鉄と鉄がぶつかる音。
ぼやけた視界の中、チカチカと火花が散る。

無意識に下がる視線の先には、ぐしゃぐしゃになった花が見えた。





「可哀想な、花…」





何処からともなく聞こえた声。
私はこの声を聞いた事がある。

何処で聞いたのかは思い出せない。
だけど何でだろう…分からないのに、とても身近に感じる。





「可哀想な、ワタシ」





再び声が聞こえたと同時、視界の中に僅かな変化が訪れる。

誰が、いる。
花畑の奥、ポツンと不自然に建つ赤い屋根の家の中から私をじっと見ている。


…だ、れ。


ぱく、と口を動かしただけで音は出なかった。
それでも相手には私の言いたい事が伝わったのだろう。
その赤い瞳がクッと細くなったのが分かった。





「ワタシ…可哀想な、ワタシ…」

「可哀想…」















「ッちょっと…全然平気そうだよ!?」





シュヴァルツとの戦いは、一向に終わりを迎える事はなかった。

勢いよく拳を振り下ろしても、シュヴァルツは涼しい顔でそれを避ける。
例え当たったとしても、全くと言って良い程手応えを感じなかった。

ブレスを唱えても怯みもしない。
例え焼かれても、雷を落とされても、シュヴァルツは何食わぬ顔でそこにいる。





「なして何ともないんじゃ!」
「二つの滄我の力を借りても、俺達では相手にならないのか…!?」
「実力が、違いすぎると言うのか……」





焦りを感じた仲間達が次々に言葉を交わす。
そんな俺達をシュヴァルツはただ黙って見つめていた。

諦めたらそこで終わりだ。

声には出さず心の中で繰り返す。
解けかけていた拳を、もう一度強く握り直した。





「世界は嘆き、哀しみ、苦しみに満ち、子はそれ等から逃げ惑うばかりだ」





黙秘を続けていたシュヴァルツが口を開く。
戦い慣れているはずの体がそれだけで大袈裟に跳ねた。





「だから我が救いの手を差し伸べ、子を全より解放しようと言うのだ」

「何も心配をする事はない…無へと還れば、未来永劫そんな苦しみには囚われずに済む」





身構える俺達を前に悠々とした態度を見せるシュヴァルツへ
グリューネさんが一歩前へ出て立ちはだかる。

この状況の中、冷静に行動出来ていたのはグリューネさんだけだった。





「そなたのやり方では、人は幸せになれないと知るのです」
「全があるからこそ、嘆きに変わる」
「…」
「我は全を無に還すのだ…全のない世界には、嘆きも苦しみも存在し得ない」
「…何度でも言います。分かっていないのはそなたの方だと」
「グリューネよ…何故分からぬ」
「そなたは何も分かっていない…シュヴァルツよ、思い出すのです」





「無へと還った後も、一人の少女が苦しみに溺れていた事を…」

「そして、全があるこそ得た、そなたの幸せを」





体が跳ねた訳でも、表情が読み取れた訳でもない。
ただ何となく、シュヴァルツがグリューネさんの言葉に動揺したのが分かった。





「…それはもう、過去の話だ」





しばらくの沈黙を経て、シュヴァルツはグリューネさんに言葉を返す。
その言葉に、今度はグリューネさんが反応を示した。

それはグリューネさんだけではない。
目の前の女の…シュヴァルツの劇的な変化に自然と体が強張る。

見開かれた目に映る女の姿に、足が一歩後ろへと下がった。





「…なに、笑ってるんだよ…」





今まで無機質な音を奏で続けていた唇。

感情を表現する事なんて今まで一度もなかったし
そう言う事が出来ないのだと勝手に思い込んでいた。

それが今、とても幸せそうな笑みを作っている。





「もう…我等は離れない…」

「世界が滅び、暗黒に染まったとしても離れる事はない…」





キィ…と乾いた音が凍った空間に気味悪く響いた。





「お前の母親は、ここにいる…」

「お前の居場所は、ここにしかない…」





両手を広げ、天を仰ぐシュヴァルツは笑う。
黒い霧がザワザワと音を立て、ある一点に集中した。





「お前の大好きな花は、こんなにもたくさんここにある…」





色がなくなった。
花は枯れ、空は曇り、世界の全てが白黒へと変わる。





「我等を引き離したのは人間だ」





急激な変化に狼狽えるしか出来ない俺達の耳に
トン、と軽やかな音が届いた。

トン、トン、と一定のリズムで聞こえるそれは、恐らく足音だろう。
皆でもない、シュヴァルツでもなければグリューネさんでもない…誰かの足音。





「人の子さえいなければ、こんなに悲しい想いはしなかった…」





ユラリユラリと揺れながら近付いてくる、人一人分の霧の塊。
足音の正体は、その黒い霧で間違いないのだろう。

霧は動く度、その瘴気で花を枯らした。
何処からともなく匂う腐敗臭が鼻を掠め、気分が悪い。





「シュヴァルツ…自らの私利私欲で動く事は我等には許されてはいない」
「私利私欲…グリューネ、それは違うぞ」
「…」
「我に過ちはない、過ちを犯すは人の業…幾度の過ちは、人の子の罪」





「我は常に正常なる道を歩む者である」

「故に我は、『虚ろなる導き手』と知れ」





霧の塊はシュヴァルツの横でピタリと止まった。





「、何だ…!?」





ブワリ、と音を立て密集していた霧が分散される。
一瞬にして目の前が真っ暗になり、無意識の内に目を閉じた。





「どうなってんの!?真っ黒だよ!!」





暗闇の中慌てる仲間達の声が聞こえる。
それ程距離はない…どうやら視界を奪っただけでそれ以外の効果はないらしい。

再び目を開き拳を構え、ゆっくりと霧が晴れていく中、耳を澄まし意識を集中させた。


そして広がる、別世界。


鮮やかな世界も、枯れた世界もそこにはない。
ただただ無色、黒…それだけだった。

そして俺達の前にいるのは、シュヴァルツと―――…。





「…な、に」





生温い風に靡く髪。
俺達をジッと見つめる、赤い瞳。





「ち、ちょっと…これって……」
「…どう言う事じゃ…!?」





目の前の人物に驚いたのは俺だけじゃない。
ずっと旅を共にしてきた仲間達が、全員目を見開いて驚いている。

それもそのはずだ。





「…嘘、だろ…」





こんな事、信じられる訳がない。





「…、なのか…?」





体を動かす事が儘ならなくなっても、いつも前を向いていた。
辛い事をたくさん経験しても、最後には幸せだと笑った。

嘘が下手で、すぐに無理している事が分かって
その度に心配されるのを嫌がって、でもやっぱり一緒が良いと駄々をこねて。

もう隠し事はない、と…思っていた。

なのにどうして、そんなお前の影が…負の感情が今俺達の目の前にいるんだ。















「…、なのか…?」





誰かが私の名前を呼んだ。
何だろう、と顔を上げてみたけど、誰もこっちを見ていない。

一体皆、何を言っているんだろう。
誰に対して私の名前を呼んだんだろう。

私はここにいるのに。

ねぇ、気付いてよ。
…気付いて、お母さん。















「惑わされる事はありません」





凛としたグリューネさんの声にハッと我に返る。
赤い瞳に吸い込まれそうだった意識が現実へと戻って来た。





「戸惑う気持ちは分かります。
 ですがあれは、の負の感情が形になった物ではありません」

「…シュヴァルツ本人の、負の感情です」





グリューネさんの言葉に返事をする余裕もなかった。
安堵からか驚愕からか、震える唇の意味が自分でも分からない。





「我の嘆きだと…?グリューネ、それは違うぞ…」

「これは…この子は、我の子だ…」

「まやかしでも何でもない…汚い感情など、何一つ含んではいない…」





「…私の愛する、愛する子だ…」





立ち尽くす少女の頭を、女はフワリと優しく撫でる。
少女は瞳を細めただけで、抵抗もせず為すがままであった。
女は少女の反応を見て幸せそうに口角を上げ微笑む。

動作一つ一つが良く似ている。
誰かに頭を撫でられた時、喜び目を細めるに。





「我等を引き離した人の子よ…“私”の子を傷付けた、人の子よ…」

「我等二人が、粛清を与える時は…今、来たり」





再び武器を構え俺達を見据えるシュヴァルツは
ただ攻撃を受け流していた先程とは空気が違う。

間違いなく、俺達を殺しに来る。

武器を構えるシュヴァルツの横、の形をした霧は右手にナイフ、左手に杖を構えた。
まるで親の姿を真似する鳥のよう。





「…もう、無理です」





小さく首を振り、グリューネさんはポツリと声を落とす。
その横顔は複雑な表情を浮かべ、何かを悟ったように小さく息を吐いた。





「無理って…?」
「シュヴァルツを“止める”のは、無理だと言うのです」
「…そんな」





「あなた方も、薄々感じていたでしょう」

「シュヴァルツはもう…狂っていると」





諦めの言葉を口にし、グリューネさんはすう、と息を吸う。
目を開き、真っ直ぐと目の前の敵を見るグリューネさんの瞳には迷いがない。





「あれはもう、神である者の姿ではありません」

「霧に取り込まれた、一人の女でしかないのです」





霧を操り世界を終焉へと導く神が、自らの霧に呑み込まれた。
…そんなの、悲劇を通り越して喜劇だ。





「霧に取り込まれた者の末路は、最早あなた方に説明する必要はないでしょう」

「放って置いて治るものではないのです」

「シュヴァルツの負は、誰かの甘い言葉で消え去るような軽い物ではない…」





「もう、わたくし達が彼女を救う方法は
 彼女をこの世界から追い出す他、残ってはいないのですよ」





グリューネさんの言葉に、俺達は返事をする事が出来なかった。

ただ目の前で、俺達を見下し口角を吊り上げる女を見て呆然とするしか出来ず
想像よりも遥かに残酷な現実に狼狽える事しか出来ない。

一体、今まで何の為に頑張ってきたんだ。
シュヴァルツを“止める”為に頑張ってきたんじゃないのかよ。

止めるべき相手は目の前にいる。
やっと手が届く範囲に来て、言葉を交える事が出来たんだ。


ここまで来て、後少しだって言うのに諦めちまうのかよ。


視線は無意識にシュヴァルツの隣にいる少女へと移る。
モノクロの少女は何も語ろうとしなければ、表情の変化一つ見せない。

どうすれば良いのか分からず、開いた口を塞ぐ事も忘れ
答えに辿り着くかも分からないのにグルグルと思考を巡らせる。

本当に、ここで終わりなのか。
だってシュヴァルツを倒したら。

シュヴァルツを倒したら、こんな悩む事も―――…。





「ッ止めて!!」





一歩絶望に足を踏み入れたその瞬間、聞き慣れた声が耳に届いた。
朦朧としていた意識が現実へと引き戻され、声が聞こえた方へ振り返る。

ああ、やっぱりそうだ。
いつも俺が迷った時、正しい道を教えてくれるのはお前なんだ。

…そうだろ、










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修正:14/01/19