強く引っ張った手は想像以上に冷たかった。
さんはこんなに体温の低い人だったろうか。
そんな疑問も彼女の瞳を見ればすぐに消えて行く。
「ちょっと待って下さい…ッ!」
僕の手を解こうとする彼女に言葉を投げつけ
更に強く、締めるように握る。
「貴女、急に何してるんですか!?」
「ッ…さい」
「キュッポを殺そうなんて、何でそんな事…!」
「ウルサイッ!!」
彼女の声が大きくて驚いたんじゃない。
鬼のような形相に怯んだんじゃない。
狂気じみた瞳から透き通った雫が流れている事に、言葉を失ったんだ。
「っんで…」
「…」
「何で、皆邪魔するの…?」
我儘を言う幼い子供のようだった。
先程までキュッポを殺そうとしていた人物とは似ても似つかない。
「私、なんかしたの…?あの方が、誰かに、何かしたのっ…?」
彼女の言う“あの方”は、数え切れないぐらい酷い事をしている。
窃盗だって、誘拐だって、殺害だって、
利益になる事であれば、自分が楽しければ何でもする。
だけど…そんな残酷な真実を、彼女の目の前で口にする事が出来なかった。
「誰も、何も分かってくれないの…!この世界は醜くて、卑しい奴ばかり…!」
相当の時間…それこそ世界が滅び再生されるまでの間
彼女はずっと、感情を抑えてきたんだろう。
「汚くて、醜くて、歪んでいる…!」
「それでも、こうしてわたしがこの世界に留まっているのは―――…」
「…―――あの方がいるからなのに…!」
ピクリと、無意識に自分の指が動いた。
止めてくれ、と心の何処かで願っていた。
きっとこの先、彼女の本音を聞いてしまえば僕の決意は揺らいでしまうから。
分かっているのに、耳を塞げなかったんだ。
いや、きっと耳を塞いだって分かった。
「ソロン様がいてくれないと、私がこの世界に留まってる意味なんてないのにッ…!!」
過去、同じような言葉を聞いた。
「ッ今ここに貴女がいてくれなきゃ、僕も生きている意味がない…!!」
それは僕自身がさんに発した言葉だ。
嗚呼、何て似ているんだろう。
僕と彼女はどうしてこんなにも似ているのだろう。
人を殺し、孤独に生き、愛を知り、求める。
共通点等ありすぎて、考えるのも無意味だった。
掴んでいた手が離れる。
呆然とする僕を置いて、少女は再び走り出す。
彼女が機械であり、武器であると思えたらどれだけ良かっただろう。
人ではない何かと、以前のように割り切る事が出来ていれば。
…だけど、もう何もかもが手遅れだ。
嫌と言う程分かるんだ。
自分が道具だと言われる悔しさも、人として扱われない寂しさも。
優しいんじゃなくて、ただ自分に甘いだけ。
自分を許したいから何も言わなかっただけだ。
「ちょっと!あの子どんどん先行っちゃうよ!?」
「早く追わないと…!」
「何ぼさっとしとるんじゃジェー坊!!」
仲間達が走り出す。
僕はそれを呆然と見つめる。
「同じ、なんだ…」
雨音よりも小さな僕の声に、皆は一斉に振り返る。
そして、僕の心の中で何かが弾けた。
「同じなんだ…ッ!」
衝動的に走り出す。
ただ闇の中で小さくなっていく彼女の姿を追って。
「ハッ…、ハァ…!」
薄暗い道に響く荒い呼吸。
体力の限界を訴え、体はギシギシと軋みだす。
酸素を取り入れる事に精一杯で、足を動かす事も儘ならない。
彼女はこうまでして走るのは、一人の男の存在があるから。
「意味が、ないの…!」
少女はひたすら繰り返す。
「あの方がいないと、世界の意味、が、なくなるの…!」
「私が、好きだった、時間がなくなっちゃうの…!」
今この瞬間、この子の事を誰が機械だと言うのだろう。
誰が武器だと言うのだろう。
零れる涙も、震える唇も、溢れる吐息も
全部が全部、私のものじゃなくて彼女のもの。
この子は普通の女の子だ。
ただ一人の男に恋をした、普通の女の子。
「ッ…ぅ、…ック…!」
ヒックヒックと泣きながら、少女は走り続ける。
泣かないで。
アンタがそう思ってるなら、誰に邪魔されたって構う事ない。
アンタが恋をする事に、誰も文句は言わないよ。
殺したい程憎んでいたはずの男が私の中で変わり始める。
この子の為なら、なんて偽善かもしれないけど
痛い程気持ちが伝わってくるのだから仕方がない。
私はアンタの味方だよ。
私はそう、あの子の心に届くよう叫び続けた。
だけど彼女が泣いている理由は、そんなものではなかったのだ。
「こわ、れて…、え…」
「苦しいッ…苦、し…!」
最奥に辿り着いた時、彼女は言葉通り崩れた。
視界の先にある扉がぼやけて見え、体が異常に熱い。
「痛い、足が、痛いの…!」
そう言いながらも、少女は這いずり体を動かす。
目の前にある大きな扉を精一杯の力で押すも
逆に押されるようズルリと力が抜けていく。
「…暑い…ッ熱い暑い、アツイ…」
涙ではない何かが、頬を伝った。
それが汗だと分かった瞬間、ドクドクと心臓が五月蠅く鳴り出す。
どうして、私は今まで気付かなかったのだろう。
湿った服、濡れている髪。
その原因が少女の汗だと言うのはすぐに分かった。
運動を怠っている私でもこんな汗の掻き方しない。
これはもう異常だ。
…そうだ。異常なんだ。
都合良く改造されたモノは、汗を掻くと言う事を知らない。
無理に強くされたモノは、体に負担を感じる事がない。
突然生身の体になってしまった彼女は
正常な人間の機能を異常と訴える。
きっと、体の限界に気付かなかったんだ。
「何も、してないのに…!」
「私、ただ、走っただけ、なの、に…!」
「違う、違う…!嫌…直されるのは嫌だ…」
「改造は嫌、修理は嫌、分解は嫌…ッ!!」
真横を流れる水のせせらぎを、彼女は自分の体に注ぎ込まれるオイルと間違え耳を塞ぐ。
「助け、て…」
後ろから聞こえる複数人の足音に、少女の体は異常に跳ねた。
きっと自分に改造を施す人間が来たと思ったのだろう。
「助けて…助けて…」
、と呼ぶ皆の声は
あの子の胸に届く事はなかった。
助けて、助けて、と何度も繰り返し、目の前の鉄の扉に爪を立て引っ掻く。
ガリ、と嫌な音がした瞬間、指の先に酷い激痛が走った。
流れる血は鮮やかすぎて眩暈がする。
「あけ…あけて…」
それでも彼女は止めなかった。
扉が開くまで引っ掻き続けた。
「助けて…下さい…」
意識が私と前後しながらも、ただ一人を求めた。
「…ロン、様…」
愛しい男の名前は風に掻き消され消えていく。
もう嫌だ。
こんな世界から早く出たい、と。
連れ去ってくれるならば貴方が良い、と。
少女はただただその扉の奥にいる男を求めた。
…こうなってしまう程、酷い事をされたんだ。
どんなに嫌だと言っても、誰も助けてくれなかったんだ。
…それを助けたのが、アイツだっただけの話。
きっかけは何であれ、あの非常な男は一人の少女を救ったんだ。
「…ロ、ン…ま…」
枯れた喉ではもうその名前を呼ぶ事も出来なかった。
だけどそんな彼女の声に応えるよう
ギィ…と重苦しい音を立て目の前の扉がゆっくりと開く。
中から零れる眩しい程の光に目を細める。
過去、改造される際暗部を照らしていたライトに似ていたのだろうか。
少女はガタガタと歯を震わせ首を振る。
だけど、自分の目の前にいる人間が誰か分かった瞬間
体の震えはピタリと止まり、心に“幸せ”が埋まった。
「…おかえりなさい、愛しい少女よ」
声だけ聞けば、とても心地の良いものだった。
全てを委ねたくなるような、温かく、優しい声だった。
だけどそれも私を手に入れる為の作戦だ。
ほんの少し手を差し伸べ、後から裏切る…私は身を以て体験している。
でも、それでも少女は嬉しいと笑った。
例え嘘でも、甘く囁かれたその言葉を聞き
彼女は涙を流しながら喜んだのだ。
たった一言で誰かを救えるのを、たった一言で救ってもらえるのを私は知っている。
流れる涙の意味も、鼓動の高鳴りも原因も全部。
少女は目の前に立つ男に向かい、今まで見た事もない笑顔を零し
私の中へと消えて行く。
…―――ソロン様がいるから、また、ゆっくり寝られるの。
それは何処かで聞いた“自分の為に生きろ”と言った、少年の言葉に似ていた。
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修正:14/01/15