「こんにちは…私の可愛い人形…」
クスクスと笑う男に返事はない。
意識を失ったは、ただ呼吸と言う動作を繰り返す。
それすらも楽しそうに目を細める男の元に向かい、一人の少年が近付いた。
「雷電!!」
男目掛けて放った苦無に雷が落ち、地面を焦がす。
ハア、と息を吐くと共に
苦無を放った少年、ジェイは辺りを見渡した。
確実に相手を狙ったはずなのに、あるのは地面に突き刺さる苦無だけ。
音のない空間でジェイはポケットの中に忍ばせている苦無を握る。
そして相手の気配を探るよう、瞳だけを動かした。
「っ…!」
突如走る悪寒に、ジェイは向きを変え後ろへと飛び跳ねる。
いつの間にかジェイの背後に立っていた男は一人の少女を抱き締めながら
クスクスと薄気味悪く笑っていた。
「いやあ…これはこれは、驚きました」
フードを脱いだ男の容姿をジェイが見間違えるはずがなかった。
殺意を剥き出していたジェイの目は大きく見開かれ、零れそうな程揺れる。
それを見て、男はまた愉快だと言わんばかりに笑った。
「また会えて嬉しいですよ。親愛なる我が弟子…ジェイ」
ジェイはただただ弱々しく首を振る。
「そ、んな…なんで、どうして…」
「あなたが、ソロンが…こんな、ところに…!」
そしてこれから始まるであろう悪夢に、
冷たくなった自らの手で震える唇を覆った。
「そんなに喜んでくれると、私も嬉しくて涙が出そうですよ」
一歩、また一歩後退する度に
チリ、チリ、といつもとは比べ物にならない程の弱々しい鈴の音が響いた。
「嘘だ…どうして、貴方が…」
「おやおや、つれないですねぇ」
「あの頃のように、お師匠様と、可愛い声で呼んで下さいよ」
「はい、分かりました…お師匠様」
男の声を聞く度、ジェイの頭の中では幼い頃の自分がフラッシュバックする。
遺跡船に来てから思い出す回数は減った。
最近になり過去の記憶も薄れてきた。
だけど忘れる事は出来なかった。
忘れる事等、許されるはずがなかった。
「い、いや…だ…」
「おやおや、何処に行くんですか?私はここにいるのに…」
「ぼ、僕はもう…あんなのは…」
口の中に広がる鉄の味、錆び臭い匂い。
赤い、鮮血に塗れる過去の記憶。
一歩、また一歩と下がるジェイを見て
ソロンと呼ばれた男は眉を顰め姿を消す。
ハッとジェイが息を呑む数秒にも満たない時間で
男はジェイの背後を取りその背中に衝撃を与えた。
抵抗する間もなく倒れた体に足を置かれると、ジェイは悲鳴を漏らし顔を歪める。
「そんな惨めな姿を私に見せないで下さいよ。
知ってるでしょう?私が醜いものが、死ぬほど嫌いなんです…」
「誰が逃げて良いと言った?誰が帰って良いと言った?ただ私は話をしたいだけなのに…」
ああ、と哀しみに暮れる声を漏らしながらも
男はジェイの上に乗せる足の力を弱める事はなかった。
地に伏せる愛弟子を見る愛おしそうな瞳とは裏腹
食い込む靴はジェイの喉から悲鳴を絞り出す。
「私の仕事を手伝って欲しい…ただそれだけ。
それだけなのに、どうして逃げる必要があるのですか?」
「っ嫌だ…!僕は、僕は貴方の事を…!」
「大好き、なんですよね?」
クッと喉の奥で笑うソロンに、ジェイはカッと体を熱くし反論した。
それでも、この男には何の意味もない事だ。
ジェイの言葉に聞く耳も持たず、都合の悪い事は流し
その口から「はい」と零れるまで力を弱める事はない。
「痛い思いは、もうしたくないでしょう?叱る方も辛いんですよ…」
「何を、されても…貴方にだけは、協力なんてしない…!」
「そんな寝言が聞きたいんじゃない!!」
腹部を勢いよく蹴れば、少年の体は地を跳ねながら遠くへ飛んだ。
その拍子に男の腕からドサリと何かが音を立て落ちる。
ハラリ、と地面に広がる黒い髪を見てジェイは驚き目を見開いた。
「…、さん…?」
恐怖の余り、今の今まで気付く事が出来なかったのだろう。
そして、自身がここへ来た理由を思い出したのだ。
ジェイは譫言のように何度も「さん、さん」と少女の名前を呼ぶ。
依然少女は目を覚まさず、ただ浅い呼吸を繰り返していた。
「おや、大切なモノを落としてしまいました」
何事もなかったかのようにゆっくりと身を屈めた男は
倒れる少女の黒髪を引っ張り、自らへと引き寄せる。
ズルリ、と砂埃を立て地を這う体。
まるで物のように粗末に扱われる少女を見て、ジェイは驚き目を見開く。
そして男が少女の手首を握った瞬間。
「止めろッ!!」
ポケットの中で握り締めたままだった苦無を、勢いよく投げ付けた。
「…」
傷の似合わない顔に一つ、赤い線が浮かび上がる。
ツゥ…と流れ出た血は頬、顎を伝い淡い色の布を汚した。
自らの頬を撫でる男の手に、ヌルリと赤い血が付く。
男は掌と息を荒くするジェイを交互に見た。
「…ッフ…」
一度溢れた笑い声は、湧き上がる水のように止まらない。
「ハ、ハハッ…!ハハハハ!!」
気が狂ったように笑う男は呆然とするジェイを見て今まで以上に声を張り上げる。
「そうかそうか!お前はそんなにコレが大事か!面白い!実に面白いですねぇ!!」
ジェイから放たれる空気がガラリと変わる。
怯える瞳とは違う。
怒気の篭った、彼らしくない自我を忘れた目だ。
一頻り笑い満足したのか、男はふう、と溜め息を吐き
やれやれと額に手を当て鋭くジェイを睨んだ。
「いけませんよジェイ…」
「あれ程人前で弱味を露にしてはいけないと教えたのに…」
男の言葉を聞きジェイは再び目を見開く。
そうだ。
あれ程感情を剥き出してはいけない。
弱味を握られたら、忍ぶ事さえ出来なくなる。
そう、ジェイに教えたのは目の前の男だ。
「モフモフ族と言う変な生き物といい、この人形といい随分おかしなものを大事にする…」
「…何だって…?」
「愛しい弟子の面影がなく、私は非常に残念ですよ」
心底悲しい、と嘆く男を前にジェイは息を止めた。
いや、正確には呼吸をする事を忘れてしまったのだ。
「彼等は何色の血を流すんですかね?どんな声で鳴いてくれるんですかね?」
「いやあ…今から楽しみだなぁ…」
「ラッコが逃げ惑い、泣き叫び、命乞いをしながら死んでいく様は、さぞ見物でしょうねえ!」
そう言うと、男は再び肩を揺らして笑う。
その度、男の腕の中にいる少女の髪がサラリと揺れた。
「ッ止めろ!モフモフ族には手を出す―――…」
動揺を隠せないながらも立ち上がり
ジェイは軋む体の痛みに耐えながら声を荒げた。
「手を出すな」と全てを紡ぐ前に口が止まる。
白い服をジワリと染める、赤い色。
細い指を伝い、ポタリポタリと一滴ずつ地面へと落ちる、血。
黒、白、赤、鮮やかすぎる色合いに
ジェイは眩暈を起こしグラリと体を揺らした。
「な…に、を…」
「いやあ…可愛い弟子が言う事を聞いてくれないので、つい…」
「…」
「大人気なく八つ当たり、等をしてしまいました」
意識はないものの、苦痛で顔を歪めるの肩からは
ドクドクと絶え間なく血が流れ出る。
「さあ、この人形は赤を流した…ラッコは紫か?緑か?青か?」
「あぁ、気になって夜も眠れませんよ…今から殺しに行ってしまいそうだ」
興奮に体を震わせ笑う男は手中にいる少女の歪んだ顔を幸せそうに見つめる。
少女を傷付けた事、まるで我が物のように扱う事。
相手に逆らう事が危険だと分かっていても
ジェイにはそれを黙って見ている事が出来なかった。
「っ止めろ……止めて、下さいッ…!」
「止めろ?私を止める為の言葉はそれではないでしょう」
「ただ『はい、お師匠様』と可愛い声で言ってもらえれば、それで良いんですよ…」
一瞬、思考は停止する。
「早くしないと彼女が起きてしまいますよ?裏切り者とは知られたくないでしょう?」
クスクスと笑うソロンと未だ目を覚まさないを交互に見る。
悔しそうに歯を食い縛るジェイの脳裏には
辛い訓練から逃げ出そうとする臆病な幼少期と
いつも一緒にいてくれたモフモフ族の姿が過った。
一つ風が吹けば、小さい声は掻き消される。
それでも目の前にいる男の耳には、充分聞き取れる物だった。
彼の選択を責めるかのように、もう一度強く風が吹く。
ジェイの口から洩れる嗚咽や、本当の気持ちに気付く者は
誰一人、その場にはいなかった。
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修正:14/01/13