「着いた…」
最後の一段に腰掛けた時には、引いていたはずの汗が再び噴き出していた。
手すりを握る手にはもうほとんど力が入らない。
勿論、これまで機能していないにも関わらず酷使し続けた足もだ。
荒い呼吸を整えようと大きく息を吸うと、少し埃っぽい空気が肺に届く。
何だろう、と思いながらも耳を澄ますとパラリ、パラリと紙が擦れる音がした。
…ああ、そう言えば調べ物をしていたんだっけ。
そう思いながらも私は地面を這いながら二階への侵入に成功する。
薄暗い部屋の中、机に向かい一心に何かを黙読するジェイの姿を捉えた。
「ジェイー!」
「何ですか」
「、…?」
その背中に向けて名前を呼べば、返事はすぐに返ってきた。
それだけの事、たったそれだけの事なのに私は酷い違和感を覚える。
人の気配を敏感に感じ取れるジェイを驚かしてやろうなんて気は毛頭なかった。
どうせこの家に転がり込んだ時から気付かれているだろうから。
なら何に違和感を感じたのか。
それはきっと、私とジェイの今までの仲が関係している。
私がジェイの名前を呼んだのはたった一回。
その“一回しか呼んでいないのに反応があった”事がおかしいんだ。
「……ジェイ?」
もう一度、届くか届かないかの声量で少年の名を口にする。
「…はい?」
返事と共にパタン、と本を閉じる音がする。
…何だろう。
何だかとても素直だ。
「…本当にジェイ?」
「…嫌だな、何言ってるんですか」
「だって、いっつも私の事無視し―――…」
「そっちこそ」
「本当に、本物のさんなんですか?」
その言葉は、自分が思っていた以上に深く、胸へと突き刺さった。
「…そうだよ」
「へえ」
また紙の擦れる音がする。
どうやらジェイは私よりも、目の前にある本に夢中のようだ。
…そんなのいつもの事。
私が物より二の次になる事なんてしょっちゅうだ。
…でも、それ今やる?
「ッあの、ジェイ話が…!」
何だかとても不安になり、手を伸ばした。
「わっ…!」
指に当たった何かが、バサバサと音を立て崩れる。
慌てふためく私に対し、ジェイは身動きもせず沈黙を貫いた。
私が崩したのは本の塔。
辺りを良く見ればジェイの部屋は本ばかり。
調べ物をしているとピッポが言っていたから、この状況は何となく予想していたけど
綺麗好きなジェイがこんなにも本を乱雑に並べるだろうか、とまた違和感を覚えた。
「ジェイ、何調べて―――…」
落ちている本の内の一冊を適当に手繰り寄せ、何の気なしにページを捲る。
瞬間、喉がキュッと閉まり溢れかけた言葉がピタリと止まった。
古代遺跡の資料や遺跡船の歴史と言った類の物かと思っていた私の目に飛び込んだのは
この世界の読めない文字ではなく、ページの半分を占めていたとある挿絵だ。
そこに描かれていたのは、人の心臓が何か別の物と天秤にかけられている絵。
更にページを捲れば、気味の悪い生物が人の肉や魂を喰らっている絵。
ページを捲れば捲る程、不思議で堪らなかった。
現実主義者であるジェイが、何故こんな本を読んでいるのか。
「死者を蘇らせる方法が、知りたいんですよ」
「、え?」
「だから、調べていたんです」
冷たく素っ気ない態度は早く私に出て行けと言っているようだった。
「ど、どうして」
「…だって、必要でしょう?」
「ッいらないよ!!」
痺れる手で空を斬る。
嫌な物を振り払うように。
まるで何かに取り憑かれたように「必要」「必要」と呟き続けるジェイを
私はただ否定する事しか出来なかった。
この部屋が薄暗いのは電気が点いていないからじゃない。
黒い霧が充満しているからだ。
黒い、霧…。
「…ジェイ、いらないよ」
私はなんて馬鹿だったんだろう。
明日の戦いを前に、冷静を装える人なんて誰一人いないのに。
今まで散々嫌なものを押し付けてきたくせに
今目の前で恐怖に震えるジェイを受け止めようともしない。
…そんなの、最低だ。
この霧が意味する所が分かったのなら、やる事はただ一つ。
「…いらない」
今度は私が助けなきゃ。
いつも…ジェイが私にしてくれたように。
「明日の戦いが、怖いの?」
そんなの怖いに決まっている。
私がそれに気付かなかっただけ。
夢と現がごちゃごちゃになって、有りもしない術に助けを求め
それが滑稽だと気付かず辺りに迷惑を掛けていた私に
嘘偽りない真実を教えてくれたのはジェイだ。
なら、今度は私が。
「ダメだって、本当は分かってるんだよね?」
「…」
「だって、ジェイが一番命の重さを知ってるんだから」
「……」
「私がそうやって甘えた事を言った時、怒ってくれたのもジェイだった」
「ジェイは私に、命を粗末にするなって言ったよね」
「死にたいって言った時、駄目だって言ってくれたよね」
「…命の尊さを知ってるジェイの言葉だからこそ、私は納得したんだよ」
ピクリ、と少年の指先が微かに動く。
「人を蘇らす事が出来るなら、ジェイはもっと早くしてるよ」
「…」
「自分が傷付けた人、皆助けようとしてる」
「……」
「だって、ジェイは優しいから」
変えようのない事実に後悔し、何度懺悔をしたかは知らないけれど
ジェイがどれ程苦しい想いをしたのかは分かっているつもりだ。
「大丈夫!そんなのもういらないよ!」
「…」
「明日の戦いが終わったら、もう戦争も起きない!苦しむ人もきっと減る!」
「、…」
「だからそんな、人を蘇らせる方法なんて探す必要ないよ!」
ズルズルと音を立て這いずり、大量にある本の山を崩しながら
私は嗚咽を堪えるジェイの元に近寄った。
「ジェイ、もう止めよう」
「……止めろ…」
「そんなものあったって、何も変わらない」
「…い」
「ジェイの居場所は、ここなんだから!」
「…さい」
「ッ五月蠅い!!」
ガタン、と大きな音を立て、椅子は重力に逆らう事なくそのまま落ちた。
突然の大声に体を跳ねらせた私は、何事かと立ち上がる少年を見つめる。
荒い呼吸を吐きながら拳を強く握り、乱れた髪も額に浮かぶ汗も気にせず
ジェイはその体から怒気を放っていた。
「、ジェイ…?」
「……て下さい」
「は…?」
「もう、出てって下さい」
ジェイは私の腕を乱暴に引っ張ると、無理矢理立たせる。
グニャリと曲がった足に悲痛の声を出す暇もない。
私は狂った人形みたいに変な動きをしながら、抵抗も出来ず部屋の入口へと戻された。
「いたっ…止めてよ!」
「お断りです」
「私、ジェイが納得するまで帰らない!」
「五月蠅い!黙れよ!!」
「いっ…やだよ!嫌だッ!!」
「、もううんざりなんだよ!そう言うお節介は!!」
自我を忘れたジェイは犬のように吠え、私を引き摺るその腕で空を斬る。
投げ飛ばされた体は階段の手すりに当たり、左半身を激痛が襲った。
元々ぼやけていた視界が涙で余計に霞む。
痛みに声を上げる私を見ても、ジェイは態度を変えなかった。
この部屋から追い出そうと、何段もある階段へと私を押し出す。
まるで気に入らない玩具を壊そうとする、子供みたいに。
「貴女が、さんがッ……お前が!!」
「僕の大切なモノを、全部奪い去っていくのに!!」
ドン、と押し出された体より
ジェイが私へと放った言葉の方がよっぽど痛かった。
フワリ、と無重力空間に浮かび風を感じたと共に
支えを失くした体がゆっくりと後ろへ傾いていく。
徐々に離れて行く私が元いた場所には両手を突き出すジェイの姿。
ああ、本当に突き落とすなんて驚いた。
きっとこのまま落ちたら痛いんだろうな。
そんな事を思いながらも、何だかちっとも怖くない。
とうとう体だけでなく、心まで麻痺してしまったのだろうか。
私はただただ、小さくなっていくジェイの姿にゆっくりと笑みを浮かべた。
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修正:14/01/18