「今、破壊の少女の話はせんでええ」





そう言って私の口を塞ぐモーゼスの手から、うっすらと黒い霧が溢れだす。





「モーゼス…?」





隙間から彼の名前を呼べば、モーゼスはハッとして
慌てて私の口から手を放した。





「す、すまん」
「ううん」
「っ…悪い」
「だから許してるってば!」





「おかしなモーゼス」と言い手を取れば
モーゼスの体はビクリと跳ねた。

彼の手をぎゅう、と握り締め、暖めるように包む。
霧を消さなきゃと、祈るよう目を瞑った。

…だけど、一向に霧は消えない。
むしろ、膨れ上がっている気もする。





「急に手なんぞ握ってどがあしたんじゃ?」





おかしい、と笑いながらそう言ったモーゼスを見て返す言葉も思いつかず。





「…何でもない」





「何か悩んでる?」とか「霧が…」とか
彼を不安にさせるような事は言いたくなくて、私はゆっくりと手を放した。





「さてはワイのぬくもりが恋しくなったんじゃな?」
「…そう思ったんだけど」





歯切れの悪い返事に対し、モーゼスは「何じゃ」と心配の目を向ける。

私が不安を取り除いてあげるつもりだったのに
余計にモーゼスを心配させてちゃ意味がない。





「気にしないで!早く皆と合流しよ!」
「オウ!」





立ち上がり歩き出そうとする私の手を取り
「こっちじゃ」と導いてくれたモーゼスの背中からは、やっぱり霧が舞っている。

霧を放つ人が、こんなにも飾りっ気のない笑顔を浮かべるのを初めて見た。
まるでモーゼスが、モーゼス自身の負の感情に気付いていないみたい。





「ねえ、モーゼス」
「?」
「走る?」





唐突な提案に、彼は驚いたような、呆れたような顔をした。





「何でじゃ」
「何でって…好きじゃん走るの」
「…まあ、そうじゃが…」
「走れば、色々忘れられるよ?」





私が何か言う度にモーゼスの頭には疑問符が浮かぶ。
彼が私に対しここまで呆れた顔をするのも珍しい。





「流れる景色が綺麗だし、向かい風が凄く気持ち良い」
「…」
「嫌な事も、全部吹き飛ぶ!」





私はこの世界に来て、走る事の気持ち良さを知った。
ごみごみした都会ではない、広い大地を駆ける楽しさを。

だからモーゼスも知っているはずだ。
この世界にずっといるならば、私よりもその楽しさを多く語れるに違いない。





「私に嫌な事があった時、一緒に走ってくれたのはモーゼスだから」
「…」
「だから今度は、私が一緒に走るよ!」





私の言葉を聞いたモーゼスは、少しだけ驚いているように見えた。





「最近体力もついてきたんだよ!前みたいにゼェゼェ言わないから安心して!」
…」
「私、ずっとモーゼスと一緒にいるよ!」





「絶対置いてかないし、離れないから!」





今にも駆け出そうとする私を見て、モーゼスは何を思ったのだろうか。
小さく息を吐くと掴んでいた私の手を離し、真横へと並ぶ。





「…のう、
「ん?」





モーゼスは私の手を握り直し、とても低い声で名前を呼んだ。





は、野生化っちゅうもんを、知っちょるか?」
「…」





思いがけないモーゼスの言葉に、一度は言葉を詰まらせる。
だけど隠す必要もないその問いかけに、私は再び口を開いた。





「知ってるよ」





この世界に来てから知った訳ではない。
私はもっとずっと、ここに来る前から知っている。





「…原因もか?」
「…げんいん…?」





不思議な事を聞くなあ、と思いながら私は記憶の糸を辿る。





「…宿命、だから?」





私が見つけた答えは、原因と言うには曖昧なものだった。

だけどモーゼスは私の言葉を聞いて安堵の表情を浮かべる。
「何でそんな事聞くの?」、そう聞く前にモーゼスがゆっくりと言葉を紡いだ。





がそう言うんじゃったら、きっとそうなんじゃろうな」





何かを否定して欲しかったのか。
何かを肯定して欲しかったのか。

モーゼスの言葉を聞いただけで理解出来る程、私は頭が良くない。
今の答えが正解であるかどうかも定かではなかった。

何だろう…今のモーゼスを見ていると胸がザワザワする。





は黙る事はあっても、嘘を吐くような奴じゃあない」
「うん…?」
「ワイはが言うた事を信じちょる」





私の手を握る力が、強くなる。





「家族は、家族の言うた事を信じるんじゃ。そうじゃろ?





そう言ってモーゼスが見せた笑顔は、ぎこちないけども嘘のない笑顔だった。

きっとこの違和感は、霧が濃いせいで相手の顔が良く見えないからだ。
そう自分自身に言い聞かせ、無理に納得する。





「…うん、私も信じてるよ!」





家族だと言ってくれたアンタの事、絶対に裏切らない。
こんなに優しい手のぬくもりが、嘘な訳ないんだから。















「宿命…そう、ただの宿命なんじゃ…」




ちゃんと誤魔化せただろうか。
ただそれだけが頭を巡る。

きっとは鈍感じゃから、なあんにも気付いてないんじゃろうな…。

自分も、いつも通り馬鹿でいれたらどれだけ楽だっただろう。
気付かずいつも通り笑っていられたらどんなに幸せだっただろう。

もっと、もっと霧が濃かったら。
こんな現実から逃げ出せたのに。


ワレは気付いてないんじゃろうか?


獣の足音。
霧が晴れた一瞬、顔を覗かせるオレンジ色の毛並み。
そこら中にある岩、地面、全てに付着した赤い斑点。

そして先程からゴトゴトと、有り得ない量の肉片が、周りに置かれていると言う事を。

獣は、匂いや気配で人を見分ける事が出来る。

グランドガルフと言われてるガルフの王様が
この女を破壊の少女だと理解出来ないはずがない。

周りに置かれている肉片がまだ魔物の物だから良い物の
物語動揺、人肉を持って来たらと思うと背筋が凍る。

そんな事を考えていれば、健気に笑う少女に媚びる遠吠えが聞こえた。





「今の声、ギートかな?」





「モーゼスが恋しくて鳴いてるのかも」、と笑う彼女に殺意と愛情が入り混じる。





「…殺せば、野生化は止まるのかもしれないのに」

「アニキはギートより、ちゃんを取るの…?」





いつか聞いた言葉が鮮明に蘇る。

もう、答えは出ている。
ギートの野生化を止めるには、ギートが人を襲う目的をなくせば良い。

それを成し遂げる為には、
自分に笑みを向ける少女をこの手で殺せば良いだけ。
…たった、それだけ。

それだけすれば、これ以上子分が襲われる事はない。





「っ…」
「モーゼス?」





でも、出来ないんだ。
どっちかを取れと言われても、分からない。

両方共、家族なんじゃ。
何でそれじゃ、駄目なんじゃ。


もう止めんかい…!


答えを出せないくせに、ただグルグルと同じ事を考える脳にただ訴える。















宿命だから。
そう言ってから、モーゼスの表情は一変した。

突然唇を強く噛み締め、目蓋をぎゅうっと瞑る。
頭が痛いのか何度も首を振り、時折自らを殴るように手で叩く。

落ち着きがなくなったモーゼスに声を掛けようとする。
でも、瞬間彼はいつも通りの笑顔に戻っていた。

皆に頼られている立場だからこそ、弱さを見せるのが苦手なんだ。





「…今は歩こか」





私が投げ掛けた「走る?」と言う質問に、モーゼスは今更ながら答えを返す。





「…と一緒に、イツマデモこおやって歩いてイタイカラのう…」





…―――ほら、もう。

…―――貴方の笑顔は壊れてる。










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修正:14/01/10