今にも壊れそうな少女を見ていられず、「そろそろ戻ろう」と提案したのは俺だった。
丁寧に手を引き、ゆっくりと歩を進めれば
少女は体を力ませ、震えながらも前へと足を踏み出す。
そんな不自由な体に悩んでいるかと思えば
はこれ以上ないと言わんばかりの、幸せそうな笑みを浮かべていた。
「…満足、してくれたか?」
「うん!」と底抜けに明るい返事をする少女に目を細めると
は自らの声量に驚いたのか、肩を竦めて控えめに笑った。
「ワルターは?」
「俺も満足だ」
「良かった!」
はいつもそうだ。
自分だけ楽しければ良いと言う感覚がコイツにはない。
自分が満足しているだけでは、本当の満足ではないのだ。
だから俺にいつも同じ質問をする。
「ワルターは?」、「楽しかった?」、と。
そして俺が頷くと、更に輝いた笑顔を見せるのだ。
こんな日がいつまでも続けば良いのに。
そう、願ってはいけない想いがチクリと心の端を突いた。
疲れが体に蓄積されたせいか、は支えられ歩く事すら儘ならない。
繋がる手から伝わる体温もいつもより低く、震えている。
「っわ…」
何もない所で突然膝から崩れ落ちたを
決して傷付けまいと力強く抱きとめる。
は恐る恐る目を開き、自分の置かれた状況を知るとホッと安堵の息を漏らした。
「辛いならすぐに言え」
「楽しくて気付かなかった!」
「…お前は……」
疲れを感じる事さえ出来なくなっているのだろうか。
溜め息を吐きながらも、胸の中は何とも言い難い感情でいっぱいだった。
「…もう良い」
「へ?」
きょとんと首を傾げる少女を引き寄せるよう引っ張れば
は再び間抜けな声を上げて目を瞑る。
体を持ち上げ、片方の手は背中へ、もう片方の手は膝の裏に当てた。
支える体がいつもより軽く…そして細く感じた。
人間、嫌な事程気付いてしまい、目に見えてしまうものだ。
「抱えて戻るのが一番早い」
何事かとジッと俺を見つめるに言葉を返せば
はそう言う事かと言わんばかりに一つ頷く。
「ありがと!」
「いや…気にするな」
「もっと早く気付けば良かったなあ」
「本当にな」
は冷静に言葉を返す俺の肩を叩く。
いつものように「うるさい!」と大きな声を上げながら。
叩かれた肩は痛みも痺れも、痒みさえも感じない。
それが何だかとても悲しい事に思えた。
「…早く戻るぞ」
「あ、うん」
まだ遊んでいたい、とじゃれてくる猫のような少女に少々冷たい言葉を放ち
忌々しい黒色の翼をはためかせ街を目指す。
本当ならばこのまま強く抱き締め、内に溜めた感情を吐き出してしまいたい。
数々の苦行を耐えてきた体であっても、まるでこの時間が拷問のように感じた。
それでも、俺はいつものようにあるべきなんだ。
が望む“いつも通り”を叶える事が出来るのは、俺だけなのだから。
夕空の肌寒い風が興奮した体を冷やす。
里に行き、テューラと出会い、ワルターとゆったりした時を過ごす。
…本当、良い一日だった。
苛立つ事もあったけど、とにかく笑顔が絶えない日だった。
笑いすぎて疲れた体にもう力が入らない。
きっとこのままベッドに飛び込んだら気持ちが良いんだろうな。
そんな事を思いながらワルターの体にもたれかかると
カサリ、と何処からともなく音が聞こえた。
「…あ」
「どうした…?」
何だろうと首を傾げたと同時、答えは出た。
音の出処は私のポケット。
正体は分かっているが、再度確認と音が聞こえる場所へと手を伸ばす。
「…ワルター、路線変更」
「何…?」
「まだ一日が終わるには早すぎる!」
先程の疲れは何処へやら。
早く早くと衣服を引っ張る私を見てワルターは眉を顰めた。
言葉には出さないものの、そんな体で何を言う、と言わんばかりだ。
「連れてってくれるだけで良いから!」
「…お前…」
「何!?」
「何か企んでるな」
「へ!?」
大袈裟な程体が跳ねて、大量の汗が噴き出る。
引き攣る私の笑顔を見て、ワルターは小さく溜め息を吐いた。
「べ、別に?」
「……」
「ワ、ワルターに迷惑掛けないから!」
「…なら良い」
今ここにいるのがワルターで、本当に良かった。
もしこれがウィルだったら、間違いなくゲンコツが飛んできただろう。
他人に関して無関心な所がワルターの良い所でも悪い所でもあると再確認しながら
素直に感謝の気持ちを声にする。
そんな私の笑顔を見て気分を良くしたのか
ワルターは更に上空へと飛び大地を見下ろした。
「何処へ行く」
「あっちかなあ」
「お前の『あっち』は信用出来ん…場所を言え」
「ちょっと、失礼だよ!」
「なら連れていかん」
「わああ!嘘だよ!ちゃんと言うって!」
「あっち」と言って突き出した指をサッと引っ込め相手の顔色を窺った。
相変わらずの仏頂面は何を考えているのか分からなかったけど
それがまたワルターらしいと安堵する。
上空の空気を体いっぱいに吸い込んで
私は底抜けに明るい声で自らが望む場所を口にした。
「モフモフ族の村で!!」
瞬間、ワルターの顔が酷く歪んだのは言うまでもない。
辺りの景色が変わった所でワルターはゆったりと地面へ降りる。
すぐそこで白波が立つ足場の悪い対岸は、立っているだけで困難だ。
それでもワルターの体を借り、何とか立つ事が出来ているだけマシだろう。
「ありがと!」
「中まで送る。どうせ目的地は村の奥だろう?」
「良いよ!もう迷惑掛けられない!」
「迷惑とかの問題ではない」
ワルターの顔は真剣そのものだった。
まるで責められている気分になり言葉を失くす私を、ワルターはジッと見続ける。
「…命令じゃないから」
ピクリ、と私の体を支える指先が跳ねた。
空気が変わったのが鈍い私でも分かる。
「ッ本当!本当に大丈夫だから!」
「…」
「いざとなったら村の皆に助けてもらうし!」
「…分かった」
グイ、と体を押し出す私の大した事ない力を受けて
ワルターはすんなりと手を離した。
手頃な岩に寄りかかり、体を安定させた所で
立ち尽くしている目の前の男をビッと指差す。
「あのねワルター!」
「何だ」
「私の心配する前に、自分の心配しなきゃ駄目だよ!」
「…どう言う事だ」
「いつも自分の事後回しにするクセ止めろって事!」
無自覚なワルターは何を言われているのか分かっていないようだった。
この際強く言っておこうと指まで差したのに。
「今はゆっくり休んで良いから!」
「…」
「その代わり、明日は私のお願い聞いて」
ワルターが驚き目を見開いたのが、ぼやけた視界でも良く分かる。
だけどそれが一体どう言う意味での反応なのかは分からなかった。
「…承知した」
目を丸くする私を置いて、ワルターはマントを翻し帰路につく。
「だから、命令じゃないってば!」
本当、私の言葉を一部無視する所はいかなる状況でも変わらない。
慌てて声を上げる私に対し、ワルターの返事はなかった。
命令するしないはお互い譲れない部分なんだろう、と半ば諦め溜め息を吐く。
「…」
気持ちを入れ替え、いざ村の中へ歩き出そうとするものの、
体は思った以上に固くぎこちない。
一瞬でも気を抜いたら、そのままズルリと崩れてしまいそうだ。
それでもここまで来たんだから、と伸びる自らの影を見つめながら
一歩一歩、不格好ながらも足を動かした。
「ッ、着いた…!!」
ただの一本道でも辛いのに、入り組んだ村の中を歩くのはもっともっと辛かった。
ぼやけた視界に額から伝った汗が入り込み
ガラガラの喉からは風のような音しか出てこない。
それでも意地を通し目の前の扉を乱暴に一度だけ叩き
建物の壁に傾く体を預け、反応があるのを待った。
「はーい、今出るキュ!」
然程時間も掛からず、家の中から声が聞こえる。
明るくて温かい、疲れ等吹き飛ばしそうな弾けた声。
ガチャリ、と音を立て開いた扉には
体をめいっぱい伸ばしてドアノブを押す一匹のラッコ。
大きな帽子が特徴的な次男坊は
壁に寄りかかる私を見るとパアッと瞳を輝かせた。
「キュ!さん!」
「こんばんは!」
「どうしたキュ?…凄い汗だキュ!」
「最近運動してなくて、疲れちゃった」
はは、と乾いた笑いを零しながらも指摘された汗を拭う。
触れなくても分かっていたけど、体が熱い…今すぐ服を脱ぎたい気分だ。
「疲れたなら休んでいくと良いキュ!さんならいつでも大歓迎だキュ!」
「ありがと!」
扉を全開にし、ピッポは私を招き入れる。
ズルズルと足を引き摺り、暖かな光が溢れる建物へと崩れ込むよう体を投げ込んだ。
大の字になり柔らかなカーペットに身を沈める私を見て、
何事かと集まる三兄弟に今出来る精一杯の笑顔を向けた。
最も、彼等の愛らしい姿を見ていると自然と笑ってしまうのが本当の所だ。
「っはあ!疲れた!」
「だキュー!」
「さん、こんばんはだキュ!」
「こんばんはー」
両手を上げ、小さな体で喜びを表現するキュッポとポッポ。
私を出迎えてくれたピッポはトタトタと音を立て何処かへ消えたかと思えば
再びこちらに駆け寄り私の汚い体を一生懸命に拭いてくれた。
自力で起き上がる事も儘ならない私の目の前に冷たい水が差し出される。
汗を掻いたコップに触れれば火照った体が「気持ち良い」と言った。
三兄弟の手厚い歓迎に感謝しながらも、ここへ来た目的を果たすべく顔を上げる。
「ね!ジェイは?」
「ジェイは二階にいるキュ!」
「…何してるの?」
「調べ物らしいキュ!」
「調べ物…?こんな時までジェイらしいね」
別に呆れた訳じゃなく、本当にジェイらしくて私は笑った。
きっと明日の戦いもジェイにとっては動揺する程の事ではないのだろう。
いつも私達が戸惑っている間にスタスタと先を行くジェイの姿を見ていれば嫌でも分かる。
ジェイは誰よりも覚悟している。
だからこそ冷静に対処出来、狼狽える私達を引っ張れるんだ。
「さん、どうかしたキュ?」
「…ううん」
語りかけるキュッポ達に小さく首を振り、もう一度顔を上げた。
今の私には、二階に上がる為の階段さえ地獄のような坂道に見えた。
あの一段一段、どれだけの時間を掛ければ登れるんだろう。
でも、登らなきゃいけないと思った。
ポケットの中に入れっぱなしにした甘いお菓子を届ける訳でも
それを見たジェイの歪んだ表情をからかう為でもない。
私が会いたいと思ったんだ。
「私、二階に行くね」
そう言って大きく手を伸ばし、体を這わせながら階段へと近付いた。
手すりに掴まり、一段一段腰を浮かせ、座り、また浮かせをひたすら繰り返す。
これが体に負担をかけない一番の方法だと、ない頭で必死に考えた結果だ。
「さん、どうして立たないキュ?」
「へ!?」
「それじゃあ逆に登り辛いキュ」
「そ、そんな事ないよ!快適快適!」
「キュ…?」
「えーっと…き、気分だよ!」
本当の事を説明したら、それこそキュッポ達は大騒ぎするに違いない。
その大きな瞳からボロボロ涙を零し、私に絶対安静だとしがみ付くかも。
ジェイに会いたい、そう言った理由もあったけど
これ以上皆に心配はかけたくないと笑顔で誤魔化す。
三兄弟は納得したようなしていないような複雑な表情を浮かべた後
互いに顔を見合わせ「分かったキュ!」と満面の笑みをこちらに向けた。
それがまた私の良心を痛めた事は、言うまでもない。
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修正:14/01/18