「…わ、私何かしたっけ?」





ジェイが発した言葉の意味を考える事数秒。
答えは何一つ浮かんでこなかった。

降参、と声を上げる私に対し、ジェイはハア、と思いっきり溜め息を吐く。

人を小馬鹿にする態度にムッとしながらも
いつも通りのジェイだと安堵した。





「分かっていないなら別に良いですよ」
「ええ…気になる!」
「…きっと、正確には何もしてないんですよ」





「ただ、僕が貴女の熱意に押されただけです」





「本当、馬鹿馬鹿しい」と再び溜め息を吐くジェイに
私は首を傾げるだけで精一杯。

ジェイの言う事はいつも私にとって難しい事ばかりだ。





「…でも、もう大丈夫なんだ!」
「さあ?どうでしょう」
「え…だって、そんな」
「良いんですよ、貴女はそんな事気にしなくても」





フィルムから剥がした湿布を、ジェイは半ば乱暴に私の脛へと貼る。

ひんやりとした感触に体を跳ねらせると
ジェイは早く馴染むようにと湿布の上から私の脛を撫でた。





「今は戦いの事だけ考えていれば良いんです」
「…でも、それじゃ楽しくないよ」
「…どうして楽しくしなきゃいけないんですか」
「だって、ヤル気出ないじゃん」
「それはさんだけでしょう…僕は違いますから」





どんなに小さな傷でも、ジェイは絶対に見逃さなかった。
私が大丈夫、と言っても無言で薬を塗ったり絆創膏を貼ったり。

そんな中の会話だ、何となく流されているのかなと思いきや
ジェイは意外にもはきはきと返事をしてくれる。





「大体貴女、後の事なんて考えている余裕ないじゃないですか」
「へ?」
「どうせ、シュヴァルツを止める…とか、思っているんでしょう?」
「凄い…良く分かるね!」
「分かるに決まってるじゃないですか、付き合い長いんですから…」





当たり前のように私を理解してくれる事が嬉しくて
へらへらと笑いジェイの頭を撫でれば
相手は心底嫌そうな顔をしながら舌打ちをする。





「嬉しいなー!」
「呑気にへらへら笑ってる場合じゃないでしょう」





私の手を払い、ジェイは遠慮もせず湿布の貼られた私の足を叩く。

「いぃ!?」と言葉にならない悲鳴を上げる私を見て
それで良いんだ、と言わんばかりに頷いた。





さんは緊張感が足らなさすぎです、相手は神ですよ?」
「でも、お母さんだよ」
「……だからって…」
「きっと、自分の子供の話なら聞いてくれる」





口にして分かった。

私はもう、シュヴァルツを敵や神として見ていない。
私にとってシュヴァルツは“一人の母親”なんだ。

…そして、とても悲しい人だ。
だからだろう、私が明日の戦いに恐怖を感じないのは。





「…もう、勝手にして下さい」
「勝手にしますー!ジェイも一緒だからね!」
「分かってますよ」





普段私に指図されるのを嫌がるジェイにしてはとても素直な反応だ。

不思議、と首を傾げる私からフッと目を反らすと
ジェイはゆっくりと立ち上がり使い終わった薬を元の場所へと戻す。

治療が終わったんだ、と理解した私は
包帯が巻かれた腕を動かし、ありとあらゆる所に触れてみた。

先程まであんなに痛かったのに、今じゃヒリヒリする程度。
話している内に痛みが何処かへ飛んでいってしまったようだ。

トタトタと心配そうに近寄ってくるキュッポ達の存在に気付き、笑顔を見せれば
三匹とも安堵の息を漏らし、ぎゅーっと私の胸の中に顔を埋めた。





「ジェイ!」
「はい?」
「手当てしてくれて、ありがと!」
「…あのですね、怪我させたのは僕ですよ?」
「でも手当てしてくれたのもジェイだよ!」





ニッと歯を見せ笑えば、ジェイは呆れたように溜め息を吐き
「もう良いです」とだけ言う。





「街まで送ります」
「へ?」
「怪我人に無理はさせられないので」
「ほんと?やったー!」





送ってくれる事に対してではなく、ジェイが優しい事を嬉々として喜ぶ私を見て
ジェイも観念したのか、フッと吐息を漏らしながら微笑んだ。





「仮にも女性なんですから、もう少し淑やかに喜んで下さいよ」





「そんな事今更言われても」、とジェイの細やかな願いを無下にするのもいつもの流れ。

ジェイもそれを良く分かっているのだろう、
深く突っ込む事もせず壁にもたれる私へと手を伸ばした。















キラキラと輝く星が散らばる紺の空。
私達はその下を歩きながら、色んな事を話した。

そう言えばあの本の山はどこから持ってきたのか、とか
本を読んでいた間ご飯はどうしていたのか、とか
実は破壊の少女は凄い良い子だったんだよ、とか。

ジェイは律儀に私の質問に答えてくれるし
逆に興味のある話題であれば疑問を口にし私に答えを求める。

破壊の少女の話を聞いている時のジェイは本を読んでいた時よりもずっと
未知なる世界に瞳を輝かせているように見えた。





「ジェイ、破壊の少女の事好き?」





そんなジェイを見ていたら、つい本意を聞きたくなってしまった。

突然抽象的になった私の質問に対し、ジェイは一瞬目を丸くしたものの
歩くスピードを変える事なく、すぐに答えを口にした。





「いえ、別に…どうしてですか?」
「だって、興味があるみたいだから」
「文献には載っていない且つ嘘ではない情報なら、聞いておかないと損じゃないですか」
「…なるほど」





こんな時まで…と声には出さず小さく溜め息を吐けば
ジェイは冷たく「何か?」と言う。

慌てて首を振り「何でもないです」とアピールすれば
ジェイは私と同じよう溜め息を吐いて再び前を向いた。





「…まあ、好きではないですが」
「?」
「嫌いでも、ないと思いますよ」





ズ…、ズ…、と足を引き摺る音に紛れ聞こえた声に目を丸くする。
そしてジェイの真意に気付いた時、自然と笑みが零れた。

綺麗な星空の中、気持ちの良い風を受け温かい言葉に心が跳ねる。

凄く幸せ。
こんな時間がいつまでも続けば良い、と何度目かも分からない事を思う。

出来る事なら、ジェイも同じ気持ちでいて欲しいと思いながら。










「ここで良いよ」





ウェルテスの門に寄りかかり、ジェイの腕を離す。

立っている事さえ儘ならない私を見て、ジェイは目を細めた。
ああ、あの目は私の言葉に納得していない時の目だ。





「良いんですか?どうせウィルさんの家に行くんでしょう?」
「良いの!掴まる所さえあれば一人でも歩けるし!」
「…まあ、それなら良いですけど」
「ありがと!」
「明日の戦いに支障が出ても知りませんからね」
「大丈夫大丈夫!」





心配してくれるジェイに笑顔を向けながらも、私はいざ、と歩を進める。
いや、正確には進めようとした、だ。





「あ、そうだ」
「?」





思い出した、とポケットに手を突っ込む私を、ジェイは怪訝な表情で見つめている。

あったあった、と独り言のように呟き手を引き抜けば
パラパラと砂のようなものが零れ私達二人の靴にかかった。





「…汚いですね」
「なっ…酷いなあ!ジェイの為に持ってきたんだよ!!」
「砂なんかもらっても嬉しくないんですよ」
「砂じゃないよ!ま、まだ形も残ってるはず…!」





ポケットの中を更に更にと深く探る。

指先に当たったものを摘み、勢いよく引き抜いて
冷ややかな視線を送るジェイの目の前へ突き出した。





「これ!あげる!」





ニッコリ笑う私に対し、ジェイは眉を顰め顔を歪める。





「今日ね、ノーマ達と美味しいクッキー食べたんだ!」
「…へえ」
「それでね、それがすっごく甘くて美味しくて!」
「…」
「ジェイ、甘い物苦手だよね?嫌がらせで一枚持ってきたんだけど、すっかり忘れてた!」
「……」
「だからはい!今あげる!」





元の四分の一程度の大きさになってしまったが
小さくなったからと言って味が落ちる訳ではないだろう。

実際、夜の風に乗って届くバターの香りは、私が食べた時と何の変わりもない。

つい涎が出そうになりグ、と堪える。
ジェイはそんな私に哀れみの目を向けていた。





「いや、良いです…そんなのいりません」
「な、何で!甘いけど美味しいよ!?」
「貴女、自分で“嫌がらせ”って言ってるじゃないですか」
「でもジェイの為に持ってきたんだよ!」
「何にでも“為に”ってつければ良いってもんじゃないですよ」





やれやれと肩を竦めるジェイの正論に対し、何も言い返す事が出来ず言葉を詰まらせる。





「…それに、」





ぼやけた視界の中、スッと手が伸びてきて
咄嗟に殴られると思い目を瞑る。

予想に反し、ジェイは私の手中にあるものをひょい、と摘んだ。

欠片程度の質量でも自分の手を離れればすぐ分かる。
自分に害がある訳ではないと安堵したと同時、目を開いた。





「ジェ―――…」





文句を言いながらもクッキーを受け取ると言う、あべこべな行動をするジェイ。
どうしたんだろう、と口を開けば何かに妨害された。

ビックリした拍子に体が傾き、咄嗟にジェイの腕へと掴まる。
思った以上に近いジェイとの距離に戸惑うと同時、口いっぱいにバターの香りが広がった。





「そんな食べたそうな目で見られたら、受け取ろうにも受け取れませんよ」





柔らかく微笑むジェイに私は目を丸くしながらも
欲に逆らう事なく、もぐもぐと口を動かしていた。

そんな私を見てジェイはクスクスと静かに笑う。

何か言い返さなきゃ、と思い急いで口の中の物を飲み込み
私は夜の街に響き渡る程の大声を上げた。





「ジェイにあげるものだよ!もらえない!」
「食べちゃったじゃないですか」
「は?…うわ、本当だ!」
「貴女、ほんっとうに馬鹿ですね」
「んなっ…ジェイのせいなのに!!」





「ジェイが涙ぐむ顔が見たかった!」と怒声を上げれば
ジェイは「食べ物で遊ばないでください」と静かに答える。

余りの温度差に私の気持ちも急激に冷めていく。
きっと、元々あのクッキーは私に食べられる為に生まれきたのだと思う程。





「もう良い!馬鹿で良いよ!」
「はいはい」
「わ、ち、ちょっと!押さないで!」
「これ以上貴女に付き合うと時間の無駄になります」
「また酷い事言う!」





すぐ傍に掴める柱があるからだろうか、ジェイは容赦をしない。
グイグイと私の背中を押し、へばり付く私を見て笑っているようにすら見えた。

「サドめ」、と心の中で呟き、振り返ると同時にキッと睨む。

そんな精一杯の抵抗も無意味に終わる。
ジェイは既に私へと背を向け、街の外へと一歩踏み出したところだ。





「…それでは」





ジェイはこちらに顔を向けようともしなければ、手を振ろうともしない。
いつも通りポケットに手を突っ込んだまま、鈴の音を軽やかに鳴らし去って行く。





「あ…ま、また明日ね!」





怒りも忘れ、慌てて別れの挨拶を口にすれば
ジェイは背を向けたままピタリと止まる。

何となく、空気が変わった。

気のせいかな、と小首を傾げれば
ザアァ、と強く吹いた風がジェイと私の髪を大きく揺らす。





「明日があると、良いですね」





今、なんて?

風の音に紛れ聞こえたジェイの声はハッキリと耳に届いている。
ただどうしても、言葉の意味が分からなかったのだ。

聞き返そうと口を開いたところで、既にジェイの姿は遠くの方。
夜の闇に消え、私の今の瞳では追う事さえ出来なかった。





「…訳分かんない……」





酷く錯乱し、落ち着きを取り戻したかと思えば再び訳の分からない事を言う。
人を突き離し、優しくしてくれたかと思えば馬鹿にして、素っ気ない態度を取る。

ジェイは本当に気分屋だ。

もう振り回されるのも慣れた、等と言えば顰蹙を買いそうだ。
らしくもなく溜め息を吐けば冷たい風に体が震える。





「…帰ろう」





独り言を呟き、私は掴まれる場所を探しながら街の中へと進んだ。

早く暖かい布団で眠りたい。
そんな月並みだがこれ以上にない幸せを思い浮かべながら。










夜の空に溶け込む私の髪が、風に吹かれユラユラ靡く。

何歩か動いただけで体が燃えるように暑かった。
暑い、と先程とは相反する事を口にして壁に寄りかかり一息吐く。

どうにかならないものかと視線をやや右に反らせば
暗闇の中でも一際目立つ、水色の髪が飛び込んできた。

宿屋の庭に置かれたガーデンチェアに座る女性の髪は
街灯に反射し、キラキラ輝きながら揺れている。

たったそれだけの事なのに、とても神秘的に見えたのは
彼女から溢れる独特な空気のせいだろう。

ほう、とする私に気付いた女性はほんの少し体を反らしこちらを見つめる。
そして私の姿をしっかりと見つめたと同時、ふんわりと表情を崩した。





「お帰りなさい…」





風に乗り届いた言葉に、心が温かくなる。
疲れ切った体の熱とは違う、とても心地の良い温度だ。

声を聞いただけで疲れが吹き飛び
例えではあるが体の不自由さえもなくなりそうな程だった。

何だかとても不思議な気分。

私は、会えるかも分からなかった目の前の女性から
「お帰り」、と言ってもらえるのを何処か当たり前の事のように感じていた。





「…ただいま」





不自由な体を必死に動かし、私は笑みを浮かべながら彼女に近付く。

彼女は近付く私を制止しようともせず
ガーデンチェアに一人分の空きを作り、ただただ静かに待っていた。

まるで彼女も、私がここに来るのを当たり前だと感じているように。










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修正:14/01/18