私の手を引っ張るモーゼスの手は、暖かく冷たい。
信じているけど、警戒もしている。
そんな中途半端な距離が体温として伝わってきた。
「ねえ、やっぱ走った方が…」
早くギートに会いたいはずの彼の気持ちを汲んでの一言も
「何でじゃ」と一蹴される。
「走る必要なんぞ何処にもありゃあせんじゃろ」
…きっと、考える時間が欲しいんだ。
勝手に解釈し、一つ頷く。
そして少しでもモーゼスの気が楽になるよう、明るい話題を口にした。
ううん、正確には口にしようとした、だ。
「モーゼス、あれ!」
「?」
「ギートだよ!」
名前を呼ぶと、遠くのシルエットはピクリと耳を動かす。
ギートは脇目も振らず、喜びの声を上げ一目散に向かってきた。
「迎えに来てくれたのかな?」
「…は、獣にもモテるんじゃのう」
「へへーん、羨ましいだろー?」
「ワイだって負けとらんわ!」
尻尾を振って私の目の前に来たギートの頭を撫でる。
何だろう、いつもと違ってちょっと毛並みがごわごわしてる。
「わ、くすぐったいってば…!」
そんな違和感も、ギートに会えた喜びですぐに頭から消えてった。
だから気付けなかったのだろう。
頬擦りされた肌に、乾きかけの紫の液体が付いている事に。
二人と一匹に増え、これで怖いものなしだと
上機嫌にモーゼスと繋いでいる手を大きく振る。
モーゼスはそんな私を見て笑いながらも、時折目を反らしギートの方を見つめていた。
しばらく歩いた時だ。
目の前に見覚えのある人影がチラチラ見える。
霧が薄くなり、凸凹な仲間達の姿が見えた時
「やっと合流出来た」と気付かぬ内に声を上げていた。
「おーい!」
背中を向けていた仲間達は一斉に振り返り、私達の姿を見て笑顔を見せる。
無事であった事を喜んでくれているのか、ノーマは私にギュッと抱きつき
グリューネさんはほんわかと私の頭を撫でてくれた。
何とも穏やかなムードの中、明らかに機嫌の悪い奴がいる。
私はそれに気付いた時、恐怖で体がブルリと震えた。
冷や汗一つ、その笑みに耐え切れず顔を反らす。
相手の言いたい事が分かっている時点で私の負けは決まっていた。
「貴女、いっそ本気で遭難してみたらどうです?」
ニコニコ、笑顔の仮面を被るジェイを見て
私は「えっと、」と返事にもならない声を漏らした。
と言うか、冗談に聞こえないのが凄く悲しいと言うか何と言うか…!
「まあ、落ち着け」
妙な空気が流れる私とジェイの間に入り、ウィルは眼鏡を光らせる。
顔に掛かる影に「あ、もしかして」と再び体が震えた。
「お前は、何度迷ったら気が済むんだ」
「ッいぃ!?」
私の悪寒は未来を正しく予言していた。
久しぶりのゲンコツに体を屈め、身悶えする。
「さて、と…これで一通り山脈内は回ったが…」
頭を押さえ声にならぬ声を出す私を余所に
ウィルはくるりと向きを変え皆に言葉を投げかける。
「それらしい魔物はいませんでしたね」
さっきまでニコニコしていたジェイもガラリと空気を変えて話し合いに参加。
何だかこの雰囲気に取り残されてる気がしてちょっとだけ凹んだり。
「…」
ぬくもりが、強く私の手を握る。
その手の先を目線で辿れば
赤い瞳は空を睨み、もう片方の手で槍を強く握り締めていた。
「…来る!」
モーゼスは私の体を庇うよう前へ出て、自らが睨む空に槍を投げた。
ほぼ同時、獣の悲鳴が聞こえ、頭上からバサバサと羽根を動かす音がする。
必死にはためくも健闘虚しく地へと落ちてきた魔物は私達を見て威嚇した。
赤く燃える羽を持ち金色の飾りを身に纏う、見た事のない魔物。
私達を睨むその瞳は宝石のように輝き、傷付いた羽を動かし頭上へと飛び上がる。
「さてはこいつが襲撃の犯人か!?」
「ガルフじゃないよ!良かったね、モーすけ!」
確かにガルフとは姿形も似つかない。
その事実に安堵の息を漏らす仲間達は構えた武器を相手に向けた。
だけど私は知っている。
コイツが事件の真犯人ではない事を。
「ワイは何も心配しちょらん!ギートを信じとったけんのう!」
魔物は私達目掛けて飛んでくる。
「行くぞ、ギート!!」
モーゼスが槍を投げたタイミングは、ギートが駆け出すタイミングとほぼ同時だった。
相手の喉に牙を刺し、動けぬようにした所を何本もの槍が襲う。
隙をついた相手の攻撃を巧みにかわし、次の支持を待つギートに声を投げるモーゼス。
こんなにも息の合っている主と魔物を、一体誰が引き離すんだろう。
誰が“野生化”と言う惨い物語を作ったのだろう。
「今度動いたら、承知しませんから」
ただ立ち竦む私の横、風に紛れて聞こえる声。
冷ややかな声に私は小さく「はい」と返事をした。
既に前衛として戦いに参加しているジェイには聞こえていなかっただろうけど
返事をしなければいけない気がしたんだ。
…でも、私には動けない理由がもう一つある。
「…モーゼス…?」
熱い手が、私の手をきついくらいに握る。
まるで手錠を掛けられたようにビクともせず、
振り解こうとするものならば更に締め上げられた。
でも、痛くない。
ただ、凄く熱い。
「ちょっとそこ〜イチャイチャしてないで戦ってよ〜!」
背後でブレスを詠唱するノーマからの言葉に対し。
「別にそういうわけじゃ…」
と、否定したのは私だけだった。
モーゼスはただ怒鳴る事も、笑う事も、照れる事もせず
ただ力強く私の手を握っていた。
動かなくなった魔物から、うっすらと黒い霧が漏れ出す。
白い霧に紛れ溢れたそれは、私が吸い込む前に空へと舞っていった。
「ヒョォオオ!勝ったぞ!!」
喜びの声を上げるモーゼスを見ていると
戦闘中の不可解な行動を言及するのも申し訳なくなってくる。
握られていた手が離れ、外気が触れる。
熱を持った手は冷たい風を受け、平温を取り戻そうとしていた。
黒い霧の抜けきった魔物は、折れた羽根をはためかせ、か細い声で鳴いた。
あの傷で助かる訳がない。
誰もがそう思い、武器を取らず魔物の行く末を見守った。
ただ、一匹の魔物を除いて。
「ギート!もうええ!ソイツはもう助からん!!」
逃げようとした魔物の尾へ噛み付き、再び地へと引き摺り下ろす。
言葉にならない悲鳴が魔物の喉から絞り出て
ジタバタと動く両足が別の方向へと曲げられた。
「っ、う…!」
あまりにも残酷なその光景に吐き気を催す。
手足が潰れ、首が離れる。
毛が剥ぎ落とされ、原形がなくなる。
「ギート、止めるんじゃ!ソイツはもう死んどる!!」
ピタリと、相手を襲う鋭い爪が止まる。
ゆっくりと顔を上げ私達を見るギートの顔は血塗れだった。
足元にあるモノを見なくても
ギートの汚れたオレンジ色の毛並みは事の残酷さを私達に知らせる。
「うわ、むごいっ…」
ノーマの言葉を余所に、ギートはヒタヒタと音を立て私達に近寄る。
点々と紫色の足跡を残し、一直線に…私へと。
「…なん、で…こっちに…」
気が付けば、私はギートに恐怖を覚えていた。
純粋無垢な瞳を向ける可愛いギートが、目の前で魔物の喰い散らかした。
その違和感に胸がザワザワと騒いで、涙が出そうになる。
「っや…!」
ギートは私に自らの体を寄せる。
触れる、たったそれだけで私の体は後ろへと倒れた。
白い服に紫色の血が付いたのを見ると、ギートは満足そうにその場を離れて行く。
「ギート、何処に行くんじゃ!?」
霧に紛れ消えていくギートの尾を見ながら、私は息を荒くし体を震わせた。
そして自分のしてしまった事に気付き、とんでもない罪悪感に襲われる。
今…一瞬でもギートに対して、否定の言葉を口にしようとしていた…。
「…ギートがモーゼスさんの言葉を無視するとは思いませんでした」
「今のは…たまたまじゃ」
「…本当に?」
殺気溢れるモーゼスの瞳にジェイは眉を顰めた。
「たまたまに決まっちょる!決まっちょるんじゃ!!」
そうだね、と返事をする者は誰もいなかった。
ううん、本当なら私が一番に言わなきゃいけなかった。
だけど恐怖から声が出ない。
千切られた魔物の手足や、ギートの無垢な瞳。
脳裏にこびり付いた物が私の思考の邪魔をする。
「っクソが…!」
モーゼスは一言吐き出すと私達に背を向けて、一人山脈を後にしようとする。
「ま、待って!私も…!」
その背中を追いかけようと立ち上がり、一歩前へ進めば
突然腕を掴まれ二歩目を妨害された。
「帰る場所は同じですし、焦る必要はないでしょう」
「で、でも…!」
「ここでさんがモーゼスさんを追いかけて、また迷子になられては困ります」
私を止めるジェイも、何処か焦っているように見えた。
それを隠そうとする彼はいつもよりも早口で、私を押さえる手も力強い。
皆、私と同じ気持ちなんだ。
私だけが、自己中な行動をしちゃいけない。
「…分かった」
帰り道、私の手を引っ張るのは
山脈の中ずっと一緒に歩いてくれた大きな手ではなく
私と同じぐらいの、華奢で小さな手だった。
山脈を抜けると、そこにはモーゼスがいる。
出口で待っててくれたんだ、と思えばまた先を行ってしまう。
「あ、こらモーすけ!待ちなさいよ!」
ノーマが声を上げても、モーゼスの足が止まる事はなかった。
それはきっと、私が言っても同じだっただろう。
同じ目的で歩いているはずなのに
こんなにも存在が遠くに感じるなんて、信じたくなかった。
街に着くと、モーゼスよりも先を歩いていたギートが前後左右を見回し始める。
不可解な行動にモーゼスが一つ名前を呼んだ。
いつもならそれが彼等の合図になると言うのに
それすらも無視し、ギートは街からいなくなる。
「…ったく、勝手にせい!!」
ギートは街の外へと向かい、モーゼスは街の奥へと消えて行く。
暗闇に消え行く一人と一匹を、止める事も出来ずにただ見つめた。
今まで一緒にいた二人が、別々の道を歩く瞬間を見たようで胸が痛む。
「だ〜も〜!勝手はどっちよ!!」
「あいつもあいつで、どうして良いのか分からないんだろう…」
モーゼスのイライラが感染ったみたいにノーマも両手を振り回す。
いつも笑っているモーゼスの元気がないんだ、こっちまで調子が狂っちゃうのは当たり前。
「色々と調べたい事があるんで、オイラもここで失礼します」
「僕も、可能な限りは情報を集めておきます」
深々と頭を下げるチャバの横、ジェイは「やれやれ」と溜め息を吐き帰路を辿る。
「ジェイ、よろしく頼む」
「モーゼスさんの為だと言うのは、不服ですけどね」
「チャバも何か分かったら教えてくれ」
「勿論です」
今日のギートの様子を見て、仲間達が焦り始めているのは私でも分かった。
もしギートが本気で人を襲うようになったら
戦う術を持たない街の住民達は無残にもやられてしまうだろう。
ただ、私が心配なのはそこじゃない。
現実へと一人立ち向かう、モーゼスの心情の方が気掛かりだ。
「私モーゼスのとこに…」
「も〜あんなの放っておきなよ〜」
「…でも、やっぱ心配だし…」
気にしない振りをして朝を迎えるなんて、私には出来ない。
モーゼスを心配だと言う気持ちに嘘はないけど
本当は私自身が何かしていないと不安なんだ。
「…少し、一人にしておくんだ。今のあいつには頭を冷やす時間が必要だ」
「、でも」
「、お前も少し落ち着け…」
子供なのは私の方だと分かっている。
正しいのはウィルの方だと、理解している。
それでも諦めきれなくて帰路を拒む私に
ゆっくりと手を差し伸べる者が一人いた。
「ちゃん」
優しい音色に、拳がゆっくりと解けていく。
ふと顔を上げれば、月を背負い私に微笑むチャバの姿があった。
「…チャバ…」
「…本当は、夜遅いから誘うつもりなかったんだけど」
「…?」
「オイラと一緒に、また霧の山脈に行かない?」
「え」と気の抜けた声を漏らす私を見て
チャバは返事を急かす事なく柔らかく笑う。
「でも、さっき色々調べるって…」
「そう、だから霧の山脈」
「…」
「きっとまだ、調べ残した所があるはずだから」
何かある、と断言された訳ではないけど
チャバの言葉には不思議とそう思わせる力があった。
「一緒にギートの事、調べて良いの…?」
「うん、アニキとギートの事が気になって寝れないって顔してるしね」
クスリと笑うチャバの優しさに涙が零れそうになる。
「この事件が解決出来るかもしれないんだ。
ちゃんが良ければだけど、一緒に来てくれないかな?」
彼のお願いの何処に断る理由があるのだろうか。
私の答えは、もう決まっている。
「一緒に行く」
そう言って、私は一歩前に進んだ。
ついてこようとするワルターには一言「大丈夫」と付け加えて。
「しかし、もう日はとっくに沈んでると言うのに…」
「大丈夫ですよ。オイラ、あの山脈良く通ってましたから」
心配する仲間達にチャバは笑顔を向けた。
頼りないと思われがちな二十歳が、年相応な雰囲気を纏いながら。
「あの山脈、夜になると霧が薄くなるんです。
魔物も霧に隠れる事が出来なくなって、別の場所へと身を潜める」
「だから、夜の方が比較的安全なんですよ」、と言ったチャバの言葉を
疑う者は誰一人いなかった。
「ちゃんは絶対に街まで帰します…だから、安心して下さい」
そう言ってチャバは深々と頭を下げた。
私がついて行く立場だと言うのに、
チャバは自分が無理矢理連れて行くみたいに仲間達にお願いする。
「反対されても、私行くよ!」
これ以上チャバに迷惑は掛けたくないと、キッパリ自分の意思を伝えれば
仲間達と目を見合わせた後、ウィルは一言「よろしく頼む」と口にした。
チャバは「ありがとうございます」と言うとまた一礼し、ゆっくりと私に手を伸ばす。
「じゃ、行こう?…ちゃん」
差し出された手を取り、私は再び霧の山脈へと向かった。
夜、人の瞳は輝きを増し、嘘を隠すと言う事も知らずに。
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修正:14/01/10