不穏な空気が漂う宿屋のロビー。
一刻一刻時を刻む時計の音がやけに五月蠅く、顔が歪んだ。
そんな沈黙を引き裂いたのは、コンと言う軽やかな足音。
その音の正体が階段から下りてくるシャーリィだと分かるのに、時間は掛からなかった。
「シャーリィ、グリューネさんの様子は?」
「…まだ、目を覚まさないよ」
何となく分かっていたが、いざ耳にするのとは別。
重たいものがズッシリと圧しかかる感覚に、一層顔を顰めた。
「夢…じゃなかったんだよね?」
いつも能天気なノーマがオドオドと皆の顔色を窺いながら言葉を紡ぐ。
「夢で姉さんがやたれてたまるかいッ!!」
モーゼスの声は重苦しい空気を振り払う。
流れを見計らって、顔を伏せていたジェイがゆっくりと口を開いた。
それは誰かに対しての問いかけと言うより、頭の中を整理する為の独り言のようだ。
「あの黒い服の人は何者なんでしょう…突然現れて、突然消えて…」
「何だか、グリューネさんの事を知っているようだったな…」
「…確認しようにも姉さんの記憶は綺麗に飛んじょるからのう」
疑問に疑問を返したところで何も解決しない。
分かってはいるが口に出さずにはいられなかった。
身動きを封じる技、殺気をも通り越す威圧感、驚異的な攻撃力。
何者…者、と言うより、あれは―――…。
「…そもそも、あれは人だったのか…?」
クロエの言葉に小さく頷く。
正に今、俺が思っていた事と同じだ。
「人じゃなかったら何なのさ?」
「それは分からないけど…何と言うか、異質な感じがした」
「…ワイもそれは感じたわ」
信じたくないと思いながらも、分かっている事を整理すれば必ずぶち当たる壁だ。
“人”が出来るとは思えない現象を目の前にした俺達は
それを疑いざるを得なくなる。
「……」
かと言ってそこから先の疑問が解決する訳でもない。
嫌な沈黙が広がる。
そんな中、壁に寄りかかり腕を組むウィルの姿が目に入った。
いつも分からないなりに事をまとめてくれるウィルが
今回に限っては一言も喋っていない。
俺にはそれがとても不思議な事に思えて、
一体ウィルが何を考えて黙り込んでいるのか、気になって仕方がなくなった。
「ウィル、さっきから黙って何を考え込んでる?」
ピクリ、と眉が動き眼鏡の奥の瞳が俺を捉える。
ウィルはゆっくりと壁から離れ、俺達一人一人に目配せをした。
「あの声を前に聞いた事があるような気がしてな…ずっと気になって、考えていた」
「声…?」
「ああ」
「…それで、分かったのか?」
俺の質問にウィルはコクン、と一つだけ頷く。
「霧から生まれた自分の影と、向かい合った時に聞いた声だ」
ずっと黙っていた割には、ウィルはハッキリと事を言ってのける。
ウィルの返答に驚き目を見開いた仲間達は慌てて自らの過去を振り返る。
俺の記憶にはない、皆だけが持っている記憶を必死に手繰り寄せて。
「言われて見れば、確かに似たような声じゃったわ…」
「僕が聞いた声も良く似ていたように思えます」
声を発する二人に、頷くクロエとノーマ。
俺はただ「そうなのか…」と他人事のような言葉しか返せない。
自らの霧と向き合っていない俺にとってはイマイチ皆の言う事に実感が持てない。
アイツが俺の知らない所で仲間達と接触していた事すら驚きだ。
「あの声は…気持ちを暗くさせる。心が苦しくなって、追い詰められていくようだった…」
「うん、すっごく嫌な感じがした…。頑張ろうとする気持ちが、急になくなっていくんだよ」
そう言ってクロエとノーマは自らの体を包む。
思い出すだけで気分が滅入るのだろうか、その顔色は余り良くない。
額にうっすらと汗を浮かべて、体は小刻みに震えていた。
「…どうやら、アイツが黒い霧に関係しているのは間違いなさそうだな」
「グリューネさんと知り合いなのは、どうしてかな…?」
素朴な疑問をシャーリィが口にした瞬間、辺りは凍りついた。
だけどこれも、いつかは直面する問題だ。
「…グリューネさんも霧と関係があるんでしょうか?」
「あ、あるわけないっしょ!グー姉さんは良い人なんだから!!」
「僕に怒らないで下さいよ。皆さんだって、考えた事でしょう?」
ノーマは「う…」と言葉を詰まらせる。
ジェイの問いかけはノーマにとって肯定も否定もし難いのだろう。
「…姉さん、霧の事を何か知ってるみたいじゃったのう」
「知っているはずの事を思い出そうと懸命になっていた。そんな感じではあったな」
「そ、そ〜かもしんないけどさ…」
「でも…」と今にも泣きそうな声を出すノーマ。
だが何時まで経っても続きの言葉は出てこない。
沈黙に沈黙が重なり、空気が悪くなっていくこの場で何か言える事はあるだろうか。
頭を猛スピードで回転させれば、ここにいない一人の少女の存在に気付き、
俺はほぼ無意識に声を漏らした。
「シャーリィ。はどうしてた?」
「…?」
「あぁ、グリューネさんの部屋にいるんだろ?」
シャーリィは俺の言葉に頷くと、目線を階段上の扉に向ける。
何か言い辛い事でもあるのだろうか。
シャーリィが俺の問いかけに答えないのは何だか珍しい。
「どうかしたのか…?」
「ううん…何でもないよ」
「?」
「…は…ずっと、グリューネさんを見てた」
「…見てた?」
「うん…私が声を掛けても全然気付かなくて」
「…」
「だから先に出て来たんだけど…」
シャーリィに習うよう、二階の一室に目を向ける。
あの部屋に二人ともいる。
すぐ近くにだ。
なのにどうして、こんなにも不安になるのだろう。
「…グリューネさんの事もアイツの事も、憶測で結論を出すのは止めにしよう」
「…」
「今は上にいる二人が心配だ」
埒が明かないと判断したウィルは、俺の心の声を代弁するよう喋る。
俺はそれに一つ頷き、誰よりも先に階段を上った。
「姉さん、知り合いに会うたんきっかけに記憶が蘇るとええのう」
「…蘇ったとしても、僕達に話してくれるかどうかは定かじゃありませんけどね」
「…何じゃと?」
後をついて来る何人もの足音を聞きながら
俺はモーゼスとジェイの会話に耳を傾けた。
「黒い霧が魔物や人に悪影響を及ぼしているのは確かです」
「…」
「更に、あの黒い服の人がその元凶である可能性は高い」
「…」
「…そして、グリューネさんが黒い服の人と関係があるのであれば…」
「ジェイ、それ以上は言わないで良い」
口に出すつもりはなかったのに、気が付いたらジェイの言葉を遮っている自分がいた。
思いがけない制止の声に、ジェイの足音のリズムが狂う。
音はすぐに正常へと戻り、「分かりました」と短い返事が聞こえた。
「グリューネさんも心配だけど、も何か心配だよ…」
「あぁ、そうだな。早く行こう」
「セネセネが早く行ってくれなきゃ後ろがつっかえるんだよ〜!しっかりしてよ先頭!」
「…分かってる…」
指摘された通り、先程よりも速く階段を上がる。
いや、指摘されたからじゃない…ただ単に、部屋の奥にいる二人が気になるんだ。
そっとドアノブに触れた瞬間、その冷たさが体の芯まで伝わる。
ゾクリ、と震えた体に違和感を覚えながらも、俺はゆっくりとドアノブを回し
二人が待っている部屋へと足を踏み入れた。
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修正:14/01/15