目の前の大きな手は私の手をゆっくりと引き、少しずつ進んでいく。
私はそれに全てを委ね、真剣そのもののワルターの顔を見てあははと笑った。





「…どうした?」
「や、ここに来るまで色んな人に支えてもらってたんだけど」
「?」
「こんな紳士的な支え方は初めてだなあって」





「それが照れ臭くて笑ったんだ」、と付け足しもう一度笑えば
ワルターは「下らない」と言いながら微笑みを返してくれた。

吹き抜ける風がほんの少し肌寒い。
だけど、空が黄昏に染まるには早すぎる。

まだ終わりを迎えるには勿体ない…そんな透き通った空だ。





「…何だか、懐かしいな」





幸せすぎて、心の中に留めきれなかった感情が声となり表に出る。
ワルターは私の声を聞くと自らの足をピタリと止めた。





「こうやって、水の民の里に来れた事も」

「こうやって、ワルターとこの丘に来れた事も」

「こうやって、いつもと同じ時間を過ごすのも」

「全部が全部、懐かしい」





丘に咲く色鮮やかな花の香りに、火照った体を冷ます風。
いつもと変わらない風景の中、やっと落ち着けたと安堵の息が漏れた。





「今日ね、朝から凄いドタバタしてたんだ」
「…」
「って、まだ今日が終わってないのに言うのも変だけど」





アハハ、と笑う私を見てワルターは静かに頷く。

話が長くなると察したのか、ワルターはゆっくりと自らの体を屈め私に座るよう促す。

絨毯みたいに柔らかい草、そこから溢れるお日様の匂い。
そして隣に座るワルターの、私を受け止めてくれる空気。

それ等が余りにも心地良く、私はただただ喋り続けた。





「今日、凄い早起きして、朝からウィルと買い物に行ったんだ」
「…ああ」
「こんな綺麗な服を買ってくれたんだよ?」
「お前には少し勿体ない」
「私もそう思ってる!」
「…でも気に入っているんだろう?」
「うん、凄く嬉しかった!」





「けど、私が笑うとウィルは凄く寂しそうな顔をするんだ」

「私が嬉しいって言ってるのに、今にも泣きそうなぐらい辛そうな顔をするんだよ」





「この足を見た時も、そんな顔してた」と自らの足を擦った。

ワルターは私の話を聞き終えると一つ頷く。
ただ、自分から言葉を発しようとしなかった。

ワルターは凄く聞き上手だ。
頷くタイミング、間の取り方、何もかもが心地良い。





「その後、ノーマ達とお菓子を食べたんだ!」
「…」
「女の子だけで揃うのって凄く久しぶりで、もう口が止まらなかった!」
「…そうか…」





「…でも、ノーマに引っ張られた時…盛大に転んじゃってさ」

「ああ馬鹿やったなあって思って笑ってたら…その後どうなったと思う?」

「クロエが、凄い大きな声で怒ったんだよ。『ノーマ!何をしている!!』って」





声のトーンが下がると、ワルターは一瞬だけ目を丸くした。

だけどすぐにいつもの表情へと戻り、「似てないな」と私の声真似を指摘する。
私はそれに笑いながらも「五月蠅い」と言い相手を小突いた。





「チャバにも会ったんだ。急に『アニキを助けて』って言うの」
「あぁ」
「私最初、どうせモーゼスの事だから腹痛だと思ってた」
「無理もない、俺もそう思う」
「あ、やっぱり?」





ケタケタ笑う私の横、ワルターは静かに頷く。
話を合わせている、と言うよりは本心からだろう。





「…私、最後までモーゼスの言いたい事分からなかった」
「…」
「だって、今更私に聞くんだよ?『一緒にいてくれる?』って」





はあ、と息を吐き、隣にいる男の肩に頭を乗せる。
ぐっと縮まった距離とぬくもりに、何だか凄く落ち着いた。





「本当、馬鹿だって思った」
「…」
「私の居場所なんて、ここ以外にないじゃん」





この世界で私が私でいられる場所は、皆の傍だ。

離れたくないと何度も願い、何度も頼んだのに
それさえも忘れてモーゼスは私に離れるなと言った。





「…馬鹿と言う点では、お前も人の事は言えんがな」
「えー」





頭上から聞こえるワルターの声にヤル気のない返事をし、互いに笑った。

ここに来てもう何度目の笑顔だろう。
数える事も出来ない程笑っている。

こうやって、今、いつものように笑っていられるのはどうしてだろう。
答えは案外すぐに見つかった。





「ワルターがいるからだ」
「?」
「今まで会った仲間達の中で、ワルターだけはいつも通りだった」
「…」
「いつも通り呆れて、いつも通り支えて…いつも通り笑ってくれる」





「そう言ういつも通りが、何だか懐かしかったんだ」





両手を絡め、うんと伸びをし、草のベッドにボスンと飛び込む。

視界の端でヒラヒラと揺れるワルターのマントに触れながら
ただゆっくりと流れる時を堪能した。





「…神との戦いを目前にし、不安なのは当たり前だろう」
「分かってる…別に皆の事責めてる訳じゃないよ」
「…」
「ワルターは?」
「…何がだ」
「明日の戦い、不安じゃないの?」





余りにもワルターがいつも通りだから忘れそうになる。
だからだろうか、改めて口にすると何だか少し変な気分だ。





「…ふむ」
「…それ、答えになってない」
「そうだな」





ワルターは適当とも思える返事をすると口を閉ざす。

沈黙の中、私はワルターが答えを出すまでジッと彼を見つめた。
落ちかける陽に照らされた金色の髪は、瞬きさえ忘れる程綺麗だった。





「…不安、ではないな」





長い沈黙の後、ワルターはゆっくりと語り始める。





「元々俺の命は、もっと早くに散る物だった」

「ここまで生き延びられた事に感謝しているし、明日死ぬとしても後悔はない」





許し難い言葉に驚くものの、ワルターの背中は「冗談ではない」と言う。
私は笑い飛ばす事も出来ず、弄んでいたマントをギュッと引っ張った。





「…そう言うの、何か嫌い」
「知っている」
「じゃあ何で言うんだよ」
「聞いたのはお前だろう」
「…そうかも」





クス、と微笑を漏らしたワルターにつられ、私も笑った。
さっきまで命を粗末にする相手に苛立っていたのに、何だか不思議だ。

ワルターが笑うと、怒っている時間が勿体ないと感じる。
長い間一緒にいるけれど、それ程ワルターの微笑みは貴重なのだ。





「…なあ、





風に紛れて、声が聞こえた。

ワルターの瞳が、微かに揺れている気がした。
穏やかな海の、時折光に反射し輝く波紋のように。





「俺は、お前の部下だよな?」
「…ワルター、絶対にそれだけは忘れないね」
「……当たり前だ」
「何で?」
「…それが俺の命を繋ぎ止めているからだ」





そんな大袈裟な、と笑い飛ばせるのなら
誰に言われなくとも私はそうしていた。

だけどワルターから溢れ出る空気がそれを許さない。
私は乾いた唇を濡らす事も出来ず、開きっぱなしの口から言葉にならない声を出した。





「明日の戦いで、全てが終わるんだ」

「霧が消えれば、街の周辺にいる魔物は全て雑魚…俺がいなくともセネル達が何とかする」

「“危険だから”と言ってお前を見張る必要もない…明日の戦いで本当の平和が訪れる」





「その時、お前は俺に何を望み、何を命令する」





その真っ直ぐな瞳が、私の脈を速くする。
心臓が信じられない速さでドクドク鳴って、酷く耳障りだった。
未だに何も理解していない、ワルターの言葉も。





「私…命令してるつもりなんて、ない」
「それでは俺の命を繋ぎ止めるものがなくなる」
「…何でいつもそうなんだよ」
「昔からだ」





淡々と言葉を述べるワルターは本当にいつもと変わらない。

いつもと同じ。
ワルターはいつも通り、使命を果たす為私の傍にいる。

いつもと違うのは私だ。
そう分かったと同時、五月蠅い心臓は徐々にだが平常へと戻る。

深呼吸をすると清い空気が体の中に満ち、落ち着きを取り戻す事が出来た。





「何を命令するって、聞いたよね?」
「ああ」
「変わらないよ」





「平和になって、ワルターが何かする必要がなくなっても、今まで通りここにいれば良い」





橙色が混ざり始めた空の下、私は歌うように言葉を紡いだ。
黙る彼が聞き間違えないよう、一音一音を大事に歌う。





「私の傍にずっといて。皆の傍にずっといて」
「…」
「今まで辛かった分、もっと、今より、たくさん笑って」
「……」
「それがこの戦いが終わった後、私がワルターにする命令」





ワルターは私の言葉を笑いもせず、呆れもせず聞いていた。

そして聞き終えたと同時、その透き通る瞳をゆっくりと細めて
ニッと微笑む私に向かって口を開く。





「…それは、お前が死んでもか?」





ワルターが発した一言は、私の機嫌を悪くするには充分だった。

彼の背中に向かい拳を突き出せば
ワルターはガク、と揺れて一瞬だけ息を詰まらせる。

「痛い」とも言わない冷めた反応が癪に障り、もう一発と拳を突き出すと
ワルターは顔を歪め、自らの背中を丁寧に擦った。





「勝手に人を殺すな!」
「…例えばの話だろう」
「例えばでもそれはなし!」
「…」
「まるで私が明日死ぬかもしれない言い方して!」
「…ないのか」
「ないよ!絶対勝つ!」





鼻息荒く、転がりながらもガッツポーズをする私に対し、ワルターはフッと優しく笑う。
殴られたのに笑うんだ、と疑問に思いながらも、やっぱり私はこの笑顔に弱い。

ワルターの笑顔は、私の些細な怒りを吹っ飛ばすぐらい綺麗だった。
優しくて、穏やかで、そして何処か儚いワルターの笑顔は見ているだけで心が和らぐ。

こんな気持ちになるのも仕方がない事だ。
ワルターだけじゃなく、私の周りにいる男共は自覚はないものの皆容姿に恵まれている。
こんなカッコいい男に微笑まれて悪い気分になるヤツがいたら見てみたいくらいだ。





「…まあ、例えばの話なら答えてあげても良いけど!」
「なら頼む」
「お!今日は素直!」
「聞いても損はないからな」





本気なのか照れ隠しなのか分からないワルターの言葉に、私は気分を良くし笑った。
そして先程の質問への答えをどうしようかと考える。

ワルターは私の答えを聞くまでじっと黙っていた。
きっとこれは、私が何時間悩んでいても変わらなかっただろう。





「…うん、死んでも!」
「…」
「ワルターは今まで幸せになれなかった分、これから幸せになるんだよ!」
「……」
「セネル達の傍でなら幸せになれる!私もそうだった!」





「だからずっとセネル達と一緒に、たくさん笑って!」

「敵がいなくなっても、戦いがなくなっても、私がいなくても
 ワルターには“幸せになる”って使命があるんだから!」





「ね?」と念押しする私を見てワルターは目を反らす。
明らかに動揺しているのが分かるが、私はそんなワルターを見れてホッとした。

だって、それがいつも通りのワルターだから。





「…俺には到底無理そうだ」
「無理でもやるの!これは命令なんだから!」
「想像出来るか?俺がアイツ等といて笑っている所を」
「出来るよ!全然おかしくない!!」





自力で動ける力があれば、勢いよく起き上がり拳を握って熱弁していただろう。

一人で起き上がる事も出来ない私は声を荒げ
騒がしいと言わんばかりの蒼い瞳をジッと見つめる事しか出来ない。

それでも私の熱意は充分に伝わったのだろう。
ワルターは参ったと言わんばかりに溜め息を吐くと、その瞳を空へと向けた。





「絶対守ってね!私がいてもいなくてもセネル達と仲良くするんだよ!」
「…ああ」
「…気合入ってないなあ…本当に守ってくれる?」
「…守るさ」





「お前の命令なら、何があっても守ってみせる」





濁る視界、逆光の中にいるワルターが私の手をそっと握る。

暖かい太陽の光、柔らかいぬくもり、優しい視線。
まるで夢の中にいるみたいに、ふわふわと気持ちが良い。

ワルターはこんなにも私に安らぎをくれる。
なのに私は、ワルターに何も出来ない。

なら私がワルターに出来る事は何なんだろう。
そう思ったと同時、納まりきらず溢れた感情が言葉となり飛び出した。





「っ、じゃあ!」
「?」
「じゃあ、私も何か一個約束守るよ!」
「…」
「ワルターが私の言った事を守る代わりに、私もワルターの言う事守る!!」





ワルターはまるで異物を見るかのように目を細めた。





「だって、ワルターだけに守らせるのは不公平だよ!」
「不公平で良いだろう、俺とお前はそう言う関係だ」
「違うよ!どっちが上でどっちが下とかじゃない!」





どうしていつもそうなのか、と悲しくなる。

私がどんだけ頑張っても、ワルターは私の事を仲間だと思っていない。
こんな、一人じゃ何も出来ない人間を守るべき対象だと思っている。

私はそれが嫌だった。
人に守られているのが、守られてばかりいるのが嫌なんだ。





「ワルターは私にとって、今までずっと一緒にいてくれた大切な人だよ!」
「…」
「ワルターだけなんてずるい…」
「…そうか」





無意識に情けない声が出た。
自分が思っていたよりも弱々しい、か細い声だ。

だけどワルターは、私の言葉を決して聞き逃さない。

しばらくの沈黙の後、観念したかのように溜め息を吐くと
私の熱意に負けたのか、ワルターは諦めの色の見せる。





「なら、一つだけ約束してくれないか…?」





力み過ぎて震える私の拳に触れると、ワルターは柔らかく笑う。

一つ頷けば、ワルターはその瞳を地平線の奥へと向けた。
そして、とても穏やかな声でこう言ったのだ。





「絶対に、何があっても、死なないでくれ…」





その言葉に応えたのは波の音と強い風。

小鳥達が何かに怯えるようバタバタと音を立て空へと向かい
強風に耐えきれず千切れた草が夕空へと消えていく。





「私、言われなくてもそれぐらい守れるよ!」





風が治まったと同時、笑いながら私は言う。
ワルターが冗談なんて珍しい、そんな事を思いながら。

アハハと笑う私に対し、ワルターもクッと喉を鳴らしゆっくりと口の端を吊り上げる。

きっとワルターはこう思っているだろう。
“思った通りの言葉だ”って。


ぼやけた視界がより霞む。
靄がかかったみたいに世界が淀んで見えた。


それでも私には分かるんだ。
ワルターはきっと、私の言葉を嬉しいと感じてくれているはずだ、と。

それでも、何だか不思議な気分だった。
心の何処かで何かが引っ掛かり、だけどその何かが分からない。





「そうだな…ならばこれは “ 無 意 味 な 約 束 ” だ」





ぼやけた視界でなければ、その言葉の真意が分かったかもしれない。
…いや、きっと分かろうとしないから分からなかったんだ。

繋がる手と手の暖かさに夢中になっているから
ワルターが遠くを見ている事も、その背中が何を物語っているのかも
海が今にも消え入りそうな音を立て泣いている事にも、気付けなかったんだ。










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修正:14/01/18