一日経っても私の体は元に戻らなかった。
それでも誰一人「帰れ」とは言わず、同行する事を許してくれている。
こんな日であっても私の隣にいるのはいつもと変わらない、ワルターだ。
足を引き摺る私の体調を気遣いながらも遅れをとらないよう上手く誘導してくれる。
「こんな事まで上手なんだね」と言えば「別にいつもと変わらない」とワルターは言った。
迷惑を掛けている事は重々承知している。
いつもと変わらない、と言ったワルターの言葉が気遣いだと言う事もだ。
だからこそ、なるべく迷惑を掛けまいと姿勢を整え重心をずらせば
それこそ迷惑と言わんばかりに眉を顰めるワルターが視界に入った。
「無理をするな、そのままで平気だ」
「だって、ずっとこんなだったらワルター疲れちゃうじゃん…」
「俺はそんな柔ではないぞ」
「…でも硬くもないよね?」
「…どう言う意味だそれは」
「もうさ〜お姫様抱っこのが楽なんじゃないの〜?」
背後からひょこっと顔を出したノーマが口元を押さえ、
ニヤニヤと笑いながらそんな事を言う。
自分達の会話が聞かれていた事に驚き一瞬言葉を失くしたが
何となく、今回限りはノーマの言葉も一理あるかもしれない、と口を開いた。
「そう言うもんなの?」
「…確かに、その方が咄嗟の判断はしやすい」
「咄嗟の判断?」
「敵の襲撃だ。お前がへばりついていたら上手く避けれん」
「でも抱っこしてたって上手く避けれないじゃん。両手使えないんだし」
「飛んで避ければ良いだけだ」
ああ、なるほど。だったらそっちの方が楽そうだ。
茶化しに入ったノーマの言葉を信じてみるのも悪くない、と
私はワルターの言葉も待たずにその首に手を伸ばす。
私の行動に一瞬体を固くしたワルターも事態に納得し
私が腕を絡めたと同時に膝裏に手を当てフワリと体を持ち上げた。
「居心地良さそうですな〜」
「そこそこーワルター大丈夫?」
「このくらい余裕だ」
「そうかなあ…ワルター変に貧弱だからちょっと心配」
「…落とすぞ」
「わああ!ごめんなさいごめんなさい冗談です!!」
一瞬本当に支える力がフッと抜けた気がして、体から嫌な汗が噴き出した。
信頼しているとは言え、「落とす」と口にされたらそれなりに怖い。
「良いな〜。私も誰かに運んでもらいた〜い」
「運んでもらえば?ウィル辺りに」
「ウィルっち〜?何でそこでウィルっちチョイスなのさ」
「…じゃあモーゼス?」
「ウゲ…吐き気がした」
「コォラ!!聞こえちょるぞワレ等!!」
前方から聞こえた怒声に私達二人はケタケタと笑った。
会話を聞いていたシャーリィやクロエもクスクスと控えめに笑っている。
モーゼスは小さく舌打ちし、頭を掻きながら足早に前へと消えていった。
「…でも、本当に運んでもらえば?」
「へ?何で?冗談だよあんなの〜」
「いや、だって」
「ノーマ、本当は寝不足なんじゃない?目腫れてるよ?」
何となく発した疑問によって、辺りの空気が変わったのが嫌でも分かった。
へらへら笑った表情のまま、ノーマは氷のように固まった。
動揺を露にした瞳の中で大きな光が揺れている。
「…えと」
「…」
「違ったかな…?気のせいだったらごめん」
「……」
気まずい空気に耐えきれず謝罪の言葉を口にしても、ノーマの表情は変わらない。
自分じゃどうにも出来ないこの状況を目の前に、私も動揺が隠せずにいた。
「…、ノーマ」
「」
「え、な、何?」
「目蓋の腫れは充分過ぎる睡眠を取った時にもなる現象だ」
「…そうなの?」
「体質の違いだ、この女の場合はそうなのだろう」
まるでノーマを代弁するかのように喋るワルターに
私は「へえ…」と感心の声を漏らし何度か頷いた。
「そ、そうそう!ワルちんの言う通り!あたし昨日寝すぎちゃって!」
底抜けに明るいノーマの声で空気が元に戻る。
瞬間、無意識に安堵の息が漏れた。
「そうなんだ…全く!緊張感がないなーノーマは!」
「だって同じぐらい寝てるんじゃないの〜?」
「アハハ!そうかも!」
私を小突きながら笑うノーマはほんの数分前と変わらない、いつものノーマだ。
それだけで嬉しくて、会話の流れとは無関係に笑みが零れた。
「随分と離れたな…さっさと行くぞ」
「はいは〜い」
「行け!ワルター号!」
「……」
一瞬顔を顰めたワルターの頬をつつき、ノーマと私はブハハと笑う。
変な呼ばれ方をしからかわれのが気に障ったのか
ワルターは無言のまま、物凄いスピードで前へ進んだ。
頬を掠める風が何だか気持ち良い。
心地良さに目を閉じれば、滄我に気持ちがグッと近付いた気がした。
どうなるかも分からない未来を前に不安はなかった。
ただ今は“滄我に会いたい”…そう思っていた。
「…寝すぎでも、寝不足でもないよ…」
「いつもにっぶいくせに、な〜んでこんな時だけ気付くかな…」
「…泣くな泣くなっ…今は前に進まなきゃ!」
だから私は、隣を歩いていたノーマがいつの間にかいなくなった事にも
その口から溢れた本音にも気付く事が出来なかったんだ。
気付いていれば、また違う未来が見えていたかもしれないのに。
濁る視界に映る景色は、まるで別物だった。
綺麗な珊瑚色の地面が、辺りの色と混ざって、ぐちゃぐちゃ気味悪い。
だけど恐怖は感じない。
奥から聞こえる波音と体を包むぬくもりが、私に安らぎを与えてくれる。
「…そろそろ祭壇だな」
先頭を歩くセネルの声に導かれ、フッと顔を上げた。
混ざる色の中に、奥から一筋の光が射し込んでいるのが分かる。
「行こう、滄我の元に」
一段一段、ワルターが階段を上る度脈が早くなる。
恐怖でもなければ緊張でもない…何と例えて良いかも分からない感情だった。
階段を上りきり、眩しさに目を閉じる。
目蓋の裏が陽の光に透けて赤く見えた。
そして閉じた目をゆっくりと開けば、そこには蒼い海と青い空。
「滄我!!」
最も海に近い場所でセネルは絶景へと叫ぶ。
その声すらも掻き消してしまいそうな程の大きな波が辺りに響いた。
「滄我、俺達の想いを聞いて欲しい!!」
「回りくどいんはなしじゃ!ワイ等に力を貸してくれ!!」
「私達の生きる世界を守る為に、貴方の力を貸して欲しいんだ!!」
次々に叫ぶ仲間達の言葉に、波はより一層大きな音を立てた。
返事をしているのか、それとも皆の想いを掻き消そうとしているのか、私には分からない。
「過去、人は未熟だったと思います。でも、少しずつ成長していけます!」
一歩前に出て、シャーリィは滄我へと言葉を紡ぐ。
「だが、その為には時間が必要なんだ!」
「未熟な俺達が成長して前に進んで行くには、まだまだ時間が必要なんだ!」
シャーリィに続き、セネルも自らの想いを口にする。
声が裏返ろうと、酸素が足りなくなろうとも、自らの気持ちを一直線にぶつけた。
「俺達は、守りたいだけなんだ!」
「皆と過ごす、何気ない日常を、守っていきたいだけなんだ!!」
「苦しい事もたくさんあります…それでも私達はまだ、生きてこの足で歩きたいんです!」
波のリズムは変わらない。
ただ大きな音を立て、私達の声を掻き消す。
だけど、漂う空気が微かに変わった事に何となく気が付いた。
「頼む、滄我!俺達と共に戦ってくれ!」
「守るべきものを守る為に、未来を切り開く為に、喜びと幸せを守る為に!!」
ああ、私には分かった。
きっとテューラが言った通りなんだ。
…海が泣いているって。
「やっとここまで積み上げた物を、なかった事になど出来るものか!」
「ワレはええんか?黙って消されてええんか!それでほんまに満足なんか!?」
メルネスでもなければ水の民でもない。
元々この世界の人間じゃない部外者だけど、それでも私には何となく分かる。
助けを求める、滄我の声が。
「ワイと一緒に戦わんかい!ワレの根性見せんかい!!」
「あたしらの覚悟、分かってるでしょ!?聞こえてんなら、答えてよ!!」
「貴方の意志を聞かせて下さい!滅ぶ事を望むのですか?それが貴方の望みなのですか!?」
一方的に意志をぶつける私達を、滄我はどんな気持ちで見ているのだろう。
一体今まで、どんな気持ちでこの世界を見つめていたのだろう。
「手を取り合って、生きていける世界を、俺達は作っていけると思う!」
「まだ出たばかりの小さな芽だけれど、きっと大きく育って行く!」
「だから終わる訳にはいかないんだ!」
海を目の前にし、セネルは自らの爪に淡い光を灯す。
決して滄我を傷付けようとしている訳ではない。
それは広大な海を目の前にしても逃げないと言う決意の表れだ。
「目の前の危機を退ける力を、貸してくれ!!」
「一緒にこの世界を守ってくれ!」
「俺達と一緒に戦ってくれ!そして、生きてくれ!!」
セネルの言葉や姿勢に習うよう、皆も自らの決意を滄我へ見せる。
碌に見えない私の目でも、彼等の光はとても輝いて映った。
「ッ大丈夫だよ!!」
居ても立ってもいられず、声を上げる。
喉が潰れても構わない、それ程の大きな声で。
「この人達なら、大丈夫!」
「皆なら、この世界を守ってくれる!!アンタが望んでた世界を作ってくれる!」
自分の限界すら気付かずに、声を上げた。
まるで自分の声じゃないくらいガラガラだ。
「分かってるよ!滄我の気持ち!」
「もう泣かなくて良いんだよ…皆がアンタを、世界を守ってくれる!!」
「ッ私だって、守るよ!滄我が笑って過ごせる未来を!」
呼吸が上手く出来ない。
息が続かなくて、苦しい。
自然と瞳には涙の膜が張っていた。
「もっと、もっと一緒にいたい!この世界の人達とも、滄我とも一緒にいたい!」
「もう文句も言わないよ…!苦しくたって、悲しくたって、この世界が大好きだから!」
「ッまだ、ここにいさせてよ!!」
膜が破れ、涙が溢れる。
それと同時に、強い閃光が辺りを包んだ。
眩しくて目も開けられない状況の中
キィン、と剣と剣がぶつかりあうような高い音が、耳の奥まで届く。
同時に聞こえた波の音は、とても優しく穏やかだった。
きっと分かったんだ。
滄我は自分が一人じゃないって。
「…、これは……」
ウィルの声に導かれるよう目を開ければ
そこには先程と違う景色が広がっていた。
海と空の境界線を隠すように浮く幻想生物。
雄々しいその姿に、皆が一瞬言葉を失くした。
「…ゲート…」
やっとの事で言葉を紡いだセネルに対し
ゲートは攻撃を仕掛ける事もなく、ただじっと待っていた。
その瞳で何かを訴えながら。
「私達の覚悟を、試そうと言うのか…?」
「聖爪術とくれば、ゲートじゃ!」
「強ち、モーゼスさんの話も的外れじゃないかもしれませんね」
はあ、と溜め息を吐いたと同時、ジェイは爪を光らせ武器を取り出す。
隣にいるモーゼスも満面の笑みで槍の矛先をゲートに向けていた。
「ここにいろ」
「う、うん」
岩陰に私をそっと下ろすと、ワルターは皆の元へと戻って行く。
武器を構え、自らの意志を示そうとする皆を私はただ祈り見守る事しか出来ない。
「…大丈夫」
私がいなくたって、皆がゲートに負ける事はない。
「…行くぞ!!」
祭壇の上で始まる激しい戦い。
ゲートの雄叫びに辺りの空気がビリビリと揺れた。
走り出す皆の姿を見て、絡めた手にギュッと力を入れた。
皆の気持ちが滄我に届くと信じて。
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修正:14/01/19