初めて会った時から、きっと彼女に惚れていた。
誰にも臆さぬその態度、最高に可愛い笑顔。
時折見せる切なげな顔も、抱き締めた時の感触も。
全てが大好きだった…いや、今でも好きだ。
“こんなに良い子とは、この先一生出会う事はないだろう”
それ程の者と出逢えた喜びにワイの心臓は高鳴った。
破壊の少女だと知った時、多少なりの戸惑いはあったものの
彼女だから、全てを許し受け入れる事が出来た。
あの時、もし破壊の少女がではなく他の誰かだったとしたら
ワイはこの槍を何の躊躇もなく放っていたのだろうか。
そんなもしもの話、今となっては面白くも何ともない。
「こうも見えないと何も投げれないねー…」
「ほうか?ワイには見えるんじゃが」
「野生児と女の子じゃ見える世界が違うんですー」
嫌味ったらしく冗談を言う私にモーゼスはクカカと笑う。
「ワイが投げるとこに投げたらええ」
「ん?」
「の目ぐらいにゃあなっちゃる」
モーゼスは霧の中でもハッキリ見える距離で、ニィッと笑った。
近距離で見るモーゼスの顔は、良く見るととても整っている。
こんな顔であんな台詞を言われたらドキッと来る女子も多いだろう。
だけど私は彼のくしゃっと崩れた笑顔の方が好きだ。
「モーゼスの目取っちゃったらモーゼスが何も見えなくなっちゃうよ」
「んなもん関係ないわ!心の瞳で見るんじゃ!!」
「そんな事出来るわけっ…!?」
最後まで言葉を紡ぐ事も出来ず、開いた口は悲鳴にも似た声を零す。
突然私の体を襲った激痛。
肩が焼けるように痛く、ガクリと膝から崩れ落ちた。
「!」
驚き目を見開くモーゼスが私の体を受け止める。
幸い意識を失う程の激痛ではない。
私はモーゼスに体を預けながらも、この痛みの原因を知る為に
恐る恐る熱を持った自らの肩に目を向けた。
白い服が破れ、繊維の先に見えるのは三本のライン。
それは獣の爪痕だった。
「ッ痛…!」
「クソ、どんどん湧いてきおって…!」
獣達を牽制しながらも身の安全が確保出来る場所まで移動すると
モーゼスはドクドクと流れる私の血を見て複雑な表情を浮かべた。
「ウィの字!が怪我しちょる!」
「っ…」
「おらんのか…!?シャボン娘!嬢ちゃん!誰でもええから返事しちょくれ!!」
とにかくブレスを、とモーゼスは仲間達の名前を呼ぶが返事はない。
「もしかして、はぐれた…?」
「…んなアホな…」
「でも大丈夫…自分でブレス使えるし…」
はあ、と小さく息を零しながら笑えば
モーゼスはとても申し訳なさそうな表情を浮かべ私を見つめた。
何でモーゼスがそんな顔をするんだろう。
別にモーゼスが悪い訳じゃないのに。
「…って、あれ…?」
そう思いながらも血で濡れた肩に手を当てた時だった。
私は一つの違和感に声を零し、自らの傷口をじっと見つめる。
まだ少し熱は帯びているものの、いつの間にか痛みは針で刺された程度のものになっている。
さっきまで腰を抜かす程の激痛に驚いていたのに、だ。
ドクドク流れていた血も、完全に止まっている。
「どうした?」
「あ、ううん…何か、もう治ってて…」
「…何じゃと?」
「痛みもほとんどない…」
不思議、と声を漏らしながら肩に手を当て、治癒のブレスを唱える。
すると痛みはすっかり引いて、代わりに掌に傷が浮かんだ。
結局±ゼロではあるけども、要は気持ちの問題だ。
「不思議な事もあるもんじゃのう」
「もしかしたら、魔物が手加減してくれたのかもね!」
「…」
「あ、それか…」
「…私が破壊の少女だから傷も―――…」
「早く治るのかも」と紡ぐはずだった私の口を、モーゼスの大きな手が塞いだ。
むぐ、と苦しくて声を漏らしたと同時、何をするのだと相手を睨む。
だけどモーゼスは、それ以上の事をさせてはくれない。
「…ええ」
だってその顔が、今にも泣きだしそうだったから。
「今、破壊の少女の話はせんでええ」
そう言って手を放すモーゼスを見て、私はただ困惑するばかり。
だけど、モーゼスにそんな事を言われるとは思ってもいなくて
ズキリと心が痛み、何だか私まで悲しくなった。
「がいない!」
セネルさんの声が耳に届いたのは、戦いが終わり一息吐こうと思った時だった。
「だけじゃない…モーゼスもだ」
「だ〜も〜!何で真ん中で戦ってる癖になぐれるのよ〜!」
今回ばかりはノーマさんの意見に大賛成だ。
二人して安全な場所にいるくせに、二人してはぐれるとは。
「馬鹿同士放っておくんじゃなかった…」
「…大丈夫ですよ。アニキはこの山脈の地理にも詳しいですから」
チャバさんのフォローに「それもそうだな」、とウィルさんは頷く。
幸い目的地は最奥一つしかない、歩いていればいつかは合流出来るだろう。
それでも僕は、彼女に対して幻滅せざるを得なかった。
「…あんな些細な約束でさえ、貴女は守る事が出来ないんですね」
意味深な言葉を呟く僕を見て首を傾げるセネルさんに
「なんでもありません」とその場を適当に誤魔化す。
本当、あの人はどうしようもなく馬鹿な人だ。
迷子になる事でどれだけの人間に迷惑が掛かるのか分かっていない。
「でも、心配なのはそこじゃない…」
再び歩もうとする僕達を止めたのは、予想外にもチャバさんだった。
先程笑顔で「大丈夫」と言った彼が
今は額に汗を一つ浮かべて焦っている。
まだ数回しか会った事のない彼ではあるが
こんな表情を浮かべる人ではなかった気がする。
「どういう意味ですか?それ」
僕の問いかけにハッと我に返ったチャバさんは
いつの間にか漏れていた自らの声に気付き慌てて口を塞ぐ。
「いや、別に…ただ、もし犯人がギートだったら二人が危ないなって…」
「…それも不思議ですね」
「え?」
「チャバさん達は、どうしてギートを疑うんですか?」
取り繕っていた笑顔が一瞬にして消えた。
「…俺も気になっていた」
「…」
「普段のモーゼスとギートを見ていれば、簡単に疑いの目を向けられないだろ」
「…何か、理由でもあるんじゃないか?」
責める訳でないセネルさんの優しい音色に、チャバさんは一度顔を俯かせる。
「言いたくなければ、無理に話す必要はないが…」
異様な空気が辺りを包み、セネルさんが食い下がろうとした時だ。
チャバさんは伏せていた顔を上げ、僕達を真っ直ぐに見据えた。
「お話します。皆さんには、知っておいてもらうべきでしょう」
いつもの彼とは程遠い真剣な表情に僕は目を細める。
「最悪の事態になった時は、皆さんの力が必要になりますから」
“最悪”と言う言葉に皆は眉を顰める。
彼の乾いた唇から溢れる一語一句を漏らさぬよう耳を傾けた。
「兄弟は皆、恐れているんです…ギートが、野生化する事を」
“野生化”。
出発する前、ウィルさんの家でも耳にした単語だ。
だけど僕達はそれを知らない。
こんなにも長く遺跡船で生活をし、知らない事がないと謳われた僕でもだ。
「野生化とは、人と暮らした日々を忘れ、魔物が本来の生き方に戻る事を言います」
「…普通の魔物と同じように人を襲い始めると言う事ですか?」
僕の問いかけにチャバさんは一つ頷く。
嫌な沈黙の中、場を和ませようとしたノーマさんの乾いた笑い声がやけに響いた。
「そ、そんな事有り得ないって!ギーとんが人を襲うとは思えないよ!」
「それはチャバさん達の方が、良く分かっているのでは?」
僕自身、あのギートが人を襲うなんて考えられない。
飼い主よりも賢く、苦労を共にした戦友と言っても過言ではないのだから。
「アニキとギートの事は、子供の頃から知ってます。
二人が強い信頼関係で結ばれているのは、良く分かってます」
「でも、野生化だけはどうしようもならないんです…野生化は、魔獣使いの宿命だから…」
「人と共に生きる道を選んだ魔獣は、いつか必ず野生化する日が来るんです」
「…今まで、一つの例外もなく」
「意味分からない」と震えた声がすぐ隣から聞こえる。
至極単純な説明を理解出来ない程ノーマさんは馬鹿ではない。
ただ、この現実がどうしても受け入れられないのだろう。
「チャバ達はその事を知っているから、ギートを警戒しているのか?」
「…ギートが普通のガルフだったら、今程神経質にならなかったと思います」
「…どう言う意味ですか?」
普通のガルフなら。
彼の言葉は僕達の不安を更に煽った。
「ギートは、グランドガルフと呼ばれる特別な種類のガルフなんです」
「ガルフの中の王様と呼ばれ、優れた統率力を持った誇り高き種族」
深く頷くウィルさんの姿が目に入った。
きっとウィルさんはギートがグランドガルフだと知っていたのだろう。
魔物に精通しているウィルさんが頷くのだ、チャバさんの言葉に間違いはない。
「グランドガルフが何故王様とまで呼ばれているか…
それは統率力だけが高いだけじゃないんです」
「グランドガルフが、人の手に負えない、圧倒的な力を持っているから」
何と声を掛けて良いのかも分からず、ただ彼の言葉に耳を傾ける。
「昔、オイラのいた集落はたった一頭のグランドガルフによって
半分の人間が無残に殺されました」
「グランドガルフは、魔獣使いの間で恐怖の象徴なんです」
「アニキはそんなギートと、笑いながら一緒にいる事が出来る」
モーゼスさんと言う人間は、魔獣使いの中で相当凄い人のようだ。
それこそ信じ難い事だが、チャバさんの言葉に嘘がないのは声色で良く分かる。
「野生化が起こるには、きっかけや理由があるんですか?」
「…最も多いのは、主との力の均衡が崩れてしまう事です」
「均衡が…」
「魔獣の方が強くなりすぎてしまい、主を主と認めなくなる」
「…」
「他には血の味を覚え、魔物としての本能に飲み込まれていくものもいます」
殺しを快楽だと言って嗜む人間が世にはいるのだ。
魔物が本来の姿に戻り狩りをする事等、何の不思議でもない。
「野生化した魔獣はその後、どうなるんですか…?」
シャーリィさんの言葉にチャバさんは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
唾を呑む彼の喉の動きを僕はジッと見て、言葉の続きを待つ。
「道は二つあります…一つは連れ添った人間によって殺される事」
「そんな…」
「けど、全ての魔獣使いが勝利する訳ではありません」
「実力により敗れる者もいれば、情に破れ死を選んだ者もいます」
「それが、もう一つの道です」
重い話に、何を言い返して良いか分からなかった。
それでも僕は希望を見つけようと、必死に思考を巡らせた。
真実を受け入れがたくなったのは、さんに出会ってからだ。
前ならばどんなに惨い現実でも受け入れ、受け止めていたはずなのに。
「例外はないんですか?野生化を起こさず、ずっと連れ添えた者は…」
諦めきれない僕の言葉を聞き
チャバさんは「馬鹿な奴」と思ったかもしれない。
「何を聞いていたんだ」と罵倒される事も考えた。
だけど彼の答えは予想外のものだった。
「…一人、だけ…グランドガルフと連れ添えた者がいます…」
絞り出された彼の言葉に、僕たちはパッと顔を明るくする。
「野生化が起きるのは、魔獣使いの宿命…それは確かに例外はありません」
「だけど、野生化した魔物でも尚一人だけ、グランドガルフを従えられた者がいます…」
皆、笑っていた。
一筋の希望を見つけ喜んでいるのは僕だけではない。
だけど僕には疑問が残る。
何故チャバさんは、この事を最後に言ったのだろう。
「じゃ〜さじゃ〜さ!その人にどうすれば良いか聞いてみようよ!」
「ああ、私もそう思う」
「今でも仲良くそのガルフと暮らしてるんでしょ?絶対コツとかあるって!」
明るいノーマさんとクロエさんの声に、チャバさんは首を横に振った。
「…そんなの、無理だッ…!」
そして彼は静かに取り乱し、震えた声で僕達の希望を消す。
「もう、いない…いたって絶対聞かない…!」
「野生化を作った本人になんかッ…!」
希望が消え、見えたのは謎だらけの現実だった。
一体彼は頑なに何を拒んでいるのだろう。
一体彼の知っている真実は何なのだろう。
だけど、悲痛な表情を浮かべ拳を震わせるチャバさんを見てると
これ以上聞いてはいけない気がした。
一体、何を言いたかったのだろう。
過去に何があったのだろう。
聞いても彼はこれ以上話してはくれないだろう。
架空の物語は人間の想像で膨れ上がり、また別の物語を生む。
全ての魔物に恐怖と言う感情を植え付け
意のままに操る事が出来た者が、一人だけいる。
それが山賊の集落での、物語。
恐怖から媚びるグランドガルフを「まあ生かしておいてやるか」、と
気まぐれで傍に置いていた少女。
グランドガルフにも主人はいた。
だけど“野生化”と名付けられた“少女への恐怖”に耐え切れず
人を切り裂き、主の命を自らの爪で潰したのだ。
「…いたら、きっとこう言うでしょう」
チャバさんは黙る僕達へと震えた声で言葉を紡いだ。
「“また新たな物語を作れば良い”」
「“野生化と名付けられた物語を超える、人と獣の物語を”」
賢い彼にしては曖昧な言葉だと思った。
だけどそれを追及しても時間の無駄であっただろう。
「…あの二人を、一緒になんかしちゃいけないんだ…」
「アニキは、きっと壊れる……きっと、もう、壊れてる…」
崩れかけた笑顔でそう言ったチャバさんの言葉を聞き、
僕は少しだけ確信に近付いた。
また、この話にもさんが関係していると言う事を。
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修正:14/01/09