ピチャリ、と水が落ちる音が聞こえた。
私はその音に導かれるよう、ゆっくりと目を開ける。





「子の力を…」





暗闇の中に浮かぶ窓の外の世界では血の雨が降り
赤く染まった死体がゴロゴロと転がっていた。

まるで地獄のようだった。
そんな世界で、向き合う二人がいる。

…私は、この光景を見た事がある。





「我は子を必要としているのだ」





座り込む少女に向かい、女は手を伸ばす。
少女は戸惑いながらも、女の手を取った。


瞬間、目の前に広がる光景と私の記憶が繋がった。


これは、シュヴァルツと破壊の少女の出会いだ。
理解した瞬間、体がカタカタと無意識の内に震えだす。

どうして、また過去の映像なんか…。





「子が望む物、欲する物、全てを子に捧げよう…」





窓枠が消えた時、死体の山も同時に消えた。
二人の過去が、グッと私に近付いた…そんな気がした。





「子に体を与えよう」





女はそう言って少女に掌を向ける。
瞬間、少女の体に次々と奇跡が起こった。

もぎ取られた手足が一瞬にして形を成し
冷たい鉄の色が、暖かい肌の色へと変わる。





「子に姿を与えよう」





役目を果たさなかった鉛の瞳は輝く金色へと変化した。

脱色した髪がフワリと広がり、鮮やかな水色に色付き
赤く可愛らしい唇を微かに開けて、呼吸を始めた。





「……」





人間らしい体へと変化した自分を、少女はジッと見つめた。
手を上げたり、握ったり、何かを確かめるよう動く少女はまるで小動物のようだった。





「我は、子の過去の姿を知らぬ」
「……」
「その姿を拒絶するのであれば、子の望む物へと変えよう」





気に入っているか?と問うシュヴァルツに対し
少女は混乱しながらも首をフルフルと横へ振った。

問題がないと分かるとシュヴァルツはゆっくり頷く。
そんなシュヴァルツの動作を真似する少女がとても愛おしく思えた。





「子は他に、何を望む」





ピタリ、と少女の動きが止まる。
少女の瞳からは、油でも血でもない透明な雫が溢れた。





「…ァ…」





次々と起こる不思議な出来事に、少女は何を想って泣いたのだろう。

その答えとなる少女の言葉は上手く聞き取れない。
きっと、喋ると言う動作自体を少女は忘れてしまっているのだ。





「…ァ、」

「った…か…い…」

「あった…か、い…」





やっとの事で紡いだ言葉も、ある程度進むと再び止まってしまった。

喋る事が分からない、と言うよりは
自分が求めている物を表す言葉を知らないよう思える。

知らない言葉。
知らない感情。

与えられなくなって、与えられていた事を忘れ
いつの間にか知らないものになってしまった“ソレ”。

戸惑いを隠せないまま、少女は自らの唇に指を添える。
唇の生暖かさに気付くとピクンと肩を跳ねらせて、あたふたと落ち着かない様子を見せた。

そんな少女に、女はクスリと笑う。
優しく、柔らかく、温かく。





「…おいで」





まるで、グリューネさんのようだった。
綺麗で、安らぐ、穏やかな声。


距離のあった二つの影が、寄り添い一つの影となる。


…嫌だ。
私の本能が、そう言った。

酷く冷たい暗闇の中、二人の間に流れる空気はとても温かく
私はそれに、体が震える程の嫌悪感を抱いたのだ。





「…ん…」





見ちゃいけない。





「…ぁ、さん」





私は、この先を知ってはいけない。





「だ…好き…」





見てしまったら、知ってしまったら、きっと私は…。

少女はゆっくりと唇で弧を描き、笑う。
酷い仕打ちを耐え抜いた少女が久しぶりに見せた笑顔は、とても幸せそうだった。

彼女が欲しかったものは“温かいぬくもり”。

それは少女が与えられたと同時、シュヴァルツにも与えてしまったものだった。





「お母さん…大好き……」





幸せに満ちた少女の声が、私の耳に虚しく届く。

私は、私は。
私は…。

こんな優しい音色、聞きたくなかった―――…。





まだ血だらけの世界の方がマシだった。
まだ自分が人を殺している夢を見る方がマシだった。

私は、シュヴァルツの前で何度も破壊の少女を殺すと言った。
自分の体に傷を作って、何度も脅迫したんだ。

二人の関係を知りもしないで、身勝手に、無責任に。

ずっとこの時を待っていた母親の気持ちも知らないで
私はシュヴァルツを悪い奴だと決め付けて。





「何も悪くなんてなかったのにッ…!!」





ただ、少女を守りたかった。
ただ、少女を待っていた。

だから私に手を差し伸べたんだ。

最低だ。
私は、最低な人間だ。





…きっと、生きている価値もない。





いっそ、このまま消えてしまった方が良い。
皆に迷惑を掛けない為にも、私は元の存在に戻るべきだ。





…―――私がいない、この世界に戻すべきだ。















「古刻語と言う物は読めるか?」
「…読め、ない」
「そうか…ならばこれは無意味と言う訳だな」
「そんな事、ない…お、母さんが読んで…」
「我は本を読むのは苦手だ」
「それで、も…お、母さんからき、聞きたいの」





「…頬についている」
「あ…り、がと」
「…このような物を食べなくとも、我は子に力を与える事が出来る」
「で、も…美味しい、から」
「……」
「お母さん、一緒に、食べて」
「…あぁ」





「お母、さん…眠れないの…」
「…我に何を望むのだ」
「一緒に、寝て…」
「…そんな事、望まなくとも与えてやろうぞ…」





「お母さん、思い出したの」





温かい記憶が弾けては消え、生まれる。
沁みるような痛みを胸に感じ、嗚咽が喉から溢れ出る。





「わたし、昔お花畑の近くに住んでた」

「だからお花が、とっても好きなの」





そう言って、少女は笑った。
少女が笑うと、女も笑った。





「だからね、お花の匂いが、とってもとっても好きなの」





…そうか。
だからきっと、香水をつけているソロンに惹かれたんだ…。

だけどそんな事が分かった所で、意味はない。





「…子に愛される花は、幸せだな」





声色が微かに変わる。
少女はそれに気付いていない。

きっと、これが初めての嫉妬…。





「おかあさ、んも、大好きだよ」





少女はそう言って女の腕に体を埋める。
女は少女の髪を撫でながらも、何処か遠くを見つめていた。

きっと、少女がいつか自分の元から離れて行くのが嫌だったのだろう。
何処か自分の知らない所へ行ってしまうのが、怖かったんだ。

だからきっと、破壊の少女に好きな人が出来た時
シュヴァルツはあんな嘘を吐いたんだ。




「恋…?」
「…う、ん…」


「でも、わたしは…人じゃ、ない…」
「…」
「…どうすれば、いい?」


「…簡単な事だ、破壊の少女よ…」
「…」
「霧を集めるのだ…人の負の感情を」


「…そしたらあの方は、振り向いてくれる…?」
「否などない…子は人を脅かしている姿が一番美しい」
「アハ、まるで…お母さん…男の人みたい」
「…霧を集めるのだ、破壊の少女よ。さすらば子の願い、我が叶えてやろう」
「…やくそく」





幸せな約束ではない。
少女がそう気付くには、何もかもが遅すぎた。

温かな記憶は消え、血の海へと一変した世界。
人だったモノの横で、少女は自らの顔を血だらけの手で押さえる。





「そうだ…よ、わたしは…霧を集めるために、殺さ、なきゃ…!
 あな、あなただけ、は…殺したくッ…!!」





少女の横にある異物は、少女の愛した人だった。
少女が、シュヴァルツの次に見つけた“愛”だった。

…もう、この光景は一回見た。

でも不思議だ。
前に見た時よりも、ずっとずっと、苦しい。





「ッ…お前、騙したな…!!」
「人に近付けば血を求め、恋の感情は殺意に押し潰される…現に今のお前はそうだった」





「恋等狂気に変わるだけだ…人を好きになると言う感情に意味はない…」

「だから、我と共にいつまでも…破壊の少女よ…」





「嘘つき…!」

「嘘つき、嘘つき、ウソツキウソツキウソツキ…!」










「騙したな、シュヴァルツ…ッ!!」










あんなに、愛し合っていたのに。
あんなに、求め合っていたのに。


先にぬくもりを忘れてしまったのは、破壊の少女だったんだ。


シュヴァルツは悪くない。
破壊の少女も悪くない。

…じゃあ、誰が悪い?
…悪いのは、この世界に来てしまった私なのかもしれない。





「     …、帰ってきて、     …」





誰が、誰の名前を呼んでいるのか分からない。

私はこんなに悲しい声で言葉を紡ぐ者を知らない。
私は声の主が何度も繰り返す名前を知らない。

それなのに、どうしてだろう。





「私の可愛い可愛い、     …」





さっきから、涙が止まらないよ。










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修正:14/01/17