必死に走った。
脇目も振らず、ただ灯台の街を目指して。
「もうすぐ、もうすぐ街に着くからな…!」
「だから頑張れよ、…!」
ワルターの背中で眠る少女に、必死に声を掛けた。
きっとこうして語りかけていれば、いつものように返事をしてくれると思ったから。
…いや、そうしていないと俺自身が持ちそうになかったんだ。
眩しい陽の光にクラリと眩暈がし、自らの荒い息がとても五月蠅く感じた。
灯台の街に戻ると、俺達を迎えたのは二つの影だ。
走り続けていた足を止めると、片方の女性が振り返り俺達に頭を下げる。
「お待ちしておりました」
深々と一礼する女性を、俺達は各々違う感情で見つめていたと思う。
酷いと言われるかもしれないが、俺はその人を“邪魔”だと感じていた。
「フェロボン…?」
「街で何かあったのか?」
「影のような人物を目撃したと、街の住民から通報がありまして」
「…何…?」
フェロモンボンバーズの一人、イザベラさんが冷静に状況を説明する。
俺達は驚きを隠す事も出来ず、互いに目を見合わせ息を漏らした。
「…何かご存知のようですね」
「シュヴァルツ、かな…?」
「…間違いありません、シュヴァルツの痕跡を感じます」
背後にいたグリューネさんがスッと俺達の合間を縫い
シュヴァルツが辿ったであろう道を見つめる。
きっと俺達に見えない何かがあろうのだろう。
グリューネさんの言う、シュヴァルツの痕跡と言うものが。
「…?」
神妙な面持ちのグリューネさんを見て
イザベラさんとカーチスは互いに見合い首を傾げる。
それもそうだ、二人はグリューネさんに記憶が戻った事を知らないのだから。
…いや、俺達も説明出来る程真実を知っている訳じゃない。
「…グリューネさんの印象が、以前と変わったようですが…」
「ッそんなのどうでも良い!早くそこをどけ!!」
いつ終わるかも分からない会話に時間を割く余裕はない。
空を斬るように手を払い、驚く二人に声を荒げる。
「セネルさん…そんなに慌ててどうしたのですか?」
「どうもこうもない!怪我人がいるんだ!」
「怪我人…?」
「分かったなら早くそこをどいてくれ!じゃないとが―――…」
「いえ」
「その必要はありません」
ザァ、と葉が揺れる音に紛れ、聞こえてはいけない声が聞こえた気がした。
気のせいで済むなら良いが、その声を聞き間違える訳がない。
恐る恐る、声が聞こえた方へ振り向けば
何処か遠くを見つめるグリューネさんの姿がある。
グリューネさんはこんな状況になっても動じる事なく、残酷な一言を吐き捨てるように紡ぎ
怒りに震える俺を哀れだと言わんばかりに首を振った。
「…何だと…」
まるで「の事なんざどうでも良い」と言われた気がした。
例えグリューネさんであっても、許せるものではなかった。
冷静さを忘れた俺は拳を握り、対象を変え怒りをぶちまける。
この時、俺の中に理性と言う物は存在していなかっただろう。
「このままを見殺しにしろって言うのかよッ!?」
「見殺しも何も、彼女は既に死んでいます」
「っ…お前…!!」
初めてだった。
グリューネさんを“お前”だなんて呼んだのは。
今俺の目の前にいる女は、グリューネさんじゃない。
そう思ってしまう程、今の彼女は昔の彼女からかけ離れていた。
「確かに死んではいるのです…ですが」
頬を掠めた風が、まるで俺に「落ち着け」と言っているようだった。
「目を開けなくとも、血液が流れていなくとも、心臓が動いていなくとも―――…」
「…―――彼女の魂は、時の狭間にあるのです」
怒りに震える俺を、グリューネさんの金色の瞳が真っ直ぐに見つめる。
俺を責める訳でもなく、同情する訳でもない。
ただただ真っ直ぐ、純粋な程澄んだ瞳。
瞳を見れば嘘じゃないとすぐに分かった。
だけど、グリューネさんの言葉が本当だとしても、意味が分からない。
の魂が、時の狭間に…?
一体、何を言っているんだろう。
「彼女の魂は、この世界に戻って来る事を悩んでいます」
「自らの存在意義、人々の必要性…過去、未来、現在。
彼女は今、世界について改めて思考を巡らせているのです」
は死んでいない。
それを信じてやまなかったのは俺だ。
だけどグリューネさんの言葉を聞き、俺の脳裏には疑問が生まれる。
“死んでいるのに思考を巡らす事が出来るのか?”と、自らの考えに矛盾した疑問が。
「彼女の肉体は未だ存在している…彼女が戻る場所はここにある」
「目を覚ますかどうかは、全て彼女次第なのですよ」
風の音も、荒い自らの息も、全てが遠くに聞こえる。
だけどグリューネさんの声だけはハッキリと聞こえた。
「…それって…?」
話を聞いていたノーマが、おずおずと手を上げながら言葉を挟む。
不安いっぱいの瞳でグリューネさんを見つめ、
グリューネさんはその瞳に応えるようゆっくりと口を開いた。
「彼女が再びこの世界を望むのであれば、自然と息を吹き返すでしょう」
グリューネさんの言葉を聞き、俺達は声を上げる前に互いの顔を見合わせた。
きっとグリューネさんは、俺達にこの真実を伝えたかったのだろう。
目を輝かせる俺達を、とても穏やかな表情で見つめていたから。
「…ちょっと待ってください」
一筋の希望を見つけ、今にも叫びたい衝動に駆られた時、
冷静なジェイの声がその場の空気をガラッと変えた。
「それって、今の時点ではさんがこの世界を拒んでいるって事ですか?」
再び流れる沈黙の中、グリューネさんの瞳がゆっくりとジェイの姿を捉える。
二人の間に流れる空気は何だかとても冷えていて、
俺達はただ傍から見つめる事しか出来なかった。
「…未だ目を覚まさないと言う事は、そう言う事なのでしょう」
「さんがこの世界を拒む理由なんてある訳ない」
「…」
「そうなると原因は一つ…シュヴァルツ、ですよね?」
下から睨みあげるよう見つめるジェイに対し
グリューネさんは俯き言葉をなくした。
流れる沈黙は恐らく肯定を意味しているのだろう。
が目を覚まさないのはシュヴァルツのせいだ、と言っているようなものだ。
「…とにかく、まだ可能性はあるんだな?」
「ええ…」
「ならば俺の家に行こう、いつまでもワルターにおぶらせる訳にもいかない」
「…あぁ、そうだな…」
「……」
今までのやり取りを呆然と見続けていたイザベラさんとカーチスに対し
ウィルは一礼し、申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「すまない、今はこのような状態でな」
「はぁ…」
「陛下に説明をさせるつもりでここに来たのだろう?」
「はい」
「ならば分かり次第報告に行くと、伝えてもらえるだろうか」
「…分かりました。こちらも協力は惜しみません」
「何かあれば言ってください」と胸に手を当てたイザベラさんと
空気を良くしようと微笑み頷くカーチスに対し、俺達は小さく会釈するのが精一杯だった。
ウィルのように、器用に物事を考えられない。
俺の頭の中は、でいっぱいだった。
まだ死んだ訳じゃない。
目を開ける可能性が少なからずあるんだ。
だけどは、一体何に迷っているんだ。
「自らの存在意義、人々の必要性…過去、未来、現在。
彼女は今、世界について改めて思考を巡らせているのです」
グリューネさんの言葉が引っかかり、気分が悪くなる。
俺達がいる。
それだけでは笑ってくれた。
なら、迷う必要なんてないだろう。
俺達がここにいるんだ。
俺達といたいと言っていたの望む世界が、ここにはある。
それすらも見失っているなら、せめてこの声を聞いてくれ。
が帰る場所はここであって、俺等がいる場所もの傍なのだと。
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修正:14/01/17