暗い。

前来た時はこんなに怖いと感じなかった。
なのに今は、薄暗いこの空間に立っているだけで精一杯だ。

何をそんなに怯えているのかと言えば、この先にある現実に…だろう。

短剣を投げる右手も、杖を握る左手も
踏み出す足も、何もかもが石のようにズッシリと重く感じる。





「遅い」
「ッ…!」





前方で腕を組み私を睨むジェイを見て、体がビクついた。
紫の瞳は闇に溶け込むどころか、より一層際立ち光る。





「いつも先陣を切るさんが珍しいじゃないですか」
「…ごめん…」
「誰も謝れなんて言ってませんよ」
「…」
「ただ迷惑を掛けるなら、それなりの理由を聞かせて欲しいんですけどね」





わざとらしい溜め息。
相当機嫌が悪いのか、私を脅す笑顔もない。





「…忍者に何か嫌な思いでも?」
「…い、いや…」
「…?」
「ち、ちょっと…?」





アハハ、と乾いた笑いを零す私に対し
ジェイは何言ってるんだコイツ、と呆れた視線を送る。

それでも私は沈黙になるのが嫌で、途切れ途切れに笑い続けた。





「…もう良いです。先に行っています」
「あ、あああ…!ち、ちょっと待って!!」





向きを変え足早に私の元へ離れていくジェイの手を
ただ我武者羅に掴み、引っ張った。

握った手は酷く冷たくて、氷のようだった。
だけど、一人でいるよりホッとする。





「お、おいてかないで…!」
「…はぁ?」
「何か…今、ちょっと…怖い、かも…!」





私、何言ってるんだろう。
皆には…ジェイには甘えちゃいけないって分かってるのに。

それでも、近くにいる事が今だけ許されるなら
真実を迎えるその時間まで、一緒にいたいと思った。

溜め息を吐きながらもギュッと私の手を握り返すジェイは
何も言わずに背中を向け歩き出す。

言葉はなかったけど、安心出来る。





「…ジェイ」
「…はい?」
「う、ううん…」





あれ…何かおかしい。
何で私、無意識にジェイの名前を呼んでいるんだろう。





「ジェイ…」
「…何ですか、さっきから」
「その…」





何か…何でか分からないけど
ジェイが歩く度、揺れる髪から溢れる甘い香りに
意識が朦朧としていくのを感じた。





「ジェ…イ」





甘い。
甘くて、甘ったるい…甘すぎる香り。

だけどそれが、凄く愛おしくて。

体が熱い…冷たい。
香りが…甘い。





「…あは」
「は…?」





一つ零れると、もう止まらなかった。
喉の奥から溢れ出る笑いは、ギギギと壊れた音のように地下道に響く。





「あはは、あは、はは…」
「なっ…どうしたんですか…?」





人形みたいに同じ音を発し続ける私は
ジェイが振り向いたと同時に、んふふ、と笑う。

いつもの私だったら絶対こんな笑い方しない。
…なら、今の私は何なんだ。

まるで父の帰りを待っていた子供のように。
幼き少女が、恋焦がれる人を見つけたように。

私は幸せそうに笑っている。





「…な、まえ…」
「え…」
「名前…なんて、言うの…?」





繋がれた手をキュッと握り、私は柔らかく笑った。

驚き見開かれたジェイの瞳には幼い頃の面影を残す十六の私が映る。
まるで他人のようだった。





さん…何言って…」
「…」
「…、さん…?」
「……じゃない…」
「なっ…」





先程とはまるで違う、低く冷たい声。

その時、初めて気が付いた。
今の私は私じゃない、と。

頭痛も吐き気も、予兆なんて何もなかった。

ただただごく自然に、すっと、心が、気持ちが、何もかもが
名前も知らない女の子と入れ替わっていたんだ。





じゃない…なんかじゃないっ…!」
「…」
「お前は、わたしが求める人じゃない…!!」





ああ、あの時の記憶が蘇る。

大沈下を止める為、蜃気楼の宮殿でワルターと対面した時だ。

目の前で揺れる金色の髪。
白く細い首を、気持ち悪い笑みを浮かべ絞めた、あの時と同じ。

私はまた、仲間を傷付けようとしている。

何もかもがあの忌まわしい過去と重なった。





「ジェイ!!伏せろ!」





遠くから微かに聞こえた、セネルの声。

すぐさま反応を見せたジェイは
自分達を襲う敵の存在に気付き鋭く睨む。

手を弾かれ、体を包まれ、ジェイは私と共に真横へ飛んだ。

先程まで私達がいた場所に、苦無が一つ音を立て刺さる。
地面は勢いよく燃え盛り、焦げ臭い匂いが鼻を掠めた。





「…っ痛…!」
「何ボーっとしとるんじゃ!」
「ッ少し油断してただけですよ!」





敵襲に遅れをとったジェイの腕と頬には掠り傷。
私を抱え飛んだ事により着地に失敗したのだろう、膝の皮膚が剥けていた。

軽く頭を打った私は、グラグラと揺れる視界の中天井を見つめる。

朦朧とする意識の中、土の焦げた匂いに慣れてくると同時
すうっともう一人の自分が消えていくのが分かった。





「ジェイ、あれが忍者か!?」
「えぇ、間違いないです!」





前方には逆手で太刀を構える忍者がいた。
ユラユラと揺れる独特の構えに皆はジリジリと距離を詰める。





「モーゼスさん、左!」
「うおっ!?」





苦戦する仲間の輪から一人追い出された私は
大きな岩に寄りかかり、ぼうっと先程の事を考えていた。

ジェイは、怒ってるかな。
…いや、首を絞めたんだ…怒るに決まってる。





「…私」

…―――殺せ。





頭の中で、声がする。

ねえ、何で。
あの頃のアンタは、もういないんじゃなかったの…?





…―――あれは、私の求めている人じゃない。





嫌だ。
もう止めて。

誰も殺したくない…誰も傷付けたくない。

噛み締めた唇から血が流れ、腕に食い込む爪は白く変色する。

また無理矢理、アンタの感情を抑えなきゃいけないの?
あの頃の、お互いを理解しない私達に戻らなきゃいけないの?

どんなに訴えても、私達の関係を教えてくれる者はいない。

素早く動くジェイの甘い香りが鼻を掠める度、ゾクゾクと体が反応する。
気が付けばまた壊れたかのように笑っていた。


…もう、分かっていた。


怖いと夜の街へ飛び出したあれは、夢なんかじゃなかった。
私が嗅いだ甘い香りは、少女が恋焦がれる者の香りだったんだ。

それは、ジェイの香りにとても良く似ている。

こんな事、いつまで続けなきゃいけないんだよ。
力でお互いをねじ伏せるなんて、したくなかったのに。















「ッ…いやだよ…」





ポツリと零れた言葉と共に、輝き落ちる雫を見た。
フッと視線を動かせば、岩に寄りかかり肩を震わせている少女が見える。

何がそんなに悲しいのか、何がそんなに嫌なのか
僕が問うた所で彼女が話す事はないだろう。

ただ、彼女が前に一度だけ、首を絞めると言う気狂いな行動に出た事があった。





「破壊の少女…でしたっけ?実に下らない」
「またお前かッ…!」
「僕が話したいのはさんです。彼女、出して下さい」
「ふざけるな…!そんな事誰がするか!」
「…別に、貴女に了承を得る必要もないんですけどね」





「…腕の二本三本、くれてやる…でしたっけ?」

「…―――その腕、僕がもらいます」





懐かしい。
彼女が昔、破壊の少女に乗っ取られた時自分が言った言葉だ。





「もう一本いっときます?」
「良い、今は充分…!次なったらまたよろしく…!」
「ま、こんな事出来るの僕ぐらいでしょうしね」
「そうそう!容赦ないとこがジェイらしいよね…!」
「そう頼んだのはさんでしょう?」





昔はあんなにも冷血な人間でいられた。
なのに、さっきの自分は。





「…殺されかけたのに、腕を折る事も出来なかった…」





信じられなかったんだ。
彼女の怒りが、例えどんな形でも僕にくるとは思わなかったんだ。





「名前…なんて、言うの…?」

「お前は、わたしが求める人じゃない…!!」





求められていないだなんて、そんなの分かりきっている。
そうだ…僕はイラナイ子供なんだから、誰にも求められていないんだ。

唯一心を許しかけた…彼女にも。

自暴自棄だった幼少時代が蘇る。
僕はただただ嘲笑いながら、目の前にいる忍に苦無を刺した。










Next→

...
修正:14/01/13