「じゃ、お邪魔します」





相手を小馬鹿にするよう言葉を発し、さんは男の横をスッと通り過ぎる。
男は先程と違う彼女の態度に、ほんの少し指先を動かした。





「戻って来なければ平穏な暮らしが出来たかもしれないと言うのに…。
 馬鹿な弟子に育ったものだ…」





少女に習い、僕もお師匠様の横を通り過ぎる。
その時耳にした彼の声は今までのどの物とも違った。

こんなに静かな声、初めて聞いた。
だが声色が違っても、男がやっている事に変わりはない。





「…嬉しいですね。やっと貴方に“道具”ではないモノに認めてもらえた」





相手は僕の言葉に目を見開くと、強く拳を握った。

ああ、僕もお師匠様に殴られた時同じような反応をした事がある。
悔しくて堪らなくて、無力な自分に苛付いて何度も爪を白くした。

あの時の僕の気持ちを、今少しでもお師匠様が感じているのであれば
これ程嬉しい事はない、と感じた。















「リザレクション!」





広間に入った瞬間、目に飛び込んできたのは倒れているピッポとポッポの姿だった。

駆け寄り、傷だらけの体に手を当てブレスを唱える。

ピリ、と掌が痺れ、一箇所、二箇所と皮が剥ける。
風が吹く度に傷口が沁み、顔を歪めた。

それでも、浅い呼吸を繰り返すピッポとポッポの痛みに比べれば大した事じゃない。

グ、と強く手に力を入れて、私はブレスに集中する。
痛みは全部、歯を食い縛る事で耐え抜いた。





「…、さん…?」





聞き慣れた声が聞こえ、震える私の手に柔らかい何かが乗った。

とろんとした瞳で私を見つめるピッポは
私の手の甲をなぞるように肉球を動かして、たどたどしく口を動かす。





「ジェイと、仲直りしたキュ…?」
「え…?」
「ピッポ、それが心配で心配で、ホタテが喉に通らなかったキュ」





そう言ってピッポは笑う。
私はその柔らかい笑みを見て安心すると共に、罪悪感に苛まれた。





「…うん、手を握っちゃうぐらい仲良しだよ」
「キュ…それは仲良しだキュ…」
「ここにも一緒に来たんだよ」





そう言って私もピッポに微笑みを返す。

するとピッポの隣にいたポッポは「ジェイがいるキュ…?」と
不安や期待に満ちた声を発した。





「二人を助けに来たんだよ」





キラキラと瞳を輝かせる二人をぎゅっと抱き締め
子をあやすように背中を撫で言葉を紡いだ。

二人は安心したのか、「キュー…」と鳴き
笑みを浮かべながら眠りの世界へと落ちていった。

小さな体に影響が出ないよう、二人をそっと地面に下ろす。
息を吐き自らの手を見れば、痛々しい程の傷が残っていた。





「…よし」





どんなに痛くても、これからが本番。

気合を入れ直した後、ゆっくりと立ち上がる。
既に武器を持つ仲間達の輪の中に戻り、私も杖を構えた。





「皆で来れば怖くない、か?随分と強気じゃないか」





男が笑った瞬間、溢れ出した霧が玉座の前を黒く染めた。





「霧が…!」
「っ気を抜くな!皆、気をつけろ!」





吸う事が出来ると言っても、この霧は酷い。
濃度が高く、その感情の大きさに眩暈が起きそうだった。





「私の愛しい弟子はな…」





男の声に応えるよう、霧はとある一点に集中した。





「精錬た武器よりも強く、軽く、光り、確実に急所を貫く、最高の道具なんだ…」





自然と顔が歪む。
男の甘い香りは咳き込む程嫌な臭いへと変わっていた。





「拳であり、剣であり、槍であり、爪術であり、殺しの道具であり
 どんなに血に塗れたって決して足を止める事はない」





思わず目を反らす私の横で、ジェイはずっとソロンを見ていた。
そしてソロンも、ずっとジェイを見ていた。

暗黒と化した部屋に暴風が巻き起こる。
余りの風の強さに目を閉じ、体を屈めた。





「紹介が遅れてしまいましたが、やっとあなた達に見せれますよ」

「さぁ、ご挨拶を…我が最愛の弟子、ジェイ」





ブワリ、と一層強い風が吹き霧が晴れる。
シン、と静まり変える空気の中、私は恐る恐る目を開けた。

リン、と透き通った鈴の音。
音が聞こえた方へ視線を向ければ、先程とは違う光景が眼前に広がる。

赤い瞳。
気味が悪い程に白い肌。
妖しく光る苦無。

霧は一人の少年へと姿を変えた。
無表情の少年は虚ろな瞳で私達を見つめる。

自らの分身を見つめるジェイはしばらくの沈黙を流した後
ゆっくりと唇を動かし、言葉を口にした。





「…それは素晴らしい道具ですね」





馬鹿にしているのか、それとも本気でそう思っているのか。
ジェイの真意は見えないけども、男はジェイの言葉に目に見える程の反応を示した。

一瞬凍りついた笑みと、額に浮かぶ青筋。
壊れたように笑うソロンの声が広間に響く。





「アハハハハハッ!!そうだろう?そう思うだろうジェイ!!」





男が呼んだジェイは、一体どちらのジェイなんだろう。
聞いた所で相手が答えるはずはない…ただ、男が狂っていると言う事だけは分かった。





「だけどその道具を壊すのは人間だ」





永遠に続くと思った男の笑い声は、ピタリと止まった。





「道具を作り上げた者が貴方と言う人間であるならば
 その道具を壊すのも、僕と言う人間だ」

「所詮道具は道具…使い続ければ刃毀れし、錆び付き壊れてしまう」

「僕はそんな脆い物には負けない。僕を仲間と…家族と言ってくれた人がいるから」





「…もう二度と、自分を道具とは扱わない」





初めて見た。

ジェイがソロンに、笑みを向けているのを。
ソロンが、ジェイを恐れるように一瞬瞳を反らしたのを。





「ッ…笑わせてくれる!!」





邪念を振り払うかのように空を切る手。

…いいや、手じゃない。
靡く服から覗いたのは、鉛の塊だった。





「愚かな自分を後悔し、死ぬがいいわ!!」





男の声を合図に戦いが始まる。

もう迷いはない、と杖を握り直し前を向く。
…だけど、私が行動しようとした時にはもう何もかもが遅かった。





「ッ…!?」





男の声に圧倒され反応が遅れた私の目の前には
黒い霧の尾を引きながら近付いてくる少年の姿。

後二、三歩距離が縮まっていれば首が跳ねられていたと言っても
過言ではないタイミングだった。

咄嗟に前へと突き出した杖は、相手の苦無を弾く。

それでも少年の赤い瞳は私を捉えて離さない。
これがジェイの…もう一人のジェイの強さ。





「う、わ…わ…ッ!」





苦無を一本弾いただけで、彼の攻撃が治まる訳なかった。

ジェイの姿をした霧はポケットから新たな苦無を取り出し
私の体を切り刻もうと容赦なく迫ってくる。

相手が早すぎて体が全く追いつかない。
とにかく今は逃げなきゃ、と走り相手との間合いを広げた。





「わ、ちょ…!何で私だけ狙うの!?」
「お師匠様の命令かもしれません!」
「命令って…!ちょっと前までは仲間になれとか言われてたのにもう用済み!?」
「何を今更!そう言う人だと貴女も知っているでしょう!」





逃げ惑う私と戦うジェイの背中が触れた瞬間、
ジェイは私の愚痴にも近い質問に律儀に答えてくれた。

そして男の笑い声が高らかに響くと同時、私達は離れ戦闘を再開させる。

霧で出来た少年が私しか狙わないのと同じよう、
狂い笑うソロンもジェイしか見えていなかった。

素早い相手の動きに皆はガードをするだけで精一杯。
実質ダメージを与えているのはジェイだけだ。


って、呑気に観察してる暇なんかないって…!


とにかく落ち着かなきゃ、と深呼吸をすれば
あんなに五月蠅かった心臓の音がゆっくりと引いていく。


ただ、これでまともに戦えると思ったのが間違いだった。


頬を切る風、生暖かい血の感触。
入れ替えた体内の空気がまた熱くなり、淀んでいく。





「……は…?」





一瞬の出来事に戸惑いながら自分の頬に手を滑らせれば
ドロリとした嫌な感触と暖かい何かが指を濡らした。





「…」





今冷静に考えれば、この状況で落ち着こうと考えた私が馬鹿だった。

相手があの少年の分身であると言う事は
どんなに距離を離しても意味がないと、考えればすぐ分かった事なのに。





「…」





苦無を鋭く光らせ、呆然とする私に近付く偽物のジェイ。

無機質な瞳を見て背筋が凍った。
近距離で戦えば、間違いなく殺される、と。

早く、早く逃げなきゃ。
そう思い一歩後ろに足を動かし、私は少年との距離を広げた。

…いや、正確には足を動かそうとした、だろう。





「な…ッ!!」





足は私の命令に従おうとせず、ベッタリと地面にくっついたまま。

どうして、ともう一度動かそうとすれば
バランスを崩した体はいとも簡単に倒れ地面にぶつかった。





「いぃいッ…!!」





受け身もとらず崩れた体に激痛が走る。
私は言葉にならない悲鳴を漏らし、ゴロゴロと床の上を転がった。

勿論、こうなった今でも足は動かない。





「何ドジやってるんですか!!」
「違ッ…あ、足が動かな…!」





私の異変に気付いたジェイの言葉に反論しながらも
こんな状況になってしまった原因を必死に考える。

だけど思い当たる節は何一つなく
カツ、カツ、と彼が近付いてくる足音に焦る一方。

早くなんとかしなきゃ、と見渡す自分の視界に映ったのは
不自然に床に突き刺さった一本の苦無だった。





「…影、縫い…」





カタカタと揺れる苦無を見、私の中で答えが見つかった。

苦無を相手の影へと突き刺し、身動きを封じる。
いつかジェイが魔物相手に繰り出していた技を、私はうっすらと記憶していた。

ならば刺さる苦無を抜けば動く事も出来るはず。
単細胞の塊である自分自身の思いつきを信じ、勢いよく手を伸ばした。





「と、とどかな…!」





自分の体の硬さを呪った。
ジェイのように体が柔らかければ、こうなる事はなかったのに。





「手が、手がもげる…!」
「何やってるんですか…!」
「あと、ちょっと…!ちょっとなのにっ…!!」
「待ってください、今そっちに―――…ッ!?」





ソロンとの激戦の中、喋っている余裕なんて本当はないはずなのに
ジェイは私の独り言にも近い言葉に返事をしてくれる。

あと少し、と手を伸ばす私の体にフッと影が掛かる。
苦無の刺さる私の影に、見覚えのある形が一つ重なった。





「ッチ…何してるんだあの馬鹿は…!」
「余所見をするな!!肌を焼かれたいのか!?」
「っ…お断りです!!さん、早くそこからどいて下さい!」





ジェイが私の名前を呼んでいる。
だけど上手く声が出ない。

走れば数秒で着く距離に皆がいるのに
私はただ目を見開き、一点を見る事しか許されず。





「…捕まえた…」





幼い声は私を現実へと突き落とし
リン、と鳴った鈴の音は絶望を知らせる鐘のようだった。

細い指が握る苦無は真っ直ぐと私に向けられていて
呼吸を忘れ、ただ目を見開き首を振る。

その時、私の頭の中に浮かんだ言葉は「動いたら死ぬ」と言う事実だけだった。










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修正:14/01/15