荒れ地を歩く少年。
くつろぐ一匹の獣。
一人と一匹の目が合うと、少年はニヤリと笑い、獣は急いで立ち上がる。
「今日こそ、ちびすけを捕まえちゃる!!」
獣は大きな岩をぐるぐると周り
少年は頭を使おうともせず、一心にその尻尾を追いかけた。
「だ〜!またんかこら〜!!」
次第に荒くなる息が人と獣の違いだ。
体力の限界を迎えた少年を気遣う事なく、獣はその場から颯爽と逃げ出す。
「はぁ…はぁ…逃げ足の速いやつじゃ…さすがのワイも、肺が潰れそうじゃ…」
そう言いながらも、少年は一歩一歩前へと進む。
彼は獣との距離を縮めるべく、消えた姿を必死に追いかけた。
足跡が途絶えたその場で少年が目にしたものは
岩壁へと追い込まれた一匹の獣と、狂ったように唸り涎を垂らす魔物だった。
「何じゃワレ!ちびすけはワイと遊んどるんじゃ!!」
少年は怯みもせず二匹の間に入り込み、自分の二倍以上はある相手に槍を投げつける。
痛々しい雄叫びが空気を揺らし、魔物はその場に崩れ落ち。
もう安心、と振り返る少年の目には
魔物の雄叫びを聞きやってきた、もう一匹のベアが映った。
「っ危ない!!」
ベアは獣に鋭い爪を振り上げた。
少年は再びその間に滑り込み手を広げる。
容赦なく少年へと襲いかかるその爪は、顔の半分を削るよう垂直に落下した。
「ッギャァアア!!」
底抜けに明るい声とは違う、痛みに悶える声。
「何さらしとんのじゃ…!クッ…痛…!!」
血の匂いを嗅ぎつけてか、ベアの数は一頭、また一頭と増えていく。
ダラダラと血の流れる顔半分を押さえながら
少年は振り返り怯える獣に声を荒げた。
「ワイがコイツ等の面倒みちゃる!今の内に逃げるんじゃ!!」
獣は潤んだ瞳でジッと少年を見つめた。
「はよ行くんじゃ!!全力で走れッ!!」
少年の言葉は獣の背中を押し、獣は竦む足を動かし必死に逃げた。
「血が止まらん…痛いんじゃが、熱いんじゃかも分からん…!」
獣が逃げた姿を見届けた後、少年はゆっくりと槍を構える。
「チィッ!左が見えんと、距離がよう分からん…!!」
「ワイとした事が、かっこ悪い末路じゃのう…!くそったれがッ!!」
魔物は少年に同情等しなかった。
ドクドクと流れる血を見て興奮したのだろう、
魔物は少年目掛けて再びその爪を振り下ろす。
ああ、もうダメなのか。
少年は半ば諦め、右目を強く握った。
しかし、いつまで経っても痛みが少年を襲う事はない。
「っ…?」
恐る恐る目を開けた少年の目に映ったのは
先程自分が逃がしたはずの小さな獣の姿だった。
「アホが!ちびすけは逃げるんじゃ!!」
小さな獣は少年の声を聞こうとしない。
「怖いんじゃったら、無茶するな!」
「ワイなら平気じゃ!全然…へい、き…」
意識が遠のいていく少年が最後に耳にしたのは、一匹のガルフの遠吠えだった。
集落へ連れられた彼は、未だ目を覚ます事はない。
深い深い眠りについて、三日が経とうとした頃
集落の人間は最悪の事態を口にする。
「今日で三日目だ…モーゼスは助からないかもしれない」
「外にいるグランドガルフを、あのままにして良いのかしら?」
「良くはないが、下手に手出しも出来まい」
「そうね、子供とは言え、グランドガルフですもの…」
「それにしても、あのガルフも三日目だぞ。家の前で待ってるのはさ」
「本当にモーゼスの目覚めを待っているというのかしら?」
「信じられないが、そうしか考えられないだろう」
「あのグランドガルフは、モーゼスを認めたんだ」
「ギートはアニキが目覚めるまで、ずっと家の前で待っていたんです」
「雨が降ろうと、冷たい風に吹かれようと、少しも動かず、ただひたすらに…」
悲しい瞳のまま微笑むチャバに、私達は返す言葉を見つけられずにいた。
左目の傷跡はモーゼスが幼少の頃、ギートを守る為に負ったもの。
私はその真実を知っていたが、他の皆は知らない。
どうせ大した理由ではないのだろう、と考えていたジェイも
ギートを愛していた故の傷だと知ると申し訳なさそうに目を反らす。
「アニキは三日三晩眠った後、目を覚ましました」
「あの朝に鳴り響いた喜びの遠吠えは、今もオイラの耳に残ってます」
そう言って耳を傾けるチャバに私達は目を細める。
状況にそぐわない穏やかな声からは
チャバがモーゼスを想う気持ちが嫌と言う程伝わった。
「それから、アニキとギートはいつも一緒でした。
遊ぶ時も、食べる時も、寝る時も一緒だったんです」
「魔獣使いにとって二人の姿は、最も理想とする形なんです。
アニキは、本当に凄い人だから…だから、だからあの日に…」
「アニキの追放が決まった日に、一緒に旅出つ事を決めたんです」
チャバは集落の決断に対し、責める事も憎む事もしなかったらしい。
集落にいる人間なら知っている。
グランドガルフは人間と共存してはいけないのだと。
集落にいる全ての人間と、たった一人の少年。
天秤に掛けた時、どちらに傾くかは誰が見ても一目瞭然だった。
「そんな、だってそんなの…」
「グランドガルフの危険性と、野生化の話を考えれば、当然の処置でしょう」
「…」
「いつか自分達に牙を向く存在を、身近なところに置いてはおけない」
「ましてや、過去にグランドガルフは集落に災いをもたらしたんですからね」、
そう言ったジェイの言葉にチャバは一つ頷いた。
「アニキは選択を迫られたんです。ギートを捨てるか、集落を出て行くかの…」
その後はチャバの言葉を聞かなくても理解出来た。
お人好しで、馬鹿で、どうしようもないモーゼスだから
きっと笑顔で答えたんだろうな。
「アニキはほんの一瞬たりとも迷いませんでした。
アニキは集落を捨て、ギートと生きる道を選んだんです」
ほら、やっぱり思った通り。
モーゼスなら絶対にそう言うって、長い間一緒にいればすぐ分かる。
例え私が彼の過去をゲームで見ていなくても、それは同じだったはずだ。
「…兄弟が心配してると思うんで、オイラは野営地に戻ります」
「ああ…」
「アニキのこと、よろしくお願いします」
「時間を取らせて申し訳なかった」
頭を下げようとするウィルを見て、チャバは慌てて手を振った。
逆に自らが深く頭を下げると、足早に歩き暗い街へと姿を消す。
「…私、モーゼスさんの様子見てくるね」
沈黙を破ったのはシャーリィだった。
その場にいるのが苦しくなったのか、
それともチャバの話を聞き余計モーゼスが心配になったのか。
ぎこちない笑顔と共に奥の部屋へと続く扉に手を掛ける。
「、待って」
そんなシャーリィの背中を見ていたら、無意識の内に言葉が溢れていた。
「私が看る」
「え…?」
「お願い」
「私、モーゼスと話したい」
そう言って、私はゆっくりと笑ってみせた。
私が笑っている事がそんなにおかしいのだろうか。
シャーリィは大きな瞳を丸くして、固まったまま動かない。
「大丈夫、もう喧嘩しないよ」
「…」
「多分、だけど」
ああ、ここは嘘でも断言しておけば良かった。
そんな事を思いながらもゆっくりと一歩前へ出れば
シャーリィは私に譲るようドアノブから手を離す。
「何かあったらすぐ呼べよ」
「うん」
「ないと思うけど」、と言いながら私は廊下へと続く扉を開けた。
まるで何かに導かれるみたいに、足は一点を目指し動き出す。
何となく聞こえるんだ。
モーゼスが声にならない声で「助けて」、と言っているのが。
「…本当に、また喧嘩しなければ良いけどな」
「そんな事より、モーすけとを二人っきりにする事の方が危ないんじゃないの〜?」
「さすがのモーゼスさんも、今はそんな事する余裕なんてないでしょう」
リビングに残る仲間達の会話等、私の耳には入る訳もなく
モーゼスが眠っているであろう部屋を目指し、ゆっくりと階段を登った。
寝ている怪我人を起こさぬよう、私はソッと扉を開ける。
ベッドに沈むモーゼスに近寄り、その顔を覗いた。
皆の処置が早かったからだろうか。
傷はまだ痛々しく残るものの、呼吸は落ち着いている。
安堵の息を漏らしながら、そっと彼の髪に触った。
モーゼスが目を覚ましたら、何て言おう。
言いたい事がたくさんあって、やっぱり頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「…が看病か…珍しいの…」
不意に聞こえた声に、指先がピクンと跳ねた。
「起きてた…?」
「オウ」
「何で、私って分かったの?」
「匂い」
モーゼスは両目を閉じながら言葉を紡ぎ、笑う。
「からは、あまーい匂いがするんじゃ…」
「…獣みたい」
何だか私達には似合わない、静かな笑みだった。
こんなに落ち着いた気持ちでモーゼスと話すのは、恐らく初めてだろう。
「怪我、大丈夫?」
「どうって事ないわ」
「…そっか」
シーツから出ている大きな手をゆっくりと握る。
暖かいけど、彼にしては冷たい…きっと体が冷えているのだろう。
「寒い?布団足りない?」
「んな気にすんな…風邪引いてるわけと違う」
手を払われ、モーゼスは寝返りを打ち故意的に私から目を反らした。
さり気なく私を拒絶するモーゼスを見て、胸が苦しくなる。
近いのに、遠い。
その距離感は何も変わっていなかった。
「…モーゼス」
「…」
「ごめんなさい」
謝罪の言葉を聞き、モーゼスは振り返り私を見つめる。
驚き見開かれたその瞳には、私の情けない顔が映っていた。
「…私、やっぱり無理」
もう、限界。
眠るモーゼスの上に、自らの体を預けた。
シーツ越しに伝わるモーゼスの体温と、トクトクと鳴る心臓の音。
モーゼスが生きてる、それだけで泣きそうになる。
「嫌いになんか、なれないよ…」
人のぬくもりに安心しているんじゃない。
アンタが…モーゼスが生きてる事に安心してるんだ。
「私、モーゼス嫌いじゃない…」
「だって、嫌いだったらアンタが生きてる事にこんな安心してない…!」
微かな吐息がモーゼスの口から零れ、私はきゅっとシーツを握る。
「っ…生きてて、良かった…!」
これが、私の本音だ。
モーゼスを嫌いだと言った私は嘘吐きで臆病で
今考えればどうしてあんな事を言ったのかも分からない。
「もう、アンタが望んでも離れたくない…!」
「…」
「嫌だって言われても、家族でいたい…!!」
「ッ…助けられなくて、ごめんなさい…!」
震える声で、思っている事を全て吐き出した。
モーゼスはこんな私を幻滅するだろうか。
気味悪がって、私の体を剥がすだろうか。
何をされても良い。
ただ、私はアンタがいてくれたから今ここにいて
家族と言ってくれた事がどれだけ嬉しかったかを伝えたかった。
「ッド畜生…!!」
モーゼスがとった行動は、私の想像とはまるで違った。
痛いはずの体を起こし、私の手を引っ張ると
何かに八つ当たりするかのような声を出してきついくらいに抱き締める。
何事かと見開いた目から一粒の涙が溢れた時、
私の肩にも何か冷たい物が落ちて。
それがモーゼスの涙だと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
「何で今更そんな事言うんじゃ…!」
「…」
「ッ折角、何もかも諦められるはずじゃったのに…!」
モーゼスの体から溢れる霧は、何だかとても温かかった。
こんなに温かくて優しい負の感情があって良いのだろうか。
そう思いながらもソッと背中に手を回せば、相手の体は大袈裟な程跳ねる。
「…ッ…」
「モーゼス…?」
その名を呼べば、モーゼスは更に力を込め
私の体を強く、痛い程抱いた。
「ワイの何が辛かったと思う…!」
モーゼスは、吐き出すようにそう問うた。
そしていざ私が答えようと息を吸った瞬間、遮るよう言葉を続ける。
「この左目の傷を負った時でもない…!チャバの泣きそうな顔を見た時でもない…!!」
「…」
「ギートに殺されかけた事でもない!」
「……」
「ッ何が、何が痛いって―――…」
「…―――ワレに“嫌い”って言われたんが、一番痛かったんじゃ…!」
アンタが言えって言ったのに、とは言えなくて
ただ押し潰されそうな力の中、モーゼスの言葉を受け止めた。
ずっと吐き出せなかったモーゼスの気持ちが霧となって自分の体に流れてくる。
皆が好きって感情が痛いくらいに伝わり
私の涙は止まるどころか更に更にと溢れ出す。
「ッ嫌いに、ならんといてくれ…!」
「が好きじゃ、好きなんじゃ…」
「たった一日、ワレと笑えんかっただけで死にそうな程辛かった…!」
まるでうわ言のように同じ言葉を繰り返すモーゼスに
私はただ、一つだけ頷いた。
「すまん、すまん…!」
「…うん…」
「ッすまん…!」
「まだワイの言う事を聞いてくれるなら、いつもみたいに傍にいとくれ…!」
「好きな女に“嫌い”言われんのは、もう嫌じゃ…!!」
私だって、もう嫌いだなんて言いたくないよ。
言葉にはしなかったけど、代わりに涙を流すモーゼスに胸を貸した。
「いるよ」
「…」
「一緒にいるよ…一緒に走るよ」
「だって、約束したじゃん」
「私、約束は破らないよ」と繋げればモーゼスは首を小さく動かした。
横に振ったのか縦に振ったのか、曖昧な程小さかったけども
伝わる暖かい体温がそこにあるだけで良いと、私は思った。
このぬくもりは、ずっと私が求めていた本当のモーゼスの気持ち。
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修正:14/01/10