「触るなッ…!」
山脈へと出掛ける前のチャバとは別人だった。
「どうかした?急に止まって」
柔らかい声で私を案じ、優しいぬくもりで引っ張ってくれる。
「…何でもない!」
だから私は、今目の前にいるチャバが本当のチャバだと信じ笑った。
あの時は気が動転していただけだろう。
今私の目の前で笑うチャバは昼にあった出来事を忘れさせてくれる程穏やかだ。
夜の山脈はチャバの言う通り、霧が薄く本来の姿が良く見えた。
良く見える、と言っても辺りに灯りは一つもない。
私はただチャバが引っ張る方向へと向かうだけ。
暗闇にも慣れてきて、ぼんやりとだけど物の輪郭も分かるようになった。
雲に隠れていた月も顔を出し、自分の影が出来る程の明るさになった時、
私は一つ、その場に相応しくない物を見つけ足を止める。
私はチャバの手を離し、小走りにそれへと近付いた。
「…お墓…?」
少し膨らんだ土の上に立てられた木の十字架。
その前には野花で作られた花束が置かれ、風に吹かれ揺れている。
「三回目に襲われた奴…だったかな」
背後から聞こえてくる声は、何とも言えない響きだった。
「傷が深くて間に合わなかったんだ」
「…」
「きっとこの時だけ、ギートがお腹を減らしてたんだろうね」
チャバの言葉一つ一つに私はただ驚く事しか出来なかった。
知らなかった。
ゲームでは、描かれていなかった真実。
ギートがもう、人を殺していたなんて。
「…コイツ、良く言ってたんだ。“俺が死んだら、元住んでた集落に埋めてくれ”…って」
恐る恐る、振り向く。
「でもオイラ達は故郷を離れているし、アジトもヴァーツラフ軍に潰されたから」
「だから少しでも、コイツの想い出が残ってるここに埋めてあげたんだ」
淡々と話すチャバが、とても恐ろしく思えた。
「ちゃん、昼は霧が濃くて良く見えてなかったみたいだから
もう一度見せてあげようって思ったんだ…」
ドクン、と心臓が脈打ち体が揺れた。
それって、調査なんて関係ない…。
ここに来たのは、ギートの事を調べるんじゃなかったの…?
「なんで…こんなの…」
怯えているであろう私を見ても、チャバは変わらず笑っていた。
「何で?何でって…」
ジャリ、と音を立て一歩前へ出るチャバを見て、体が自然と後ろへ下がる。
「っ…!」
岩壁が背中に当たる。
それは私に逃げ場がないと教えてくれた。
顔のすぐ横に置かれた手は、まるで私を殴るかのような速さだった。
硬い岩がパラパラと散り、抉れたそこにある手はギリギリと震えている。
「お前のせいだからに、決まってるだろ…?」
そう、私に言ったチャバの虚ろな瞳を見て
こんなにも心臓が痛くなった事はないと思う程、苦しくなった。
ただただ、こんなにも
“ちゃん”
そう呼んでもらえないだけで、泣きそうなぐらい悲しい事に初めて気付いたんだ。
「私の、せい…?」
零れそうな大きな瞳に戸惑いながらも
オイラは逃げる事の出来ない少女を睨みつける。
「宿命が悪いんじゃない…宿命を作った奴が悪いんだ」
訳が分からない。
彼女の瞳はそうオイラに訴える。
「ギートが人を襲うのも、アニキを苦しめてるのも…山賊の仲間を殺したのも…」
「全部、全部、お前のせいなんだよ…!」
そう言いながらもオイラの胸はズキリと痛む。
心が二つに割れそうになる痛みを、今日初めて知った。
「私…な、に…」
混乱とショックから、声すらまともに出す事が出来ないちゃんは
いつもの元気な姿からは考えられない程顔を真っ白にしていた。
そんなちゃんを心配する気持ちと裏腹に、オイラは笑った。
笑ってなきゃ、頭がおかしくなりそうだったから。
「そう…知らないんだ…」
ヒヤリとした感触に、少女はゾクリと体を震わせる。
頬に当たった、光る刀身に驚き身を小さくしながら。
「…知らない事が、罪になるのに」
滑らせるように、刀身を首へと動かせば
切れた頬から鮮やかな赤が流れ出て、白い服を染めた。
「っ…!」
小さく漏れた悲鳴は、恐怖からだろうか、それとも痛みからだろうか。
ただ、彼女が小さく息を吐いただけでオイラの決意は鈍る。
「…」
惑わされちゃ駄目だ。
全ては破壊の少女が…コイツがいけないんだ。
「…っ…」
ほんの少し、ナイフに力を入れればちゃんはきゅうっと目を瞑る。
恐怖に立つ事もしんどいのだろう。
ズルズルと岩壁を伝って、彼女の体は地面へ落ちた。
それでもちゃんは逃げなかった。
逃げるどころか、オイラに向かって怒鳴ろうとも助けを呼ぼうともしない。
更にはこの行為の意味を追及する事もない。
後一つ、オイラが行動を起こせば自分は死ぬと言うのに
ただただ体を小さくするだけで、何をしようともしないんだ。
黒い瞳の中にある月は、オイラを魅了するかのように揺れている。
「…嘘だって、言ってくれればいいのに…」
つい零れてしまった本音は、一度外へ出たら止まらない。
「違うって言ってくれればいいのに…」
「…」
「一言で良いんだ…」
「破壊の少女じゃないって、言ってくれ…」
悔しくて、岩壁に付けていた手を強く握る。
パラパラと、崩れた岩の粒が掌から零れ落ちた。
「…出来ないよ」
すぐ耳元から聞こえた彼女の声に、目を細め歯を食い縛る。
「ずっと一緒にいたもう一人の自分を、否定なんか出来ないよ」
「ううん…もう、否定なんかしたくない」
「違う」と言ってくれれば
「ああ、そうか」と言って君に笑顔を向けられた。
やっぱり、もう引き返す事は出来ないのだと自覚した。
もし嘘でも「破壊の少女でない」と言ってくれれば、見て見ぬ振りだって出来たのに。
「…ごめん」
どうして、何も知らない君が謝るの?
その場の空気に流されて謝るなんて、ちゃんらしくない。
「…優しいんだね」
「…」
「オイラが辛い顔してるから、謝ってくれるんだ」
「チャバ…」
「そう言う優しいちゃん、オイラは好きだよ」
不安そうにオイラを見つめるその瞳を
行き場をなくし、宙に浮くその手も
本当は離したくない程、大好きなんだ。
「でも、破壊の少女は嫌いだッ…!」
そう口にしながらも、想いは裏腹、殺す事は出来ないと悟った。
一度気持ちが緩んでしまえば、この刃を君に向ける事が出来なくなる。
だから、夜を選んだんだ。
大好きな君の顔を見なくて良いように。
「…もう、良いよ」
そう言ってオイラはゆっくりと手を放す。
「もう、ちゃんなんてどうでも良い」
言い訳のようにオイラは言葉を吐き出して
目の前できょとんとしている少女に背を向けた。
「ま…待って!」
慌てて立ち上がり声を上げるちゃんを置いて、山脈の出口を目指した。
ずっと聞いていたいと思う程好きだった声が今はもう耳障りでしかない。
「ちょっと…待てってば!!」
腕を掴む小さな手に、何度触れたいかと思っただろう。
だけどそんな日々も、今や色褪せた想い出だ。
もう、この手は…。
「…触るな…」
大嫌いな、破壊の少女の手なのだから。
二度、同じ言葉を言われた。
その振り絞るような声に私は怒りさえ覚えた。
何で、そんな悲しそうな声で言うんだよ。
何でアンタは今、そんな泣きそうな顔してるんだよ。
言いたい事、たくさんある。
たくさんありすぎて、頭がぐちゃぐちゃで、もう分からない。
ただ、今まで私を見守ってくれていたぬくもりが離れるのが嫌で
私は子供みたいにわんわん叫ぶ事しか出来なかった。
「訳分かんない…!」
一体、私が何をしたんだ。
この子が何をしたって言うんだ。
ううん、この際破壊の少女は関係ない。
私が今一番言いたい事は、至極単純な事だ。
「っ連れて来たなら、ちゃんと手握って元の場所まで帰してよ!!」
砂を蹴る音が止まる。
「ちゃんと街まで送ってよ!!私が道知ってる訳ないだろ!?」
子供のように吠える私を、チャバは振り返り見つめる。
「ッ…一人でここ、歩いた事ないんだから…!!」
恥ずかしい、情けない。
そう思っていない、と言ったら嘘になるけども
どんな手段を使ってでも行かせないと思う気持ちの方が大きかった。
十六にもなって、と笑われたって良い。
彼がまた、優しく笑ってくれるなら。
「元の、今まで通りの日常を返してよ…!元のチャバのとこに戻してよ!」
「いつもみたいに優しく、私が何したのか、教えてよ…!」
「間違ってるところがあるなら、教えてよ…!!」
どんなに滑稽でも、私はもう自分の好きな人を手放さない。
「連れてけ」「帰せ」と言うちゃんを見て開いた口が塞がらなかった。
つい数分前まで自分を殺そうとしていた人間に対し
「送ってもらう」と言う発想になる事に脱帽した。
今時の女の子ってこうなのか…?と世の常識を疑う程だ。
「私、だよ!!」
「…は?」
あ、しまった。
余りにも突拍子のない事を言うから、素が出てしまった。
後悔しても漏らした声がなくなる事はない。
「この世界の人間じゃないし、破壊の少女だし
気味悪いって思われてるかもしれないけど、私はだよ!」
ちゃんはいつの間にか泣いていた。
その大きな目から涙を零して、鼻の頭を真っ赤にして
オイラの呆けた顔を正面から見ながら、わんわんと声を上げている。
「ッ私、チャバと出逢った頃から何も変わってない!!」
「物分り悪くて、馬鹿で、皆に迷惑掛けてばっかで、私は何も変わってないッ…!」
「変わったのは、チャバの方じゃん!!」
そう言って、ちゃんはオイラを強く強く睨んだ。
震える唇を噛み締めて、体を震わせて。
「ッ嫌いになってほしくない…!」
「…」
「変わって、欲しくなかった…!」
「チャバには、受け入れて欲しかった…!」
その言葉に、彼女の今までが詰まっているのだろうと感じた。
きっとちゃんは今までもそう言う体験をしてきたのだろう。
今まで普通に接していた者が
彼女が“破壊の少女”だと知って変わってしまったのを。
アニキからもそう言う事を聞いていた。
突然見知らぬ夫婦に頭を殴られたり
関係ない事件でちゃんが犯人扱いされていたり
アニキはいつも悔しがりながらそんな話をオイラにしていた。
「…」
本当に、変わったのはオイラの方なのだろうか。
「もう良い!帰れ!!」
ここが街中であれば物の一つ投げてきそうな勢いだが、生憎周りは岩だらけ。
ちゃんはより一層強くオイラを睨むとその場に三角座りをし
顔を埋め、サラリと黒い髪を揺らした。
「…」
そんな時、思い出したのは彼女と初めて出会った時の記憶だった。
魔物の死体かと思ったその塊が
笑顔の可愛い、優しい君だったのを覚えてる。
「元の、今まで通りの日常を返してよ…!元のチャバのとこに戻してよ!」
「ッ私、チャバと出逢った頃から何も変わってない!!」
「変わったのは、チャバの方じゃん!!」
先程、自分に向けてぶつけられた言葉の数々が蘇る。
…そうだ。
ちゃんは、初めて会った時から変わってない。
あの時から、何処か抜けてる子ではあったけど
芯をしっかりと持ち、自分の中にある正義を貫く子だった。
誰に何を言われても自分を曲げる事をせず
無力に嘆く事はあっても、最後には必ずあの底抜けに明るい笑顔を見せてくれる。
「…」
勇気のある一歩を踏み出して、鼻を啜る度に揺れる体へと近付いた。
そうだ。
変わったのは、オイラの方だ。
なら、今からでも戻れるかな。
…戻ったら、君は笑ってくれるかな。
「…そんな所に蹲って、どうしたの…?」
「そんな所に蹲って、どうかした?」
初めて君と出会った時の言葉を紡いだ。
返事はなく、彼女はチラリとオイラを見上げ、睨む。
少し怖くて、体が引いた。
言ってはいけない事だったのだろうか。
ちゃんは次に何と言うだろう。
とにかく彼女の返事がない経った数秒、不安で堪らなかった。
「大事な友達、待ってんだよ」
「仲間とはぐれて…」
あれ、なんだろうこの違いは。
オイラは以前と同じように問うたのに、
ちゃんはいかにも不機嫌ですって感じ。
不公平じゃないか。
君だけ自分のペースで返事をするなんて。
「…ハハ、アハハ…」
もうおかしくって、笑いしか出てこない。
ああそうだ、これもちゃんのらしさだ。
本当に、君は全然変わっていない。
ただただ笑うオイラを不審そうに見るちゃんの目には涙の膜が張られている。
またオイラがおかしくなっちゃったのか不安なんだろう。
だけどそれも不思議な事だ。おかしくしたのは君なのに。
「大事な友達って、オイラで良いのかな?」
「調子乗るな」
ぶっすうとした声に笑いそうになる。
ちゃんもそれに気付きまた睨む。
ああ、何でさっきまで殺そうとしてた子がこんなに愛しく思えるんだろう。
「…」
そうだ、さっきまで殺そうとしてた。
それすらも忘れさせてしまうのが、ちゃんの力なんだ。
「ちゃん」
「…なに」
「ちゃんに一つ、お願いがある」
首を傾げる君の瞳に、もう怒気はなかった。
「もし聞いてくれたら、オイラは昔のオイラに戻るよ…」
「…」
「もうあんな事しないし、嫌いとも言わない…」
子供をあやすように紡いだ言葉は、どうやらちゃんには効果覿面だったようだ。
「もう、あのチャバ本当に無理…」
「(無理…?)なら、聞いてくれる?」
「生理的に無理」と言われた気がして、言葉がグサリと胸に刺さる。
多分、ちゃんなりの「ショックが大きい」と言う表現なのだろうけど
その語彙、もう少し何とかならないのかなと心の中で呟いた。
「私の事、好きでいてくれる?」
ハッと顔を上げると、ちゃんは笑っていた。
どうして笑ってるの?と聞くのも惜しい程の可愛い笑顔に胸がときめく。
「…うん」
本当はもう、ずっと前から好きなんだ。
アニキに怒られるから、これから先も隠し通すつもりだけど。
「やって欲しい事って、何?」
体を乗り出すちゃんをオイラは真剣な瞳で見つめた。
憎むべき相手なんだ。
それは今も変わらない。
だけど、この物語を変えられるのはこの子しかいない。
「…本当の事、教えるよ」
「だから絶対に、アニキを助けて」
破壊の少女じゃない、君に頼むんだ。
アニキが宝物のように大事にしている、君だけに。
「本当の、事…」
ちゃんはオイラの言葉を繰り返し、首を傾げた。
まるで遠い過去の記憶を思い出そうとしているかのように。
だけど思い当たる節がなかったのだろう。
最後には一つ頷き、真っ直ぐな瞳をオイラに向けた。
「教えて、本当の事」
「…うん」
「約束、守るから」
「モーゼスの事、絶対助けるから」
ちゃんの言葉に迷いはなかった。
「私に出来る事ならするよ」と言う曖昧なものではない。
まだ話を聞いていないのに、「絶対」と言う言葉を口にした。
そう言う所が、本当に羨ましいんだ。
なあ、聞こえてるかな。
墓の下で眠る同士よ。
今目の前にいる少女は間違いなく破壊の少女だけど
アニキを守る為に誰よりも一生懸命になってくれる女の子なんだ。
だから、今だけは。
ギートとアニキ、どちらかが最期を迎えるその時までは。
目の前の女の子と小指を絡めても、許してもらえるだろう…?
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修正:14/01/10