帰り道、繋がる手の先から伝わるのは昔と変わらない温かさ。
あの時もそうだ。
仲間とはぐれ、前へ進む事も出来なかった弱い私の手を
一番最初に掴んでくれたのはチャバだった。
「野生化は、作られた宿命なんだ」
チャバはそう、風に乗せて言葉を紡いだ。
頬を掠める風は冷たく、目を細める。
「大昔、魔獣使いと獣の間に出来た主従関係が、一度大きく崩れたんだ」
「…」
「…一人の少女のせいで」
私を見つめるチャバの瞳が濁る。
冷ややかなその瞳は、恐らくだけど私の中に眠る少女を見ているのだろう。
「たった一人の女の子が、野生化の物語を作ったんだ」
絡まる糸を解くよう、チャバは私に全てを話してくれた。
チャバが言う、野生化を作り出した女の子と言うのは“破壊の少女”だった。
彼女は人肉を好み、魔獣達を巧みに操りそれを手に入れていたらしい。
彼女に逆らえる種族は一つもなかった。
獣は恐怖に怯え何度も何度も人を殺し、その肉を破壊の少女の元まで運ぶ。
それを繰り返していく内に、獣は自らの主人をも殺してしまった。
そして、その恐怖は今も尚獣の血の中に残っている。
破壊の少女が植え付けた恐怖こそが、“野生化”だとチャバは言った。
チャバの言葉に恐らく嘘はないのだろう。
だけど私にはその物語が作り物だと思えて仕方がなかった。
「アニキはずっと、ちゃんは違うって言ってた」
「…」
「家族達がどんなにちゃんを悪く言っても、ずっとそうじゃないって言い張ってた」
私、そんなモーゼス見た事がない。
そんな、私の知らない所で私を庇ってくれていた事も、全然気付かなかった。
「でもアニキは、きっともうボロボロだと思う…」
ぎゅうっと、私の手を握る力が増す。
「今日の…ギートがちゃんに懐いてる様子を見てれば
誰だって信じる気持ちは弱まるよ…」
異様なまでの甘えた鳴き声。
必ず一直線に私へと向かう足。
純粋すぎる、大きな瞳。
私だって、ギートの態度に違和感を覚えたはずなのに。
「野生化を止めるには、獣の中にある恐怖を取り除いてやる事」
「…」
「恐怖って言うのは、君なんだよ…ちゃん」
分かってる。
今更そんな事言われなくても、
破壊の少女がこの世界に与えている恐怖に気付いている。
私はそう、心の中で呟きながら首を縦に動かした。
「…何で、こんな事になるんだろう…」
チャバはそう言って、自らの前髪をクシャリと握った。
まるで悲しみに暮れる自分の顔を隠すように。
「何で、家族を一番に想うアニキが、こんな想いをしなきゃいけないんだろう…」
「何で…どっちかを取らなきゃいけないんだ…何で、それがアニキなんだ…」
「神の怒りに触れるような人じゃないのに」、チャバはそう言うと俯き唇を噛み締める。
そんな重い沈黙を晴らしたのは、自分自身の声だった。
「大丈夫!」
朝を迎えようとしている薄暗い道に私の声が響き渡る。
きっとこの声は俯くチャバにもハッキリと聞こえただろう。
「私、約束は守るよ!」
「絶対、モーゼスとギートの事助けてみせるから!」
そう言って笑った私を、醜くて見ていられないと言わんばかりに
チャバは複雑な表情をした後顔を反らした。
「そう…でも、忘れないでね」
「その笑顔ですら、アニキの負担になるって事を…」
「くそ、何処行きおった!」
「待つんじゃ!くそが!またんかこら〜!」
まだそんなに親しくない一人の少年と一匹の獣が、脳裏の中を駆け回る。
少年は声を張り上げ、獣は五月蠅そうにその場を走り去る。
「…って、あん?足が地面についとらん…」
「ぎゃあああっ!!ここは崖じゃった!」
「…こがあな時まで、ワイを振り回すのは止めちょくれ…」
立派になった少年は、過去の記憶を思い出しながら声を漏らした。
その声は獣に届く事はない。
掌に残るぬくもりは、一人の少女を思い出させた。
一瞬、脳裏を去る獣の姿は少女の笑顔へと変わる。
「モーゼス!」
優しく、強く、明るく、一人の青年の名を呼ぶ。
だけど青年は忘れられないのだ。
自分の元を去って行く家族同然の獣の姿を。
辛い時、自分の傍にいてくれた仲間達を。
うっすらと明るくなった街でチャバは私の手をそっと離した。
「…それじゃあ、おやすみ」
振り返り笑うチャバの姿は、淡い光に照らされ
何だか消えてしまいそうな程儚かった。
「…ごめんね」
そして彼は、付け足すように謝罪の言葉を口にする。
「何で謝るの?」
「いや、色々と…」
「チャバは悪くないじゃん!」
そう言って笑う私を見て、チャバはきょとんと目を丸くした。
「そうかな」と言って目を反らす彼に「おやすみ」と手を振ると
チャバはもう一度私に挨拶をし、野営地へと向かって行く。
街の入口に残された私は、振っていた手を下ろししばらくその沈黙に身を委ねた。
誰もいない、昼の賑やか街とは別の心地良さを肌に感じ、ゆっくりと息を吸う。
「…シュヴァルツ」
息を吐くと同時に、私は女の名前を呼んだ。
誰もいない道の先に、黒い霧が生まれる。
それは人の形になり、晴れたと同時に仮面を付けた女の姿が露になる。
冷たい風に吹かれる水色の髪を見て、私は目を細めた。
「聞いてた?」
答えは沈黙だった。
だけどそれで良い。
コイツが何も口にしない時、それはほぼ肯定を指す事が多い。
…何て、本当は知りたくもないのに
何故かシュヴァルツの気持ちが分かる時がある。
「…破壊の少女が肉を食べられるなんて、初耳なんだけど」
まず、チャバの話を聞いて疑問に思った所はそこだ。
私が見た過去の映像。
その中にいた破壊の少女に、人間として機能する正常なパーツはほとんどない。
彼女に口はなく、そこにあるのは“それらしきもの”であり
食事は通常の人間とは違う、濁った油だけだった。
だからあの物語には間違いがある。
でも、恐らく本当の事もある。
「…弱肉強食」
「?」
「それは人の子であろうと、獣であろうと同じ」
久しぶりに聞いた女の無機質な声に自然と体が強張った。
「少女の過去を見た子ならば分かるであろう」
「…」
「破壊の少女がどれ程の人を無に還したのか」
忘れる訳がない。
今でもあの残酷な映像を私はハッキリと思い出せる。
自分を利用していた人類を、自分を産んだ母親を殺し
黒い霧を求め炎を背に世界を徘徊している少女の姿を。
「獣は人の子よりも賢いのだ」
「…どう言う事?」
「“逆らえば死が待っている、気に入られなければ殺される”」
「…」
「自らの命がかかっているとあらば、行動に出るのも早いであろう」
正直、驚いた。
いつも気難しい言葉を使う女が
私にでも理解出来るよう言葉を選んで語っている。
「じゃあ、魔物が破壊の少女の為に人を殺していたのは本当だったんだ…」
「…」
「あの子が頼んだ訳じゃないけど、気に入られようと必死だったんだね…」
目の前の女は一つ頷いた。
その行動が不可解に見えたのはどうしてだろう。
人間らしく、私の言葉に首を一つ動かしただけなのに。
「…人間、らしい…?」
思っていた事が口から溢れる。
そうだ、それが気味悪いんだ。
目の前にいるヤツは…シュヴァルツは、そんなヤツじゃないのに。
「何で…アンタ、そんな奴じゃ…」
…―――おいで、…。
「っ…ぅ…!」
突然の激しい頭痛に立つ事も出来ずその場に崩れる。
「痛い」と思ったのは一瞬で、体が傾いた時には既に意識を手放していた。
深い眠りに堕ちる前、うっすらと聞こえた声は誰のものか分からない。
だけどとても、安心する音色だった気がする。
「気付くのだ、破壊の少女よ…」
「我等は、同じ道を辿る運命なのだ…」
「子の運命は、我の運命…子の願いは、我の願い」
「やめて、もうやめてよ!」
だけど私の気持ちとは裏腹に、悲痛な声を上げる少女もいる。
今まで心を閉ざしていた少女は、まるで恋の奇跡で人の心を取り戻したかのよう
自らの感情を涙と共に吐き出した。
「同じ呪いをこの娘にもかけて、結局お前がやりたい事をしているだけだろう!?」
同じ、呪い…呪いって何…?
「もう、わたしは戻らない!」
「霧を集めてやっているだけでも感謝しろ!!」
「この心は、もうお前に渡さない…!」
「わたしは、もう利用されたくない!!」
私がいつかシュヴァルツに向けて言った言葉を、今度はあの子が言っている。
どうして、急にそんな事を?
何で、シュヴァルツをそんなに拒むの?
分からない。
良く分からないけど。
「利用しているのは我ではない…子だ」
「我は一度も…お前を利用した事などない…」
こんな、楽園には程遠い悲しい音色が響く世界を
神様自身が作ってしまっているのだろうか。
「アニキ」
テントの外から声を掛ける。
返事はない…不安になりもう一度名前を呼んでみたものの、
やはり返ってくるのは無音。
「アニキ…?どうかした?」
悪いと思いながらも天幕をずらす。
そこにはランプの灯りすらない暗闇があった。
…違う、この暗闇は灯りがないせいではない。
きっとこれは、深い深い淀んだ感情のせい。
アニキから返事はなく、その姿も暗闇に紛れ見えはしない。
だけど、何故だか見てはいけない気になってしまった。
…いや、きっと見るのが怖いだけなんだ。
「…また少し、出掛けてくるよ。色々調べてくるから」
本当はもうやれる事なんてないのに、オイラはそっと天幕から手を離した。
もう、手遅れだったのかもしれない。
何もかもが、遅すぎたんだ。
「…ちゃん」
朝を迎えるのが怖かった。
朝を迎えたら、壊れてしまったアニキがハッキリと見えてしまうから。
ああ、きっともう。
名前を呼んだ少女にはどうする事も出来ない。
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修正:14/01/10