリューネさんと同じ事を思います」
「ジェージェーがそう思うなら、ほぼ合ってるんじゃないの〜?」
「違うとしても、今後はそう思って動いた方が対処もしやすいだろう」





信じがたい事ではあるが矛盾はない。
皆はウィルの提案に強く頷く。
私も合わせるように首を動かした。





「それともう一つ。これは霧と言うより、さんに関する事なのですが」
「?」





突然出てくる私の名前。
いや、突然と言う表現は最早必要ないだろう。

ジェイに召集をかけられ私の話題がのぼるのはこれが初めてではない。
むしろここ最近は私中心の話ばかりだ。





「ここ数日間で大陸から送られてくる手紙の量が減りました。
 さんに関する依頼が一つもないと言って良いぐらいに」





ドクン、ドクン、と脈打つ心臓の音にジェイの声が混ざる。
そしてこの“高揚”の意味に一歩近付いた。





「それって首から提げてる証明書があるからじゃないの?」

「いえ、遺跡船で起きた出来事がこんなに早く大陸に漏れ出すとは思えません…。
 ましてや証明書だけで納得する人等…」

「ジェイ、その事で一つ気になる事が…」





固く結ばれた紐が解けていくように、真実が見えてくる。





「その…オルコット殿との件が終わった夜、病院の裏庭で…」





会いたかった…愛しい人…。
希望を歌う、明るい声。





を殺す為、殺し屋を雇ったガドリアの騎士がいたんだが…」





また貴方に会えて、凄く嬉しいの。





「その者が殺し屋に殺されていた…」





わたしを守ってくれてありがとう。





「殺し屋はを殺していないのに、殺した事にして王へと報告すると言っていた」
「…何ですか、それ」
「分からない…ただ、私はこの耳でしっかり聞いた」





「誤報を提案し、ガドリアの騎士を口封じの為に殺した…
 私はあの時、その男が愉快に笑う声すらまだ覚えている」





凄く、凄く嬉しいの。
貴方がわたしを見てくれていれば、他に何もいらないの。




「大陸ではさんが死んだ事になっている…だから僕の元に情報を求める手紙が来ない…」
「確かに辻褄は合うな…」
「優しい殺し屋だね〜。を狙う人を減らしてくれたんだもん」
「いや、明らかにおかしいだろ…そんな回りくどい奴、本当にいるのか…?」





貴方がわたしを必要としてくれた日から、ずっとこの日を待っていたの…。
ずっと、ずっと言いたかった言葉があるの。

ありがとう。





「どういたしまして…」





聞こえた声は、何処からか。
気が付けばソファから飛び上がり二階へと駆け上がる。

何処から声がしたのかなんて、私には分からないはずなのに。
…ううん、声が本当にしたかも分かっていない。

なのにこの足は明確にアイツの位置を捉え、そして動く。

熱い頬と体を冷ます、冷たい風。
何で二階の、無人の部屋の窓が開いているのか。





「……」





いつもいつも、幸せを噛み締めようとした途端に訪れる不幸。

霧に呑み込まれない体を手に入れた。
友を救える事が出来た。

やっと幸せが訪れる。
だけど運命はそれを許さない。

そして私は思い出すのだ。

自分がここの人間ではない。
自分には元の世界がある。

元の世界へ帰るには
彼女の…私の中にいるもう一人の子の願いを叶えなければいけない。

決して忘れてはいけない、約束。










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修正:14/01/09