彼から流れる血は、その髪の色を良く似ている。
軽傷とは言えない出血量に、私は言葉を失くした。
「このっ…!」
駆け出し、セネルは技を放つ。
ギートは動じもせず攻撃をかわし、牙を剥き出した。
「お兄ちゃん!」
「ッ強い…!」
野生化したギートの前ではセネルの拳も歯が立たない。
ギートはフゥ、フゥ、と荒い息を吐きながら
私達の輪に狙いを定め人の血を求める。
次の獲物はモーゼスの身を案じ彼の体を揺するノーマだ…。
私には、ギートの唸り声がそう聞こえた。
「ッ止めて!!」
固まっていた体が、すんなりと動いた。
走り出すギートよりも先に、私はノーマとモーゼスの前で両手を広げる。
「ギート!!」
名前を呼べば、ギートはその足を止め
クゥン…と叱られた子犬のような声で鳴く。
「お願い、殺さないで…!」
一歩、ギートが後退する。
「私は、何も望んでない…!」
周りの獣達は既に何処かへ消えていた。
「モーゼスの事好きなら、殺さないで!」
「家族じゃん!今までずっと、一緒にいたじゃん…!!」
ギートは、再び鳴いた。
何処か寂しそうに、甘えるように。
「お肉なんていらないよ…!もう支配もしない!だからもう、止めて…!!」
震えた声を漏らし、許しを請う私を見て、ギートはもう一歩下がる。
「私、いなくなるから…!もう怖い想いさせないから!!」
「だから、早く元のギートに戻ってよ!」
「ギートが今一番したい事、モーゼスにしてあげてよ…!」
私の言葉、分かってもらえているのかな。
ううん、言葉が分からなくても気持ちは繋がっている。
今までだって、私達はそうやって分かり合えてきたんだから。
だけど返事はないまま、ギートは肯定か否定かも分からない遠吠えを一つ上げ
私達の横を通り過ぎ、対岸の入口へと消えて行った。
「…ちゃん」
「っ…」
「自分がいなければとか、言う事を聞いてくれるとか、もうないんだ」
「どうして?」と問う私の瞳に、チャバは一瞬戸惑いを見せる。
だって、恐怖の対象は破壊の少女なんだ。
私さえいなければ、恐怖は取り除けるはずなのに。
「今のギートを見て、分かった…」
「…?」
「アニキをいれて犠牲は八人…住民も襲ってるからそれ以上」
「…」
「…その内の一人は、殺されてる」
「…血の味を覚えた獣は、もう元には戻らないんだよ」
その言葉を聞いて、驚くくらい冷静に納得している自分がいた。
人と獣は同じなんだ。
破壊の少女だって、霧の侵食に耐えきれず人を殺した。
ギートだって、獣本来の欲に耐えきれなくなっただけ。
…そう、理解するだけなら簡単だ。
「っだけど…!」
「?」
「だけど、ギートは戻ってくれた…!」
まだ、希望はある。
まだギートは、モーゼスの事を想ってる。
「モーゼスを殺したくないから、途中で止まってくれたんだ…!」
「私達の事を思い出してくれたから、襲わなかったんだよ…!」
直接ギートと話が出来た訳じゃない。
だけど私には聞こえた気がした。
“助けて”、“お願い”、って。
「…ともかく、モーゼスの怪我を治すのが先だ」
倒れるモーゼスの額に手を当て、ノーマとウィルはゆっくりとブレスを唱える。
暖かい光に包まれ、モーゼスは苦しそうに声を漏らした。
「傷がかなり深いな…」
「これだけ血が出てもおかしくない訳だ…」
長い事ブレスをかけているにも関わらず、モーゼスの傷は癒えないまま。
止血だけは出来たものの、流れた血が戻る事はない。
辺りに飛び散った赤い血は既に黒く変色しており、私はそれを見て唇を噛みしめた。
「モーゼス、手をどけろ。目の傷が治せない」
モーゼスは掠れた声で「大丈夫じゃ」と言った。
「大丈夫な訳がない」とウィルは彼の手を掴む。
上手く力が入らないのだろう。
モーゼスの手はすんなりと目から離れ、ダラリと垂れた。
「お前、その目…どうしたんだ!?」
眼帯の奥、初めて見えたものに皆は驚き声を上げた。
今まで隠れていた彼の目には、大きな傷。
見てすぐに古傷だと分かる。
だが生傷でないとは言え、目を背けたくなる者がいる程痛ましいものだった。
「なァに、驚く程のもんと…ちが、う…」
モーゼスは笑い、そしてスッと目を閉じた。
「ちょっと、モーすけ!?」
「…どうやら、気を失ったようですね」
意識を手放したモーゼスは、私達が思う以上に弱っている。
体だけじゃない…きっと、心も。
「…モーゼスもこんな状態だ。街に戻って仕切り直そう」
「あぁ、そうだな…」
ウィルはモーゼスに負担をかけぬよう体を支え、ゆっくりと歩を進める。
皆は顔を見合わせ頷くと、ウィルの背中を追い街への帰路を辿った。
「…」
残された私は、血溜まりに落ちていた布を拾う。
「それ、アニキの眼帯…」
「…うん」
既にここを離れたと思っていた者の声が近くから聞こえる。
意外ではあったけど、驚きはしなかった。
チャバの言葉に一つ頷き、手に持った眼帯をギュッと握る。
「…ダメだなあ」
情けなく言葉を吐き出す私に、チャバはどんな表情を向けているんだろう。
きっとこんな私を見て呆れているに違いない。
「チャバと約束して、モーゼスにあんな偉そうな事言って…」
「…」
「ギートにも、一方的に気持ちぶつけちゃって…」
これ以上はダメ。
そう思ったのに言葉が止まらなかった。
「全部、私がいけないのに…私に、こんな事する権利なんてないのに」
溢れた涙が、垂直に落ちる。
「それでも、私が破壊の少女でも…!」
「…」
「ずっと一緒に、いたい…!」
「約束、守れなくてごめんなさい…!!」
なんて諦めが悪いんだろう。
モーゼスに「家族じゃない」と言われ、自分から「嫌い」と言ったくせに
私は私の居場所を探そうともがき続けている。
「…うん」
チャバは一つ頷くと、ソッと私の髪を撫でた。
温かいぬくもりに、涙が止まらない。
「大丈夫だよ、ちゃん」
「っ…」
「ちゃん、頑張ってるよ…」
「だから今度は、アニキとギートが応える番だから」
本当にそうなのかな、と迷う私を宥めるよう、チャバは言葉を続ける。
「だから、最後までアニキの事見捨てないでね」
見捨てないでねって、先に見捨てられたのは私だよ。
そんな事を思いながら、私は何度も何度も頷き
人のぬくもりを求めるよう彼の服をぎゅっと握った。
「レイナードさん!何処に行ってたんですか!!」
日の落ちた街へと戻れば、私達に休む暇も与えず住民達が声を上げた。
「魔物の件を調べに出ていた」
「その魔物に、また人が襲われたんですよ!!」
住民の言葉に驚き目を見開いて、皆は顔を見合わせる。
「もうこれ以上我慢出来ない!
ギートとか言うあのガルフを、ここに連れてきて下さい!!」
そう言うと、女性はモーゼスを指差し煽る。
気を失っていたモーゼスはいつの間にか意識を取り戻していた。
とは言えその体は立つ事も儘ならず、虚ろな瞳は地面を向いたまま動かない。
そうだそうだと女性の意見に流される住民達の声に
私は拳の震えが止まらなかった。
「ここは俺が話をつける。お前達はモーゼスを休ませてくれ」
小声で指示を出し、ウィルは私達の盾になるよう住民達の前で両手を広げる。
私達は住民達の暴言の数々に胸を苦しくさせながら
逃げ出すかのようにその場を去った。
「少し寝かせてくる」と、セネルはモーゼスを一番奥の部屋へと連れて行く。
その姿を見守る私達の間に会話はなかった。
いつも暖かいリビングが凍える程冷えている気がして、自らの体を抱く。
何も出来ない自分に、嫌気が差す。
心身共にズタズタなモーゼスを見て、私は話しかける事すら出来ない。
それから何時間経っただろう。
いや、実際にはほんの数分だったかもしれない。
カタン、と物音がした方へ視線を向ければ
ゆっくりと開いた扉からウィルの姿が見えた。
その顔には疲労の色が見え隠れしている。
きっと住民達を納得させるのにそれなりの体力を消耗したのだろう。
「モーゼスの具合はどうだ?」
「ようやく落ち着いたところだ」
セネルの言葉を聞いて、ウィルはホッと安堵の息を漏らす。
だけど決して事態が解決した訳じゃない。
皆の笑顔はすぐに消えていった。
「…チャバの話にあった通り、ギートの力はかなりのものだった」
「…」
「まともに攻撃を受けていたら、助からなかったかもしれない」
セネルがその身を以て感じた事だ。
皆は反論もせずに目を伏せる。
「モーゼスさんの反応がもう少し遅かったら、危なかったですね」
「主人であるシャンドルに攻撃をしたんだ…既に野生化が始まっているのだろう…」
言葉を紡ぐにつれ、クロエの声は消え入る程小さくなった。
誰も聞き返そうとはしない。
聞こえなくても分かっているからだ。
重たい沈黙の中、私なんかが口を開いてはいけないと頑なに唇を閉めていた。
自分らしくない行動に、心の中で苦笑する。
私、モーゼスが近くにいなきゃ意見も言えなくなっちゃうのかな。
考えても答えに辿り着きはしなかった。
「…モーゼス、目のところに大きな傷があったな」
押し潰されそうな程続いた沈黙を破ったのはセネルだった。
「いつもは眼帯で隠していて、良く分からなかったが…」
「…チャバはあの傷の事、何か知ってるのか?」
突然話を振られたチャバはピクリと指先を動かしながらも
「やっぱりか」と言いたそうに目を伏せる。
思い出を懐かしむ穏やかな表情とは裏腹
強く握られた拳は爪が白くなる程の力に震えていた。
「あの傷は…アニキとギートの、絆の証です」
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修正:14/01/10