夜、大きな地震が起きた。
ベッドから落ちたと同時、背中を襲う激痛に目が覚める。





「いった…!」





ぐっすり寝ていた私にとってこれは不意打ちだ。
強く打った背中を擦りながら上半身を起こし、涙目の瞳を擦った。


ふと視界に入ったものは、鏡の中にいる自分だった。


月明かりに照らされた顔は蒼白く、死人みたいだった。
漆黒の髪はあの霧を連想させ、ゾクリと体が震える。





「っ…」





突然、恐怖に襲われる。
黒い髪、色のない自分。

怖い、嫌。
こんな髪、いらない。





「っ…い、や…」





恐怖はいくら嫌だと否定しても消えなかった。
気が付けば自分の髪を掴み、引っ張り、どうしようもない痛みにまた涙が溜まる。

シュヴァルツとの契約があっても、私にとって黒は良い物じゃない。

知らない内にその契約が破られていたら、私は黒に呑み込まれる。
自分自身が気付かない内に体が貪られ、いつか人を殺す機械になるんだ。





「っう…ぁ、だ…!」





黒は見たくない。
消えてしまえば良い。

そんな事を思いながら、私は無我夢中で夜の街へと走り出た。










荒い息、揺れる髪。

私が走れば、勿論黒がついてくる。
私は常に黒と共にいる事を嫌でも思い知らされる。


もう、ついてこないで。


そう心の中で叫んだと同時、ドンと何かにぶつかった。

よろける態勢を整えながら、瞑っていた目を開ける。
すぐ横に、綺麗な白い手が見えた。

人だ、誰だろう。
いや、誰でも良い。

誰でも、良いから。





「助けて…ッ!」





ぬくもりが感じられるよう、相手の胸に顔を押し付けた。
拒絶されないよう、強く強く、服に皺が付く程握った。

私の髪を撫でる手は酷く暖かかった。
恐怖に怯えて流した涙は、不安から逃れられた喜びの涙へと変わった。

クスクスと笑い続ける相手の声も、全く気にならなかった。

笑われても良い。
一緒にこの闇の中にいてくれるなら、どんなに笑われたって構わない。

だけど、唯一気になったのは
徐々に大きくなる男の声に混じり、楽しそうに笑い歌う少女の声が聞こえた事。

考えている暇はなかった。
暖かすぎるぬくもりと甘ったるい香りは私の心を溶かし、深い深い眠りへと誘う。















「…」





目の前の光景に我が目を疑った。

これは夢なのだろうか…。
だけど、今までの道のりには何の異変もなかったはず。





「…寝惚けたのか、この人…」





ウィルさんの家に寝泊まりしているはずのさんが
道のど真ん中で寝息を立てぐーすかと気持ち良さそうに寝ている。

この人ならば寝惚けて夜中フラフラと外に出る事も有り得るだろう。
どうやら幻覚を見ている訳ではなさそうだ。





「…さん」
「…」
さんってば」





軽く肩を揺すると小さな呻き声が聞こえる。
まるで小動物のような反応を見せる彼女が面白くてつい笑みが零れた。

最も、そう思っているのは僕だけだ。

街の住民は道端に倒れている破壊の少女を見て
さてどうしてやろうかと噂をしている。


ゆっくりしている場合じゃないか…。


僕は彼女の手を引っ張りズルズルと体を引き摺り目的地を目指す。
砂埃にさんは何度か咳をすると、痛みから完全に目を覚ました。





「った…いたっ、痛!」
「おはようございます」
「っジェイ…?」





名前を呼ばれ、一瞬だけ足を止める。
目を合わせると、彼女は痛みも忘れて僕に満面の笑みを見せた。

その能天気な行動が気に食わず、溜め息を吐きながらも睨む。





「少し自分の立場を考えたらどうです?」
「ん?」
「貴女が破壊の少女だと言う事は、既に住民の中では常識なんですから」
「…?」
「もし寝てる間に刺されでもしてたらどうしてたんですか」
「寝てる間って…ワルターいるし、ウィルの家の中だから安全だよ」





全く話が通じない相手に対し、僕は再び溜め息を零す。

相変わらずこの人の考えている事は良く分からない。
考えようとすると頭が痛む…恐らく呆れを通り越した先の症状だろう。





「それに、破壊の少女の問題ならもう大丈夫だよ!」
「何言ってるんですか…良い存在だと思われてないのは確かなんですよ?」
「でも、いつもこれ持ってるから」





そう言ってさんはポケットから何かを大事そうに取り出す。

それは以前、僕達がミュゼットさんに頼んで作ってもらった
さんを陸の民を認めると言う証明書だった。





「…本当に肌身離さず持ってるんですね」
「当たり前じゃん!皆がくれた宝物だよ?」





へへ、と照れながら笑うさんを見て
住民達は悔しそうに顔を歪めながら去って行く。

こんな紙切れ一枚で人の態度が変わる世の中、どうかしてる。
きっと彼女がこの証明書を手放した瞬間、街の住民は豹変するのだろう。





「寝てる時はポケットだけど、起きてる時はいつも付けてるんだよ」
「…」
「もうこれがなきゃ落ち着かないのかも」





読めない字をそっと指でなぞるさんの姿は、例えようもない程幸せに満ちていた。
昨日の彼女が葉に込めた願い等、嘘だと思える程に。





「…さん」
「ん?」
「折角ですし、セネルさんを起こすの手伝ってくれませんか?」
「へ?」
「良く分からないけど僕の番らしいので」





ノーマさんに言われた言葉をそのまま口にすると
さんは呆けた声で「へえ…」と言う。





「私を起こすのも当番制?」
さんは道端で拾っただけです」
「道端…?道端って…私何処にいた?」
「数メートル前の道のど真ん中ですね」
「…いやいや、そんなそんな」
「本当ですよ」





「冗談ばっか!」と口にしようとする彼女に鋭く言い放つ。
僕の言葉が嘘じゃないと分かるとさんは顎に手を当て小さく唸った。





「どうせ寝惚けただけでしょう?そんな深く考えなくても」
「…そう、かなあ」
「?」





頭の中に引っ掛かる何かでもあるのだろうか。
らしくもなく眉間に皺を寄せている。

どうやら変なスイッチを押してしまったようだ。
僕は後悔しながら唸るさんに手を伸ばす。

触れる手前、彼女はまたパッと表情を変え、勢いよく立ち上がった。





「変な夢見ただけかも!」
「…はあ」
「そんな事より、早くセネルの家行こ!」





それ、さっき僕が言った事ですけど。
突っ込む前に彼女はくるりと向きを変えて道の奥へと走り出す。

底抜けに明るい笑顔につられて、僕も笑ってしまった。
いつも見る風景の中、彼女の表情だけは数秒単位でコロコロと変わる。





「そうですね。ミュゼットさんが待っているので、早く起こしに行きましょう」
「じゃあどっちがセネルの家に早く着くか競争!」
「何モーゼスさんみたいな事言ってるんですか」
「良いから!よーいドン!」





人に準備させる暇も与えず、さんは走り出す。
こんな時だけ勝負に頓着するのも彼女らしい。

唇から零れた、今日何度目か分からない溜め息の意味は僕にも分からなかった。





「…さん」
「なにー!?」
「そっち、セネルさんの家の方角じゃないですよ?」
「なっ…!そう言う事は早く言ってよ!!」





勝手に走り出す姿にはいつも不安になるけども
必ず戻ってくる姿にはいつも安心させられる。

出来れば、こんな日がいつまでも続くと良い。
いつまでも、温かく優しい、この日々が。















こうしてジェイと二人で歩くのは、とても久しぶりな気がする。
久しぶり…いや、もしかしたら初めてかも。

道の途中、ジェイと交わした言葉は一つ二つだけだった。

それでも気まずくはない。むしろ心地良いくらいだ。
それはきっと、隣にいるのがジェイだからなんだろう。

ジェイがこの静寂を、自然のものにしているんだ。





セネルの家に着き足を止め、ジェイは目の前の扉をノックする。
だけどいつまで経っても返事はない。





「まだ寝てるのかな?」
「みたいですね…」
「まったく…どうしようもない奴だ!」
「貴女だけには言われたくないと思いますよ」





鋭い突っ込みを放ちつつも、ジェイはもう一度、二度とノックする。
しかし何度叩いてもセネルは出てこないし、物音すら聞こえない。

辛抱ならなくなったジェイはゆっくりと扉のノブを回した。
いや、正確には回らないと思いながらも手を掛けたのだろう。

だけどそれはジェイの予想に反し、すんなりと回ってしまった。





「…開いてる」
「ほんとに?」
「本当ですよ、ほら」





「不用心だなあ…」と小言を言うジェイはまるでお母さんだ。
そして扉が開いたと言うのに中に入ろうとしないのもジェイらしい。





「お邪魔しまーす」
「って、入るんですか?」
「だってこうでもしないとセネル起きないよ?」
「ああ…どっかの誰かさんも引き摺らないと起きないですしね」
「うるさいなあ!」





こんだけ大声で会話してるのに家主は怒鳴りもしない。
ズカズカと入り込む私達の前、床に寝転がりぐーすか寝息を立てている。

「何で床…?」と言うジェイの横から小走りで離れ
私はセネルの体の上にミシッと音が鳴る勢いでダイブした。





「ぐ、うッ…!?」
「おはよー!セネルおはよー!」





苦しそうに声を上げるセネルの耳元で大声を出せば
まだ光に慣れていない瞳で何事かと辺りを見渡す。

そして自分の上に乗っている物体が私だと分かると今度はその目を丸くした。





「っ…?」
「おはようございます、セネルさん」
「ジェイまで…一体何なんだ…」





私とジェイ、と言う組み合わせに違和感を覚えたのか
セネルは頭上に疑問符を浮かべ小首を傾げる。

動作一つ一つが可愛くてつい笑ってしまった。
それを馬鹿にされてると思ったのか、セネルはちょっとだけ眉を顰める。





「…珍しいな、二人で起こしにくるなんて」
「本当は一人で来たかったんですけどね…さんは途中で拾っただけです」
「拾ったって言うな!」





吠える私をジェイは嘲笑い見つめる。

私達のやり取りを見て大体を理解したのだろう。
ちょっと困ったように笑ったセネルは頭を掻き大きな欠伸を零すと天井を見上げた。





「あと…俺、何でここで寝てるんだ…?」
「さぁ…昨夜大きな地震があったから、そのせいじゃないでしょうか」
「あ、じゃあきっと私もそうだ!」
さんの場合は地震のせいには出来ませんよ」





「道端にいたんですから」と付け加えるジェイに反論一つ出来なかった。

ジェイが正論を言ったから、ではない。
むしろ押し黙ってしまったのはその逆だ。

ジェイは違うと言うけど、私は地震が起きた事を明確に覚えている。

大きく揺れて、体がベッドから落ちて。
…その後は、良く覚えていない。

それでも、何かが起きたのは確かだった。
それが夢か現か教えてくれる人は誰一人いないけど。





「セネルさん、ミュゼットさんが呼んでいます」
「ん、ああ…分かった」
「ほら、さんも」
「あ…うん!」





考えても時間の無駄だ。
今は過ぎた事よりこれからの事を考えなきゃ。

そう、これからの事を。










…これからの。










さーん、後ろが詰まってるんですけど」
「どうした?開かないのか?」
「…いや、開いてると思う、けど…」





セネルの家を後にした私達が今いるのは、ミュゼットさんの家の前。

誰よりも先に走り出した私を背後から見守るセネルとジェイは
扉を開けようとしない私を見て疑問符を浮かべていた。

扉を開ければ、また物語が始まる。
そう考えただけで、頭が痛い。





「人を待たせてるんだから早くした方が良いと思いますけど」
「…そう、だね」





このままじっとしていも何の解決にもならない。
大きく息を吸い、吐き、意を決し扉を押した。





「…遅い」
「…ノーマ…」
「遅い遅いおそ〜い!何してんのよも〜!」
「ごっめーん!」
「キモ!キモいよ!可愛らしく言ったってダメだかんね!!」
「えー」
のせいであたしが朝摂ったカルシウム全部パーだよ!」
「元々ノーマには栄養と摂ると言う概念はないだろう」





暴言を吐きまくるノーマに一撃をかましたのはクロエだ。

ぐ、と喉を詰まらせるとノーマはガクンと肩を落とす。
ノーマをそこまで凹ませた張本人はと言うものの、自覚がないのか首を傾げていた。





「…、昨日の夜は何処に行ってたんだ?」
「え?」





ぐずぐずと泣いたふりをしながら私に抱きつくノーマの頭を撫でる。
最中、思ってもいなかった事をウィルに尋ねられた。

既に目の前の事でいっぱいいっぱいな私にとって、
昨夜の事は割とどうでも良い事に変わっていた。





「あー…なんか地震で外まで転がっちゃったみたい」
「そうなのか…?いや、それは有り得る事なのか…?」





私の適当過ぎる返事にウィルは首を捻る。

すぐ「有り得ないだろう」と言わない事に対して怒るべきなのだろうか。
いや、考えるウィルに何を言っても無駄だろう。





「セネルも一階に落ちてたし、私が外に転がってくのもおかしくないよ?」
「さり気なく俺も道連れか」
「お兄ちゃんもも、大変だね…」
「…まぁ、地震のせいなら良いが…」





そう言いつつ、ウィルは窓の奥、ミュゼットさんの家の庭へ目線を向けた。

つられるよう陽の光が射し込む窓を見れば
大きな木の根に座る一人の青年の姿が見えた。

風が吹き、糸みたいに細い金色の髪が揺れる。
視界に映ったのは頭だけだけど、私にはそれがワルターだとすぐに分かった。





「酷く心配していたぞ」
「…ワルターが…?」
「同じ部屋にいたのに、アイツが気が付かないのも珍しいがな」





「油断したと、ワルターには似合わない泣きそうな顔で言っていた」





冗談とも感じられないウィルの声に、私は目を丸くする事しか出来なかった。

「話を大きくし過ぎじゃない?」と言うノーマに
ウィルは笑顔一つ見せず「俺にはそう見えただけだ」と言う。

元々心配性のワルターだ。
私がいなくなった事に対して誰よりも責任を感じてるのは想像が付く。

だけど、“泣きそうな程”と言う言葉に関してはとてもじゃないが同意は出来なかった。

それでも木の下、一人ぽつんといるワルターの姿を見ると
罪悪感を覚えずにはいられない。





「マダムの話が終わったら行ってやれ」
「…ワルターは入ってこないの?」
「自分から話しかけると怒鳴り散らしそうで怖いんじゃろ」





「臆病な奴じゃのう」、と冷めた目をするモーゼスがとても大人に見える。
私には彼の言葉の意味が良く分からなかった。





「それでは、お話してもよろしいかしら?」
「えぇ。待たせてしまってすみません、マダム」
「急に呼んでしまったのはこちらの方なのですから、気にしないで」
「…」
さんも遠慮なく座ってちょうだい」
「あ、はい」





ミュゼットさんの気遣いに小さくお辞儀をし、空いているソファに腰を掛ける。
ウィルの家のソファよりもふかふかで、何だか落ち着かない。





「それで、何が起こったんですか?」
「…起こるとしたら、これからと言う事になるかしら」





…ううん、落ち着かないのは慣れない環境のせいじゃないだろう。

気が付いたらもう後戻りする事の出来ない場所まで来てしまっていた。
これも敵の戦略の内なのかもしれない、とばれないよう唇を噛み締める。

イザベラさんがその口を開き、皆にこれからの事を説明してしまえば
私はまた、自分の迷路を彷徨う事になるのだろう。










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修正:14/01/13