血生臭い匂いを乗せた生暖かい風に私は吐き気を催す。
風が吹く度、嫌でも思い出す。
自分の眼前でヒラリヒラリと散った、あの紙を。
もう疲れた、と少しでも私が歩みを遅くすれば
ジェイはぎゅっと強く、そして優しく私の手を握り直してくれる。
片足を引き摺るように歩く私のペースに合わせ、歩幅を狭め
またしばらくすると今出来る最大限の速さで走り。
「もうすぐ、もうすぐですから…!」
「もうすぐ皆と会えますから」、と言ってジェイは長い道のりを走る。
もう一人の私は「どうして逃げるの」と何度も訴える。
私は今、本当に私なのだろうか。
そんな問いかけをもう何度も繰り返した。
本当は生まれた時から私は破壊の少女で
、なんて女の子は始めからいなかったのかもしれない。
そんな想いがグルグルと回って、また生暖かい風が吹いて。
とても、とても気持ち悪い。
モフモフ族の入口まで走り続けた私達を出迎えてくれたのは
肩を落としこの先を思い悩む仲間達の姿だった。
私達を見てぱあっと顔を明るくしたモーゼスは
村の奥にいる仲間達を呼びに何も言わず駆け出す。
全員が村の入口に集まり、皆は私達を見つめ安堵の表情を浮かべた。
にも関わらず、一線を引いた距離を詰めようとする者はいない。
重苦しい空気の中、ザッと土を蹴る音がする。
フッと顔を上げれば先程まで横にいたジェイが一歩前にずれていた。
「助けて…下さい」
言葉と共に、私の手を握るジェイの手に力が入る。
「力を、貸して下さい…モフモフ族の皆を、守りたいんです…」
ジェイの言葉を聞いて、仲間達の表情はガラリと変わった。
私はその状況を、ただぼうっと見守るだけ。
「いつも、キュッポ達は僕を助けてくれました。
僕が一人にならないように、いつもいつも、傍にいてくれたんです…」
ジェイは私の手を握り締めたまま、皆に向かって頭を下げる。
いつも見ていた彼の後頭部がこんなに低い場所にあるのは初めてだった。
「帰りが遅いと心配してくれたんです。ご飯を食べずに、待っててくれたんです…」
「怪我をすれば、手当てをしてくれたんです…。病気になれば、必死に看病してくれたんです…!」
「寒い夜は一緒に寝てくれたんです!僕と一緒は…楽しいと、言ってくれたんですッ…!」
「僕の事を…家族だって言ってくれたんです!!」
ポタリ、と地面に赤い雫が落ちる。
体が力んでいるせいか、止まりかけていた血がまた流れ出したのだろう。
それでもジェイは自らの傷口を癒す事もせず、モフモフ族の皆を助けたいと口にし続けた。
「キュッポ達は僕の家族なんです!大切な…大切な、家族なんです!!」
「キュッポ達が傷付くのは嫌だ…誰かを失うなんて、耐えられない…!」
「だけど僕一人の力じゃ、僕だけの力じゃ全然足りないんだ…!」
仲間達はただただジッとジェイを見つめた。
その真っ直ぐな瞳が自分に向けられている訳ではないのに
気まずくなって一人目を反らす。
ジェイは、皆に想われている。
だけど、私は?
そんな事を考えてしまう卑しい自分が嫌だった。
「だから、僕に力を貸して下さい!家族を守る力を、僕に貸して下さい…!」
丸い彼の背中を見て、これ程誇って良い物はない、そう思った。
しばらくの沈黙の後、ジャリ、と砂を踏む音が耳に届く。
何事かと視線を動かせば、ジェイの目の前にセネルとモーゼスがいた。
頭を下げ続けるジェイにフッと二つ分の影が掛かり
ジェイは何事かと恐る恐る頭を上げる。
瞬間、ジェイに向けられたのは言葉ではなく拳。
コツン、と軽い音がしたと同時ジェイは眉を顰め
ジェイの頭にゲンコツを落としたセネルはゆったりと笑っていた。
「誰かを守るって決めた奴が泣くな」
何が起こったのか分からない、と言わんばかりに目を丸くするジェイ。
すると今度はモーゼスがその髪をぐしゃぐしゃになる程撫でくりまわす。
「弟を泣かしてくれた借りは、兄ちゃんがきっちり返しちゃるわ!」
いつも通りのモーゼス。
セネルは深い溜め息を吐きながらも笑う。
それにつられるよう一人、また一人で皆が笑い出し
私とジェイは完全にその場の空気に置いてかれてしまった。
「家族を泣かせる奴を、ワイは絶対に許さんけんのう!!」
「お兄ちゃんが出来て良かったな、ジェイ」
クロエの言葉に状況を理解したジェイは
フイッと目を反らしながら、もごもごと自分の気持ちを口にする。
「…どうせなら、出来の良い兄が欲しかったですけど…」
「今はモーすけで我慢してあげなさいよ」
「クカカ!ワイより良い兄貴なんぞいないわ!」
皮肉もお構いなしに胸を張るモーゼスを見て、ジェイもつられるよう微笑んだ。
良かったね、の一言では済ませられないくらい
我が身のようにジェイの幸せを感じる。
それでも、口は動かし方を忘れたみたいにピタリと止まり
笑顔を作る筋肉すら上手く機能していなかった。
「…少し、待って下さい」
そんな私に、誰よりも先に気付いてくれたのはジェイだ。
ジェイは自分が幸せを手に入れても私を見捨てはしなかった。
ずっと、ずっと手を握り締めてくれていて、今もこうして振り返ってくれる。
くん、と軽く引っ張られ半歩前に出ると、ジェイは私の背中にゆっくりと手を添える。
「さん」
添えられた手は遠慮がちに私の背中を押した。
更に一歩前へ出た私の手をジェイはまだ握ってくれている。
力強く、優しく、温かい。
皆が拒絶しても、ジェイだけはこの手を離さないでいてくれる…それが勇気に繋がった。
「…」
そう思っているのに、中々音と言う音を発する事が出来ない。
何か言わなきゃ。
何かしなくちゃ。
焦れば焦る程、つっかえた言葉は喉の奥へと沈んでいく。
口を開き、閉じ、また開いては閉じる。
何を言うべきかは分かっているのに、私は無意味な行為を繰り返した。
情けない、と自分を責め立てる涙がジワリと溢れる。
簡単に泣いてしまう私が許せず、怒りで拳が震えた。
そんな私の感情を振り払うよう、一つの風が頬を掠めた。
この村特有のほんの少し生臭い、だけどもとても心地良い風だった。
「…おかえり、」
風に乗って届いた言葉に驚きを隠せず、気が付けば勢いよく顔を上げていた。
視界に広がる光景を、私は夢なのではないかと疑った。
ふわりと優しく微笑むセネルは何かを求めるように私へと手を伸ばす。
皆を騙し、身勝手な行動をし、
皆からもらったものをズタズタにした、私に。
「っ…」
その手を掴みたいと思う反面、もう一人の私はそれを拒む。
“わたしが手を取りたいのはコイツじゃない”、と怒りを露にして。
戻りたいと願う自分。
嫌だと拒み続ける自分。
真っ直ぐにその手を取れない私が誰よりも許せなかった。
「…ん…」
「ん?」
「ご、めん…」
長い時間掛けてやっと紡げた言葉はたった一つの単語だけ。
大粒の涙は垂直に落ちて行き、乾いた土の上に染みを作る。
「ごめん…ごめん、なさい…!」
一つ、二つ、と染みが増える度、ちっぽけな自分が嫌で嫌で消えたくなった。
それでもこれだけは皆に伝えたくて、私はただただ同じ単語を繰り返す。
「ッ…ごめん…!」
気が付けば声が枯れていて、気が付けば皆の笑顔が消えていて。
ああ、空気を悪くしているのは私だ。
分かっているのに「ごめん」が消えない。
「わ、たし…ほんとに…!」
もう何を言っているか自分自身分からなくなってきたその時、
何か柔らかいものが私の体を包んだ。
フワリと甘い香りが鼻を掠めて、頬にあたるふわふわの髪に目を細める。
微かな陽の光に輝く、糸のように細い髪を見て私は戸惑い目を丸くした。
「違うよ…」
キラキラ光る髪はまるで宝石のよう…自分が無価値なのが嫌でも分かる。
でも、その子は違うって言ってくれた。
「誰も、そんな言葉望んでないよ」
綺麗な声は歌うように私を宥めた。
助けを求め震える私の体を、壊れない程度に更に強く抱き締めた。
「が辛いと、皆辛いんだよ」
「が謝ると、皆混乱しちゃうよ」
「…が泣いてると、皆だって、苦しいんだよ…!」
ポタリ、と地面に何かが落ちる。
それは私自身の涙ではなく、きっと私を抱き締める少女の涙だ。
この雫はきっと透き通った色をしているんだろうと頭の片隅で考えた。
こんな私の為に泣いてくれるんだ…濁っているはずがない。
「お兄ちゃん、に『おかえり』って言ったんだよ…?」
「…」
「なら分かるでしょ?何て答えるべきか、簡単だよね?」
私を抱き締めながら、シャーリィは先程よりも強く言葉を奏でる。
私はその言葉を聞いて、無意識の内に首を縦に動かした。
何を言うべきなのか理解している。
なのに、やっぱりこの口は上手く機能してくれない。
「こん中でが言ってる回数ダントツナンバーワンの言葉だよ!」
私が答えに悩んでいると思ったのだろう。
ノーマは人をからかいながらも大きな声でヒントを告げる。
「ワイ等ももう聞き飽きてる言葉じゃのう!」
つられるよう、モーゼスも意地悪い顔をしながら私の答えを急かした。
「ちゃんが言ってくれると、とおっても安心出来るのよねぇ」
「その分、こっちは言いたくもない返事をしなくてはいけないがな」
「ワルターは素直じゃないな」
さっきまでピン、と張っていた空気も
皆がクスクス笑い出した途端柔らかくなる。
「もう一回言うね?」
「…」
「…おかえり、」
柔らかく、温かい声。
皆と離れたくない、そう思う欲張りな私の胸がキュッと熱くなる。
「、返事は!?」
「、あ…」
「さっさと言った方が楽になるぞ?」
「…え…っと…」
「なに〜?小さくて聞こえな〜い」
「っ…その…!」
「た、ただいま…!」
「…ぶッ!」
必死に絞り出した声は発音もグラグラ、間隔もまちまち。
何を言っているかニュアンスで分かるくらいの言葉を聞いて
皆は拒む訳でもなく、受け入れる訳でもなく、声を出し腹を抱えて笑う。
笑われる意味が分からず、「私、なんかした…!?」と慌てて口にした。
「いや、何て言うか…」
「ぶっさいくな顔してるな〜って、ね?」
「んなクシャクシャな顔見せられて笑うなっちゅう方が無理じゃろ…!」
本当はここで怒るべきだろうし、皆も私が怒ると思っている。
だけど、そんなのどうでも良い。
馬鹿にされているとしても、皆が笑ってくれるならそれだけで良いんだ。
「ッありがとう…!」
そうして、久しく言っていなかった気がする言葉を口にする。
「シャーリィ…!」
「ん?」
「大好き…!!」
「…うん、私も」
「もう、何処にも行かないでね」
「どっか行っちゃったら、私が許さないから…絶対に迎えに行って、を怒るから!」
そう言ってもう一度私を強く抱き締めたシャーリィの腕の中、何度も何度も頷いた。
いつの間にか自分に笑顔が戻っていた事にも気付かずに。
「良く出来ました」
背後から聞こえる声と、未だ右手から感じる温かいぬくもり。
「満点とまではいきませんけど」、と皮肉たっぷりの言葉を付け足したジェイは
皆と同じ柔らかな笑顔で私を見ていた。
「ジェイもね!」
偉そうなジェイを真似して偉そうな言葉を口にすれば
ジェイは目を細め、ありのままの私を受け止めてくれる。
ジェイがいてくれる。
皆がいてくれる。
今なら、私の本当の気持ち、言える気がする。
「…皆、聞いて」
私は今、幸せだ。
だけど私一人幸せになる等、余りにも残酷だ。
我儘で欲張りな私は、自分自身の幸せだけじゃ物足りなかった。
「お願いがあるんだ」
例え私が次に紡ぐ言葉で皆の笑顔が崩れても
この柔らかく温かな空気が壊れても
私が満足するには口にしなきゃいけない気持ちがある。
もう一人の女の子の幸せを、手に入れる為に。
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修正:14/01/15