頬に残る生暖かさが、風に吹かれても消えてくれない。
「分かってれば避けれたのに…!!」
まさか、励ました相手にセクハラをされるとは思っていなかった。
もう少し部屋の中が明るければ。
もう少し視界がハッキリしていれば。
咄嗟に逃げられる足があれば。
頭の中をグルグルと回るのは後悔ばかり。
倒れたモーゼスに心配の言葉も掛けず、這いずりながらテントを出る。
この際ドレスが汚れるとか関係ない、自らの体に危機が迫っているのだから。
「えっと…」
ズリズリと虫のように地を這う私の頭上から、聞き慣れた声が聞こえた。
「…手、貸そうか?」
声が聞こえた方へ視線を向ければ
苦笑を浮かべながら私に手を伸ばす、チャバの姿があった。
苦笑、と言うよりも肩を震わせて笑いたいのを堪えているようにも見える。
恐らく、私の姿がそれ程までに滑稽だったのだろう。
「何か凄い音聞こえたけど」
「へ?」
「パアンって、誰かが誰かを叩くような音」
「…」
可愛らしい顔立ちの何処にこんな力があるのか、と思う程
チャバは私の体を軽々と起こし、服に付いた土埃を落としてくれる。
「オイラ、ちゃんには『アニキを元気にして』って頼んだはずなんだけどな」
「元気付けた相手に対してセクハラするアイツが悪い…!」
「アハハ…ごめんね」
「どうしてチャバが謝るの?」と聞けば「アニキの事だから」と言う。
本当モーゼスは家族に恵まれているなあと思う反面
この甘やかしがモーゼスを暴走させる原因なのでは…と疑いの目を向けた。
きょとんと目を丸くし首を傾げるチャバの仕草を見る限り
本人には全く甘やかしている自覚がないみたい。
「…あ」
「?」
「私もモーゼスに話す事あったんだ」
「…ちゃんから?」
「うん」
たった数分しか経っていないのにテントの中に戻るのも癪だ。
さてどうしたものかと考えていれば、思いもしない距離から返事が聞こえる。
「ワイがなんじゃって?」
ヌッと顔を出すモーゼスにチャバは目を見開き
擬音が聞こえる程大袈裟に体を揺らした。
「ア、アニキ…!」
「うわ…もう出て来た」
チャバはぱくぱくと口を開閉し続け、
私は彼の立ち直りの早さに溜め息を吐く。
「何二人でコソコソ話しとるんじゃ」
「べ、別にそんなつもりは…!」
「ワイに言う事があるんじゃったらワイに言うのが当然じゃろ」
「元々そのつもりだよ」
「急に思い出してチャバに振っちゃっただけ」と付け加えると
モーゼスは納得したのか何度か首を縦に振る。
その度頬を掠める赤い髪がくすぐったく
強く、乱暴にモーゼスの顔を押し出した。
押し出す、と言うよりはほぼ叩くに近かったかもしれない。
「っ痛!何するんじゃワレ!?」
「顔近くてウザいよ!そんなに近くに来なくてもちゃんと喋るし!」
「…何じゃ?またチューされると思ってビビっとんのか?」
「……へ?」
ニヤリと笑うモーゼスに、私よりも先に返事をしたのはチャバだった。
反省する素振りも見せず、私へと顔を近付ける男を見て
チャバの頬はカアッと音がする勢いで赤くなる。
その直後、再び派手な打音が野営地中に響いたのは言うまでもない。
「それで、話なんだけど…」
場所は再びモーゼスの寝床。
仕切り直すよう声を上げた私に対し、右頬を真っ赤にしたモーゼスは大人しく頷く。
「明日の戦いの事なんだ」
私の言葉を聞いた瞬間、
だらしなく口を開け適当な態度を見せていたモーゼスの表情が変わった。
目を見開いたかと思えば、極稀にしか見ない真剣な表情を私に見せる。
「私、破壊の少女と約束したんだ」
「…」
「シュヴァルツの事、殺さずに…倒さずに助けるって」
破壊の少女とシュヴァルツの関係が既に周知である事はノーマが教えてくれた。
だからこそモーゼスも何かに悩み、あれ程までに取り乱していたのだろう。
それがどうしてなのか、と言うのは今更考えた所で意味がない。
今は自分の気持ちを真っ直ぐに伝えるだけで良い。
「シュヴァルツが皆にしてきた事は知ってる」
「…」
「ギートの野生化も、きっと…私と破壊の少女と、シュヴァルツのせいだ」
「モーゼスがどれだけシュヴァルツを恨んでいるかも、分かっているつもりだよ」
「それでも私は、シュヴァルツを助けたいって思ってる」
「…もう、あの二人に悲しい想いをさせたくない」
私が何を言っても、モーゼスは返事をしてくれなかった。
相槌を打つ事も、首を傾げる事もしない。
ただただ、微動だにせず私の言葉に耳を傾けるだけ。
この際罵声でも何でも良いから何か口にして、と内心凄く焦っていた。
モーゼスの気持ちを、答えを、早く聞かせて欲しいと願う。
「…家族と離れるのが悲しいって、知ってる」
「ッ私も、ギートと離れたくなかった…!凄く悲しかった!」
「だから…だから助けたい!家族である、破壊の少女と、シュヴァルツと…皆も!」
こんな私を「我儘だ」と怒るかもしれない。
こんな私を「偽善者」と笑うかもしれない。
それでも、必死に考えた答えがこれだったんだ。
あの深い深い暗闇の中、死んでも良いと思っていた状況から抜け出せたのは
この我儘を貫き通したからこそなのだから。
「…お願い、モーゼス」
きっとモーゼスなら分かってくれる。
そう思い、私はゆっくりと頭を下げた。
「……」
沈黙が流れる。
たった数秒の沈黙が、私にとっては一時間にも二時間にも感じた。
何だかとても息苦しい。
頭を下げ続ける体に、うっすら汗が浮かび上がる。
「…のう、」
神妙な面持ちで紡がれた声に少しだけ体が跳ねた。
いつものモーゼスとは違う、低くて重みのある声だ。
「ワレの気持ちは、ワイが『嫌じゃ』言うたら諦めがつく程度のもんなんか?」
“はい”でも“いいえ”でもない返事に目を見開き顔を上げる。
ぼやけた視界の中、モーゼスはキッと私を睨むように見つめていた。
モーゼスの質問は、私にとっては愚問だった。
彼の気持ちが分からないながらも、私は首を横に振る。
だって、諦められる訳がない。
「んなら、なしてワイにそんな事言うんじゃ」
「…え」
ハア、と溜め息を吐き肘を付き直すモーゼスに
私はたった一文字返すだけで精一杯。
「そげな、答えが『イエス』しかない気持ちぶつけられても、反論なんぞ出来んじゃろ」
話し合いは無意味だ、と言わんばかりにモーゼスはかったるそうに言葉を紡ぐ。
その真意が見えず、私はただただ呆けるばかり。
「そ、それって…?」
別にモーゼスの声が聞こえていなかった訳じゃない。
未だモーゼスが言いたい事が私には理解が出来ないのだ。
鈍い私に痺れを切らしたのか、モーゼスは自らの膝をパン、と叩く。
突然の音に私の体はビクッと跳ねた。
「答えが決まっちょるんじゃったら、人の機嫌コソコソ伺うのやめえ!」
突然怒鳴られ、頭の中はもう疑問符でいっぱいだった。
機嫌を伺っているつもりなんて全然なかったのに
モーゼスは私が下手に出てくるのが気に食わなかったらしい。
人が頭を下げているのにブチ切れるなんて、相変わらずこの男は意味不明だ。
「ご、ごめんなさい…」
「謝る必要なんぞ何処にもないじゃろ」
「そ、そうだよね…私も何で謝ってるのかと…」
本当不思議、と思いながら頬を掻く。
これじゃあ話し合いと言うよりお説教だ。
ついさっきまで、私がお説教をする立場だったはずなのに。
「」
名前を呼ばれ、顔を上げた。
怒っている訳じゃない、私を優しく導くような声に
自然と体が動いていたんだ。
「ワレの中で答えが決まっちょるなら、ワイに『お願い』なんぞ言ったらアカン」
「ただ話してくれるだけでええんじゃ。ワイに答えを聞く必要なんぞありゃあせん」
フッと、静かに笑うモーゼスは
まるでモーゼスじゃないように見えた。
何だか別人みたい、と声には出さないものの呆ける私を見て
モーゼスはすぐにコロッと表情を変え豪快に笑う。
先程の静かな笑みを浮かべる男が、幻想だったみたいに。
「だ、だって…」
「あ?」
「モーゼスが嫌だって言うなら、無理に付き合ってもらえないし…」
「何じゃそりゃ」
「ワイは好いてるおなごの意見を無視するような男に成り下がった覚えなんぞないわ」
ああ、そうだった。
コイツは、こう言うヤツだった。
こちらの瞳を覗き込む熱い眼差しに、つい目を反らしたくなってしまう。
家族を想うモーゼスの姿は、何だか私には眩しすぎるみたいだ。
「…モーゼス」
「オウ」
「ありがと!」
自らの目を細め、ぽかんと開きっぱなしだった口で笑顔を作る。
今回の事だけじゃない。
今までの事全部、支え続けてくれたモーゼスに感謝している。
そんな私の、とても大きな意味のある笑顔を、この純粋な気持ちを
この男はたった三秒で崩しやがった。
「……駄目なやっちゃのう…」
モーゼスは在ろう事か私を蔑み
あんなに熱っぽかった視線をガラリと悪い方向へ変えた。
「ワイの言った事、ちゃんと聞いちょったんか?」
「なっ…失礼だな!聞いてたよ!」
「どこら辺をじゃ」
「全部だよ!明日、一緒に来てくれるって…!」
「そんなんワイの言いたい事の一割にも満たんわ」
今日、モーゼスに溜め息を吐かれるのは何度目だろう。
怒られたり馬鹿にされたり散々だと体を震わせる私を見て
モーゼスはドカリと後ろの背もたれに体を預ける。
「好いてるおなご」
「っ…は?」
「ここが九割じゃ」
もう目も合わせてやるもんかと顔を反らした時
目の前から聞こえた言葉につい返事をしてしまう。
偉そうに踏ん反り返る男は私をチラチラと伺い
何に期待しているのか分からないが、ソワソワと体を揺らしている。
協力すると熱くなったり、馬鹿だと溜め息を吐かれたり
良く分からない、変てこな表情を浮かべたり。
本当、コイツは一体何がしたいんだろう。
「……あ、そう」
「あぁ!?何じゃその反応は!?」
「え、何って…そうなんだって思って…」
「アホか!?少しは女としての自覚を持たんかい!!」
「も、持ってるよ!何なんだよさっきから!失礼な奴だな!」
「持ってる訳あるかい!チューしても反応薄いしワレ本当は男と違うか!?」
「薄い!?あれの何処が薄いって言うんだよ!」
「キスした男に数分も経たん内に怒鳴りかかる所が薄いっちゅうんじゃ!」
「馬鹿にされてるんだから当たり前だろ!」
「女じゃったら少しは意識して距離置いたりせんかい!」
「仕方ないじゃん!距離置いちゃったら話す事出来ないんだから!」
「アハハハハハハッ!!」
もう一度殴ってやろうかと拳を握れば
突如何重もの笑い声が外から聞こえる。
笑い声が何人分のものかは分からなかったけど
私達が怒鳴り合うのを止めてしまう程の声量だ。
笑われている対象は誰なのか。
まさかと疑う間もなく、私には分かってしまった。
「ッアンタのせいで笑われてんじゃん!!」
「なしてワイのせいになるんじゃ!」
「はぁ!?私のせいだって!?」
「当たり前じゃ!ワレのせいに決まっちょるじゃろ!」
「何だそれ!当たり前じゃないのが当たり前じゃー!!」
「グオーッ」と奇声を上げながら手を上げタックルすれば
「グハァ!!」と心底痛そうな声を上げ倒れるモーゼス。
その後、更に大きな笑い声が響き渡ったのは言うまでもない。
「えっと、お世話になりました」
「ワレの世話は疲れるわ」
「今のはチャバに言ったんですー」
「アハハ」
互いにむすっとした態度を取る私とモーゼスに対し
チャバはお腹を抱えながら苦しそうに笑っている。
恐らく、先程聞こえた笑い声の中にチャバのものも紛れていたのだろう。
その瞳にはうっすら涙が浮かんでいた形跡があった。
「ちゃん、ありがとうね」
「ううん!これからもチャバの為なら何でもするから頼りにしてね!」
「じゃ、お言葉に甘えて」
チャバはいつものように優しい笑みを私に向ける。
その笑顔を見ただけで「ああ、私がした事は無駄じゃなかった」と思えた。
「じゃあ、ウィルの家まで―――…」
「お願い出来る?」と言葉を紡ごうとした時、突如体が大きく揺れた。
「え?」
パン、と近くで何かが弾ける音がし
私の手はいとも容易くチャバの腕から離れる。
視界が九十度変わり、青い空が見えた時「倒れる」と咄嗟に目を瞑った。
「っ…?」
だけど、いつまで経っても体に痛みが走る事はない。
ゆっくりと目を開ければ、先程まで見ていた空がとても近くにある。
何事かと辺りを見渡せば、普段見えないチャバとモーゼスの旋毛が目に入った。
…それ所か自分がいるはずの地面まで。
「…やっと、見つけたぞ」
背後から聞こえる低い声に、体がビクリと大きく跳ねる。
振り返ろうとした瞬間、私を包んでいる見えない壁がフワリと風に乗り高く浮上した。
驚きに声を上げながらも、頭の中では今何が起きているのかを必死に考える。
すると答えは案外すぐに見つかった。
青い空に白い雲。
自らの周りにある見えない壁。
そして視界の端で翼をはためかせる、金色の髪の青年。
「…ワル、タ…」
濁る視界で見つけたヒントを頼りに、青年の名前を口にする。
良く考えなくても分かる。
こんな人並み外れた業を出来るのは、この世界に一人しかいない。
「うわ!今日初ワルターだ!」
「…」
「おはよ!急すぎてビックリしたよ!」
「……」
見えない薄い膜を叩き、興奮したまま声を上げれば
ワルターは眉間に皺を寄せ心底五月蠅そうな顔をした。
「…行くぞ、時間がない」
「何処に?」
キャーキャー喚く私の言葉を全てスルーし
ワルターは用件も言わず更に上へと浮上する。
「…移動しながら話す」
素っ気ない返事に首を傾げながらも、今の私には抵抗する術がない。
「待って」と口にする暇もなく、ワルターは何処かも分からない目的地へと飛んで行く。
私はただそれについて行く事しか出来なかった。
「!またな!!」
下方から聞こえる声にハッとし
靡くマントから真下の野営地へと視線を向ける。
そこにはいつものように歯を見せ笑うモーゼスと
大きく手を振るチャバと野営地の皆の姿があった。
見送る彼等全員はもう豆粒程の大きさではあったけど
私は皆にも見えるよう、大きく大きく手を振った。
その姿が完全に見えなくなるまで、ずっと。
「…もう見えなくなっちゃった」
「水の民って凄いな」、と笑うチャバの横、
振り続けていた手をゆっくりと下ろしたモーゼスはスゥ、と大きく息を吸う。
「…ええ空じゃのう」
とワルターがいなくなった空を見ながら
モーゼスは何の気なしに言葉を零した。
「…ははっ」
「?何じゃ?」
独り言にも似たモーゼスの言葉にチャバは笑う。
自分が笑われた意味も分からず小首を傾げるモーゼスに対し
チャバは「いや」と言うとモーゼスと同様、青い空を見つめた。
「アニキ、今凄い良い笑顔してたからさ」
「本当に、元気になったんだなって」
「ちゃんって凄いや」と言ってチャバは微笑む。
「ワレ等とのお陰じゃな!!」
クカカと豪快に笑う男の横、クスクスと控えめに笑うチャバ。
二人の笑い方は全く別の物ではあったが
幸せだと言う事には何の変わりもなかった。
「ワイは絶対諦めたりせん!」
「この手で、この槍で、家族全員守るって決めたんじゃ!」
天高く掲げたこの拳は、にも見えているだろうか。
そんな事を思いながら、眩しい太陽にも負けず劣らずの笑みを浮かべる。
その姿はこの場から飛び去った少女が望んでいた
希望に満ち、正義感に溢れ、何事にも恐れず突き進む、本来の彼の姿だった。
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修正:14/01/17