グリューネさんと静かな挨拶を交わし、一人街中に佇み満月を見上げた。





「…また、明日!」
「ええ、おやすみなさい…」
「おやすみ!」





たった一言二言で終ってしまった別れが何となくだが心残りだった。

もっと言いたい事があった。
もっと伝えたい気持ちがあった。

でも、グリューネさんは言わずとも理解してくれている…そんな気がした。





「…言いたい事は、明日言おう」





鉛のように重たい足を引き摺って帰路を辿る。

街の中に明かりが灯り、店に閉店の看板が掛けられた頃。
お喋りに夢中だった住民も私と同じよう、自らが安心出来る場所へと足を動かしていた。


ああ、もうすぐ今日が終わってしまうんだ。


悲壮感漂う私の姿を見て何を勘違いしているのか、住民達はおずおずと離れて行く。
綺麗なドレスを身に纏いぎこちない動きをする私を見て、誰も襲おうとは思わないようだ。

そんな中、伏せた目が見つめる地面の先に一つの影が入り込む。

敢えて私に近付くような変わり者、ここの住民にいただろうか。
そんな事を思いながら、ゆっくりと顔を上げた。





「…久しぶり」





聞き覚えのある声にピクリと指先が跳ねる。
穏やかな音色に導かれるよう、滑り始めた視線は止まらず前へと向いた。


とても、静かだった。


慌ただしい一日の終わりに相応しい、
私達が会う事は必然だったと思ってしまう程、自然な出会いだった。





「…おはよう、セネル」





夜の街にそぐわない挨拶が自然に響く。
微笑む私に対し、少し距離のある位置にいる青年もゆっくりと微笑んだ。










月と街灯の淡い光が、歩く二人を優しく包む。





「まさかこんな時間にが起きてるなんてな…しかもそんな大怪我して」
「怪我は放っておいて!それにまだそんなに遅くないよ?」
「そうか?」
「そうだよ!ほら、あそこの家も今ご飯の準備してる!」
「本当だ」





赤い屋根を指差す私の横、セネルは一つ頷く。

名も知らない家族の幸せな時間が、暖かな光と共に窓から漏れる。
私達はそんな光景を、目を細め笑みを浮かべながら見つめていた。





「そう言えば、まだ夕飯食ってないな…」
「え…って、私もだ」
「おいおい、しっかりしろよ」
「セネルもじゃん」





他愛のない会話で盛り上がり、一息吐いて
息苦しくない沈黙に体を委ねる。

仲間との自然な形がここにある。
それがとても嬉しくて、私の顔の綻びは中々治らない。

セネルはそんな私を見て「らしい顔」と意地悪く笑った。





「セネルはどうして食べる時間がなかったの?」
「あぁ…ステラに会いに行ってた」
「、ステラ…に…?」
「なんか、会えば気持ちが引き締まる気がしてさ」
「…そっか!」





ぽんぽんと優しく背中を叩くと
セネルは頬を赤くし「何だよ」とぶっきら棒に言う。

さっきまで意地悪い顔をしてたのに、今では立場がすっかり逆だ。

でも、決して意地悪をしようとした訳じゃない。
セネルの口からステラの名前が自然と出てきた事が嬉しかったんだ。





は?…って、聞かなくても何となく分かるけど」
「分かるの?」
「どうせ皆と会ってたとか、そんなんだろ」
「当たり!」





パチパチと手を叩く真似をする私に対し、セネルは嬉しくないと顔を反らす。
何だか少し、がっかりしているようにも見えた。





「でも本当に今日は凄いんだよ!」
「何がだ?」
「皆に、ほんっとーに皆に会ってるの!」





「いつもみたいに集合って決めた訳じゃないのに、
 一人一人、ちゃんと皆に会えたんだ!」





「これって、本当に凄いと思わない?」と息を荒げ興奮気味に伝えると
セネルはプッと噴き出し「そうだな」と笑った。





「俺は今日、ステラとにしか会ってないな」
「ええ…嘘…」
「何かおかしいか?」
「いや…友達いない人みたいで、可哀想だなあって……」
「余計なお世話だ」





冗談を言う私の額をコツンと叩き、「いたっ」と言う私に舌を出す。
むっとする間もなく、セネルは歯を見せながら少年のように幼く笑った。

そんな顔をされたら怒る気もなくす。
相変わらずこの男は母性本能をくすぐるのが上手だ。





「…よし!じゃあそんな寂しいセネルに良い事してあげる!」
「寂しいは余計……って、良い事って何だ?」
「んー!何だと思う?」
「…何だか、すっごい嫌な予感がするのは俺だけか」
「失礼だなあ!良い事だって言ってるじゃん!」





怒声を上げる私に対し、セネルは参ったと手を上げ溜め息を吐いた。
素直な彼の反応にうんうんと頷き、キュ、と腕を絡める。





「、おいッ…」
「セネルの家、連れてって?」
「…は…?」
「だから―――…」





「良い事、してあげる」















「セネルの家、連れてって?」





その言葉に少なからずドキッとしたのは、男として仕方がない事だ。

だがそれも相手がだと言う事を踏まえれば
「もしかしたら」の展開も有り得ないだろう、と急激に体が冷める。

そして言われた通り自分の家までを連れて行けば
何故か少女はエプロンをつけ、俺の前で包丁を握り笑っていた。





「…どう言う事だ、これ」
「だから、良い事!」
「…いや、意味が分からない」
「鈍いなーもう!晩御飯まだって自分で言ってたじゃん」
「…夕、飯…?」





テーブルに肘を付き項垂れる俺の耳に、意外な言葉が飛び込んでくる。





「うん!だからご飯作ってあげる!」
「…作る…?」
「うん、作る!」
「…いや、止めてくれ」
「何で?」
「今は甘い物を口にしたい気分じゃない」
「誰がお菓子作るって言った?」
「いや、言ってないけ」
「じゃ、作るね!」





人の言葉を遮りは満面の笑みで力瘤を作る。

自信満々な笑みが余計不安を煽る。
溜め息を零し、俺は神に祈るよう指と指を絡めた。

は砂糖が万能の調味料だと勘違いしている。
何でも甘くすれば美味いと胸を張って言うタイプだ。

勿論限度は把握しているし、実際作るものは案外美味かったりする。
それでも気分が乗らないのは確かだし、何が出来上がるのかとても不安だ。





「…なあ」
「な、に…!」
「言ってくれれば、俺手伝うけど…」
「だいじょう、ぶ!気にしないで!」
「…なら、良いけど」





いや、正直に言えば『良いけど』なんてこれっぽっちも思ってない。

料理を始める前、は何故か台所へ椅子を運ぶよう俺に指示した。

逆らう理由も特になく、言われた通り椅子を運んだが
まさかそれを座る為に利用するとは思ってもいなかった。
(いや、椅子なのだからそれが正しい使い方なんだけど)

今正にその椅子に座りながら
は自分の目線と同じ程の高さにあるまな板の上の野菜と格闘している。
これを心配しなくて良い術があるのなら、教えて欲しいぐらいだ。





「うわっ…!」
「、オイッ!」





ガタン、と大きくバランスを崩した
右手に刃物を握りながら悲鳴を上げる。

居ても立ってもいられず近寄ろうとすれば
はキッと音が鳴る程の睨みを俺にぶつけた。





「来んな!」





例えるなら、それは“猫の威嚇”だろう。

自分よりも小さな者に威嚇されても恐怖は感じない。
ならどうして止まったかと言えば、きっと同情の類だ。

力ずくで止める事は簡単だけど、何だか可哀想な気持ちになってくる。





「…何かあったらすぐ言えよ」
「じゃあお皿並べて準備して!」
「いや、そう言う何かじゃ…あぁ、もう何でも良い」





トン、トン、と危なっかしくも規則正しい音をBGMに、
俺は言われた通り皿を並べる。

と言っても、たった二人分の食器だ。
そんなに時間は掛からない。

も“二人だけ”と言う事を考慮し簡単な料理で済ませたのだろう。
皿を並べ終わったと同時、「出来た!」と嬉々とした声が耳に届いた。





元々この家にあったパンとサラダ。

まるで朝食のようなメニューだ、そう思ったと同時
“手作り”と言う物に対しての淡い期待が一気に崩れる。





「…野菜、千切っただけだな」
「千切っただけじゃないよ!キュウリも切ったよ!」
「……随時歪だな」
「仕方ないよ、見えないし」
「…見えない…?」





食卓に並ぶ料理から、言葉を紡ぐへと視線を動かす。
驚く俺とは違い、はいつもと変わらぬ表情でこくこくと頷いた。

…何となく分かった。
これがグリューネさんの言っていた“体の限界”だ。





「…って、見えてない状態で料理なんかしたのか?」
「見えないって言うか…んー…濁ってる感じかなあ」
「…にごる…?」
「うん!ぼやーっとは見えてるんだ!」





目を細め笑うの視点は
彼女が言う通り、ほんの少しだけズレている。

いつも真っ直ぐに俺を見つめる瞳が、頬を掠め向こう側を見ているようだ。





「そんな事は良いから良いから!早く食べて!」
「あ、あぁ…そうだな」
「味は保証するよー?私が作ったんだから!」
「野菜千切っただけで不味くなるはずないもんな」
「キュウリも切りました!」
「もうその流れは良いって」





俺の突っ込みを受けケタケタと笑う
明日の戦いの事なんて忘れてしまっているのかと思う程明るく輝いている。

そんな姿に安堵を覚えると同時、心の奥が酷く痛んだ。

ただ俺にはどうする事も出来ない問題だ。
悔しい、と思いながらも仕方ないと言い聞かせ、ゆっくりとフォークを口へ運ぶ。





「……」
「ど?ど?おいしい?」
「…ん、美味い」





味付けはドレッシングのみ。至ってシンプルなサラダだ。
パンも朝食べた物と変わりはない。

不満もなく、突っ込みようもない味を素直に褒めれば
はパアッと顔を明るくし「良かった」と安堵の息を漏らしながら再び笑った。





「そんなに嬉しいか?」
「うん!」
「ハハ、良かったな」
「、うん」





「やっと、人の役に立てた」





愉快に笑っていた先程のとは違う。
とても柔らかく、また悲しくも見える笑みだった。

その儚さに数秒程魅了され、握っていたフォークが音を立て落ちる。





「私今日、初めて自分一人で何か出来た気がする…」
「……」





…あぁ、そう言う事だったのか。

あんな状況の中、俺に助けを求めなかったのは
きっと、自分が無力だと言う事に気付きたくなかったから。

俺は何かを成し遂げたいと願うの気持ちを
危うく我儘で済ませるところだった。





「あの、ね…セネル……」
…?」
「セネル、……ない、でしょ…?」
「聞こえない…、もっと大きく…」
「だか、ら、台所に…、ク―――…」





そう、最後まで言葉を紡ぐ事なく
は俺の視界から消えた。





!!」





フッと音も立てず、静かに椅子から落ちる
俺はとっさに体を動かし受け止めた。

ガタリと大きく机が揺れ、食器がガラガラと音を立て地面に散らばる。





「ッ…!」





突然の事態に混乱し、少女の重みに耐え切れなかった体は
ダン、と音を立て地面に崩れた。

ジン、と痺れるような痛みが背中全体に広がる。
ただ痛がるよりも先にやる事がある、と俺は必死に声を上げた。





「おい、!!」
「…」
「…嘘、だろ…」
「……」





「今まで吸い込んだ霧の量からすれば一週間…三日…いえ、一日もてば良い方です」





サァッと血の気が引いていくのが、嫌でも分かった。

カタカタと震える自分の手にの髪がパサリと被る。
ステラを失ったあの時と、良く、似ていた。





「ッオイ!」





小さな体を強く揺すった。
カクン、と首が大きく揺れた。

…そしてその口から、小さな息が漏れた。





「……ん」
「、…!?」
「…」





呼吸に紛れ聞こえた微かな声に、ドッと安堵が押し寄せる。





「…寝てるだけかよ…」





文句を言いながらも微かに上下する胸を見て、涙が出そうになった。

体はボロボロな癖に、は幸せそうに寝返りを打つ。
人の腕の中だと言う事も知らず、何とも呑気だ。

顔に掛かる髪をそっとどかせば、くすぐったいと言わんばかりに眉を動かす。
そんな些細な反応が、は生きていると実感させてくれた。





「オイ、こんな所で寝たら風邪引くぞ」
「……」
「…仕方ないな」





と言いながら、どうして俺はこんなにも幸せに笑えるんだろう。

眠るを抱き締め、立ち上がる。
目的地は二階にある自分のベッドだ。

なるべく音を立てないよう慎重に階段を上がり
ベッドの上にフワリと優しく少女を下ろす。

シーツの感触を楽しむようもぞもぞと動く体に布団を掛ければ
は「それで良い」と言わんばかりに笑い、規則正しい寝息を立てた。





「…おやすみ、
「ん……」





まだ意識があったのか、は俺に返事ともとれる声を漏らす。

たった一声、とても短い返事だったけどそんな些細な反応が嬉しく、
髪を撫でながら、月の光に輝く花飾りをそっと外し、サイドテーブルへと置いた。





「…そう言えば」





フッと宙を見て、俺はつい先程が言っていた事を思い出す。





「セネル、……ない、でしょ…?」

「だか、ら、台所に…、ク―――…」





一体あれは何だったのだろうか。
事の真相を聞こうにも当の本人は寝てしまっている。





「…台所か」





数少ないヒントを頼りに、俺は行動を開始する。
場所の指定があった事を有難く思いながら、ゆっくりと階段を下りた。





「……」





俺は言葉を失った。

無人の台所にあったのは、赤いマグカップ。
その中でゆらゆらと揺れる白い波に、驚く自分の顔が映った。

無意識の内に溢れた涙が、波のリズムを乱し波紋を作る。

欠けたピースが、カチリと音を立て全てはまった。





「セネル、元気ないでしょ?」

「だから台所にホットミルク、作って置いといたから!」





聞いてもいない声が頭の中に流れ込んでくる。
自分の胸の、何処かが大きく震えた。





「それ飲んで、元気だしてね!」





そう言って、肩を叩かれる。
そんな錯覚すら起こした。





「ッ…」





何で、元気がないなんて分かったんだよ。
自分の方が辛い癖に。

何で、こんな状況になっても人の事なんだよ。

立てなくなっても、目が見えなくなっても
どうして自分の事じゃなくて、俺の事なんだよ。





「馬鹿じゃないのか…お前…」





静かな部屋に、自分の声がポツリと落ちる。

情けない声にが気付き起きてくる事はない。
…いや、それで良かった。

こんな情けない姿、誰にも見られたくない。

大丈夫、まだ戻れる。
朝が来る前にこの感情を捨てれば良いだけだ。

“苦しい”なんて、俺が思っちゃいけない感情を。










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修正:14/01/19