吹き抜ける風に混ざる、甘ったるい香り。
ほんの少し鼻を掠めただけで眩暈がした。

バタバタと、皆が急いで階段を駆け上がる音が聞こえる。





「あ、いたいた!も〜!急に走り出してどったのよ〜!」





予想通り、皆は私のいる部屋へと駆け込んでくる。
普段使用されていない部屋に大人数が押し込めば、あの嫌な臭いも消えた。





「…何でもない」





私はそう、笑顔を見せた。
誤魔化しきれない嘘を吐きながら。






「ん?」





呼ばれたから返事をした。
たったそれだけ、大した事はしていないのにセネルは私を見て眉を顰める。





「もう、隠し事はなしだろ?」





そう言って笑みを見せるセネルに、私は目を見開いた。

そうだ、私は自分に誓った。

あの時、破壊の少女の過去を、霧を吸った私の未来を口にした時
もう、この人達の前で偽るのはやめようと。

あれだけ言いづらい事を言ったんだ。
だったらもう何を言っても大丈夫。受け入れてもらえる。

そう、頭では分かっているのに口が堅く動かない。





「…いつか、話すよ」





何でだろう。

私は、言ってしまえば楽になるって考える事が出来ないんだ。

だからまた誤魔化して笑う。
でも、ジェイの顔を直視する事は出来ない。

ジェイはこの香りの正体には気付いていない。
少なくとも、今はそれが分かっただけで安心だ。





「あらぁ、こんにちは〜。また新しい子が来てくれたのねぇ」





そう、私が安堵の息を吐いたのとほぼ同時だろう。
グリューネさんの優しい声が部屋に響いたのは。





「そう、ヴォルトちゃんって言うのね〜」





そう言ってグリューネさんは私に向かい手を伸ばす。
いや、正確には私のすぐ横に、だ。

私のすぐ横に、自然現象とは考えられない光が浮かんでいる。





「…は?」





一体私は、何を冷静に解析していたのだろう。

勿論、グリューネさんの言動に驚いている訳ではない。
じゃあ何で今、こんなにも混乱しているかと言うと。





「何で、今更私にも見えるの…?」





ゲームで見た精霊の容姿を淡々と心の中で述べた訳でも、想像した訳でもない。
私は今、自分の横に浮いている光を自らの目で確認出来る事に驚いたのだ。





「またグー姉さんが空気と話し始めちゃったよ〜」
「いつもの事ですよ、いつもの事」





幸い、私の声は余りにも小さく、皆には聞こえていないようだった。

普段なら私もノーマやジェイ側の人間だ。
なのに今はグリューネさんと同じものを見ている。

いっそ気のせいなら、と何度も何度も目を擦るが結果は同じ。

別に見えている事が嫌な訳ではないけど、
自分の頭がおかしくなった以外の結論が見えず、ただただ動揺するばかり。





「おやすみなさい、ヴォルトちゃん」





グリューネさんにヴォルトと呼ばれた精霊は種になり
私は光が消えた跡を呆然と見つめる。





「…ま、そう大した事じゃないか」
「何がじゃ?」
「こっちの話」





別に見えてるからと言って損得がある訳でもないんだ。
こう言う時こそ得意のポジティブ思考で頑張らないと。





「アニキ!!」





二階にまで届く程の大きな声が玄関から聞こえる。
続いてダンダンと慌ただしく家の扉を叩く音。





「チャバか?」
「あがあに慌ててどがあしたんじゃろな」





珍しい来客にウィルは小首を傾げ、モーゼスは頬を掻く。

何にしてもただ遊びに来た、と言う訳ではなさそうだ。

ぞろぞろと列を成し、仲間達は一階へと下りて行く。
私はもう一度誰もいない部屋へと振り返り
そして何事もなかったように皆の背中を追いかけた。















「アニキ!」
「どうかしたか?」
「あ、ウィルさん…アニキは!?」
「モーゼスならいるぞ、あがると良い」





あんなに急いでるのに、チャバは礼儀を忘れない。
深々と頭を下げ「お邪魔します」と言い中へ入る。





「チャバ、どがあしたんじゃ?」
「アニキ…!」





そしてモーゼスの姿を見つけると、その碧の瞳を細めた。





「また…また兄弟が襲われたんだ…!!」





モーゼスの目が大きく見開かれる。





「っ何処でじゃ!?」
「霧の山脈だよ!」





チャバの言葉を聞き、やり場のない怒りから一つ舌打ちを零すと
感情を剥き出したままモーゼスは外へ向かう。

状況を把握しきれていない仲間達はただただ首を傾げるばかり。





「何の話だ?」





明らかにおかしいモーゼスやチャバの態度にウィルは疑問を口にする。
返ってきたのは沈黙だった。

だけどモーゼスの背中が言っている…話すつもりはない、と。





「最近、兄弟が魔物に襲われる事件が、何件も続いてて…」
「なに…?」





重苦しい空気に耐えきれなくなっていたのか
チャバはゆっくりとその震える唇で言葉を紡いだ。

話の最中、モーゼスが痛いぐらいに拳を握っているのが分かった。
白くなる爪は感情を抑えている証拠だろう。





「モーゼス、本当なのか?」
「何故今まで話さなかった」
「それは…」





責めている訳ではないが、仲間から飛んでくるのは
今のモーゼスにはきつい言葉ばかりだ。

まるでその言葉から守るようにチャバが再び口を開く。





「兄弟を襲った魔物って言うのが、ガルフで…」
「あらぁ、ガルフと言ったら、ギートちゃんと一緒ねぇ」





「お揃いだわぁ」と柔らかい口調で言葉を発するグリューネさん。
だけどその言葉は皆を癒すどころか余計に事態を緊迫させた。





「まさか、ギートが…?」
「ないない!だってギーとん大人しいもん!」





言葉では否定してても、ノーマの笑顔は引き攣っている。
いつもより大きな声は、それを必死に隠そうとしている証拠だろう。





「兄弟が襲われたのは、今回で七回目になります」
「そ、そんなに…?」
「モーゼス、何故それを黙っていた?」
「…黙っとったんと違う。言う必要がなかっただけじゃ」
「ギートが疑われてるんじゃないのか?必要ないとは思えないけどな」
「…」





振り返るモーゼスの表情は、まるで威嚇する獣のようだった。





「おもろない冗談じゃのう…ギートはそがあなことしゃあせん」





友を、家族を疑う仲間達の反応次第で、次には拳が飛んできそうだった。
その瞳は本物の獣のようで、私はこんなモーゼスを初めて見たかもしれない。





「冗談と言うなら、ギートは今何処にいるんです?
 モーゼスさんにも所在は分からないのでは?」





ジェイの言葉はモーゼスを逆撫でする。





「何じゃ?ワレらまでギートを疑うんか!?」
「…口では言わないけど、兄弟は確実に疑ってるよ…」
「何じゃと…!?」
「皆ギートを探し出して、真相を確かめようとしてる」





チャバの拳もまた、モーゼスと同じく震えていた。





「野生化への恐怖があるから黙ってじっとしてらんないんだ…!」
「…」
「アニキとギートの関係は、誰よりも良く分かってる!」





「けど、野生化への恐怖は消し去れないんだよ…!」





普段のチャバからは考えられない程声が震えている。
まるでモーゼスに救いを求めているようだった。





「野生化…?どう言う事だ」





ウィルのその質問に、モーゼスは酷く顔を歪ませた。





「…ワレ等は、知らんのか」
「あまり聞かない言葉ですね…どういう意味ですか?」
「んなの知らんままでええ」





モーゼスの知ってる事を自分は知らない。
その事が癪に障ったのかジェイは眉を顰める。





「ワイとギートを見ちょっとったら分かる。
 ワレ等が“野生化”なんちゅう言葉、知る必要はないんじゃ」





そう言ってスタスタと玄関へ向かって行くモーゼスに
気が付けば必死に手を伸ばしていた。

緩いズボンの布地を引っ張ると、モーゼスはくん、と体を止める。





「…皆で、行こうよ」





私の意見に賛成しているのか反対しているのか、分からないけど
モーゼスは私の手を払い、そして握った。

握られた手は暖かいのに、何だかいつものモーゼスと違う。





…」
「皆で行った方が良いよ」
「…」
「ここにいるメンバーで探せば、真犯人が見つかるよ!」





何、空気に流されてるんだろう。

何で“山賊の皆を襲ってるのはギートだよ”って
私は知っているのにハッキリ言えないんだろう。

言ったとしても、モーゼスはきっと信じない。
人伝の言葉を信じる程、モーゼスとギートの関係は浅くないんだ。





の言う通りだ。俺達も一緒に行く」
「セの字まで…」
「俺達がギートの潔白を証明させるぞ」





ポン、とモーゼスの肩を叩き拳を握るセネルは
自信に満ち溢れた笑顔を浮かべていた。





「オイラも連れて行って下さい!」





深々と頭を下げるチャバを、モーゼスは驚いた様子でただ見つめる。





「兄弟の真相を伝えるためにも、この目で見ておきたいんです!」
「チャバ…」
「お願いだよ、アニキ!」





しばらくの沈黙の後、モーゼスは笑った。
その強気な笑顔はいつものモーゼスと同じだった。





「オウ、その目でよう見ちょれ!」





イライラも吹き飛んだのか、モーゼスは意気揚々と家を出て行く。
すれ違いざま見えた瞳は輝いていて、一点の曇りもない。

私はギートが無実でない事を知っていながらも
もしかしたら、と言うゼロパーセントに近い何かを信じ歩を進めた。

目指すは、霧の山脈。









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修正:14/01/09