まだ足が着いていないにも関わらず、
宙を蹴り焦る心のままぽかんとする男へと駆け寄った。
丸くなった瞳、純粋無垢な視線がチクチクと心を刺す。
あ、何だか泣きそうと思いながらも私は唇を強く噛んだ。
「……」
モーゼスは私に何かを言いたいのだろう。
だけどその言葉はいつまで経っても出てくる事はない。
私の名前を呼ぶと、申し訳なさそうに眉を下げて目を反らす。
その手に握られた槍は、私との約束を破った何よりの証拠だ。
だけど私は、それに怒りを覚える事はなかった。
「…間に合って良かった…!」
もう一度「良かった」と噛み締めるように言う私を見て
モーゼスは顔を顰める。
「…二人と一匹で、一緒に」
「へ?」
「にそう言われちょったのに、ワイはギートを殺そうとした…」
「すまん!!!」
モーゼスはそう言うと、私に向かって深く、深く頭を下げる。
隣にいるギートはそんなモーゼスを不思議そうに見つめていた。
モーゼスが謝っているのはきっと、約束を破った事じゃない。
今も尚、約束を破り続けていると言う事だ。
モーゼスの隣にはギートがいて、その前には私がいる。
望んだ未来の中でモーゼスは笑っていない。
…モーゼスの決意は、きっとまだ。
「っあの、モーゼス…!」
「あらあら、元気な声ねぇ。そう、ノームちゃんって言うの」
焦る私の声を同時、のほほんとした声が部屋に響いた。
柔らかい声は私の声を掻き消し、その場の空気を明るく…緩くした。
邪魔だとは思わないけど、せめて空気読んでと心の中で泣いてみせるものの
グリューネさんの放つ独特な空気はそれすらもどうでも良くさせる。
フワリフワリとグリューネさんの目の前に浮く光の玉は
淡く輝きながら細かに揺れていた。
『主、シャドウがいないよ〜ん』
「あら、それは誰かしらぁ?」
「…」
…また、精霊との距離が縮まっている気がする。
以前は全く見えなかった精霊も、一つ前では光が見えるようになっていた。
そして今では声が聞こえる。
どうしてそうなったか、いくら考えても私にはサッパリ分からない。
むしろ説明出来る人間がいるなら説明してみろ、と言いたいくらいだ。
『おかしいな〜シャドウはノームより先に主の下に行ってるはずだけど〜…』
「あら、そうなの?お姉さん、良く分からないわぁ…」
『…まぁ、主がそれでいいならノームもいいよ〜』
「…」
『出番が来るまで、ゴロゴロしていたいよ〜ん』
「だったら私の壺の中で、お休みしたらどうかしら?」
二人の会話を盗み聞きながら、頭の片隅でゲームの記憶を辿る。
シャドウって、何処で出てきたんだっけ…。
余りに細かすぎて、私の記憶力じゃ思い出せそうにない。
『主の力の解放、楽しみにしてるよ〜ん』
うんうんと一人悩んでいる内に
ノームらしきその光はフラフラと宙を飛び、壺の中へと入っていく。
のんびり、ゆらゆらする動きが彼の口調と合っていて、何だか笑ってしまった。
「あら?壺の中にまた種があるわ。今度はノームちゃんの種なのねぇ」
「グー姉さんと空気の会話がやっと終わったよ〜」
「この時間って、何か言ってもほぼ無視されるから嫌なんだよね〜」、
ノーマはそう言うと欠伸を噛み殺そうともせずに体を伸ばす。
「……」
そんな中、私の目の前にいる一人と一匹は
他の皆とは比べ物にならない程の重たい空気を放っていた。
「モーゼス、どうかしたのか?」
「用事も終わったんだし、そろそろ帰ろうよ〜」
「…」
皆が声を掛けてもモーゼスからの返事はなかった。
…その辛そうな顔、私には何を考えているのか良く分かる。
「ギートを連れて帰ることは出来ん」
驚くと言うよりは、ああ、やっぱりと言う気持ちの方が強かった。
だって私は、このモーゼスを助ける為にここへ来たんだから。
「モーゼス、それなんだけど…」
「原因が何であれ、今度の騒動がよう教えてくれたわ…時期がくれば、ギートは野生化する」
「あの、」
「いや…この言い方は卑怯じゃの。ギートの野生化は始まっちょるんじゃ」
「だから、モーゼ―――…」
「ワイが大丈夫と言い張ったところで、言葉を保障するもんはありゃあせん。
ギートを大陸の何処かに逃がしても、野生化していずれ人を襲う」
「ッあのさあ…!」
「誰の目にも触れず、誰にも迷惑を掛けず、ギートが暮らせる土地なんぞないんじゃ」
ああもうコイツは、何で私が目の前で声を出しているのに気付かないのか。
難しい事を考えすぎて、五感が麻痺しているのだろうか。
「ワイらの覚悟は一緒じゃ。ギートの目を見りゃあ分かる」
「ワイとギートが決めた事じゃ!手出しは無用!」
「ギート、手加減はなしじゃ!強い方が生き残りゃあええ!!」
ああ、もう我慢出来ない。
プツン、と自分の頭の中で何かが切れる音がして
私は向き合う一人と一匹の間に体を割り込ませる。
そしてその槍の矛先をグッと曲げて、モーゼスの目を見て声を荒げた。
「ギートの目を見る前に、私を見ろッ!!」
どうしていつも真っ直ぐ前を見てるのに、簡単に未来を見失うんだ。
助けるって、ずっと言ってきたのに分かったふりして。
「私、何見てると思う?」
「…」
「ギートが生きる道を見てるんだよ!」
「…」
「何の根拠もない奴が、こんな目する訳ないって分かってよ!!」
「モーゼスが私を見て、分かってくれなきゃ
私が折角思い出した事、何の意味もなくなるじゃん!」
強い口調で言ったって呆けてばかり。
相手の息づく間も与えず喚く私が悪いのだけど。
「ッ殺したくないなら殺すな!私がこの言葉を言うの、何回目だと思ってんだよ!」
「じゃけど…!」
「いつもいつも勝手に一人で突っ走って!人の話も聞かないで!!」
「ッ人の話を聞いてないんはどっちじゃ!!」
しんみりした空気もガラリと変わる。
ギャーギャーワーワー騒ぐ私達を見る仲間達の瞳はとても冷ややかなものだった。
「ギートの野生化はもう始まっちょる!」
「心が戻っても、体は今でも人を襲いたい思っちょるんじゃ!!
そげなギートを、このまま自分の欲の為だけに放っとけっちゅうんか!?」
ああもう、やっぱりコイツは一直線にしか物を考えられない馬鹿だ。
…いや、私も同じようなもんだけど。
もう話し合うのも面倒臭い、と私は目の前の男を指差した。
ビシッと音が出るくらいに勢い良く、だ。
「静の大地!!」
流れに関係ない単語を口に出す私に対し、モーゼスはぽかんと口を開ける。
どうやらやっと、私の言う事を聞く気になったようだ。
「静の大地にギートを放してあげるの!」
「…」
「広いし、人もいないし、ギートが生きていくのに不自由な事一つもない!」
その目を見る限り、まだ私の言う事を理解出来ていないらしい。
だけどさっきとは顔つきが全然違う。
目の前にいる私にはそれが良く分かった。
「私、それを言う為にここに来たんだよ?」
「…」
「アンタを責める為でも、ギートを殺す為でも、自分が死ぬ為でもない」
「三人一緒には無理だけど」、と付け加えて腰に手を当てると
モーゼスはしばらくの沈黙の後、大袈裟な程手を叩く。
「オオ!」と目を輝かせた彼を見た時、私は嬉しいと思いながらも溜め息が出た。
「!ナイス案じゃ!」
「…もうちょっと早く分かってくれたらこんなに疲れなかったけど」
「さすがじゃ!のう、ギート?」
「いやあ、本当…さんにしては素晴らしい案ですね」
興奮するモーゼスの声を遮り、喝采とは程遠い乾いた拍手が耳に届く。
音がする方へと振り返ると、そこには笑みを浮かべるジェイの姿があった。
「僕も同じ事を思っていたところです」
「そ、そうだったんだ…」
「別に先に言われた事に腹を立ててる訳ではないですよ?」
「へ、へえ…」
「ええ、本当…そんな事これっぽっちも気にしていないのですが…」
ピタリと止まる拍手。
不自然に途切れた言葉。
そして、皮膚にこびり付いた笑顔がすうっと消えた。
「“私が折角思い出した事”ですって…?」
「…あ」
「それ、いつから知っていたんですか?」
「いや、その…け、今朝!今朝の夢で見たんだよ…!!」
「今朝の話を思い出したって、普通の人は言わないですよねえ…?」
コツ、と響いた靴音に嫌な汗が頬を伝う。
「まぁ、僕は別に良いんですけどね。モーゼスさんも気にしていないでしょうし」
「何の事じゃ?」
「ほら、全く気付いてない」
別に良いとか気にしてないとか言う割には、ジェイの纏う空気は何一つ変わらない。
「それじゃ、静の大地に着くまで僕とウィルさんがお説教すると言う事で、宜しいですか?」
「なっ…待ってよ!黙ってたのは謝るけど、ちゃんと間に合ったし…!」
「お前がもっと早くに言っていればここまで大袈裟にはならなかった」
「ウ、ウィル…」
「それを反省してもらわんと困る」
ウィルを味方につけたジェイは私を見て笑ってる。
邪気しかない笑顔をキッと睨みつければ、
「聞いているのか」と頭上からウィルの冷たい声が降り注ぎ。
ああ、もう逃げられない。
そう悟った私は、静の大地までの三十分、お説教コースを覚悟した。
左右からガミガミ愚痴愚痴飛んでくる言葉の数々に
もう泣きだしたくなる気分だった。
こんなに澄んだ空の下、私は一体何をしているのかと小さく息を吐く。
このまま同じ事を言われ続けて耳が腐って落ちてしまうのではないのだろうか。
そんな事を考える程お説教が続いた時だ。
「!」
「ん…?」
肩を落としとぼとぼと歩く私の頭上から能天気な声が降り注ぐ。
「どうじゃ?灯台までひとっ走りせんか?」
そう言いながら、モーゼスは私の返事も聞かずに手を取り笑った。
この地獄から抜けられるなら何でも良い、と瞳を輝かせた私に対し
モーゼスは「クカカ」と笑うとゆっくりと走り出す。
「行くぞ!!」
「うん!」
一瞬、風に紛れてジェイが私の名前を呼ぶ声が聞こえたけど
流れる景色と共に振り払い足を動かす。
「助けてくれてありがと!」
「いじめられちょるを見ちょったら放っとけなくなったわ!」
「アハハ!さすが良い人代表!」
照れ、笑うモーゼスの横にはギートの姿もある。
目をキラキラさせて、嬉しそうに駆け回るギートの姿に私は笑みが止まらなかった。
もうすぐお別れ。
それでも、今この時を二人と一匹で走れる。
こんなに幸せな事はないだろう。
波音に混じる足音。
いつ来てもこの大地は気持ちの良い風で私達を歓迎してくれる。
「…」
沈黙の中、誰かに見られている気がして振り返る。
そこにいたのは、純粋無垢な瞳をしたギートだった。
「…もう、気にしなくて良いんだよ」
そう言って笑う私は、ギートの目にどう映っただろう。
やっぱり恐ろしい破壊の少女のままなのだろうか。
「…じゃあ、破壊の少女からの命令!」
ピクン、と耳が動いた。
聞き逃せば自分の命が危ないと思っているのだろう。
だから必死に私の声を聞き取ろうとしているのだ。
「…もう、私は何もいらないから」
「モーゼスの事、いっぱい愛してあげて!」
丸い瞳が、更に丸くなる。
日の光を吸い込んだその瞳はガラス玉みたいに透明で
私の笑顔を瞳の中いっぱいに映しこんでいた。
早く行って、と言わんばかりに体を押すと
ギートは元気良く声を上げ、モーゼスへと駆けて行く。
静かに抱き合う二人は、お互い別れを意識していた。
「ジェー坊、頼みがある」
「何ですか?」
「ワイの髪の毛を少し切ってくれ」
ドカ、とジェイに背中を向けて座るモーゼスは
少しだけ顔を俯かせて目を伏せた。
ジェイは彼の赤い髪を見つめた後、ポケットから苦無を取り出す。
そして無造作に広がる髪を一束切り落とした。
「これで良いですか?」
「おう、上出来じゃ!」
ジェイの白い手にモーゼスの赤い髪は何だかゾッとする程鮮やかに見えた。
いや、ゾッとしたのはその手に握られた苦無のせいかもしれない。
「」
「へ?」
「の髪の毛も、ちぃとばかしもらってええか?」
突然声を掛けられてアホっぽい声を出す私に対し
追い討ちをかけるかのようにモーゼスは突拍子のない事を言う。
「わ、私の?」
「オウ!」
その笑顔に悪意はない。
最も、信用して良いかは別だけど。
「変に切ったら一発殴るからね!」
「分かっちょるわ!」
ジェイから苦無を借り、モーゼスはゆっくり私の髪を触る。
いつもはぐしゃぐしゃにするくらい強く撫でるのに
指先が触れるか触れないか程度に手を絡ませた。
くすぐったくて身震いをする私に、モーゼスは声を出さず優しく笑う。
キラリと光る刃物が怖く目を閉じる。
勿論痛みが走る事はなく、髪がくん、と引っ張られただけで行為はすぐに終わっていた。
「信頼するもんの髪で作った飾りは、もろうたもんを守るんじゃ」
モーゼスはジェイに苦無を返し、今度はギートの鬣を抜く。
「じゃけど、ワイらは三人じゃから」
オレンジ、赤、黒。
私が混じる事で酷い色合いになったそれを
モーゼスはうっとり見つめていた。
「三人の混ぜたもんを、大事に持ってるんじゃ。
そしたらいつも一緒だし、いつでも力を合わせられる」
器用に動かしていた手の中には大きな輪っかが一つと、小さな輪が二つ。
一つはギートの前足につけて、二つ目は自分の指に通す。
そして残る一つを持って、モーゼスは再び私へと近寄った。
「これが、の分じゃ」
「…私も持ってて良いの?」
「今更何言うとんじゃ!」
コツ、と軽く、本当に軽く頭を叩かれて、痛くもないのに条件反射で声が漏れる。
「当たり前じゃろ!もらっとくもんはもらう精神はどうしたんじゃ!!」
「…モーゼス…」
私の事、馬鹿にしてる?
そげな事ないわ。
と、お互い笑いながらも心の中で会話をした後
私はモーゼスの手の中にあるそれをじっと見て、口を開いた。
「…もらう」
「オウ!」
モーゼスの大きな手に、何の抵抗もなく自分の手を乗せた。
「あ…」
「んぁ?」
「指太くて入らなかったらどうしよう…!」
「んな心配すんな」
どうしてそんなに自信満々なんだろう。
だけど根拠もないのに本当に指を通ってしまうのだから、これはもう彼の才能だ。
変な色合いで、しかも人様の毛。
それが自分の指についているなんて、気持ち悪いって思う人もいるかもしれない。
だけど私にとってはもう宝物だ。
「ちゃっかり薬指なのが気になるね〜」
「でもこれ、薬指にしか入らないよ…」
「人差し指は?同じぐらいじゃん」
「…無理」
あれだけすんなり入ったのに、抜くのも一苦労。
絆どころか、何か呪いにでもかかっているんじゃないかと思うくらい。
「抜けないなら僕が切って差し上げますけど?」
「ううん!何処の指が入ってても良いよ!」
「え〜少しは女子なんだから気にしなよ〜」
「良いの!私とモーゼス、それにギートとの絆だし!」
宝石みたいにキラキラする事もなければ、一般人から見て価値がある訳でもない。
それでも私には自慢したい一品である事に変わりはなく、
仲間達のいる方に手を向けて「ふふー」と自分でも気味が悪いと思う声を上げた。
「ねね、羨ましい?」
「…ある意味、モーゼスがな」
ポツリと零れたセネルの言葉の意味が分からず首を傾げる。
返って来た言葉は、具合が悪いんじゃないかと思う程の
低くて小さい、「いや、分からなくて良い…」と言った死にかけの声だった。
「た〜ねを植えま〜しょ〜、み〜ずを撒きま〜しょ〜」
話の流れをズバッと切り裂く、おっとりとしたグリューネさんの声を止めに
セネルはガクリと肩を落とし、皆は笑った。
皆、いつも通りに笑っている。
今、この瞬間だけがいつもと変わらない風景だと分かっていながらも。
別れを前にし、それでも尚私達を包む温かな空気は
きっとこの先、忘れる事はないだろう。
「ギート、お別れじゃ」
潮風が一つ吹いたと同時。
モーゼスの言葉は、この広くも狭い世界に響く。
まるで波音が背中を押すよう大きく鳴り、彼はもう一度口を開く。
私達はそれを、ただ黙って見つめていた。
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修正:14/01/12