口内に広がる鉄の味。
何度も蹴られた腹部の痺れ。

乱れる髪は頬に掛かり、地を這った衣服は泥まみれ。





「…」





ああ、全てが懐かしい。
だけどこれは夢でも思い出でもない。

また繰り返される。
辛く、何度も逃げ出したいと思ったあの日々が。





「…、さん…」





助けられなかった。
彼女が連れて行かれた時、目を合わす事も出来なかった。

彼女は今の僕を見たら幻滅するだろう。
そしてまた、僕は一人になる。

…また、あの日々を繰り返す。





「ジェイ!」
「ジェー坊!!」





朦朧とする意識から呼び覚ましてくれたのは
セネルさんとモーゼスさんの声だった。

ボロボロになった僕を見て駆け付けた皆さんは一斉に声を上げる。
それはどれも僕を心配する言葉で、胸が痛くなった。





「ジ、ジェージェー大丈夫!?」
「えぇ…少し、疲れただけで…」
「オイ、貴様!!」





膝から崩れた体を無理矢理引っ張ったのはワルターさんだ。

蒼い瞳は僕を痛いくらいに睨み付ける。
その瞳の奥、別の誰かを見ているのはすぐに分かった。





はどうした…!何処へ行った!?」
「おい、ワルター落ち着けよ…!」
「五月蠅い!さっさと答えろ!!」





普段落ち着きのある彼にしては珍しい。
さんが関わっていると言うだけで、こんなにも人が豹変してしまう。
彼女の影響力は、本当に凄まじいものだ。





「…奥に」
「何…?」
「奥に行きました…」





胸倉を掴むワルターさんの手を払い、平常心を装い衣服の縒れを直した。

「ついて来て下さい」、言葉には出さずそう瞳で訴えれば
皆さんは一つ頷き僕の歩いた道をなぞるよう進む。

さんがソロンに何かされていないか、不安だった。
さんがソロンに何かしていないか、不安だった。

だけど脳裏に浮かぶのは、「大丈夫かどうか」と言う類のものではない。

“今すぐここから逃げたい”
ただそれだけだった。















絶望を告げる鐘の音が、頭の中に鳴り響く。





「…な、に…」





見開いた瞳の中に男が映る。
震える唇は、言葉にならない音を吐き出した。





「なにそれ…」

「何そ、れ…!」





ただただ同じ言葉を繰り返す私の背に何かがぶつかる。
ゴツゴツした岩の感触は、余計に体を強張らせた。





「もう貴女は私と約束をしましたよね?二言など、ある訳ないですよね?」

「ジェイが私の独り言に心を動かされたとしても、貴女は私の元へ来る約束をしてしまった」





前進する男を拒絶するように首を振れば、肩を強く押し出された。

凸凹した岩に強く打ちつけられ、無理矢理手を掴まれる。
痛い、と口にする事も出来ない程震えている自分に気付いた時、目には涙が溜まっていた。





「お前は取引をした!交渉は成立したんだよ!!」

「さあ、改めて誓いの握手をしましょうか…!?」





無理矢理掴まれた手に、更にと圧力が掛かる。
それは握手と呼ばれるようなものではなく、一方的に捻じ伏せられているだけ。

痛い、と小さく声を漏らせば相手は狂ったように笑った。





「約束を破れば仲間の命がないのは分かっているな!?」
「っ、痛…くッ…!」
「良いか、手の痛みで思い出せ…!」





「お前は私の傍から離れられない人形なのだ!これからずっと!」





体も、心も、痛い。

コイツは、人を絶望に貶める事に関して誰よりも長けている。
相手の弱みに付け込んで、優しく手を差し伸べたと思いきや利用する。

相手が誰であれ容赦はせず、卑怯だと言われる事を快感だとすら思っている。

選択肢なんて、もうない。
私が逆らえば、皆はきっと殺される。

深い深い暗闇に引き摺り込まれるこの感覚に、頭すら麻痺し始めた頃。





!!」





私の名前を呼ぶ、聞き慣れた声が聞こえた。

振り向くよりも早く、視界に入ったのは黒い翼。
私と男の堺に降り立った彼は、見るだけで分かる程の殺気を放っている。





「…ワル、ター」





名前を呼ぶと、振り返る。
そんな些細な事さえ嬉しくなり、仲間が来てくれた事にホッとした。

だけど、胸の痛みが治まる事はない。
これから裏切る相手に、私は笑顔を見せる事も出来ずただ呆然と立ち尽くす。





…!」
「…シャーリィ…」
「肩も手も血だらけだよ…!待って、今治すから…!」





私の血塗れた肩を見て、シャーリィは形振り構わず駆け寄ってくる。

痛みに声を漏らす私に眉を下げて
シャーリィはその柔らかな唇でブレスを唱えた。





「…」





クス、と一つ笑い声が聞こえた。
ぼう、と淡い光を見ていた瞳が自然と動く。

笑い声の正体は、私が思っていた通り、あの男だった。

私とシャーリィの姿を見てクスクス笑う男の目は
「先程の約束を忘れるな?」と言っている。

そして、私に答えを求めている…そんな気がした。





「…良い」
「え?」
「すぐに直るから、気にしないで良いよ」





きょとんとする少女に、私は笑顔を見せた。
短い時間で張り付けた笑顔は、何とか様になっていた気がする。





「怪我には慣れてるし、もう痛くないから!」
「っだけど…!」
「シャーリィも疲れちゃうだろうし、大丈夫だよ!」





全部本当の事を言っているのに、何でこんな嫌な気持ちになるんだろう。





「…放って、おいてくれて良い…」
…?」
「ッもう、気にしないで…」





爪が白くなるくらいに拳を握り、チラリと男を盗み見る。
男は満足そうに一つ頷き喉を鳴らした。

馬鹿にされているみたいで腹が立ったが、安堵している気持ちの方が大きい。





「オイ、貴様ッ!」
「はい…?」
「どう言うつもりだ!一体何が目的なんだ!!」





私の体を引き寄せ、狂犬のように吠えるワルター。
男はそんな彼を見てクツクツと笑う。





「そうですねぇ…目的は…」





金色の瞳が真っ直ぐに私と向けられる。
それと同時に仲間達全員の視線が集まった。





「貴様、が目的か…!?」
「そうですが…真の目的は―――…」





「…―――絶望に染まる世界、ですかね?」





常人には理解出来ない事を口走る男に対し、皆は更にと答えを求める。
男は性格に似合わず、律儀に疑問へと答えを返した。





「遺跡船は実に愉快な所だ…秘められた凶器が私の渇きを潤してくれる」

「なのに最近は何処の国も丸くなりすぎた」

「鮮血飛び散る戦いの場だけが、私に生を感じさせてくれると言うのに」





「ああ、非常に残念だ」、と言い額に手を当て溜め息を零す男に
ノーマは「変態…?」、と声を漏らし後退する。





「だから、私が世界を盛り上げて見せますよ!」

「戦争と言う名の最高の舞台を、退屈した世界に用意して差し上げましょう!!」





加えて大きな笑い声を上げる男に耐えきれず、皆は武器を取り出した。

これも相手の作戦の内なのだろうか、と考える私は自分が思ったよりも冷静で
怒る皆をまるでテレビの外から見ているような気分になる。

…部外者じゃないのに、こんなに距離を感じるなんて初めてだ。





「お前、戦争の為にを使う気なのか!?」
「…だとしたら、どうするのですか?」
「そんなの決まっている!この場で成敗するのみだ!!」





誰よりも正義感の強いクロエがその剣を振るうと、男目掛けて衝撃波が飛ぶ。

地を抉り、砂埃を立てながら進む衝撃波が消えた時
やったか、と息を呑む仲間達は煙が晴れるのを黙って待った。

だけど男の姿は見当たらない。
影も足跡もなく、まるで初めから幻だったように思える程鮮やかに消えていた。

…本当に幻なら、良かったのに。





「せいぜい足掻くが良いわ!そして私を笑わせてくれ!!」





姿は見えないのに、声が聞こえる。
そして反響した笑い声が薄れると同時、男の気配はすうっと消えた。

シンとした空気が辺りを包み、敵が遠ざかった事が分かると
仲間達は武器を下ろし小さく息を吐く。

それと同時にジェイと私はドサリと地面へ崩れ落ちた。
体を震わせ、これから起きる想像もしたくない未来を頭の中で巡らす。

男に握られた手がカアッと熱くなり、言いようのない感情が体の中を支配した。

嫌だ嫌だと思いながらも、体は何かを欲していた。
男の…ソロンの意志の尊重を望んだ。


こんな事、言えない。
言えるはずがない。

違う…私は、私は思っていない。


皆を裏切る事に、アイツの下へつく事に喜びを感じているなんて
そんな事を、思う訳がないのに。

胸の鼓動の高鳴りが、治まらない。










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修正:14/01/13