ギィ…、と重苦しい音を立て開いた扉の先には
恐怖を煽る、暗闇の世界が広がっていた。
隙間から漏れ出していた霧は一気に私の体へと流れ込む。
苦痛はないが、良い気分ではないのは確かだった。
「…シュヴァルツ」
暗闇の中、私はそこにいるはずの女を呼んだ。
霧に紛れ見えた相手の髪がフワリと揺れる。
振り向いた女は、呼んだ私ではなくグリューネさんを見つめた。
それと同時、グリューネさんの手がきゅっと私の手を強く握る。
握り締められた手が少し汗ばみ震えているのが分かった。
…怖いのは、私だけじゃない。
「ちゃん」
震える手とは逆、グリューネさんは私の名を紡ぎ優しく笑う。
グリューネさんの瞳に映る私の顔は、異様な程強張っていた。
私、こんな顔してたんだ。
他人事のように考えながらもゆっくりと息を吸う。
決して綺麗な空気ではなかったけど、頭の回転を切り替えるには充分だ。
怖くない。
一人じゃないんだから。
「…話が、あるんだけど」
グリューネさんの手を離し、一歩、また一歩と距離を縮める。
何も恐れる事はない。
全てを知るんだ。
私の知らない真実に、手を伸ばすんだ。
考えるのはその後で良い。
今はただ、疑問を口にするだけ―――…。
休みもせず、全速力で街の中を走った。
風を切る音と仲間の呼吸が、混ざり聞こえる。
目まぐるしく変わる街の景色に気分が悪くなりそうだった。
灯台の地下へと降り、機関車に乗り込んで、目的地へと発進させる。
そこまで来て、ようやく一息吐く事が出来た。
「…間違いないですね」
「っ…なにが…だよ…!」
乱れた呼吸のまま声を発する。
ゼェゼェ言っている俺とは違い、ジェイは平常通りだった。
「そこ、見てください」
言われた通り、指差された地面を見る。
特に何もない、と小首を傾げる俺を見て
ジェイは頬にへばりついた前髪を掻き上げながら言葉を繋げた。
「積もっている埃に、二人分の女性の足跡が残ってます」
「昔僕達が乗った時よりも新しいものです」、
そう言ったジェイの言葉は自信に満ちていた。
勿論、滄我を疑った訳じゃない。
だけどジェイは自分が信じられる確信的な証拠が欲しかったのだろう。
ジェイが指差した二人分の足跡がそうだった。
それだけの話だが、俺達が自信を付けるには充分だ。
「セネセネ!ジェージェー!着いたよ!!」
「あぁ!…よし、一気に行くぞ!」
広大な敷地、神秘的であり恐怖を駆り立てる場所。
だけど戸惑いはなかった。
ただただ、ひたすらに奥へと走って行くだけ。
それが今、俺達がすべき事。
「…我と子の間に、そのような契約はない」
整った唇が、遠回しに拒絶の言葉を吐き出した。
「子は我に一つの条件を出し、我は子に応えた」
「ならばもう、話す事も分かち合う事もなかろう」
正論だ。
私は霧を吸い込む度に感じるあの吐き気を抑えるべく
破壊の少女と言う人質を取り、霧に耐えられる力を手に入れた。
それ以外に私とシュヴァルツを繋ぐものはない。
私もついこの間までそうだと思っていた。
「…アンタは、世界を滅ぼそうとしてる」
力を入れ過ぎた拳が震える。
「アンタの望む未来が滅びなら、誰も生かす必要はない」
「…」
「なら、私の体なんて放って置けば良かった」
「世界を滅ぼす事が目的なら、遅かれ早かれ、私も…皆も消える」
「…なのに、何で今私は生きてるの?」
私が言っている事に矛盾はない。
矛盾があるとすれば相手側の行動だ。
なのにシュヴァルツは黙ったまま私を見るだけ。
「杯とか、利用されているとか、そんなの全然分からない」
「でも、これだけは分かる」
「…アンタは私を生かしてるんじゃなくて、破壊の少女を生かしてるんだ」
微かに相手の指先が動いた。
…動揺、だろうか。
「…教えて」
そう言いながら、もう一歩前へ出る。
いつの間にか私は恐れと言うものを忘れていた。
「アンタにとって…破壊の少女って何なの?」
それさえ分かれば、それさえ教えてもらえれば
私はまた、前へ進める気がした。
「……」
長い長い沈黙が広間を包む。
重苦しい空気に呼吸が止まる。
何とか息を吸い、吐いても、酸素が足りない。
早く、何か答えてよ。
そう言葉にしようと口を開いた瞬間、女もゆっくりと口を開いた。
「…酷な物よ」
質問に対しての答えではない。
だけど体が、奥深くから信号を発している。
良く分からないけど、同情しろ…?
何か言い返せ…?
…違う。
“逃げろ”、だ。
「我は再び、この時を待っていた」
「人の子が嘆き、哀しみ、苦しみ…我の存在を求めるのを待っていた」
「世界に降り立つこの瞬間を…長い時の中待っていた」
「…時の流れは、こんなにも酷だ」
「子等が滅びを望み、我がこの世界へ降りるまで、どれだけ嘆き、哀しみ、苦しんだかも知らずに…」
何を言っているか分からない。
分からないはずなのに、ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
「ッ…う…!!」
狂った人形みたいに、足がもつれた。
グラグラ大きく頭が揺れた。
喉の奥から何かが逆流してきそうな感覚を堪えると、苦しくて涙が滲んだ。
この感覚、覚えてる。
「子が囚われた想い人を見続けるのなら、我はもう何も言うまい」
体がガクガク震えて、立っているだけでも精一杯。
「何を言っているの?」、「誰と話しているの?」、
そう問い詰めたいのに、言葉を口にする事が出来ない。
「全てを知る事を求めるのであれば、無に還れ」
ハッと気付いた時には遅かった。
目の前にいる女は私に無表情で手を突き出している。
逃げろ。
逃げるんだ。
必死に命令しているのに、体が全く動いてくれない。
「っ…う、ぁ…」
声にならない声が出た。
それはただの嗚咽にしかならず、拒絶の言葉にもなっていない。
動いて、動いてよ私の体…!
「駄目…!シュヴァルツちゃん、駄目!!」
ッ、お願い、動い、…!
「……再びまみえた時が、この地だったのが悪かったのだ」
ガクン、と右足のバランスが大きく崩れ地面に手が付く。
地面が揺れているのか、私の体が揺れているのかも分からない。
ただ、分かっている事と言えば。
「滅びるが良い…」
シュヴァルツの手は私を救う為ではなく
殺す為に伸ばされているのだ。
「ちゃん!!」
名前を呼ばれたから振り返る。
そんな事も出来ず、苦しみに悶える私を襲ったのは
体が吹き飛ぶ程の衝撃だった。
「地震だ…!」
「っ、何じゃァ、この揺れは!?」
「お、大きすぎだよ〜!」
「これは、ただの地震じゃなさそうだな…!」
揺れるだけでは治まらず、頭上から小石がパラパラと落ちてくる。
古い建築物とは言え、光跡翼はそんなに脆い構造ではない。
つまり、それ程この地震が大きいと言う事だ。
こんな所で立ち止まっている訳にはいかない。
ただ動こうにも大きな揺れの前では立ち上がる事も困難だ。
…―――ドォオオンッ!!
「…!?」
地響きに混ざり聞こえた爆音に、皆が同時に目を見開き顔を上げた。
…間違いない。
音の方角は、俺達が目指している最奥からだ。
「ッきっと、二人に何かあったんだ…!」
「えぇ…この地震もシュヴァルツが起こした可能性が高いでしょう!」
爆音が聞こえたのを合図に、徐々に揺れは弱くなる。
走れない程ではない、と皆はほぼ同時に駆け出した。
「急ごう!」
駆けている間に余震も止まった。
静寂の中、俺達の足音だけが響く。
その時はまだ、間に合うと思っていた。
あと数分で、二人がいるはずの場所へと辿り着くのだから―――…。
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修正:14/01/16