突き出した手がビリビリと痺れ、体温がスウッと奪われていく。
ハッとした時にはもう既に遠くにある彼女の微笑みを見て
心臓がドクンと大きく脈打った。
「ッ…!」
声にならない声を上げた時には、何段もある階段の下に彼女の体が叩きつけられた後。
体と地面が何度もぶつかる音がして
木片が散らばる場所には赤い斑点がポツポツと広がっていた。
シン、とした空気が広まる中、吸い込んだ微かな空気が体に沁み入る。
その時、僕はやっと自分がした事の重大さに気付いたんだ。
「ッさん!!」
落ちた少女の名前を呼びながら、階段を駆け下りる。
忙しない自らの足音を煩わしく感じるも、止める事は出来なかった。
何て事をしてしまったんだ。
何て事を言ってしまったんだ。
後悔の念ばかりが渦巻く最中でもさんはピクリとも動かない。
その事実に僕は焦燥する事しか出来なかった。
「大丈夫!そんなのもういらないよ!」
「明日の戦いが終わったら、もう戦争も起きない!苦しむ人もきっと減る!」
腹が立ったんだ。
何も知らない癖に、偉そうな事を言って。
それが彼女の優しさだと気付いていたにも関わらず。
「ジェイの居場所は、ここなんだから!」
悲しくなったんだ。
僕の居場所がここだと、さんにだけは言われたくなかった。
「僕の大切なモノを、全部奪い去っていくのに!!」
どうして僕はいつもこうなんだろう。
素直に言えば良かったんだ、「僕の居場所は貴女なんだ」と。
きっとさんは驚きながらも「そうなんだ」と言って笑うだろう。
こんな情けない僕でも、大した力のない腕でしっかりと支えてくれただろう。
それが嫌なんだ。
彼女が僕を受け入れてくれたとしても、僕は彼女を受け入れられない。
彼女が死ぬと言う事実を受け入れる事も出来ず
僕はただ自らの苦痛に振り回され、彼女を身勝手に突き落としたんだ。
「さん!さん、大丈夫ですか!?」
「っ痛…!」
「何処がです!?」
「ぜ、全体的に…!」
「ッ…」
顔を歪め、必死に息をするさんを見て僕は言葉を詰まらせる。
生きていて良かった、そう安堵する暇もない程
今の彼女は見るに耐えない姿だった。
「、今薬草を…!?」
痛々しい姿から目を反らし、薬棚へと走り出す。
今家にある湿布や包帯、薬草で事足りるかと言われれば自信はない。
本当なら今すぐにでも痛がる彼女を何かに固定し病院へ連れて行くべきだ。
せめて止血だけでも、と頭の中であれこれ巡らせる僕の腕を
とても弱々しい力がキュ、と止めた。
驚き一歩前に出た足がピタリと止まる。
何事かと振り返れば、僕の行動を阻止したのは「痛い」と訴えたさん自身だった。
先程まで動かすのもやっとだった手で、さんは僕の服を皺が寄る程強く掴む。
爪が白く、ギリギリと音が鳴りそうな程震える手に僕は不安を煽られた。
「…、と…!」
「ッ、何ですか!?」
「…や、っと…!!」
途切れ途切れの声で、さんは僕に何かを訴える。
小さい声を決して聞き逃すまいと、その震える唇に耳を寄せた。
生暖かい吐息と痛みに苦しむ嗚咽が混じり、喋る事さえ精一杯だ。
それでもさんは決して僕の腕を離そうとしない。
そして、そんな辛い状況の中で彼女はへらりと笑ったんだ。
「今、やっと、顔…見れた…!」
予想外の言葉に呼吸する事さえ忘れそうだった。
ハアッ、と彼女は息を吐く。
恐らく、いつものように声を出し笑おうとしたのだろう。
「ジェイ、顔…見せてくれなか、ったから…!」
「…」
「見れて、安心した…!」
「……」
「…お、落とされたかいあったかなあ!」
痛みに慣れてきたさんは、徐々にだがいつものペースで言葉を放つ。
それでも痛みが引いていない事に変わりはない。
僕を止めた手がグ、と強くなるのは、きっと節々の痛みに耐えているからだろう。
いや…もうそんな事はどうでも良いんだ。
「ッ…何馬鹿な事言ってるんですか!?」
「…?」
「少しは…少しは、怒って下さいよ!!」
ああ、何で僕は怒っているんだろう。
理由も分からないのに、声の震えが止まらなかった。
彼女が無事である事が嬉しいはずなのに、出てくる言葉は反対のものばかり。
僕の怒声に怯えてか、キュッポ達は隣の部屋から顔を覗かせこちらの様子を窺っている。
そんな僕を目の前にしても、怒声を浴びせられている本人は息を吐きながら笑った。
「なん、で?」
「私がジェイの事怒らせたのに、私が怒るなんて、おかしいじゃん」
まだ半身を起こす事すら出来ないのに、彼女はへらへら肩を竦めて笑った。
本当は痛いくせに。
本当はそんな余裕ないくせに。
「ジェイ、ちゃんと顔あげて」
「ちゃんと、前見て、歩かないと」
「ずっと下見て、本ばっか読んでても、未来は見えないよ」
僕の頬へ伸びた手は、寸前で力尽きカクンと落ちる。
床についたいた手に彼女の指先が触れ、
さんはその感触を手掛かりに僕の掌に指を這わせた。
スス…と僕の手の甲を何度か撫でると、力なく握り締め
視点が合わない瞳で、必死に僕の顔を見つめ笑った。
「ジェイは、何の心配もしなくて良い」
「私が…ぜった、いに」
「絶対に、誰も死なせたりなんか、しないから」
とても力強い微笑みだった。
恐怖や不安、孤独すらも吹き飛ばす彼女の笑顔を見て
噛み締めていた唇が無意識の内に緩む。
「…やっぱり、何も分かってないじゃないか…」
やっと返せた僕の言葉に、さんは「ん?」と言い首を傾げる仕草をする。
“誰も死なせたりしない”
そう宣言した貴女が、誰よりも早く死ぬんですよ。
口には出さないけども、認めたくなかった事実がすんなりと心の中に溶け込んだ。
不思議だ。
さっきまであんなに苛立っていたのに、何だか今はとても清々しい。
「…少し、待ってて下さい」
繋がる手をなるべく丁寧に払い
本来ならばもっと早く行くべきだった薬棚まで足を進めた。
必要な物全てを取り出し、早々と彼女の元まで戻る。
微動だにしない体をそっと支え、ゆっくりと半身を起こした。
「ッ…」
小さく漏れた彼女の息が嫌でも聞こえる。
早急な処置をする為にも、少し強引だが彼女にはこのまま痛みを我慢してもらい
僕はゆっくりとさんの衣服のファスナーを下ろした。
「…腫れてますね」
「せ、背中なんか誰も見ないよ!」
「だからって放っておいて良い物ではないでしょう」
「…そう、かな?」
「ええ、そうですよ」
馬鹿でも分かるような事に不思議、と首を傾げるさんを無視し
腫れた箇所にやや冷えた薬をうっすらと塗った。
ほんの少し触れただけでも、さんはビクリと体を跳ねらす。
気付きピタリと手を止めると、さんは唇をキュ、と閉じ
目を細める僕に対し笑顔を見せた。
「…痛いなら痛いって言ってください」
「痛くないよ!」
「…」
どうしてこうも無駄な我慢をするのか、と息を吐き
先程よりも優しく、なるべく丁寧に薬を塗れば彼女の嗚咽も小さくなる。
スムーズに話せるようになった所を見るとある程度痛みも引いたのだろう。
打ち所が良かったのが不幸中の幸いだ。
「ジェイーもっと優しくー」
「…わざとらしい」
「えっちー!」
「……」
「いた!ちょ、痛いよ!沁みる!!」
「良く効く薬なんですから、文句言わないで下さい」
足や顔、赤くなっている箇所全てに薬を塗り
落ちている途中で切ったであろう腕には包帯を巻いた。
さんは時々言葉を発するも、大人しく処置を受けている。
何故かは分からないが、微笑みを絶やす事なく。
「…貴女が何と言おうと、僕には未来が見えません」
黙々と治療に専念していたはずが、自然と声を出していた。
安心しきっていた彼女の笑顔がスウッと消え、悲しそうな瞳で僕を見る。
僕はそんな視線に気付きながらも、正面から受け止める事が出来なかった。
「この戦いが終わった後の事なんて、考えたくもない」
「世界が平和になったところで、僕は何も変わらない」
「限られた人にだけ心を許し、仕事を淡々とこなし、
生きている価値すら見出せずに生涯を終えるんだ」
彼女が息を吸い、吐く音がする。
それだけでも彼女が言いたい事は良く分かった。
僕に「どうして」と問いたいのだろう。
「…でも、そんな事さんには関係ない」
気が付けば包帯を巻く手の動きが止まっていて
呆然とする彼女の瞳を見つめていた。
「貴女が何を言おうと、僕には輝かしい未来は見えないし
そんなもの…あったとしても嬉しいとは思わない」
「それは今も、この先も変わる事はないでしょう」
嫌でも分かる。
さんがいなくなった世界にいる僕が腐っていく姿が。
感情と言うものがなくなり、ものを考える事さえ億劫になり
きっと食にさえ執着せずに干乾びていくんだ。
「…でも、貴女は僕に生きる希望よりも大事な物をくれた」
酷く簡単な事だった。
未来を見るんじゃない。
今を見れば良いだけなんだ。
「…ありがとう、さん」
きょとんとする彼女を、僕は真っ直ぐと見つめた。
その黒い瞳に映る僕の表情は、僕自身が言うのもおかしいが
とても良い顔をしている…そんな気がした。
「…僕に、未来をくれなくても―――…」
「…―――戦う為の理由をくれたのは、貴女だ」
“生きる意味”を失くしても“戦う理由”があればまだ動いていられる。
たったそれだけの、至極単純な事だった。
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修正:14/01/18