長かったような、短かったような鬼ごっこ。





「…捕まえた…」





それも、もう終わりが近付いている。





「ッ…!」





ゾクリ、と震え背筋が凍った。
逃げろ、と信号を送っているのに体が全く動かない。

もう、ここからの逆転はないと悟った。

目の前の少年が手の力を緩め、苦無を落としたらそれで終わり。
私はきっと、死ぬのだろう。

嫌だと思いながら逃げ出す事も出来ない私は
少しでも痛みを和らげようと自らの頭を抱え目を閉じる。





「…っ…」
「…」
「……」
「…」
「、…あれ…?」





痛く、ない…。

怯え震える私と苦無を向ける少年。
刻々と沈黙が流れるだけで状況は何も変わらない。





「…お師匠様…」





少年は自らの主を呼んだ。





「は…?」





赤い瞳が、戦うソロンとジェイを捉える。

二人を見て何を想ったのろう。
聞いたとしても、きっと相手は答えてくれない。

もう私の事なんて、視界の端にすら入れていないんだから。





!」





仲間の呼びかけに対し、私よりも先に反応したのは目の前の少年。
何処か寂しそうな瞳が見開きピクリと指先が動く。

少年の苦無が私の体を貫くよりも先
前方から飛んできた槍が床に刺さっている楔を抜いた。





「ジェー坊よりもちぃとばかしおつむが弱かったようじゃのう!」





カラン、と遠くへ落ちた苦無の音を聞き
金縛りにあっていた私の体は正常な動きを見せた。

止まっていた汗がドッと溢れ、へばりつく前髪を掻き上げる。
走り回っていた訳でもないのに息が上がり、肩を上下させ新鮮な空気を求めた。





「…」





苦無を構え直した少年の標的はやっぱり私。
モーゼスの挑発を無視し、一歩、また一歩と私へ近付く。

それでも、少年が握り締める苦無が私に飛んでくる事はなかった。





「殺すな!!」





男の怒気が混ざる声に、少年はピタリと体を止める。





「誰が殺せと言った!!その娘を無傷で捕えるのがお前の仕事だろう!」





男の声を聞き、私は心の内で「ああ」と納得した。

私を無傷で捕える事。
それが男に下された命令なのだろう。

だからさっき、身動きの取れない私を前にしても殺さなかったんだ。





「…何で…」





ポツリ、と落ちた幼い声に私は目を丸くする。





「何も、変わらない…」





その時私は、初めてこの違和感に気付いた。
…霧が、自分の意思を持って喋っていると言う事に。





「僕よりも恐ろしいモノに育ったくせに…」

「どうして僕は、僕を切り離したんだ…」





その声に導かれるよう、素早く動くジェイの姿を見つめる。
瞬間、後悔する程の恐怖が体の中を支配した。

その瞳は良く言えば真剣。
悪く言えば、敵を壊す事しか考えていない。

そんな顔をさせてしまっているのは、私なのかもしれない。
震える体の内側で、そんな事を考えていた。





「捕える…?」





背筋が凍る程の冷たい声。





「あぁそうだ!それが目的なのはお前も良く知っているだろう!!」
「…」
「あの兵器を手に入れ、世界を血で染める!これ程面白い事はない!!」





「あの娘は私の道具となるのだ!戦争と言う名の舞台を盛り上げる、私の道具となッ!!」





そして男は笑う。
いつものように高らかに、大きく。

ただ一点違う部分があるとすれば、その笑い声が不自然に途切れたとこだろう。

目まぐるしいスピードで動いていた二人が同時に止まる。
男は口の端を吊り上げながら目を見開き、ジェイはそんな男をじっと見ていた。





「…な、に…?」





消え入りそうな男の声は酷く震えていて
その原因が何にあるか、傍から見ている私でも分かった。

ボタボタと落ちる、赤い血。
それは男の足の付け根から、滝のように流れ出ている。

グリ、とジェイが刺した苦無を半回転させれば
血と肉が混ざり合う生々しい音が広間に響いた。





「貴方の道具だって…?」





ドクドクと止まらぬ血を見て男はガクガクと震え出す。





「面白くない冗談だ」





男は激痛に耐えきれず、ガクリと膝から崩れ落ちた。
衝撃に顔を歪め、歯を食い縛り痛みに耐える。

だけどジェイはその足に刺した苦無を抜こうとはしない。
それどころか凶器を握り締める手は震える程力を増していた。





「あれを簡単にモノに出来るなんて…調子に乗るなよ」

「モノに出来るなら、僕が先にしている。
 貴方みたいな人間に、さんを捕まえる事なんて出来ない」





ドクドクと五月蠅い心臓の音がジェイの声を掻き消した。

何を言っているかは分からないが、ジェイが口を動かす度
男の表情が少しずつ強張っていく。

苦無に一層力を入れ、ジェイは男にグッと近付く。
自らに跪く男に薄ら笑いを浮かべると、その耳元で何かを囁いた。










「…貴方は、調子に乗りすぎた」










「何で…」

「僕と何も変わらない…ただの人殺しのくせに…」





霧の少年は、ただただ同じ言葉を繰り返す。





「何も変わっていない…僕の負を、全部僕に背負わせたくせに」

「僕が全て背負っても、変わろうともしない…」

「ただの、人殺し」





これは霧を生み出したソロンの感情なのか。
それとも、本当にジェイの感情なのか。





「今の僕が、昔の僕と変わらないなら」

「初メカラ、ズット一緒デ良カッタノニ」





ただ、無機質な少年の声を聞いていると
元は黒い霧だと言う事を忘れてしまいそうだった。





「僕ガ、コンナ姿ニナラナクテモ良カッタノニ」





こうして少年が紡ぐ言葉はとても人間らしく、ただの霧とは思えないのだ。

私は殺されかけていたと言う恐怖も忘れ、ゆっくりと少年の手に触れる。
少年はピクンと揺れ、その赤い瞳で私を見つめた。

もう、私に恐怖はない。





「ジェイは、忘れてないよ」





白い手をそっと包む…反応はない。
少年は私をじっと見て、体に纏う霧を風に揺らすばかり。





「ジェイは、嫌でも忘れられないんだ」


「私はアンタのせいでジェイが夜眠れなかったのを知ってる」

「アンタのせいでジェイが私達と距離を取っていたのも知ってる」


「ジェイは、過去を忘れない…ずっと、アンタの事を覚えてた」





私が口にした程度の苦しみじゃなかっただろう。
何度も悪夢を見て、何度も自分を責めたはずだ。

それでもジェイは今、私達の横にいて、前を見ている。
それが真実であり、疑問への答えだ。





「過去を捨てたんじゃなくて、過去と向き合ったんだよ」
「…」
「“今”と向き合えてないのは、アンタの方」





しばらくの沈黙の後、やっとの事返ってきた相手の言葉は
「良く、分からない」の一言だった。

そんな少年の言葉を聞き、私も「見てれば分かる」と一言だけ返事をする。

少年は私の言葉に素直に従った。
いつでも私を捕える事が出来るのに、それをしようとしなかった。

ただただ赤い瞳で、ソロンとジェイ…二人の姿をじっと見つめた。















「グ、ゥ…ッ…!」





この人の低い唸るような声を聞いたのは初めてだ。

「ああ、この人も人間だったのか」、と頭の隅で考える。
こんなに苦しい声を出して、痛みに顔を歪め…僕と同じ弱い人間へ成り下がった目の前の男。

幼い頃、自分の体を何度も何度も蹴ったその足に
込み上げる感情をぶつけるよう、苦無を一層深く刺す。

衣服に滲み溢れる血は、予想外にも僕と同じ血の色だった。





「僕は、貴方を殺さない」





見開かれた男の目に映る、恐ろしい自分の表情。
これは本当に僕なのだろうかと疑う。





「命はいらない」





…疑った所で何も変わる事はない。
人を傷付け、貶めている時、僕はこんなにも狂った顔をしていると言う事実だ。





「だけど、片足ぐらいなら良いですよね…?」





彼女の為に、この男を殺さないと誓った。

だけど今も顔を見れば思い出す。
幼少期受けていた暴力と、この数日間にした彼女への酷い仕打ちの数々。

極悪な男に対し、このくらいの刑なら下しても良いはずだ。

その判断が自分への甘えだと言う事も良く分かっている。
だけど、こうでもしないと沸々と湧き上がる怒りが治まらないんだ。





「…惨めなものだ…」





荒い息に紛れ聞こえた男の声は、とても静かだった。

男の表情はとても穏やかで
気味悪い程白く細い指で自らの義手をソッと撫で上げる。

人は極度の痛みを耐え抜いた後、こんな表情をし笑うのだろうか。
そんな事を考え目を細めた。





「お前は一体、何が欲しいんだ…」





男は俯き、言葉を奏でる。
乱れた髪が顔に掛かり、その表情はハッキリとは分からない。

だけど僕には見えたんだ。
「もう疲れた」と良い笑っているお師匠様が。





「…僕が、欲しいのは」





静かな空間に落ちた自分の声は
凛と鳴る鈴よりも冷たく、シャンと響く。





「過去と向き合い、未来へ進める力と―――…」

「…―――あの人が泣かずに生きれる世界だ」





僕に光をくれたあの人が、ずっと輝けば良い。

ただあの人が笑っているだけで
僕の未来もまた、輝くのだから。










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修正:14/01/15