丁寧にベッドの上に乗せられた少女は
まるでショウケースに飾られた人形のようだった。

蒼白い肌、乾いた薄紅色の唇…白いシーツに埋もれた細い髪。
いつもと同じようで違う、の姿。

カツ…と虚しく響いた音を最後に
ワルターは俺よりも先に寝室を出て行った。





「…





誰もいない部屋でポツリと俺の声だけが響く。
「ん?」と呑気な返事はいつまで経っても聞こえなかった。

…こんな所で止まってられない。

グリューネさんが言う通り、魂のないに何を嘆いても意味がない。
今俺がする事は、全てを知る事だ。















「…何から話すのが良いでしょう」





ソファに腰を下ろしたグリューネさんは
皆の視線を一斉に浴びながらも言葉を紡ぐ。





「シュヴァルツとは何者だ」





間髪入れずに真実を問うウィルに対し、グリューネさんの長い睫が微かに動いた。





「…やはり、知ろうとしますか」
「黒い霧も深く関係しているはずだ。見過ごす訳にはいかない」
「……」





ウィルの言葉に恐れはない。
全てを知る事に戸惑いがないのだ。
そしてそれは、ここにいる俺達全てに言える事。





「あの霧は、人の弱さの表れなのです」





俺達の決意が伝わったのだろうか。
グリューネさんは小さく息を吐くと、俺達に視線を向けながら言葉を発した。





「怒り、憎しみ、恐れ、哀しみ、嘆き…」

「人が己に向き合う事を嫌い、逃げ出す事を望む感情」

「黒い霧は、それらが溢れ出し、目に見える形となった物なのです」





グリューネさんの説明はとても科学的に証明出来るものではない。
だけど今までの事柄全てがグリューネさんの説明に当てはまる。

仲間達が何かに悩み、迷う度に目にしてきた黒い霧。
あれが人の、負の感情。





「霧の元凶は、シュヴァルツじゃないのか?」
「人が嫌う感情を吸収する事で、シュヴァルツは力を増していくのです」
「よ〜するに、黒い霧がエサってわけ?」
「はい…故に、霧はシュヴァルツとも言えます」





筋の通ったグリューネさんの説明に、皆は無意識の内に頷いていた。





「私達に干渉して来たのは、揺さぶりをかけ自分の力を増幅する為だったんだな…」





顎に手を当てながら、クロエは思った事を口にする。
俺はクロエの言葉を聞き、ある事に気付きハッと目を見開いた。





「頻発していた地震も、まさか…!?」
「…天災により人々の不安を煽り、それを自らの力へと変えていたのです」
「…そんな…自分の意思で地震を起こせるのって普通じゃなさすぎ…」





茶化す余裕もないのだろう。
ノーマはらしくもなく自らの体を抱き寄せ、唇を噛み締めた。





「…では、霧から生まれた魔物は何なのだ?」
「あれは霧が濃く深く集まり、結晶となった物です」
「…何だって…」





もしそれが本当なら、黒い霧で出来た魔物は…。





「…あの魔物が、人の感情から生まれた物だと言うんですか……?」





俺と同じ事を思っていたのだろう。
絞り出したシャーリィの声は酷く震えていた。

瞳には涙の膜が張り、小さな唇は小刻みに震えている。
こんなシャーリィの怯えた姿、久しく見ていなかった。





「…耳を閉ざす事を望むならば、わたくしの話はここまでにします」





長い沈黙が意味するところを知り、グリューネさんは俺達に決断を迫る。
それは“今ならまだ引き返せる”、と救いの手を差し伸べているようにも感じた。

だけどそれは幻想だ。

ここで逃げたら、俺は一生後悔する。
全てを知る事から逃げてはいけない。

そこに世界が、が関係している以上、逃げ道なんて用意されていないんだ。





「…アイツが何者なのか、まだ聞いてない」





知る事を望む俺の声を聞き、グリューネさんは辺りを見渡した。
きっと俺以外の仲間達の意思を確認しているのだろう。

皆は何も言わずグリューネさんを見つめていた。
戸惑いながらも、俺と同じ意思を持ちながら。





「…良いのですね」
「あぁ、話してくれ」
「…」





頷いた俺を見て、グリューネさんも頷く。
そしてまたゆっくりと口を開き、透き通った音色を部屋の中に響かせた。





「シュヴァルツは、世界を構成する存在」

「全ての始まりにして、終わりを告げる物」





紡がれた言葉が耳を通して脳に伝わった刹那、体が強張り固まった。





「“虚ろなる導き手”にして、人に在らざる存在…それがシュヴァルツです」





虚ろなる、導き手…?
人に在らざる存在…?

グリューネさんの言葉は俺達にとって馴染みのあるものでなく
理解するのにそれなりの時間を要した。

俺の解釈が間違っていなければ、シュヴァルツはきっと―――…。





「神様…みたいなもんか…?」
「あなた方の言葉ではそうなります」





信じ難いと言う気持ちは、ずっと心の隅にある。
だけどグリューネさんの言葉を信じればたちまち全てが繋がるんだ。

それでもまだ信じられない。
俺達が戦っていたのは、神だったなんて…。





「…あなた方は生き残ったのではありません。シュヴァルツに生かされたに過ぎないのです」

「これが神と人間との違い…嫌でも理解出来たでしょう」





再び沈黙が広がる。
それもまた仕方のない事、とグリューネさんは目を伏せた。

きっと俺達が真実を知り、こうして絶望する事を分かっていたのだろう。





「…グー姉さんこそ、何者なの?」





グリューネさんの指先がピクリ、と動いた。
あれ程冷静だった彼女が微かに戸惑いを見せる。





「記憶が戻ったんなら、全部分かるんだよね?」
「…」





焦り、責めるよう声を上げるノーマに対し、グリューネさんは沈黙を続けた。
恐らく、今までのどの沈黙よりも重く、また長かっただろう。





「…わたくしは、シュヴァルツを倒す存在」





何秒経ったのかは分からない。
やっと聞けた質問への答えは、またしても俺達を混乱させた。

ギシ…とソファを軋ませ立ち上がったグリューネさんは
数歩前へ進み、俺達に背を向け天井を見上げる。





「わたくしの存在意義は、シュヴァルツを倒す事」

「そして、存在と目的は、わたくしにとって同義…」

「わたくしは、シュヴァルツを倒す為にいるのです」





彼女が纏う空気に嘘はない。
しゃん、と伸びた背中がそう言っていた。





「存在と目的が、同義…」





グリューネさんの言葉をクロエはただ静かに繰り返す。

今までの事を全て理解しようと思考を巡らせるものの
許容範囲を超えそうになっているのだろう。





「ならば、シュヴァルツの目的は何なんだ?アイツは何をするつもりだ?」
「…シュヴァルツは願いを叶える為、この世界に舞い降りたのです」
「…願い?」
「人々を苦しみから救うを言う、“滄我の願い”を叶える為に」





その言葉を聞き、声を漏らしたのはシャーリィだった。
シャーリィの傍にいたジェイも、大きく目を見開いてすかさず言葉を挟む。





「ちょっと待って下さい。やってる事が矛盾してませんか?」
「そうだ…人々を苦しみから救うと言いながら、追い詰めてるのはシュヴァルツではないか!」





ジェイとクロエの言葉を聞き、グリューネさんはゆっくりと振り返る。
その瞳は今まで以上に鋭く光り、まるで蛇に睨まれた蛙のように体がガチガチに固まった。





「苦しみから解き放つ方法は、一つとは限らないのですよ」
「…何ですって…?」
「喜びも痛みも、存在するからこそ人は感情に揺り動かされ、やがて悲しみに暮れるのです」





「感情があるからこそ人は苦しむ」

「だから全てを消滅させ無へと還す事で、シュヴァルツは人を解き放つのです」





淡々と述べるグリューネさんの言葉に、どう反応して良いのか分からなかった。





「…要するに、どう言う事じゃ?」





黙って聞いていても理解出来なかったのだろう。
モーゼスは事の核心を早く聞きたい、そう言わんばかりに更なる言葉を求める。

そんなモーゼスに対し、グリューネさんは遠回しな言葉ではなく
ナイフよりも鋭い現実を突きつけたのだ。





「いずれ世界はシュヴァルツにより、初めからなかったものとされるでしょう」





ドクン、と大きく心臓が跳ねたと同時、嫌な汗が頬を伝う。
すぐさま喉を通り外へ出たのは、否定の言葉だった。





「…そんな話馬鹿げてる…誰も滅びる事なんか望んじゃいない!!」
「だが、言葉と力が釣り合っている…俺達ではまるで相手にならなかった」
「っ…」
「…生かされていたと言うのは、本当かもしれない」
「私達は目の前を飛ぶ羽虫以下の存在と言うわけだ…」





信じたくない、と声を荒げた所でどうにかなる問題ではなかった。
現に一部の仲間達は現実を受け止め、諦めの言葉を口にしかけている。

シュヴァルツの強大な力。
あれに再び立ち向かえと言われて、俺の足はちゃんと動いてくれるのか…?

自分自身にそう問うた瞬間、俺の足は強張り踏み出す事を拒絶した。
所詮、自分も偉い事を言っておきながらこの程度の覚悟だったのだ。

…認めたくない。
だけど、嫌だと言う程分かるのだ。

自分が怖いと思い、今にも崩れ落ちそうなのが。





「…ここで手を引きなさい。この戦いはわたくしの役目です」





押し黙る俺達に、グリューネさんは哀れみに満ちた瞳を向ける。





「あなた方を巻き込む訳には参りません」
「…だが……」
「…はっきりと言いましょう。今のあなた方では足手まといなのです」





冷たく言葉を言い放つグリューネさんに対し何も言い返せないのは、
俺が臆病で、とても弱いからだ。

それが酷く悔しくて、拳を震える程強く握った。
爪が肉に食い込む感触が気味悪く、体が震える。





「力を肌で感じたあなた方なら、わたくしの言葉の意味が良く理解出来る事でしょう」

「悔やむ必要はありません。これはわたくしの役目なのです」





役目、と割り切るグリューネさんに怒りが湧く。
言い返しても惨めなだけだと分かっているが、黙っている事が出来ずに口を開いた。

だけど俺が言葉を紡ぐ前に、ダン、と大きな音を立てモーゼスが声を荒げる。





「指を咥えて見てろ言うんか…!?」
「……」





歯を食い縛るモーゼスを見て、グリューネさんの瞳はガラリと印象を変えた。
手負いの獣を黙らせるだけの、同情すらない冷酷な瞳だった。





「ならば、立ち向かって死にますか?」
「ッ…」
「あなた方は、自ら羽虫の如く死ぬ事を選ぶのですか?」





ギリ、と握られたモーゼスの拳はガン、と音を立て壁を叩いた。
きっとモーゼスも何も言い返せない自分に対し怒りを感じているのだろう。

絶望しかないと分かっていて、それ以上の事を知りたいと思う奴はいない。
それはきっと、俺も同じだ。

部屋の中、重く圧し掛かる空気に耐え呼吸をするだけでも精一杯だった。





「…今日はもう休みなさい」

「そして、ここで聞いた事は全て忘れるのです」





知る事を拒絶した俺達を見て、グリューネさんはゆっくりと歩き出す。
ここではない何処かへ行く為に、出口へと真っ直ぐに進んでいた。





「…そんな事、出来る訳ないだろ……」





ポツリ、と言葉を零したのは、誰でもない俺だった。
雨音程小さく、弱々しく、まるで泣いているかのように震えている。

そんな小さな俺の声に気付き、グリューネさんは歩みを止める。





「…わたくしのもたらした情報は、人の営みには不要な物なのです」





グリューネさんの言葉は、俺達を励ますものでも何でもなかった。
立ち止まったのもきっと、ただの気まぐれだったのだろう。

俯く俺達をチラリと見て、グリューネさんは再び背を向ける。





「待って下さい」





ドアノブに手を掛け、いざ外へ出ようとする彼女に向けて
ハッキリと声を発したのはジェイだった。

何処か冷たい印象を持つジェイの声はグリューネさんの背中に刺さり、彼女は再び振り返る。





「まだ聞きたい事が残っています」
「……」
「全てを話したとでも、思っているんですか?」





俺が零した弱々しい声とは違う。
ジェイは真っ直ぐにグリューネさんを見て、真っ直ぐに言葉を紡いだ。





「黒い霧は負の感情であり、それはシュヴァルツの力となる」

「シュヴァルツとは所謂『神』と言う存在であり、その力を利用し、人類を滅ぼそうとしている」

「それは全て滄我の願いであり、人々を救いたいと言う理由の元…
 人々が無の存在になれば苦しむ事がないと言う解釈から生まれた行動」

「…それで?」





ドアノブに掛かる指が、微かにだが動いた気がした。





「まだ僕達に話さなければならない事が、残っているんじゃないですか?」





いつも鈍いと言われる俺でも彼女の指の動きに気付いたんだ。
なら、ジェイが気付かないはずがない。

動揺を見せたグリューネさんに対し、ジェイは追い討ちをかけるよう言葉を続けた。





「例えば、破壊の少女とシュヴァルツの関係…とか」





恐らく、俺達が一番知りたいと願った真実を知る為に。










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修正:14/01/17