「……」





目を開ける、と言う感覚を味わったのは何年振りだろう。

眠い訳でもないのに目蓋が重く感じて
何処にも触れていないはずの睫毛が何だかとてもくすぐったい。





「…かえって、きた」





声を発したのも久しぶりだ。

そう思いながら辺りを見渡し、視界に映ったカレンダーを見る。
時の流れは私が思っているよりも遅く、意識を失った月を指していた。

恐らく、そんなに時間は経っていない。
だけど凄く深い眠りについていた気がする。

何十年、何百年。
それこそ、私を知っている人なんていなくなってしまいそうな時間の間を。

…いや、今はこんな事を考えている場合じゃない。





「起きなきゃ!」





破壊の少女との約束の為にも、まず起きる事から始めよう。

きっと皆にも心配をかけた。
その分、ちゃんと謝って私の気持ちを伝えよう。

自分の体に丁寧に掛かっていた布団を剥ぎ、体を起こし
まだ暖かい足をヒンヤリとした床につけた。

そして、皆が待っているであろう一階へ向かおうと立ち上がる。
そう、いつもやっているみたいに足に命令したはずだった。





「わ…っ!?」





いくら長い間寝ていたとは言え、歩く事は忘れていない。
そう思っていたはずなのに、足は私の命令を無視しグニャリと曲がった。

突然の出来事に対応する事も出来ず
為すがままに大きな音を立てその場に崩れ落ちる。





「い、たた…」





受け身も取れず、強く打ちつけた体がジンジンと痺れた。

痛いと思うと同時、ああ生きていると実感するも
自分の馬鹿さ加減に文句の一つも零れてきそうだ。

何やってるんだろ、私。

心の中で突っ込みながらも、手を支えにゆっくりと体を反らす。
だが足と同様、手にも中々力が入らない。





「…何、これ?」





まるで意識はあるのに寝ているようだ。
感じた事のない、不思議な感覚。

寝惚けているのかと聞かれれば、答えは“いいえ”。
頭はシャキッとしているし、先程の衝撃でここが現実だと良く分かった。

…なのに、何で力が入らないんだろう…。





!!」





久しぶりに聞いた声。
導かれるよう、私はゆっくりと顔を上げた。

開かれた扉からは爽やかな風が入り込み、顔に掛かる髪がフワリと靡く。
視界に映る彼の姿を見た時、私の頭の中を支配していた悩みは吹き飛んだ。





「ウィル…!」





そう、目の前にいる人物の名前を口にした時
キュン、と目の奥が熱くなる。





「ウィル!久しぶり…!本当に!!」
「どうした?何があったんだ!?」
「へ?」
「今、凄い音がしただろう…!」
「あ、いや…それが分からなくて!」
「…、何…?」





テンションの差に疑問を感じながらも
私は今自分がどんな状況にあるのかを軽く説明した。





「良く分からないけど、体に力が入らないんだ」





説明、と言っても私が分かる事はこれくらい。
どうしてそうなってしまったのかなんて、思い当たる節はない。





「何でだろうね?こんなに元気なのに!」





ウィルはきっと、私の体が動かないと聞けば必要以上に心配するだろう。
だからこそ、今自分は本当に元気なんだと左右に転がりながら笑顔を見せた。





「っ…」





でも、ウィルはそんな私に意外な反応を見せる。

いつものウィルなら「馬鹿」とか「起きろ」とか冷静な意見を述べるはずなのに
一瞬だけ、私が見た事もないような、今にも泣きそうな表情を見せたんだ。





「ウィル…どうかしたの…?」
「…いや」





ふざけるのを止め、そう問うと
ウィルは慌てて私に笑顔を見せる。

「何でもない」と言ったその声は、微かにだけど震えているような気がした。





「…よし、立てないなら俺が下までおぶろう」
「ええ!?止めなよ、私すっごい重いから!」
「そんなもの関係あるか。親子のスキンシップと言うものだ」
「スキンシップって…今までそんな事一度も…!」
「文句があるなら、こっちの方が良いか?」
「へ?って、うわ…!」





転がり暴れる私を、ウィルは掬い上げるように優しく抱き上げ、自らの胸にゆっくり引き寄せる。

男性特有の香りが鼻を掠め
宙にフワフワ浮いているような感覚が何だか不安定で落ち着かない。

だけど私の体をしっかりと支えてくれている腕は
これ以上にない程の安心を与えてくれた。





「だ…大丈夫?腰にきてたりしない?」
「余り年寄り扱いをするな…これでも、アメリアで鍛えていたんだぞ?」
「あ、惚気てる!アメリアさんにもお姫様抱っこしてたんだ!」
「…するさ」





「いついなくなるかも分からない娘だったからな…少しでも多く、触れていたかったんだ」





やや下から見上げるウィルの顔は、いつもと違って見えた。

その違いが一体何なのか、私が理解するよりも先に
「行くぞ」とウィルは足を動かし始める。

歩く震動がくすぐったく、またいつもと違う目線に恐怖を感じ
私はウィルの異変が何なのか、深く考えるのを止めていた。










「私が眠ってからどのくらい経った?」
「たった一日…いや、半日だ」
「半日だけ?じゃあ今何時?」
「朝の四時だな」
「よっ…!?」





リビングに着き、目の前のホットミルクで手を暖めながら素朴な質問をする。

ウィルの口からは予想だにしていなかった数字が飛び出し、
私は慌てて壁に掛かる時計を見つめた。





「うわ…四時に起きたのなんて初めて…」
「少なくとも、こっちに来てからはな」
「…あはは」
「折角早く起きれたんだ、有意義に過ごせよ」
「はいはーい」





適当な返事でウィルの言葉を流しつつ、暖かいホットミルクを啜った。

喉に物が通る、と言う事自体今の私には感動的で
ホッと安堵の息を漏らすと同時「ああ、これが幸せか」としみじみ思う。

ウィルはそんな私を見て笑みを浮かべ、読んでいた新聞を机の上に置いた。





「…朝食が終わったら、少し俺に付き合ってくれるか?」





用意されている目玉焼きに手を伸ばした瞬間、ウィルは私に向かい言葉を発する。
小首を傾げながら顔を上げれば、とても優しいウィルと目が合った。





「付き合う?何処に?」
「防具屋だ」
「防具…?何か壊れちゃったの?」
「違う。防具と言ってもただの服だ」





真っ黒なコーヒーをウィルは苦いとも言わずに一口飲み、喉を潤す。

何で急に、と小首を傾げ続ける私は何も刺さっていないフォークを口に咥える。
理解が追いつかない私を見兼ねてか、ウィルは小さく息を吐くとスッと腕を伸ばした。





「大分汚れたな」
「え、服?」
「ああ」
「そうだね、ほとんど一着で過ごしてたから!」
「だからだ」
「?」





「お前の服を買いに行くぞ、





急な提案に、フォークがポロリと落ちて机の上にある目玉焼きにグサリと刺さる。

「何をしている」、とテーブルを布巾で拭くウィルに対し
私はどうして良いかも分からず、疑問の数々を並べた。





「わ、私の…?」
「薄汚れた服では嫌だろう」
「そ、そうだけど」
「俺も娘にそんなみすぼらしい格好をさせる父親だと思われたくないからな」
「あ、あの…ウィル…?」





おずおずとする私に対し、ウィルは「何だ?」といつも通りの返事をした。





「その、さ…」

「…シュヴァルツは…どうしたの?」





私が眠っていたのはたった半日。

半日でどうこう出来ない問題が山ほどあるはずなのに
ウィルは何故か私の洋服を気にしている。

ウィル程の人が、現実逃避等するはずないのに。





「…」





流れる沈黙の重たさに、ああやっぱり言わなければ良かったと少し後悔をした。
こんなにゆったりとした幸せな時間を自ら壊すなんて、本当に馬鹿だ。

カチャ…とカップを受け皿に置く音にビクリと肩が跳ねる。
勢いで俯いてしまった顔を、恐る恐る上げた。





「…一日だけゆとりをもらったんだ」





そう言ってウィルは笑う。
私はただ、ぽかんと口を開け言葉を失った。





「…そう、なの…?」
「いつの目が覚めるかも分からなかったからな」
「ご、ごめん…私のせいで出発長引いちゃったんだね…」
「謝るな。お前のお陰でこんなに幸せな時が過ごせているんだ」





再び笑うウィルに、私もつられてゆったりと笑った。

…そうだ、何も心配する事はない。
あのウィルがこうして笑っているんだ。
きっと今は焦る時じゃない…そう言う事だろう。





「じゃ、洋服代奢ってもらおうかな!」
「ああ、任せておけ」
「買い物なんて久しぶり!ずっとグミしか買ってないし!」
「そうだな…だが今日が最後の買い物になる訳でもない」





「この戦いが終わったら、服だけではなく生活雑貨全てを買わなければな」

「その時は改めて、我が家の娘として迎えよう」





そう言ったウィルに私は「今ある物で充分」と言ってみせたけど
変なとこでウィルは頑固だ、勿論キッパリ断られた。

改めて娘として、なんて言われると嫌でも頬の筋肉が緩んでしまう。
きっと遠慮しながらも、私の表情は酷くニヤついていただろう。





「とにかく朝食を済ませろ。出発はそれからだ」
「うん!」
「俺は先に準備しておく…ゆっくりで良いからな」
「うん!」





首を縦に動かしながら、部屋を移動するウィルに小さく手を振った。

子供みたいにはしゃぐ私を見てウィルは小さく笑うと
二階へ続く部屋の扉の奥へと消えて行く。

シン、としたリビングに一人残された私は
いつもここで生活しているはずのハリエットとワルターがいない事に気付いた。

恐らく、まだ朝早いから寝ているのだろう。
顔は見たいけど、一人で歩けない私には二人を起こしに行く術がない。

ならウィルの言う通り早く朝食を済ませよう、と目玉焼きを頬張り噛み締める。

少し焦げ臭い目玉焼きにウィルの不器用さを感じながら
私はそれが嬉しくて、気味の悪い笑みを浮かべた。

私、本当に戻ってこれたんだ。















「改めて我が家の娘として迎えよう、か……」

「その時はもうないと言うのに、俺も良く言った物だ…」





隣の部屋で白い壁に寄りかかり、嘆くウィルの存在にも気付かず
「ああ、これが幸せか」と鼻歌を歌う。

自分が罪深い事をしているなんて、この時は思ってもいなかった。










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修正:14/01/17