「アニキ、この奥にいるから…」





そう言って案内されたのは、私も良く知っているモーゼスの部屋だ。





「ありがとう」
「離して平気?」
「うん」





ゆっくりと屈み、テントの前で座り込む私の額には汗が浮かぶ。

知らなかった。
人の力を借りて歩くのって、こんなに疲れるんだ。





「…大丈夫?」
「大丈夫だよ!全然、へっちゃら―――…」





そう言って腕を上げようとした時、グラリと大きく体が傾く。

視界がブワッと白く飛び、一瞬だけ意識が遠のく。
貧血にも似た症状に今の私が耐えられる訳もなく、体は重力に従い落ちて行く。





ちゃん!!」





倒れる寸前、力強い腕が私を掴む。
ぼんやりする視界の中、チャバが必死に私を呼びかける姿が見えた。





「本当に大丈夫?辛そうだよ?」
「…チャバに心配されたくないよ」
「え…」
「私より、辛そうな顔してる」





へら、と笑いその柔らかいほっぺを突いてみせると
チャバは何とも言えない表情を浮かべた。





「大丈夫!私が何とかするから!」
ちゃん…」
「モーゼスの事、良く分かってるつもりだよ?」





「だから安心して」、と笑うと
ぼんやりした視界の中でチャバも笑った気がした。





「…オイラが心配してるのは、アニキだけじゃないって分かってる?」
「え?」
「…何でもない」





笑っている気がしたんだけど、何だか少し怒っているような気もする。
視界が悪いからだろうか、チャバの繊細な表情が今の私には理解出来ない。





「…ごめんね」





悩む私の手を一度だけ強く握ると、チャバは立ち上がり一歩後ろへと下がった。
恐らく、私に中に入れと促しているのだろう。





「…どうしてオイラが、セネルさん達皆じゃなくて、ちゃんだけを呼んだか分かる?」





消え入りそうな程の小さな声に、私は数秒の間を置き首を振った。





「ずっと、名前を呼んでるんだよ」

ちゃんの名前を、ずっと」

「まるでいなくなった人を想うかのように、ずっと…ずっと、ちゃんを呼んでるんだ」





今度は首を縦に振る。

言葉の意味が分かっただけじゃない。
やらなきゃいけない事を理解したんだ。





「じゃあ、“いるよ”って言わなきゃ」





そう言って私は目の前の天幕を開き、体を引き摺りながら中へと入る。

未だぼやける視界では自らの手の輪郭すら曖昧だけど
自分が行くべきである“前”はハッキリと見えていた。










「モーゼス?」





真っ暗なテントの中、名前を呼んでも返事はなく、
呼吸の音すら聞こえない。





「…





返事が返ってきたのは数十秒後だ。
音も立てずジッと待って、やっと聞けたモーゼスの声。





「なんじゃ、来たんか…」
「…モーゼス、何処?」
「……見えんのか」
「暗くて…後、ちょっとぼんやりしてる」





「さっき、貧血っぽくなって」と笑う私に対し、モーゼスの反応はない。

会話が出来ている、と言えば嘘ではないが
何だか大事な所で途切れてしまい、非常にやりにくい。

まるでモーゼスと話している気にはなれなかった。





「モーゼス、元気ないって聞いたけど大丈夫?」
「オウ、平気じゃ」
「本当?」
「何じゃ?疑っとるんか?」





そう言ってモーゼスはいつものように笑う。
こんな暗闇の中、クカカ、と明るく笑う。

…それがおかしいって事にも気付かずに。















「…相変わらず嘘が下手だなあ」
「…」
「今のモーゼス、全然モーゼスらしくないよ」





胸の奥がズキ、と痛んだ。

はいつも抜けてるくせに、こう言う時だけ鋭い。

いつもみたいに喋って、いつもみたいに笑っても
自分自身でも気付けないような細かい所をズバリと言い当ててくる。





「…でも」





ズ…と地を這う音と共に、また声が聞こえた。





「それが“本当のモーゼス”なら、幻滅しないよ」





ズ…、ズ…、と何度か音がした時、地面に付く手に何かが当たった。
それがの小さくて暖かい手だと気付くのに、そう時間は掛からなかった。





「モーゼス、覚えてる?」





も自分の手に当たった物がワイの手だと言う事に気付いたのだろう。

ソッと音も立てずに手の甲を擦ると、浮き出る骨を頼りにワイの薬指を撫でる。
探していたものが見つかると「あった」と嬉しそうに声を上げた。





「私もずっと、付けてるよ」
「、…」
「モーゼスとギートと、交わした絆」





「ほら」、と言って自らの薬指をワイの手の甲に擦り、温かい声で言葉を奏でる。
顔を見なくとも、が笑っている事は嫌でも分かった。





「…覚えちょる」





忘れる訳がない。
あの日交わした、あの約束を、ワイが忘れるはずがない。





が、ワイに言ったんじゃ…」





「私、モーゼスには頑張って欲しくないんだよ」

「慣れてないと思うけど、もっと頼って欲しいし、別に情けない姿晒しても良い」

「家族の前でぐらい、素になってよ」





「ワイに、素直になれって…そう言ったんじゃ…」





「大体、情けない姿って…いつもそんなもんじゃん!」

「だから、幻滅しないよ」





「情けなくても、素直になれって…」





「それが、本当のモーゼスなんだから」





「それが、本当のワイ…」





口にすれば、より鮮明に思い出せる。
あの時の言葉、あの時の笑顔…あの時の、幸せな気持ち。





「そうだよ!」
「…」
「それでモーゼス、私に『その時が来たら胸を貸してくれ』って言ったんだよ!」
「……」
「その時って、今じゃないの?」





きっと、は勝ち誇った笑みを浮かべながら両手を広げ
ワイが振り向くのを待っている。

は甘えて良いと、情けないワイに言ってくれた。
どんなに情けなくても、それが本当のワイなら良いと言った。





「…―――で」
「ん?」
「それで…」





は、いつまでワイに胸を貸してくれるんじゃ…」





口にしたら余計虚しくなると分かっていたのに、歯止めが効かなかった。





「ワイとが離れたらどうなるんじゃ」
「…モーゼス?」
はずっとワイの傍にいてくれるんか?」
「…」
「ッ…死んだら、どうなるんじゃ」





現実を口にしたら、声が震えた。
一人でいる時は出なかった涙が溢れそうになった。

が近くにいるだけでこんなにも弱くなる。
それと同時に、が近くにいるだけでこんなにも人間に近付ける。

もう手放したくない。
そう思った。
思ったら、自分でも考えてなかった言葉が次々と溢れた。





「そうじゃ…逃げるんじゃ…」
「は…?」
「姉さんはああ言ってたけど、きっと別の方法がある…!」
「な、何…?グリューネさん?」
、ワイと安全な場所まで逃げるんじゃ!そうすればずっと一緒にいられる!」
「ちょっと待って、話がよめな…」
「ずっとワイといてくれ、!」





重なる手を引き、その体を抱き締める。
その細い体が折れてしまいそうな程、強く、強く。





「モ、モーゼス…!」
「ワイはがおらんとダメなんじゃ…!」
「ッ…」
がおらんと、生きていけん…!ワイも死んだ方がマシじゃ…!!」





息を呑んだと言うのが、顔を見なくても分かった。
きっと、驚きで声を出す事さえ出来ないのだろう。





「ッやめてよ…」





大した力も入らない手で、はワイの体を押す。
ひんやりした手の冷たさに気付くと同時、自分の体が熱い事に気が付いた。





「私の為に、死ぬなんて言うの、止めてよ…!!」





ああ、この声は本気で怒っている。
またワイは、の事を怒らせてしもうた。

だけどもう、今更取り繕う余裕もなければプライドもない。





「っなら、ワレはどうなんじゃ!?」
「…!」
だって、ワイ等の為に命張ってたじゃろ!?」
「っそれは…!」





まともに顔も見れず、ただ顔を伏せ吐き出した。
顔を見られる事を恐れ、の頭を自らの胸に押さえつけながら。





「こげな小さな体で、死ぬまで頑張ったんじゃろ!?」
「っ…」
「辛い想いして、一人で抱え込んで、ワイ等には何もさせんのか!?」
「それでも、私はモーゼスに一緒に死んでなんて頼まない!!」





ワイの声に負けじと、大声を上げる
その声は微かにだが震えているようにも聞こえる。

ああ、いつもそうじゃ。

はいつも、ワイに説教をする時
酸欠になる程声を張り、荒げ、恥ずかしがる事もせず本気でぶつかってくる。





「アンタに笑ってて欲しいから、命張って走ったんだよ!」

「それをアンタが望んでなくても、私がしたいからそうした!」

「私は、私がしたい事してただけだ!アンタの為に何もしてない!」





真っ直ぐ過ぎて、眩しい程の存在だった。
誰にも恐れる事なく、自分を貫き、曲げる事はない。

こんな状況でも、は出会った頃と何も変わっていなかった。





「アンタの為に命張った?そんなの違う…!そんなの、アンタの自意識過剰だよ…!」
「…」
「いなくなるなとか、死ぬなとか、訳わかんない…」





細い腕が、ワイを包む。
ソッと撫でるよう背中に触れる小さな手を、受け入れて良いのか戸惑った。





「…いるよ、ずっと」





はワイが欲しい言葉をくれる。
それが辛くも、自分の中の何かを優しいものに変えていく。

心の中の霧が、すうっと晴れていくようだった。

例えそれが、がシュヴァルツからもらった力だとしてもワイは信じない。
このぬくもりは間違いなく、と出会った時から何も変わっていないのだから。





「アンタが指輪を外さない限り、アンタが絆を忘れない限り、
 私はアンタが嫌だって言っても傍にいるよ」

「ギートも一緒…三人ずっと一緒にいるって言ったじゃん」

「…だって、家族なんだから」





無意識に息を呑むワイに、は優しく笑った。
馬鹿にする訳でもなく、無理に同意を求めようとする訳でもなく、ただ見守るように。





「モーゼスの中にギートはいる?」
「…おる…ワイとギートは、心で繋ごうとる…」
「じゃあ、私は?」
「…」
「私とモーゼスは、心で繋がってる?」





もっとの顔が見たい、そう思うと自然に顔が上がる。
は目を見開くワイを見て、とても幸せそうに笑っていた。

暗闇の中にいるせいか、どことなく焦点の合っていない瞳がキラキラと輝いていて
「早く」とワイに答えを求めている。

まるで、ワイが否定的な言葉を吐かないと分かっているように。





「…繋がってて、ええんか?」
「ん?」
「これから先もずうっと一緒におるって…思っててええんじゃな?」
「当たり前じゃん」





「何言ってるの」と言いはワイの頭をコツリと叩く。
この痛みが夢ではないと分かると、パアッと心に光が射した気がした。





「…ワイも守るわ」
「ん?」
「指輪に込めた想い…貫き通す」





ソッと、今度は壊れないようにその体を抱き締めた。
頬に掛かるワイの髪に、はくすぐったそうに目を細め「うん」と言う。





、ずっと一緒じゃ」
「うん」
「ずうっと一緒におる為に、世界を守らんとな!」
「うん!」
「そんで、ワイがまた馬鹿な事言っちょった時は―――…」





「…―――お得意のお説教、してくれんか?」





「胸を借りるんは恐れ多いわ」と言うワイに対し
「めずらし」と言うとは頷く。

がワイをどんな風に想っているのかは大体察してはいたが
意外そうな顔には少なからずショックを受ける。

それでも、嫌な気分にはならなかった。





「良いよ!」
「オウ!」
「何やってんだ馬鹿!って殴ってあげる!」
のパンチは、目が覚めるからのう!」





幸せだ。
そう思う反面、涙が出そうな程悲しくなった。

それでも、絆がある限り、家族である限り
の言葉を信じようと決めた。





「…ワイもだからの」
「?」
が指輪を外さん限り、が絆を忘れん限り、が嫌だって言っても傍におる」
「…」
「絶対、探してみせる」





「ワレが振り向くまでの名前を叫んじゃる」

「例え地の果てじゃろうが何じゃろうが、絶対にじゃ」





そう言って歯を見せ笑えば、は眉を下げ目を反らした。
暗闇の中でもほんの少し頬が赤いのが分かる。
なりの照れ隠しだと気付くのにそう時間は掛からなかった。





「相変わらず恥ずかしい事言うなあ」
「クカカ!照れんな!嬉しいくせに!」
「わ、ちょっと髪ぐしゃぐしゃに…!花飾り壊れる!」
「なんじゃ?ワイの為にめかしてきたんか?」
「違うよ!ウィルがくれたの!!」





力いっぱい否定するのもまたらしく、笑いが止まらなかった。
涙が出る程嬉しいを通り越すと、更に一転し頬が引くつく程笑ってしまうのだと知る。

いつまでも笑うワイを、はキッと強く睨んだ。
しかし、どうもその目線はワイのやや左に向いている気がして違和感を覚える。





「まだ貧血治らんのか?」
「へ?」
「ワイの目見とらんじゃろ」
「え…そんな事ないと思うけど…」





ゴシゴシ、と数回強く自分の目を擦るは、瞬きをし首を傾げる。
心配を掛けないよう見栄を張っている訳でもなく、本当に無意識みたいだ。





「何か今日、ちょっと変みたい」
「…」
「上手く体が動かなくて」
「…ええ事聞いたわ」
「は?」





唸っていた顔をパッと上げた直後、その頬に手を寄せる。
突然の事に驚く隙も与えぬ速さで引き寄せ、空いている片方の頬に自らの唇を付けた。

わざと吸いつくよう音を立て、小さく跳ねた体を撫でるよう触れる。





「体が動かんならワイが好きな事出来るわ」





そう言って笑おうとした刹那、派手な打音が響いた。

反響する音と頬の熱さ、それから痛みに
「体が動かん言うたじゃろ」と心の中で呟きながら
重力に耐えきれず左へと倒れる。

倒れるワイを睨み付けるの顔が
今まで過ごしてきた日常と何も変わらず
それがまた、心が温かくなる程安心した。










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修正:14/01/17